「島袋洋奨」の版間の差分
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だが、2011年5月13日の亜細亜大学との試合では、同じ沖縄県出身でドラフト候補の[[東浜巨]]とハイレベルな投手戦を演じ、結果1-0で完封勝ちを収め、リーグ戦初白星を手にした。 | だが、2011年5月13日の亜細亜大学との試合では、同じ沖縄県出身でドラフト候補の[[東浜巨]]とハイレベルな投手戦を演じ、結果1-0で完封勝ちを収め、リーグ戦初白星を手にした。 | ||
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島袋 洋奨(しまぶくろ ようすけ、1992年10月24日 - )は沖縄県宜野湾市出身の野球選手。中央大学在学中。興南高校卒業。
興南高校[編集]
高校時代には、興南高校野球部を、沖縄県勢初の夏の甲子園優勝、全国史上初となる甲子園春夏連覇など、数々の偉業へと導いた。
全国屈指の好投手としてその名を全国に知らしめ、プロ志望届を提出すればドラフトでの上位指名は確実であった。
しかし、野球と学業との両立を目指し、大学野球で最高レベルのリーグである東都大学野球1部リーグに所属し、その中で最も一般学生の学力レベルが高い中央大学への進学への進学を決意。
中央大学[編集]
中央大学野球部では、入江慶亮、鍵谷陽平といったドラフト候補を抑え、1年生の春からいきなり開幕投手に抜擢された。これは野球部監督であり、プロ野球で完全試合も達成した高橋善正以来の快挙である。
以降、好投を続けながらも味方のエラーや監督の継投失敗等で足を引っ張られ、また、島袋が登板する試合では極端に援護点が少ないなど不運が続いた。
4試合登板時点で27 1/3回を自責点4、防御率1.32と抜群の成績ながら、0勝3敗と通常考えられない結果だった。
だが、2011年5月13日の亜細亜大学との試合では、同じ沖縄県出身でドラフト候補の東浜巨とハイレベルな投手戦を演じ、結果1-0で完封勝ちを収め、リーグ戦初白星を手にした。