「ギロチン」の版間の差分
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当初は、設計者のルイの名前をとって「ルイゼット(Louisette)」や「ルイゾン(Louison)」と呼ばれていたが、この装置の人間性と平等性を大いに喧伝したギヨタンの方が有名になり、ギヨタンから名前をとった「ギヨティーヌ(Guillotine)」という呼び名が定着した。ギロチンはその[[英語]]読みであるギロティーンが訛って日本語となったものである。正式名称は「Bois de Justice(正義の柱)」と言う。当初はギロチンの刃が内側に反っていたため切れ味が悪く、一撃で罪人の首を飛ばすことは難しかった。そのため、フランス国王[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]が、刃を外側に反り返らせることを提案した。これにより、ギロチンの殺傷力は格段に上昇した。のちにルイ16世自身が改良したギロチンで処刑されたということは歴史の皮肉というほかないだろう。また、[[恐怖政治]]を主導し、受刑者をギロチン台に送り続けた[[マクシミリアン・ロベスピエール|ロベスピエール]]も最後はギロチンの露と消えた。なお、ギヨタン自身もギロチンで処刑されたという俗説があるが、これは誤りである。 | 当初は、設計者のルイの名前をとって「ルイゼット(Louisette)」や「ルイゾン(Louison)」と呼ばれていたが、この装置の人間性と平等性を大いに喧伝したギヨタンの方が有名になり、ギヨタンから名前をとった「ギヨティーヌ(Guillotine)」という呼び名が定着した。ギロチンはその[[英語]]読みであるギロティーンが訛って日本語となったものである。正式名称は「Bois de Justice(正義の柱)」と言う。当初はギロチンの刃が内側に反っていたため切れ味が悪く、一撃で罪人の首を飛ばすことは難しかった。そのため、フランス国王[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]が、刃を外側に反り返らせることを提案した。これにより、ギロチンの殺傷力は格段に上昇した。のちにルイ16世自身が改良したギロチンで処刑されたということは歴史の皮肉というほかないだろう。また、[[恐怖政治]]を主導し、受刑者をギロチン台に送り続けた[[マクシミリアン・ロベスピエール|ロベスピエール]]も最後はギロチンの露と消えた。なお、ギヨタン自身もギロチンで処刑されたという俗説があるが、これは誤りである。 | ||
− | フランスでは、[[1981年]]9月に死刑制度自体が廃止されるまで、ギロチンが使用されていた。他に使用されていた国として、[[ナチス・ドイツ]]や[[ベトナム戦争]]時の[[南ベトナム]]がある。今現在は[[テロリスト]]が民間人をギロチンで殺害しているとされている。(もっとも、これはまだ人道的なもので、裏切り者や反組織のリーダーは拷問をかけ殺害しているのが通説である) | + | フランスでは、[[1981年]]9月に死刑制度自体が廃止されるまで、ギロチンが使用されていた。他に使用されていた国として、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]や[[ベトナム戦争]]時の[[南ベトナム]]がある。今現在は[[テロリスト]]が民間人をギロチンで殺害しているとされている。(もっとも、これはまだ人道的なもので、裏切り者や反組織のリーダーは拷問をかけ殺害しているのが通説である) |
またギロチンで処刑された後に、生首が瞬きをすることがある。実際に自ら処刑後に人は意識があるのかを確かめた人物もいる(化学者の[[アントワーヌ・ラヴォアジエ|ラヴォアジエ]])が、これは筋肉の痙攣によるものとされており、斬首の瞬間に血圧が変化し意識を失うので、意図的に瞬きをすることは出来ないというのが通説である(もっとも、追試が出来ないので正確なところは不明)。 | またギロチンで処刑された後に、生首が瞬きをすることがある。実際に自ら処刑後に人は意識があるのかを確かめた人物もいる(化学者の[[アントワーヌ・ラヴォアジエ|ラヴォアジエ]])が、これは筋肉の痙攣によるものとされており、斬首の瞬間に血圧が変化し意識を失うので、意図的に瞬きをすることは出来ないというのが通説である(もっとも、追試が出来ないので正確なところは不明)。 | ||
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== 娯楽としてのギロチン == | == 娯楽としてのギロチン == | ||
− | *ギロチンは公開処刑で使用されることが多く、19世紀のフランスでは大勢の市民がギロチンによる公開処刑を娯楽として楽しんでいた。有名な愛好家の名前も知られている。 | + | * ギロチンは公開処刑で使用されることが多く、19世紀のフランスでは大勢の市民がギロチンによる公開処刑を娯楽として楽しんでいた。有名な愛好家の名前も知られている。 |
− | *ギロチンによる公開処刑が有名になるとギロチンのミニチュアが玩具として販売され子供達が捕まえてきた生きた鳥やネズミの首を切り落として遊んだ。 | + | * ギロチンによる公開処刑が有名になるとギロチンのミニチュアが玩具として販売され子供達が捕まえてきた生きた鳥やネズミの首を切り落として遊んだ。 |
− | **[[ゲーテ]]が5歳になる自分の子どものためにギロチンの玩具を買ってくれるように母親に送った手紙が現存している。 | + | ** [[ゲーテ]]が5歳になる自分の子どものためにギロチンの玩具を買ってくれるように母親に送った手紙が現存している。 |
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2014年5月6日 (火) 14:42時点における最新版
ギロチンとは、
- 使用者による俗称とは限らず、装置製造者が公式に、カタログ、マニュアル、プレートに用いているものがある。
ギロチン(フランス語:Guillotine(ギョティーヌ)。ギロチンは英語読みが訛った形)は、1792年4月25日にフランスで正式に処刑道具として認められたものである。刃が斜めになっており刃についているおもりによってすばやく切り落とすことができ、従来の処刑器よりも苦痛を与えないと言われる。ルイ16世やマリー・アントワネットがこれによって処刑されたのは有名である。
当時はフランス革命後の恐怖政治により、毎日何百人もの人が処刑されていた。貴族は断首、平民は絞首刑と区別されており、また断首の場合、首切り役人が熟練していないと、何度も切り付けて受刑者に多大な苦痛を与えることが多かった。
そこで、内科医で国民議会議員だったジョゼフ・ギヨタン(Joseph-Ignace Guillotin)が、受刑者に無駄な苦痛を与えず、しかも身分に関係せず同じ方法が適用できる、「単なる機械装置の作用」によって「人道的」な処刑を行うよう議会で提案した。ギヨタン医師の提案は初め嘲笑を以て迎えられたが、ギヨタン医師の再度の提案と説得によりその案が採択された。
外科医のアントワヌ・ルイが設計の依頼を受けて、各地の断頭台を研究し、刃を斜めにするなどの改良を加えた。
なお、首と同時に両手首も切り落とす形状の物も存在する。
当初は、設計者のルイの名前をとって「ルイゼット(Louisette)」や「ルイゾン(Louison)」と呼ばれていたが、この装置の人間性と平等性を大いに喧伝したギヨタンの方が有名になり、ギヨタンから名前をとった「ギヨティーヌ(Guillotine)」という呼び名が定着した。ギロチンはその英語読みであるギロティーンが訛って日本語となったものである。正式名称は「Bois de Justice(正義の柱)」と言う。当初はギロチンの刃が内側に反っていたため切れ味が悪く、一撃で罪人の首を飛ばすことは難しかった。そのため、フランス国王ルイ16世が、刃を外側に反り返らせることを提案した。これにより、ギロチンの殺傷力は格段に上昇した。のちにルイ16世自身が改良したギロチンで処刑されたということは歴史の皮肉というほかないだろう。また、恐怖政治を主導し、受刑者をギロチン台に送り続けたロベスピエールも最後はギロチンの露と消えた。なお、ギヨタン自身もギロチンで処刑されたという俗説があるが、これは誤りである。
フランスでは、1981年9月に死刑制度自体が廃止されるまで、ギロチンが使用されていた。他に使用されていた国として、ナチス・ドイツやベトナム戦争時の南ベトナムがある。今現在はテロリストが民間人をギロチンで殺害しているとされている。(もっとも、これはまだ人道的なもので、裏切り者や反組織のリーダーは拷問をかけ殺害しているのが通説である)
またギロチンで処刑された後に、生首が瞬きをすることがある。実際に自ら処刑後に人は意識があるのかを確かめた人物もいる(化学者のラヴォアジエ)が、これは筋肉の痙攣によるものとされており、斬首の瞬間に血圧が変化し意識を失うので、意図的に瞬きをすることは出来ないというのが通説である(もっとも、追試が出来ないので正確なところは不明)。
国内では明治大学博物館に唯一展示・収蔵されており、見学することが出来る。
娯楽としてのギロチン[編集]
- ギロチンは公開処刑で使用されることが多く、19世紀のフランスでは大勢の市民がギロチンによる公開処刑を娯楽として楽しんでいた。有名な愛好家の名前も知られている。
- ギロチンによる公開処刑が有名になるとギロチンのミニチュアが玩具として販売され子供達が捕まえてきた生きた鳥やネズミの首を切り落として遊んだ。
- ゲーテが5歳になる自分の子どものためにギロチンの玩具を買ってくれるように母親に送った手紙が現存している。
関連項目[編集]
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