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'''パッパラー轟'''(-とどろき、本名:マルジョン・ディアーゴ轟)とは、[[日系ブラジル人]]のミュージシャン。[[轟三兄弟]]の次男。
 
'''パッパラー轟'''(-とどろき、本名:マルジョン・ディアーゴ轟)とは、[[日系ブラジル人]]のミュージシャン。[[轟三兄弟]]の次男。
  

2010年11月24日 (水) 23:49時点における最新版

パッパラー轟(-とどろき、本名:マルジョン・ディアーゴ轟)とは、日系ブラジル人のミュージシャン。轟三兄弟の次男。

経歴[編集]

1961年、サンパウロ生まれ。サンパウロの貧困層が集まるジャメティ地区で育った。3歳年上の兄に数学者のジョン・アンドレ轟、5歳年下の弟に実業家のプレゴ・ガイザル轟がいる。3人はいずれも陽気かつ利口で、長兄が成人する頃には地元ラジオに出演するなど轟三兄弟として注目を集めた。

マルジョンも当初は学者になりたいと夢を語っていたが、リオデジャネイロのジャズバーで音楽に魅せられ、以後ミュージシャンを志す。マルジョンは二十歳くらいから「パッパラー轟」の名で地元のパブなどで雇われゴスペルをしていた。1988年、レシフェに移住すると、そこでドラム奏者のマイセル・バイゼルに才能を見出された。以後、単純なゴスペルではなく、パーカッションを巧みに取り入れた音楽を始める。

翌年、バイゼルの紹介でレシフェのレコード会社よりプロデビュー。パーカッションとゴスペルのコラボレーションというその奇抜さが受けて人気となった。1992年頃より動物の鳴き声を模したパフォーマンスを試みる。これが大きなヒットとなり、以後シリーズ化されていく。

2002年、創作音楽パーカッショニストとしては初めてグラミー賞を受賞。受賞理由として、音楽を通じて自然との新たな融合を作り出したと評された。

2006年より世界公演を行っている。とくにメキシコハワイで人気が高く、2009年にはメキシコで30日間のツアーを開催した。

ディスコグラフィー[編集]

  1. ドンチャイチャイ (1989年)
  2. キリマンジャロ (1991年)
  3. イグアナジャンボ!! (1992年)
  4. イグアナフイフイ (1993年)
  5. ヤモリ3匹トカゲ6匹 (1994年)
  6. ヴェノス!!カメレオン (1996年)
  7. ヴェノス!!カンガルー (1997年)
  8. エスカルゴジャンボ!! (1998年)
  9. コーヒー轢き轢き (2000年)
  10. ヤモリだぜ! (2001年)
  11. ピラニアタンゴ!! (2001年)
  12. パッパラーのアマゾン探検 (2004年)
  13. パッパラーのアンデス探検 (2006年)
  14. イグアナジャンボ!!Forever (2007年)
  15. パッパラーとコスタリカ (2008年)
  16. ヤモリロックンロール (2008年)

関連人物[編集]

  • KONISHIKI:年が近いこともありハワイでしばしば歓談する姿が見られる。2006年のハワイ公演では、パッパラーが即席でポリネシア風音楽を披露し、KONISHIKIを感激させた。
  • ドン・ゴンチャン:中国系ロシア人画家。パッパラーのファンであることを公言しており、2007年以降の公演ポスターを担当。