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噛みつき、金的などわずかな反則をのぞいて、パンチ、蹴り、投げ、立ち関節、頭突き、脊髄への攻撃など、全ての攻撃が許される。あらゆる格闘技の中でも最も過酷なルールであるとされ、最も古い総合格闘技と言われている。 | 噛みつき、金的などわずかな反則をのぞいて、パンチ、蹴り、投げ、立ち関節、頭突き、脊髄への攻撃など、全ての攻撃が許される。あらゆる格闘技の中でも最も過酷なルールであるとされ、最も古い総合格闘技と言われている。 | ||
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2010年8月19日 (木) 06:33時点における最新版
ラウェイ (lethwei) は、日本ではムエ・カッチューア(タイ語で「素手のボクシング」という意味)、ビルマ拳法、などの名前で知られる約1000年の歴史を誇るミャンマーの伝統的な立ち技格闘技である。ミャンマーでの正式な競技名は「ラ(手、拳の意味)ウェイ(闘い)」。
噛みつき、金的などわずかな反則をのぞいて、パンチ、蹴り、投げ、立ち関節、頭突き、脊髄への攻撃など、全ての攻撃が許される。あらゆる格闘技の中でも最も過酷なルールであるとされ、最も古い総合格闘技と言われている。
歴史[編集]
- 2001年6月に初めて行われた国際大会には、アメリカからシャノン・"ザ・キャノン"・リッチ、アルバート・ラミレス、ダグ・エバンスが参戦し、3人とも1RでKO負けを喫している。
- 2004年7月10日 - 11日、ミャンマー・ヤンゴン国立室内競技場で開催された「ミャンマーvs日本・4対4対抗戦」にはプロ修斗の田村彰敏、プロデビュー戦となる新見吉太郎、山本武晴、若杉成次が参戦し田村彰敏が現地の王者エー・ボー・セイン(Aya Bo Sein)をアゴへの左膝蹴りで4R2分52秒KO勝ちし、外国人として初めてラウェイの牙城を崩す。
- ヤンゴンで2004年7月10,11日に行われたラウェイの緬日対抗戦(4対4)は、タイトルマッチではありません。また、ラウェイではプロの正式なチャンピオン・ランキング制度は存在していません。ただ2000年に一度だけ各階級のラウェイ最強王者を決めるべく、判定勝負を取り入れてのチャンピオン決定トーナメント(「ゴールデンベルト大会」)が行われ、この時の優勝者がチャンピオンとして認定されました。しかし、以後タイトルマッチという形での試合はなく、2000年次の優勝者にKO勝ちした者が無認定ながら、いわゆるチャンピオン扱い程度に認識されてはいますが正式なチャンピオンではありません。
- 2004年の緬日対抗戦の中で2000年次のチャンピオン決定トーナメントで優勝し、なおかつその時点まで無敗でチャンピオンであり続けていたのは、山本武晴と対戦したナイン・ワン・レイと若杉成次と対戦したウイン・タンだけでした。2人は山本、若杉をKOしています。田村彰敏と対戦したエー・ボー・セインと、新美吉太郎と対戦したシュエ・サイは2000年次のチャンピオンでもなく、その時のチャンピオンに勝った無認定チャンピオンでもありません。2人ともアマチュア大会での優勝経験はありますが、プロの世界でのチャンピオンではありません(新美と対戦したシュエ・サイは2004年に2000年次のチャンピオンにKO勝ちし、無認定チャンピオンとなる)。
- 2004年の緬日対抗戦では、勝者にはベルトが、敗者と引き分け者にはカップが手渡されました。このことが各マスコミに誤解を生んだようです。この時のベルトはチャンピオンベルトではなく、勝利者賞です。
- 2001年次の緬米対抗戦(3対3)では、勝者には黒のベルトが、敗者には白のベルトが送られました。ボディーへの膝蹴りで完全KOされたシャノン・リッチは、自分はラウェイに勝った、その証拠にチャンピオンベルトをもらっている、とマスコミインタビューに語っているようですが、彼の白ベルトは参加賞でした。
- 2004年の田村の試合は相手がプロのチャンピオンではなかったからその価値が下がるというものではありません。あの田村の勝利はまさに「大事件」でした。翌日の試合には観客の暴動を警戒して100人近い武装警官が会場に配備されたほどです。ラウェイ史上に残る名勝負として長く人々の間で語り継がれていくことでしょう。
- 2006年5月、6年ぶり史上2度目となるゴールデンベルト大会が開催され、10階級で新たなチャンピオンが決定されました。ミャンマー全土から選抜された選手が、2週間で3試合(5月6日~7日 1回戦、5月13日~14日 準決勝、5月21日 決勝)を戦い抜き王者を決定。
- ラウェイはミャンマー全土においてしばしば行われますが、ミャンマースポーツ省、ミャンマー伝統競技会が承認する正式な大会は年にほんの数回しか開催されません。その中で外国人が正式参加を許されたのは2001年の緬米対抗大会と2004年の緬日対抗大会の2大会のみ。その他のタイ・ミャンマー国境近辺で行われるような試合は、村の昔から続くお祭りの余興行事程度の扱いで、ミャンマー政府及び協会が感知しないものであり、よってスポーツ省管理下に置かれるラウェイトップクラスファイターが出場することはありません。正式な国際試合には大臣が立会人となります。
- ミャンマー政府が認めるラウェイ正式参戦歴外国人は以下の7名です。
- アルバート・ラミレス(米国・2001年)
- ダグ・エバンス(米国・2001年)
- シャノン・リッチ(米国・2001年)
- 山本武晴(日本・2004年)
- 若杉成次(日本・2004年)
- 田村彰敏(日本・2004年)
- 新美吉太郎(日本・2004年)
試合形式[編集]
試合は契約体重制で、時間は3分5R・インターバル2分。試合場はリングを使う。
選手の服装[編集]
選手は上半身裸でトランクスを着用する。拳にはグローブを付けずバンテージのみを巻く。
階級[編集]
通常10階級
勝敗[編集]
ノックアウト方式
採点方法[編集]
基本的に試合は倒すか倒されるかなので採点が行われることはない。時間切れの場合、試合は全て引き分け扱いになる。
- 数年に一度開催されるトーナメント戦の時のみ、判定決着。
反則[編集]
- 金的、噛み付き、目潰し等。
タイトル[編集]
- ミャンマースポーツ省
- ミャンマー伝統競技連盟(Myanmar Traditional Sports Federation)
関連記事[編集]
外部リンク[編集]
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