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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>カテゴリ:名古屋商科大学出身の人物</title>
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				<updated>2022-02-10T03:33:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: ページの作成:「名古屋商科大学の卒業生に関するカテゴリ。&amp;lt;!--前身校を含むか否かは、ノートで合意形成を図ってください。--&amp;gt; {{CategoryTOC}...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[名古屋商科大学]]の卒業生に関するカテゴリ。&amp;lt;!--前身校を含むか否かは、ノートで合意形成を図ってください。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{CategoryTOC}}&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:なこやしようかたいかくしゆつしんのしんふつ}}&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋商科大学の人物|しゆつしん]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の大学出身の人物|なごやしようか]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

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		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E9%A6%99%E5%B7%9D%E3%83%BB%E5%9D%82%E5%87%BA3%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=396889</id>
		<title>香川・坂出3人殺害事件</title>
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				<updated>2022-02-10T03:31:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:香川・坂出3人殺害事件1.jpg|350px|thumb|犯人の川崎政則]]&lt;br /&gt;
[[Image:香川・坂出3人殺害事件2.jpg|350px|thumb|疑われた、父親の画伯こと山下清さん]]&lt;br /&gt;
'''香川・坂出3人殺害事件'''（かがわ・さかいでさんにんさつがいじけん）は、[[香川県]]の[[坂出市]]で川崎政則死刑囚(享年68歳)が三浦啓子さん(当時58)とその孫の山下茜ちゃん(当時5)、彩菜ちゃん(当時3)の3人を[[2007年]][[11月16日]]未明に殺害し、死体を遺棄した事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の概要 ==&lt;br /&gt;
無職・山下清さん(当時43歳)の長女・山下茜ちゃんと二女の彩菜ちゃん姉妹は[[11月15日]]の18時頃に隣の祖母・三浦啓子さんの家に泊まりに行き、翌日の16日の朝に母親が迎えに行ったところ3人ともいなくなっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[香川県警察|香川県警]][[坂出警察署|坂出署]]は11月16日未明から早朝までに何らかのトラブルがあったと見方を強め、捜査を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父親の山下清さんによれば、寝室や玄関、浴室に血痕があり、さらに寝室のカーペットはL字形に切り取られ、血はカーペットの下の畳まで染みこんでいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
香川県警坂出署捜査本部の任意取調べに対し、義理の大叔父（祖母の妹婿）である川崎政則容疑者が27日までに「3人を殺害し、山中に遺体を捨てた」と犯行を認める供述をし、[[11月27日]]夜に[[死体遺棄]]容疑で[[逮捕]]された。[[11月28日]]には、当初の供述通りに山中に向かったところ、川崎容疑者が「本当は港に捨てた」と一変し、捜査員らがその港に向かったところ、祖母と幼児姉妹の遺体が発見された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[11月30日]]、川崎容疑者の供述通りの[[坂出港]]海底で、遺棄された[[携帯電話]]を発見した。[[12月6日]]、川崎容疑者の供述通りの坂出港海底で、遺棄された[[自転車]]を発見した。同容疑者は[[12月18日]]には殺人容疑で再逮捕され、同日高松地検は死体遺棄容疑については処分保留とした。祖母は借金の返済に追われており、その関係上大叔母（祖母の妹で被疑者の妻、事件前に死去）から金を借りており、その怨恨と見られる。最終的に単独犯と断定される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
[[2008年]]（平成20年）[[7月17日]]、川崎被告の初公判が[[高松地方裁判所]]（菊池則明裁判長）で開かれた。ここで川崎被告の精神鑑定実施が決定し、以後の公判は一時中断。川崎被告は起訴事実を認めていることから、主な争点は川崎被告の刑事責任能力の有無に絞られた。再開は翌[[2009年]]（平成21年）[[3月9日]]で、ここからは4日間の集中審理が行われ[[3月12日]]に結審。[[3月16日]]の判決公判において裁判所は川崎被告の完全責任能力を認め、「身勝手な動機に酌量の余地はない」として検察側の求刑通り'''死刑判決'''を言い渡した。弁護側はこの量刑を不当として高松高裁へ即日[[控訴]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この判決は高松地裁史上記録が残る1978年以降初の死刑判決となったほか、判決の2ヶ月後に始まる[[裁判員制度]]を見据えて第2回から結審までの公判を連日開廷方式による集中審理で行い、なおかつ結審からわずか4日後に死刑判決が出るという異例ずくめの裁判であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[高松高等裁判所]]における控訴審（柴田秀樹裁判長）は同年[[9月10日]]に初公判が開かれ、即日結審。[[10月14日]]の判決公判で高松高裁は控訴を棄却し、高松地裁の第一審判決を全面的に支持、川崎に対し再び死刑判決を下した。弁護側はこの量刑を不当として最高裁へ即日[[上告]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年7月12日に最高裁は上告を棄却し死刑判決が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 香川・坂出の3人殺害、被告の死刑確定へ ===&lt;br /&gt;
香川県坂出市でパート従業員の三浦啓子さん＝当時(58)＝と、5歳と3歳の孫姉妹の計3人を殺したとして、殺人や死体遺棄などの罪に問われ、1、2審で死刑とされた三浦さんの義弟で無職、川崎政則被告(66)の上告審判決で、最高裁第１小法廷（[[白木勇]]裁判長）は[[2007年]][[7月12日]]、川崎被告の上告を棄却し、死刑が確定することになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同小法廷は「衣服に返り血が付かないよう雨がっぱを用意するなど周到な準備に基づく犯行。抵抗のすべも知らない、いたいけな幼児らを包丁で多数回突き刺すなど残虐で、3人を殺害した結果も重大」と述べ、死刑判決はやむを得ないとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1、2審判決によると、川崎被告は平成19年11月、金銭トラブルなどから自宅で寝ていた三浦さんを包丁で刺殺した上、一緒にいた孫の山下茜ちゃん＝当時(5)、彩菜ちゃん＝同(3)＝も刺して殺し、3人の遺体を港近くの空き地に埋めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 死刑執行(2014年6月) ==&lt;br /&gt;
[[谷垣禎一]][[法相]]は[[6月26日]]午前、[[2007年]]に香川県坂出市でパート従業員の女性とその孫娘2人が殺害された事件で死刑が確定していた川崎政則死刑囚(68)＝[[大阪拘置所]]＝の死刑を執行したと発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死刑執行は2013年12月以来で、[[2012年]]12月の政権交代後では5回目。谷垣法相の命令により、計9人が執行されたことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確定判決によると、川崎死刑囚は2007年11月、金銭トラブルなどで恨みを抱いていた義理の姉の女性(当時58歳)を殺害しようと女性宅に侵入。女性と、たまたま隣家から泊まりに来ていた女性の孫で当時5歳と3歳だった姉妹を刺殺し、遺体を坂出港近くの資材置き場に埋めて遺棄した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
川崎死刑囚は公判で起訴内容を認めていたが、1、2審で弁護側は「被告は心神耗弱状態にあり、死刑に処するのは酷に過ぎる」などと主張した。上告審でも「計画性は高くない」などとして死刑回避を求めたが、退けられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回の死刑執行は、[[静岡市]](旧[[静岡県]][[清水市]])で[[1966年]]、みそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして強盗殺人罪などで死刑が確定した元プロボクサー、[[袴田巌]]元被告(78)が2014年3月に再審開始決定を受けて釈放されて以降、初めて。袴田さんを除くと、確定死刑囚は128人となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
26日午前、記者会見した谷垣法相は「慎重な検討を加えたうえで執行しました」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 報道と遺族の反応 ==&lt;br /&gt;
当初は「行方不明事件」と報じられた。家族は積極的にテレビの取材に答え「とにかく早く帰ってきてほしい」と訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが、安否がなかなか分からず家族もいらだち始め、やがて川崎容疑者が逮捕されるまで[[電子掲示板]]の多くや、一部のテレビ・週刊誌報道などが、疲れからマスコミに憤る被害女児姉妹の父親の様子などを中心に扱うなど、父親の山下清さんに対し「犯人ではないか」とする報道姿勢などが目立った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2ちゃんねる]]では姉妹の父親を「画伯」と呼んでいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、虚偽の自宅間取り図や行方不明の子供2人の顔写真に対し逆に名前が付されている[[フリップボード|フリップ]]もあるなどの間違った報道内容にも不満を述べた。このように加熱するメディアの取材攻勢を受けて、香川県警記者クラブは総会を開き「節度ある取材を確認」する事態となった。前年の[[秋田児童連続殺害事件]]同様[[メディアスクラム]]状態になってしまった上、週刊誌ではこの事件との関連付けすら行われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
特に[[みのもんた]]は『[[みのもんたの朝ズバッ!]]』（[[TBSテレビ|TBS]]系）の[[11月19日]]の放送で&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（行方不明になってから、通報に至るまで1時間かかったことについて）「普通すぐに電話しない?（略）警察署に行って届け出てる。普通だったらそのまま電話しないかねぇ?」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「不思議だねぇ」と被害者の家族をあからさまに犯人扱いするかのような発言をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害女児姉妹の父親の山下清さんは取材に対し「みのもんたさんに聞きたかった。オレが殺したんか、と」と怒りを表明した。当初は問題発言をしたみのは沈黙していたが、[[2008年]]1月になってみのが[[TBSテレビ|TBS]]の幹部職員と共に被害者家族と対面し謝罪したと報じられている。しかし、番組内での謝罪は一切ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件で、女優の[[星野奈津子]]が犯人は山下清さんであるとの憶測や父親が犯人であってほしいとの会話を家族で交わしていると自身の[[ブログ]]に書き込んだ。星野のこのブログの記事に批判が寄せられ、11月20日に星野は所属事務所から1年間の謹慎処分を受け、問題のブログ記事も削除された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 父親・山下清さんのテレビ出演 ==&lt;br /&gt;
坂出市3人殺人事件で衝撃証言「川崎容疑者は妻の枕元で啓子さんを口説いていた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
香川県坂出市林田町、無職山下清さん(43）の長女と二女、姉妹の祖母で隣に住むパート従業員三浦啓子さん（58）が殺された事件で、逮捕された川崎容疑者について渦中の山下さんがテレビ番組に出演し、衝撃的証言をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「川崎容疑者が自分の妻の枕元で三浦啓子さんを口説いていた」というもの。川崎容疑者は三浦さんを「執拗に口説いていた」ようで、これまで報じられてきた「金銭トラブル」以上のものが事件の背後にあるようなのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「俺と一緒になったら、じいちゃん・ばあちゃんが喜ぶわ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山下さんの証言は、2007年12月7日のフジテレビ系情報番組「とくダネ！」で、「番組単独インタビュー」というかたちで放送された。番組によれば、山下さんの証言は放送2日前の07年12月5日に収録されたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
山下さんは、事件について「どういう理由にしろ、ちんまい子（小さい子）を殺しとんや！そういう人間が生きる資格はない！」と怒りを露にする場面もあったが、川崎容疑者については、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「俺の知っとる限りのこと言えば、妹の枕元で姉ちゃん口説くような男で、まぁ自分がギャンブルしよっても、家に（金を）入れんでも、生活は成り立つし、それで、癌になった雅子姉ちゃん（に）『掃除せい、ご飯の支度せい、弁当は？』（と言う）、そういう風にこき使う鬼の人間ですね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と語る。ここでいう「妹の枕元で姉ちゃん口説く」とは、川崎容疑者の妻の雅子さんが癌で入院していた病院の枕元で、川崎容疑者が雅子さんの姉に当たる三浦啓子さんを口説いていたということだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「病院で啓子ばあちゃん（三浦啓子さん）を口説いていた。そうっすよ。はっきり言って（妻の）枕元で口説いてましたからね。『俺と一緒になったら、じいちゃん・ばあちゃんが喜ぶわ』と。執拗に口説いてたみたいですね。何べんも何べんも口説いてたみたいですよ。（三浦啓子さんが）帰ってくるたんびに言ってましたもん、『もうあんな気色悪いおっさんどうにかならんなー』言うて」&lt;br /&gt;
   &lt;br /&gt;
山下さんは、三浦さんに対して自分から川崎容疑者にそうした行為をやめるように言うと提案したが、三浦さんは「ややこしいことになる。自分から直接言う」などと述べたと言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
川崎容疑者が三浦さんを口説いていたのは、妻が入院していた2007年3月中旬頃の話のようだ。山下さんによれば、川崎容疑者が妻の雅子さんへの見舞金を全部持っていくなどの行為に及ぶなどしたため、雅子さんは自身の希望で2007年4月初旬の病院退院後に三浦啓子さんの家に行くことになった。川崎容疑者は妻が自宅に戻ってこないことで激怒し、山下さんとも口論になったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
財産を狙っていた？&lt;br /&gt;
   &lt;br /&gt;
では、なぜ川崎容疑者は三浦啓子さんを「口説いた」のか？山下さんはインタビューのなかで、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「財産を狙ってたんですよ。啓子ばあちゃんと一緒になったら、もう受け取る人間いないじゃないですか」と推測している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
川崎容疑者の妻と三浦啓子さんの両親の「遺産相続」を狙って、病気だった妻に代わって、三浦さんと結婚することを目論んだ、ということのようだ。&lt;br /&gt;
   &lt;br /&gt;
一方で、山下さんは2007年12月7日放送のテレビ朝日系情報番組「スパーモーニング」に対しても同様の証言をしているほか、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「金銭問題だけで人ころせるもんか。はっきり言って、金銭問題以上に恋愛感情あった人間を殺す、その分の方が強いんちゃうか（ということ）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とも述べている。川崎容疑者は妻の雅子さんが三浦啓子さんにつくった借金の返済に困窮し、次第に恨みを募らせていった末の犯行という報道もあったが、山下さんに言わせれば、事件には別の背景があった可能性もあるようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[報道被害]]&lt;br /&gt;
* [[松本サリン事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かかわさんにんさつかいしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2007年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:香川県の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:坂出市]]&lt;br /&gt;
[[Category:死刑囚]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E8%8F%85%E5%8E%9F%E6%96%87%E5%A4%AA&amp;diff=396888</id>
		<title>菅原文太</title>
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				<updated>2022-02-10T03:28:01Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''菅原 文太'''（すがわら ぶんた、[[1933年]]〈[[昭和]]8年〉[[8月16日]] - [[2014年]]〈[[平成]]26年〉[[11月28日]]）は[[仙台市]]出身の俳優。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
厳密に言えば、菅原文太は[[宮城県]]の郡部の生まれである。しかし幼児期に仙台市に引越し、青年時代までを仙台で過ごした。菅原文太自身が「私の出身地は仙台」と言っており、菅原文太の出身地についてとやかく言うのは野暮である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮城県を代表する名門高校・[[仙台一高]]を卒業。同じ仙台一高の映画部の親友に作家の[[井上ひさし]]（初代・[[仙台文学館館長]]）がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
俳優となり、映画「[[トラック野郎]]」シリーズの主演で一世を風靡した。映画「[[仁義なき戦い]]」でも主演。その他、主演映画多数。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮城県の芸能人のなかでトップの格付けに位置する大物俳優である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:すかわら ふんた}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の男優]]&lt;br /&gt;
[[Category:ヤクザ映画の俳優]]&lt;br /&gt;
[[Category:Vシネマ俳優]]&lt;br /&gt;
[[Category:アクション俳優]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の悪役俳優]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の男性声優]]&lt;br /&gt;
[[Category:大河ドラマ主演俳優]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のラジオパーソナリティ]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の男性ファッションモデル]]&lt;br /&gt;
[[Category:新東宝の俳優]]&lt;br /&gt;
[[Category:松竹の俳優]]&lt;br /&gt;
[[Category:東映の俳優]]&lt;br /&gt;
[[Category:テイチクエンタテインメントのアーティスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本コロムビアのアーティスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:EMIミュージック・ジャパンのアーティスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト]]&lt;br /&gt;
[[Category:仁義なき戦い|+す]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本未来の党の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:農業に関する人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の学校法人の理事長]]&lt;br /&gt;
[[Category:過去の劇団四季所属者]]&lt;br /&gt;
[[Category:宮城県仙台第一高等学校出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:宮城県築館高等学校出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:仙台市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1933年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2014年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:トラック野郎シリーズ]]&lt;br /&gt;
[[Category:菅原文太|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%A0%83%E6%9C%A8%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=396887</id>
		<title>栃木リンチ殺人事件</title>
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				<updated>2022-02-10T03:24:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''栃木リンチ殺人事件'''（とちぎリンチさつじんじけん）は、[[1999年]][[12月4日]]に[[栃木県]]で発覚した[[拉致]]・[[監禁]]・[[暴行]]・[[恐喝]]・[[殺人事件|殺人]]・[[死体遺棄]]事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害者の両親から9回もの捜査依頼を受けながらそれを拒絶し続けた[[栃木県警察]]の態度が[[世論]]に衝撃を与え、[[桶川ストーカー殺人事件]]とともに一部国民の警察不信の一因となった事件である。事件発覚後、栃木県警は世論および[[裁判所]]から厳しく批判された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の概要 ==&lt;br /&gt;
[[栃木県警察|栃木県警]][[警部補]]を父に持つ犯人[[萩原克彦]]（当時19歳）は幼いころから粗暴な行為が目立ち、[[栃木県立宇都宮高等学校]]の[[通信制]]を[[退学]]した後は[[暴走族]]に入り、[[恐喝]]や[[傷害]]などの事件を度々起こしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
萩原克彦は日頃から、社員のB（当時19歳、[[日産自動車栃木工場]]勤務）・無職のC（当時19歳）から金を巻き上げていたが、やがてBは会社の同期で性格がおとなしいSを身代わりにたてることを思いついた。そして1999年[[9月29日]]、BがSを電話で呼び出すと、萩原克彦らはSを拉致し、[[消費者金融|サラ金]]から次々と借金をさせて、自分たちの遊興費にあてた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Sがサラ金から借金を拒絶されるようになると、今度はSの知人や友人から金を借りさせ、およそ2ヶ月にわたってSを連れまわした。その間、Sをホテルなどに監禁し、最高温度のシャワーをかける「[[熱湯コマーシャル]]」、殺虫スプレーにライターで火をつけ浴びせかける「[[火炎放射器]]」などの[[リンチ]]を加え、Sを散々にいたぶった。それによりSの肌は焼けただれ、顔ははれあがった。死体を[[検死]]した段階では皮膚の8割が火傷を負い、「たとえ絞殺されなくともいずれ死亡したと思われる」ほどに酷い外傷であったにも関わらず、病院に一度連れて行ったきり(しかも萩原克彦らが診察室までついて入りSに心理的圧迫を加え、腕の火傷しか見せさせなかった)で何の治療も施さず、火傷した皮膚にさらに90℃以上のポットの熱湯をかけ風呂場に連れ込んで熱湯シャワーをかけ（「熱湯コマーシャル」は日常化していた）、抵抗すると殴り続けるなどの[[リンチ]]を加えていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Sの失踪に不審を抱いたSの両親は栃木県警石橋警察署（現・[[下野警察署]]）に捜査を依頼するが、応対した担当官は「お宅の息子さんが悪いんじゃないの」「仲間に金を分け与えて、面白おかしく遊んでいるんだろう」「[[麻薬]]でもやっているんじゃないの」「警察は事件にならないと動かないんだよ」などとSの両親を突き放し、まったく取り合おうとはしなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後両親は石橋署だけでは埒が明かぬと加害者の逮捕までに[[宇都宮東警察署]]、[[宇都宮中央警察署]]、黒羽警察署（2006年、[[大田原警察署]]へ統合）栃木県警本部にも捜査を懇願し続けたが、その一切が拒否された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Sが勤務していた[[日産自動車]]もBの証言を鵜呑みにして、「Sが嘘を言っていると思われる」との見解を示した。しかしBは社内でも札付きの存在に対し、Sは欠勤すらない真面目な社員であり、また社内の評判も良かったことからこの対応は不自然であるとし、[[ジャーナリスト]]の[[黒木昭雄]]は、ここから日産による事件隠しではないかと推察している（[[#捜査怠慢の謎]]を参照）。そこでSの両親は独力で、Sが監禁・暴行されている事実をつかみ、犯人グループにBとCがいるということを突き止めた。しかし、それでも石橋警察署は全く動こうとはしなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やがて、Sから両親のもとに、たびたび金を無心する電話がかかるようになり、両親はSの安全のために金を振り込み続けた。その金を[[銀行]]に下ろしに来たSの姿が銀行の[[防犯ビデオ]]に映っていた。ビデオに映っていたSの外見は、髪を丸坊主にされ眉をそり落とされ、更に火傷や殴られた跡があり失踪前とかなり異なっていた。銀行の関係者は「Sの後ろに複数の男たちがついていました。いつでもビデオを証拠として提出する用意があるので警察に相談してください」とSの両親に勧め、Sの両親は再び石橋警察署を訪れ、ビデオテープを証拠品として銀行から取り寄せるよう依頼した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、石橋署の署員は「[[裁判所]]の許可もないのにそんなことできない」と再び突き放した（署員の発言は[[令状]]のことを指したものと思われるが、銀行関係者の発言から任意の提出に応じた可能性はある）。その際、Sから両親の携帯電話に電話がかかってきた。Sの父親は事態が逼迫していることを理解してもらうべく「お父さんの友人がいるから」と友人に見立て、警察官に携帯電話を渡した。しかし、その警察官が「石橋署の警察官だ」と名乗ってしまい、電話は切られた。警察官は「あ、切れちゃった」と言って、携帯電話を父親に返したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一部では、萩原克彦らはこの出来事によって警察の捜査が自分たちに迫っていると考え、Sの殺害を決意したのではないかという見方がされている。のちにこの刑事の不用意な発言がSの殺害計画のきっかけとなったことが裁判で認定された。殺害の理由としては他に、あまりにも壮絶なリンチを加え続けたがゆえに、Sの身体には既に不可逆的な傷が残されており、Sを生かしていたら事件発覚は免れないと判断したからだという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1999年[[12月2日]]、犯行に途中から加わった高校生のD（当時16歳）とともに萩原克彦らは、Sを紐で首を絞め殺害した。そして[[市貝町]]の山林に埋め、死体を埋めた穴に[[コンクリート]]を流し込んだ。死体を埋めるコンクリートやベニヤ板、スコップ、砂利を調達するのに使われたのは、Sの最後の給料だった（このときSは[[退職]]扱いとなっていた。詳しくは[[#日産への批判]]）。死体を隠した後萩原克彦らは「十五年逃げ切ればいい(当時の[[殺人罪]]の[[公訴時効]]が15年であるため)」と、『追悼花火大会』と称して[[花火]]で遊ぶなどしていた。しかし、良心の呵責に耐えられなかったDが[[12月4日]]、[[警視庁]][[三田警察署 (東京都)|三田警察署]]に[[自首]]し、事件が発覚した。警視庁は早速、三田警察署内に捜査本部を設置し、Dの証言にもとづいてSの遺体を発見。翌日警視庁は萩原克彦・B・Cを逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、栃木県警は[[2000年]]7月、Sの両親の訴えを無視し続けた警察官らを[[懲戒処分]]にしたが、最も罰が重い者で「[[懲戒処分#懲戒処分の種類|停職]]14日間」であった。[[桶川ストーカー殺人事件]]では[[免職|懲戒免職]]などの処分が下されたことを鑑みればあまりにも軽い処分であるうえに、トカゲの尻尾きりであるとも言われている（ただし桶川ストーカー事件では被害者の告訴状を改ざんすると言う明らかな違法行為が存在した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
=== 刑事裁判 ===&lt;br /&gt;
自首によって事件解決のきっかけをつくったDは酌量が認められ[[少年院]]送致となった。萩原克彦・B・Cも事件当時、未成年だったが、[[東京家庭裁判所]]は[[刑事処分]]相当として逆送し、[[宇都宮地方検察庁]]は[[殺人罪|殺人]]・死体遺棄罪で萩原克彦らを[[起訴]]した。Sの遺族は強盗殺人罪で起訴するよう宇都宮[[検察審査会]]に陳述書を提出したが、棄却されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2000年[[6月1日]]、[[宇都宮地方裁判所]]は、「犯行は計画的で凶悪。極めて自己中心的で酌量の余地は全くない」として萩原克彦・Bに[[無期懲役]]、Cに懲役5～10年の判決を下した。萩原克彦は[[控訴]]したが、[[2001年]][[1月29日]]、[[東京高等裁判所]]は[[控訴]]を棄却。その後、[[上告]]申し立て期限が切れ、萩原克彦の判決が確定した。萩原克彦は裁判中、リンチの際のSの様子を見てどう思ったかと言う質問に「楽しかった」と発言。また、一時は「[[死刑]]を覚悟している」と発言しておきながらその後「S君の分まで長生きしたいというのが正直な気持ち」と発言を覆した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民事裁判 ===&lt;br /&gt;
被害者Sの両親は、栃木県警の捜査怠慢が息子を死に追いやったとして、[[国家賠償法]]にもとづいて栃木県と加害者、およびその両親に損害賠償・1億5000万円を求める民事裁判を起こした。栃木県警は、一旦遺族に捜査ミスを認め謝罪していたが、裁判になると「Sからかかってきた電話に出た際、『警察だ』などと名乗ったことはなく、Sの母親が騒いだために電話が切れた」「Sが自ら捜索願を取り下げるよう連絡をしてきた」「警察の対応は適切で、当時事件を予見することは出来なかった」と発言を翻した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]][[4月12日]]、宇都宮地方裁判所は「栃木県警の捜査怠慢と殺害の因果関係」を明確に認め、石橋署員の供述を「全く信用できない」として退けた。犯人が暴行や脅迫などで被害者を取り込むことはままあることであり、「いやしくも犯罪捜査に携わる者であれば当然わきまえておくべきである」と栃木県警の嘘と怠慢を厳しく非難、Sの遺族の主張を全面的に認める判決を下した。捜査と殺害の因果関係を認めたこの判決は画期的なものとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、判決が被告保護者の監督責任を認めなかったことから、Sの遺族は控訴、敗訴した栃木県も判決を不服として控訴した。栃木県が控訴した理由について、当時の[[栃木県知事]][[福田富一]]は「『警察官の証言の信憑性』が全く認められなかった、警察官の言っていることは嘘っぱち、でっち上げ、という判決が下ったわけですから、このまま判決を受け入れるということになると、それを認めることになります。ついては、警察官の士気にも影響して、結果として、県民益を損なうことになるだろうと思います」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.pref.tochigi.jp/pref/chiji/kishakaiken/H180425.html 平成18年4月25日知事定例記者会見]&amp;lt;/ref&amp;gt;と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]][[3月29日]]、[[東京高等裁判所]]（富越和厚裁判長）は、「栃木県警の怠慢がなくても、被害者を救出出来た可能性は3割程度」と判断し、栃木県の賠償額を約1100万円に大幅減額する判決をくだした。この判決は、栃木県警に大幅な配慮を示す一方、警察の怠慢がなくても被害者を救出出来た可能性が、なぜ「3割程度」なのか数値の根拠を示さず、被害者にも5割の責任があると判断する内容であった。被害者遺族は承服出来ずに[[上告]]した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]][[3月13日]]、[[最高裁判所]]第２小法廷（古田佑紀裁判長）は、被害者遺族の上告を[[棄却]]し、捜査の怠慢を認め、１１００万円の賠償を命じた２審・東京高裁判決が確定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 捜査怠慢の謎 ==&lt;br /&gt;
Sの両親のたび重なる訴えにもかかわらず、捜査を行おうとしなかった栃木県警に対して、事件発覚後、世論から厳しい非難が寄せられた。今回の捜査怠慢の原因については「主犯格萩原克彦の父親が当時、栃木県警 警部補（2000年7月に辞職&amp;lt;ref&amp;gt;ただし、事件発覚後からは出勤していない。ボーナス支給後の退職であることから、ボーナスを満額受け取ることができるようになってからの退職を目論んだのではないかとも言われている。&amp;lt;/ref&amp;gt;）であったことから、身内の不祥事を隠蔽しようとしたのではないか」という説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、ジャーナリストの黒木昭雄は「SとBが勤めていた日産自動車が社員の不祥事を隠すために、警察官出身の社員（同氏の著書に因れば、退職前には[[警視]]の地位、警察署長に匹敵するクラスに居た者としている）を通じて、栃木県警に事件の隠蔽を働きかけたのではないか」という説も発表している。また、全国的に見て1人の警察官がカバーする人口が多い栃木県警の実態や少年犯罪に関する手続きが複雑なことなど、警察を取り巻く環境を問題にする意見もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初期報道ではSは「元[[暴走族]]」と報道され、「元暴走族同士の仲間割れ」とされていた。しかしSは非常に真面目で温厚な性格として知られており、暴走族との接点は皆無だった。桶川ストーカー事件で警察が被害者の服装をことさら扇情的に（[[ミニスカート]]やブランドバッグなど）発表し、間違った世論を植えつけたと批判されたことと類似したものを感じさせる。このことも合わせて、上述の黒木はマスコミを使っての印象操作は、警察の常套手段かもしれないと批判している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 日産への批判 ==&lt;br /&gt;
被害者Sは、加害者に拉致監禁され出社が不可能であった最中に「会社施設およびその敷地内において、窃盗、暴行、脅迫、その他これに類する行為をしたとき（従業員就業規則第85条第6項）」という理由で、[[退職金]]不支給の諭旨退職処分を受けている。この処分は事件の詳細（欠勤していた理由）が判明してからも撤回されず、工場側から遺族に対する追悼の言葉はなかった。このような仕打ちに被害者の父親は、日産への憤りを募らせた。（[[黒木昭雄]]・[[週刊朝日]]2001年4月27日[http://www.akuroki.jp/w-asahi/article1.html]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Sの父親は、長年、地元企業である[[日産自動車]]の自動車を乗り継いでいた。特に、Sが日産に就職した際には「うちの息子が作っている」と、愛車・[[日産・ローレル|ローレル]]を誇らしげに語っていたという。しかし、国家賠償訴訟を開始した直後、ローレルを手放し、以降は[[トヨタ自動車|トヨタ]]車に乗っているという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 註 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;references/&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 黒木昭雄「栃木リンチ殺人事件―警察はなぜ動かなかったのか」[[草思社]]ISBN 4794210523&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://park17.wakwak.com/~tochigi-rinchi/ 栃木リンチ殺人事件「わが子、正和よ」]&lt;br /&gt;
* [[草思社]] [http://www.soshisha.com/book_wadai/38tochigi/outline.html 栃木リンチ殺人事件トップページ]&lt;br /&gt;
* [http://www.pref.tochigi.jp/keisatu/ 栃木県警察ホームページ]&lt;br /&gt;
* 栃木県ホームページ [http://www.pref.tochigi.jp/pref/chiji/kishakaiken/H180425.html#dd8 上三川リンチ殺人訴訟について]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:とちきりんちさつしんしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:警察不祥事]]&lt;br /&gt;
[[Category:裁判例]]&lt;br /&gt;
[[Category:1999年の日本]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E8%90%A9%E5%8E%9F%E5%85%8B%E5%BD%A6&amp;diff=396886</id>
		<title>萩原克彦</title>
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				<updated>2022-02-10T03:18:30Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;''' 萩原 克彦 '''（おぎわら かつひこ、[[1980年]]6月5日 - ）は、[[日本]]の無期懲役囚。宇都宮市立豊郷南小学校→宇都宮市立陽北中学校→[[栃木県立宇都宮高等学校]]通信制中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父親は栃木県警察の元警部補・萩原孝昭。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
会社員・須藤正和さんをリンチ死させた[[栃木リンチ殺人事件]]の犯行グループの主犯。裁判所で「須藤くんの分まで長生きしたいです！」とマヌケな供述をして、無期懲役刑をくらい、一生刑務所で暮らすことになった人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おぎわら かつひこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:栃木県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1980年生]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%A4%A7%E9%87%8E%E6%9C%A8%E4%BA%AE%E5%A4%AA&amp;diff=396885</id>
		<title>大野木亮太</title>
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				<updated>2022-02-10T03:15:46Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:大野木亮太1.jpg|300px|thumb|大野木 亮太]]&lt;br /&gt;
'''大野木 亮太'''（おおのぎ りょうた、[[1983年]] - ）とは、[[2014年]]に名古屋駅前の歩道を車で暴走した[[通り魔]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 ==&lt;br /&gt;
[[Image:大野木亮太2.jpg|300px|thumb|大野木 亮太]]&lt;br /&gt;
2014年[[2月23日]]日曜日の白昼、大勢の人でごった返す[[JR名古屋駅]]前の歩道を自動車が暴走し、男女13人を次々はねた。逮捕された大野木亮太(30歳)は警察の調べに対し「家族と折り合いが悪かった」と供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父親は愛知県警の総務部というセクションの幹部。大野木は以前、県警[[警視]]を務める父親、同じく県警[[警察官]]の弟、母親および祖母と同居していた。ところが、弟が独立し、昨年5月ごろに両親と祖母は大野木を残して引っ越し、独り暮らしをしていた。大学を卒業後、定職には就かず[[アルバイト]]暮らしで、最近は[[無職]]。親から生活費を受け取っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大野木は、現場近くの[[レンタカー]]店で犯行直前に車幅1.8メートル、車長4.7メートルの中型セダン型の車をレンタルし、およそ15分後に名古屋市中村区名駅1丁目の笹島交差点から歩道に乗り上げて暴走し、次々と人をはねた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「現場は、[[JR]]と[[名鉄]]、[[近鉄]]の3つの名古屋駅とデパートが立ち並ぶエリア。乗降客や買い物客でごった返す名古屋一の人通りに突っ込んだわけです。幅14メートルの歩道を暴走し、街路樹にぶつかって止まるまで、実に35メートルを暴走しました。県警の取り調べに対し、大野木容疑者は『アクセルをいっぱい踏み込んだ。ブレーキを踏んだ覚えはない』と供述しています。実際、歩道上で急加速したことをうかがわせるタイヤの痕がついていました。強烈な殺意が感じられます」(愛知県警クラブ詰めの記者)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 大野木亮太は、家族に捨てられた引き篭もりニート ==&lt;br /&gt;
[[愛知県警]]によると、大野木亮太は[[名古屋市]]西区の一戸建て住宅で1人暮らしをしていた。近所の住民によると、もともとは両親や祖母、弟の5人で暮らしていたが、最近になって大野木を残し、他の家族は引っ越したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大野木から突然、「相談に乗ってほしい」と訪問を受けたという[[民生委員]]の女性は「家庭内のことで悩んでいる様子だった。どんな仕事をしていたのかは知らないが、ずっと家にいる感じだった」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
別の女性によると、大野木は「けがで何事にも集中できなくなった。仕事もできず、家に引きこもっている」と話したという。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大野木の小学校時代を知る会社員の男性(28)は「寡黙で友達は多くなかったが、人を傷付けるような性格ではなかった。彼と事件が結びつかない」と驚いていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 無差別殺人暴走・大野木亮太「厳格すぎた父親」子どもの頃からお父さんがいるから遊べない ==&lt;br /&gt;
名古屋の無差別殺人未遂事件で逮捕された大野木亮太(30)は、｢ブレーキは踏んでいない。アクセルを目いっぱい踏んだ｣と供述している。｢家を出るときからやるつもりだった｣とも言い、レンタカー店で運転免許証のほかに本人確認の書面がなかったことからいったんは断られたが、1時間後に再び訪れるなど執念深さがうかがえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
｢レンタカーを借りた後で犯行場所を決め｣、動機については｢簡単に説明できるものではない。1つや2つでない｣と話している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大野木が住んでたのは犯行現場近くの3階建ての自宅で、家族は別のところに住んで一人暮らしだった。かつての同級生は｢おとなしい子だった。真面目で人を傷つけるようなイメージではない｣という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、近所の人は｢お父さんもお母さんも礼儀正しいきっちりした人｣だが、父親は厳格だったようで、別の同級生によると｢家に遊びに行こうとすると、『きょうはお父さんがいるからダメ』と言われた｣という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家族と別居して一人暮らしをしていた大野木は昨年夏（2013年）、民生委員の女性に｢おばちゃん、話を聞いて｣と切り出し、｢ちょっと頭を打って怪我をして、定職に就けないんだ｣と悩みを打ち明けていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 殺人暴走の大野木亮太「一種の自殺」自分はすごい不幸、損しているという思い込み ==&lt;br /&gt;
「簡単に説明できることではない。ひとつやふたつの理由ではない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大野木亮太は、動機についてこのように供述している。近所の人に「頭を怪我したとき病院に行かなかったため今も定職につけない」などと話しており、背景には複雑は事情がありそうだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大野木は名古屋駅から約2キロの大通りに面した3階建ての一軒家に1人で住んでいる。近所の話では、もともとは祖母、両親、弟の5人家族だったが、弟は独立、母親は実家の介護などで家族が次々に家を出て、去年（2013年）の夏前から1人になった。生活費は毎月、父親が持ってきており、町内会の香典集めにいった際は「お父さんがお金を持ってきてから渡す」などといわれたことがあるそうだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近くの年配の女性に仕事につけない悩みを打ち明けたこともあるといい、事情を知る男性は「なぜ次々に家族が家を出て行ったのか。本人にしてみれば、親に捨てられた、見放されたられたと思ったかもしれない」と推測する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大野木は調べに対し、「誰でもよかった。最初から殺すつもりだった。ブレーキは踏まず、アクセルをめいっぱい踏んだ」といっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 類似事件 ==&lt;br /&gt;
* [[マツダ本社工場連続殺傷事件]]&lt;br /&gt;
* [[秋葉原通り魔事件]]&lt;br /&gt;
* [[土浦連続殺傷事件]]&lt;br /&gt;
* [[池袋通り魔殺人事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:おおのき りようた}}&lt;br /&gt;
[[Category:無差別殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2014年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:名古屋市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:愛知県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:ニート]]&lt;br /&gt;
[[Category:底辺]]&lt;br /&gt;
[[Category:名城大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1983年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%AE%A3%E8%A1%8C&amp;diff=396884</id>
		<title>佐藤宣行</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%AE%A3%E8%A1%8C&amp;diff=396884"/>
				<updated>2022-02-10T03:07:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: /* 少年時代の佐藤 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:佐藤宣行1.jpg|350px|thumb|佐藤　宣行]]&lt;br /&gt;
[[Image:佐藤宣行2.jpg|350px|thumb|佐藤　宣行]]&lt;br /&gt;
[[Image:佐藤宣行3.jpg|350px|thumb|佐藤　宣行]]&lt;br /&gt;
'''佐藤 宣行'''（さとう のぶゆき、[[1962年]][[7月15日]] - [[2017年]]）とは、小学4年生の女児を9年間監禁し続けた男である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 ==&lt;br /&gt;
[[1990年]][[11月13日]]（水）午後7時45分&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新潟県三条市内にある駐在所に、近くの主婦が「小学4年生の次女が帰ってこない」と届け出た。その日のうちに捜索が行われたが、発見できず。その後も捜索は続けられたが、ついに少女の行方はわからなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2000年]][[1月12日]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
柏崎市四谷にある佐藤宣行（当時37歳）宅を訪問した保健所の保健婦が2階の宣行の部屋にて毛布にくるまった女性（当時19歳）を発見。女性はすぐに保護され、三条市で行方不明となった少女と判明する。佐藤は下校途中の少女をさらい、自室に連れ込み生活させた。少女や母親に対する暴力・虐待も日常的にあった。女性は家族と実に9年2ヶ月ぶりの再会を果たした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 少年時代の佐藤 ==&lt;br /&gt;
[[1962年]][[7月15日]]生まれ。両親の年老いてからの子供ということもあり、「ボクちゃん」と呼ばれて溺愛されていた。（成人後も「ボクちゃん」と呼ばれていた。このあたりは[[大久保清]]にも通じる）&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
小学1年の時、父親が家を新築し、2階の十畳ほどの洋間を自室として与えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学1年の時、「怖くて学校に行けない」と言うので精神科の診察を受けたところ不潔恐怖症と診断された。（会社でタクシーの洗車を日常的にしていた父親も不潔恐怖症だった。）虫を毛嫌いし、わずかな汚れを気にした。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
中学生の佐藤から見て、70半ばを過ぎた父親は薄汚れて見えるうとましい存在になっており、「あんなのオヤジじゃない」とよく言っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[新潟県立柏崎工業高等学校]]時代、体格は大きく175cmほどあったが、覇気がなくなよなよした話し方から”オカマ”と呼ばれていた。学校では目立たない存在だったと言う。この頃から、自分の殻に閉じこもるようになり、家の中で鬱憤をはらすようになっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 少女監禁までの佐藤 ==&lt;br /&gt;
高校を卒業した佐藤は自動車部品製造の工員となった。ある日、出勤する途中に立小便をしたとき「クモの巣にかかって汚れた」と家に引き返した。このような奇行が続き、わずか数ヶ月で退職し、そのあとまったく働いていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1981年]]7月、19歳の時、父親を家から追い出す。そのあと母親と口論となり、「私も出て行く」と言われたことから激昂。家の仏壇に火をつけ、危うく火事になるところだった。良岡市の国立病院の精神科にて強迫神経症（不潔恐怖）と診断される。即日入院し、向精神薬を投与され、1ヶ月ほどで良くなり退院。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
23歳のなった佐藤は母親に「僕もそろそろ自立しなければならない。お母さんにいつまでも甘えているわけにはいかないので、独立して生活できるように家を増築してほしい」と話す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
息子が就職口を見つけて真面目に働くと思った母親はただちに700万で家を増築する。しかし佐藤が2階の自室を工事業者に踏み込まれるのを頑なに拒否したため、増築は中途半端なまま中止となり、佐藤が就職するという約束も反固にされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
佐藤は母親に対しては好きなアイドル歌手のレコードや、競馬新聞などを買いに行かせており、この母親は商店の人達のあいだで、ある種の有名人となっていた。競馬場の行きかえりも母親が車で送っており、レースが終わるまでベンチに腰かけて待っている母親の姿が、競馬場の常連の間でも知られていた。佐藤が競馬に勝つと、母親になじみの寿司屋で極上のトロのにぎり10個、8000円分を買わせたことが何度かあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1989年]][[6月13日]]、佐藤はいたずら目的で下校途中の小学四年生A子を空き地に連れ込もうとしたが、別の児童の通報により学校事務員に取り押さえられた。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
[[9月19日]]、新潟地裁長岡支部は佐藤に対し懲役一年、執行猶予三年を言い渡す。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
[[10月5日]]、刑が確定。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
裁判官は再犯の可能性は低いとして、保護観察処分ではなく、母親に監督・指導を任せた。ちなみにこの事件について柏崎署と新潟県警本部は強制わいせつで検挙した佐藤を「前歴者リスト」に登録しておらず、刑が確定したあとも登録漏れのまま放置していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 監禁 ==&lt;br /&gt;
1990年11月13日、下校途中の少女をナイフを突き付けて脅し、車のトランクに押し込め、自宅に連れ込む。部屋に連れ込むと数十回に渡り少女を殴打した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「出られないぞ」「俺の言うことを守れ」と言いつづけ、ナイフを少女の腹部に突き付けて「これを刺してみるか」「山に埋めてやる」などと脅した。逃げられないように佐藤の外出中は少女を縛りつけていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
91～92年ごろ、母親に買わせたスタンガンを少女に押し当てて放電し、大変な恐怖心を植えつけた。大声をあげると佐藤の罰があるので、少女は自分の腕を噛み痛みに耐えていた。少女に「おじさん」と呼ばれると激昂し、少女を殴った。少女に競馬番組のビデオ録画を命じ、忘れたりすると殴打した。少女は常にベッドの上にいるように指示し、守らない場合は罰を加えた。用便すらも部屋から出さず、ビニール袋の中にさせた。少女がベッドから落ち、埃まみれになった時のただ一度しかシャワーを使わせなかった。このような生活により、両下肢筋力は低下、骨量も減少しており、歩行も難しくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
はじめのうちは母親が作った夜食用の弁当を少女に与えており途中からコンビニの弁当（おにぎり）に切り替えた。96年頃からはそれまで一日ニ個与えていた弁当を一個しか与えなくなった。小学四年生時に46kgあった少女の体重は38kgにまで落ち、失神するようになった。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
佐藤は少女の服を自分で買うことも、気づかれないために母親に頼むこともできず、ショッピングセンターで万引きして洋服を入手していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親の要請により、佐藤の精神病院入院のために訪れた保健所の職員などが自宅を訪れたことにより発覚。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 佐藤の父親 ==&lt;br /&gt;
東京の大会社の重役を送迎する運転手をしていたが帰郷し、柏崎市内でタクシー会社を設立、専務取締役61歳で再婚し、誕生した一人息子を溺愛する。父親81歳の時、息子に家を追い出される。以後、異母姉の家に避難。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、老人介護施設に入所していたが、少女が佐藤宅に連れてこられる前の年に亡くなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 佐藤の母親 ==&lt;br /&gt;
若い頃、心中騒動を起こし、婚期が遅れて35歳で26歳年上の夫と結婚（初婚）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
職業は保険外交員。45歳の時、息子を精神科に連れて行くために自動車免許を取得。営業成績が上がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1991年4月（当時64歳）、柏崎市内のホームセンターでスタンガンを購入。少女発見まで20年以上も息子の部屋には入っておらず、少女の存在も知らなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃には母親の生保の外交員の仕事もほとんどなくなっていた。だが若いころに実績をあげていたため、60歳の定年を5年延長できたうえに、定年退職後も嘱託として仕事を続けることができたが、もう契約はほとんどとれなくなっていた。佐藤の暴力は激しくなり、心底おびえた母親は午前10時から午後4時まで500円で居つづけることのできる「カンポの宿」で時間をつぶすことが多かったという。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
母親はもう限界だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「このところ息子の暴力がひどい。自分の意のままにならないと殴る蹴るのうえに、私を縛り付けて、トイレにさえ行かしてくれない」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1999年12月、73歳になった母親は息子の暴力が激しくなってきたことから市内の精神病院へ相談に行き「息子を入院させてください」頼んだが、「本人を連れてきなさい」と言われる。しかし当然、佐藤は拒否。医師は「これ以上同居させておいては母親の身が危険」と判断し、自宅に乗り込むことを決めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌年1月28日午後1時半頃、精神病院の副院長、弁護士、保健所職員など7名が佐藤宅を訪れる。少女発見となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「靴はないの。外に出られないから」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
保健所職員などに付き添われて、家を出ようとした際、少女はそうつぶやいたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件発覚から10年ほどが過ぎて、母親は亡くなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
* [[2002年]][[1月22日]] - 新潟地裁・榊五十雄裁判長は佐藤に懲役14年を言い渡す。&lt;br /&gt;
* [[1月24日]] - 佐藤の弁護人は不服として東京高裁に控訴。&lt;br /&gt;
* [[12月10日]] - 東京高裁・山田利夫裁判長は一審を破棄、懲役11年を言い渡す。&lt;br /&gt;
* [[12月24日]] - 佐藤は二審の東京高裁判決を不服として、最高裁判所に上告。&lt;br /&gt;
* [[2003年]][[7月10日]] -  最高裁は二審の懲役11年を取り消し、佐藤の上訴を棄却。&lt;br /&gt;
* [[2015年]]4月 - [[千葉刑務所]]から満期出所。&lt;br /&gt;
* [[2017年]] - [[千葉県]][[千葉市]]で病死。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.niigata-nippo.co.jp/kankin/m0123050.html 新潟日報　「女性監禁事件」の経過]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* 葦書房　「事件1999-2000」　佐木隆三　永守良孝&lt;br /&gt;
* 朝日新聞社　「朝日キーワード2004」　→「新潟女性監禁事件裁判」&lt;br /&gt;
* 朝日出版社　「心の壊れた子どもたち」　町沢静夫&lt;br /&gt;
* 学習研究社　「歴史群像シリーズ81　戦後事件史　あの時何が起きたのか」&lt;br /&gt;
* KKベストセラーズ　「法廷絵師は見た！」　大橋伸一　&lt;br /&gt;
* 時事通信社　「時事ニュースワード2001」　→「新潟拉致監禁事件」&lt;br /&gt;
* 主婦と生活社　「カプセル　新潟少女監禁事件密室の3364日」　松田美智子&lt;br /&gt;
* 小学館　「少女はなぜ逃げなかったか　続出する特異事件の心理学」　碓井真史　&lt;br /&gt;
* 小学館　「14階段　検証　新潟少女9年2ヶ月監禁事件」　窪田順生&lt;br /&gt;
* 情報センター出版局　「子供をゆがませる間取り」　横山彰人&lt;br /&gt;
* 新人物往来社　「別冊歴史読本　戦後事件史データファイル」&lt;br /&gt;
* 新人物往来社　「新潟少女監禁事件　空白の九年二ヶ月」　毎日新聞新潟支局編&lt;br /&gt;
* 新潮社　「週刊新潮　05年11月17日号」&lt;br /&gt;
* 青春出版社　「少女監禁」　佐木隆三&lt;br /&gt;
* 宝島社　「別冊宝島　猟奇事件ファイル　【悪魔と呼ばれた人間たちの犯罪履歴書】」　&lt;br /&gt;
* 宝島社　「『少女監禁』と『バスジャック』～マスコミ報道と精神医療」　月崎時央&lt;br /&gt;
* 中央公論新社　「『人権』報道　書かれる立場書く立場」　読売新聞社編&lt;br /&gt;
* 東京書籍　「裁かれる家族　断たれた絆を法廷でみつめて」　佐木隆三&lt;br /&gt;
* 東京法経学院出版　「明治・大正・昭和・平成　事件犯罪大辞典」　事件・犯罪研究会・編　&lt;br /&gt;
* 二見書房　「消えた子供たちを捜して！」　近藤昭二&lt;br /&gt;
* 文藝春秋　「週刊文春　01年12月20日」&lt;br /&gt;
* ミリオン出版　「別冊ナックルズ　昭和三大事件」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[新潟少女監禁事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:さとう　のふゆき}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の誘拐事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:1990年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2000年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2003年の法]]&lt;br /&gt;
[[Category:柏崎市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロリコン]]&lt;br /&gt;
[[Category:新潟県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1962年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2017年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E&amp;diff=396883</id>
		<title>石原慎太郎</title>
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				<updated>2022-02-10T03:05:03Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;div style=&amp;quot;font-size:85%; border:solid #999 1px; width:70%; background:#FEE; padding:1ex 1em 1ex 1em; margin:0 auto 1em auto&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;text-align:center; font-size:130%; color:#800&amp;quot;&amp;gt;'''東京都知事辞職'''&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float:left; width:50px; padding-bottom:10px&amp;quot;&amp;gt;[[File:Icono aviso borrar.svg|50px]]&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;margin-left:60px&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
80歳となったこの男性は、諸事情により&amp;lt;br /&amp;gt;ひとたび離れたこの日本の国政への復帰を志し、&amp;lt;br /&amp;gt;2012年10月25日をもって東京都知事を辞職することとなったことで知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: &lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
[[画像:Ishihara.jpg|350px|thumb|石原　慎太郎]]&lt;br /&gt;
'''石原 慎太郎''' （いしはら しんたろう、[[字体#旧字体|旧字体]]:'''石原 愼太郎'''、[[1932年]] （[[昭和]]7年） [[9月30日]] - [[2022年]]〈[[令和]]4年〉[[2月1日]]） は、[[日本]]の[[政治家]]、[[作家]]。[[東京都知事]] （第14・15・16・17代） 。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[参議院議員]] （1期） 、[[衆議院議員]] （8期） 、[[環境大臣|環境庁長官]] （[[福田赳夫内閣|第8代]]） 、[[運輸大臣]] （[[竹下内閣|第59代]]） を歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
所属政党 = （[[自由民主党 （日本）|自由民主党]]→） （[[無所属]]→）  （自由民主党→） 無所属&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 東京都 第14・15・16・17代[[東京都知事]] 当選回数4回&lt;br /&gt;
:[[1999年]][[4月23日]]～現職&lt;br /&gt;
* 第59代 [[運輸大臣]]　[[竹下内閣]]時&lt;br /&gt;
[[1987年]][[11月6日]]～[[1988年]][[12月27日]]&lt;br /&gt;
* 第8代 [[環境大臣|環境庁長官]][[福田赳夫内閣]]時&lt;br /&gt;
:[[1976年]][[12月24日]]～[[1977年]][[11月28日]]&lt;br /&gt;
* [[衆議院議員]]　選挙区[[東京都第2区 （中選挙区）|旧東京2区]]当選回数8回&lt;br /&gt;
:[[1972年]]12月～[[1995年]]4月&lt;br /&gt;
* [[参議院議員]]選挙区[[全国区]]当選回数1回&lt;br /&gt;
:[[1968年]][[7月8日]]～[[1972年]][[11月25日]][[第33回衆議院議員総選挙]]立候補により自動失職&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴・人物 ==&lt;br /&gt;
[[ファイル:Ishihara Mishima.jpg|thumbnail|240px|[[三島由紀夫]]と。奥にいるのが石原。[[1956年]]、[[千代田区]][[紀尾井町]]の[[文藝春秋|文春ビル]]にて]]&lt;br /&gt;
[[兵庫県]][[神戸市]]生まれ&amp;lt;ref&amp;gt;園田学園女子大学名誉教授[[田辺眞人]]によれば、「私の祖母が、そのあたり一帯のかつての[[地主]]につながる[[家柄]]だったんですが、その祖母が、石原慎太郎さんが作家デビューして有名になった頃、こんなふうにいっていたのを記憶しています。&amp;quot;あの人は昔、[[大手町 (神戸市)|大手]]に住んでいたんや。大手で慎太郎も[[石原裕次郎|裕次郎]]も生まれたんよ。あのへんは[[明治]]くらいまで一本松という大きな立派な[[松]]の木があって、石原一家はその松の木の南側の家に住んでいたんよ。[[山陽電気鉄道|山陽電鉄]]の[[東須磨駅]]と板宿駅の間に、昔は大手という駅があって、そのすぐそばやった。&amp;quot; (父親の潔さんは) そこから電車で会社に行ってはったようですよ。家は[[商船三井|山下汽船]]の社員寮で、一見[[長屋]]風だったらしい。あの辺は比較的階層が高い人が住んでいて、いわゆる[[中産階級]]より少し上のクラスの人が住むところでした。だから社員寮もかなり立派で、造りは[[長屋]]風といっても、それぞれ独立した一軒家だったようです。もうその家はとっくにとりこわされていますし、当時のことを知る人もまずいないでしょうね」という (佐野眞一著『てっぺん野郎─&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:90%&amp;quot;&amp;gt;本人も知らなかった石原慎太郎&amp;lt;/span&amp;gt;』45-46頁) &amp;lt;/ref&amp;gt;。[[神奈川県立湘南高等学校|湘南高等学校]]、[[一橋大学]][[法学部]]卒業&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/profile.htm 知事の部屋/知事のプロフィール｜東京都]によると、最終学歴は「一橋大学[[法学部]]卒業」となっている&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一橋大学では社会心理学の[[南博]]ゼミに所属。大学在学中の[[1956年]]（昭和31年） に文壇デビュー作である『[[太陽の季節]]』が第34回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]を受賞、「[[太陽族]]」が生まれる契機となる。また、同作品の[[映画]]化では弟・[[石原裕次郎|裕次郎]]をデビューさせた。作家としては他に[[芸術選奨|芸術選奨文部大臣賞]]、[[平林たい子文学賞]]などを受賞。『[[「NO」と言える日本|「NO」と言える日本 -新日米関係の方策-]]』（[[盛田昭夫]]との共著）、裕次郎を題材にした『弟』は[[ミリオンセラー]]となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ベトナム戦争]]を取材した経験から政治家を志し、[[1968年]]（昭和43年）に[[参議院議員選挙]]に[[全国区]]から出馬し初当選。[[1972年]]（昭和47年） には衆議院に鞍替え出馬し当選、以後当選8回。[[1975年]]（昭和50年） 、現職の[[美濃部亮吉]]に挑戦する形で[[1975年東京都知事選挙|東京都知事選挙]]に自民党推薦で出馬するも落選。その後衆議院議員に復帰し、[[1976年]]（昭和51年） に[[福田赳夫内閣]]で[[環境大臣|環境庁長官]]を、[[1987年]]（昭和62年） に[[竹下内閣]]で[[運輸大臣]]を歴任、[[1989年]]（[[平成]]元年） には[[自民党総裁選]]に立候補し、[[海部俊樹]]に敗れる。[[1995年]]（平成7年）、議員勤続25年を祝う永年勤続表彰の場で、突如議員辞職を表明した&amp;lt;ref&amp;gt;「ハマコーの非常事態宣言」（1995年（平成7年）7月）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1999年東京都知事選挙]]に出馬。立候補の表明は有力候補中最も遅かったが、[[舛添要一]]・[[鳩山邦夫]]・[[明石康]]・[[柿澤弘治]]といった有力候補を抑え初当選する。[[2003年東京都知事選挙]]では都知事選史上最高の得票率で再選、[[2007年東京都知事選挙]]では[[浅野史郎]]らを破り3選。[[2011年東京都知事選挙]]では当初不出馬が取り沙汰されたものの、[[東国原英夫]]らを破り4選。[[2012年]]（平成24年）、後継に[[猪瀬直樹]]副知事を指名し、次期衆議院選挙に出馬するため東京都知事を辞職。同年の[[第46回衆議院議員総選挙]]に[[比例東京ブロック]]で当選し17年ぶりに国政に復帰。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
個人として300万票以上の得票数を選挙で2度獲得したのは石原のみである（1968年参院選全国区と2003年都知事選）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
都知事就任以降、毎年[[8月15日]]に[[靖国神社]]に参拝している。[[新しい歴史教科書をつくる会]]に賛同。[[日本会議]]代表委員、[[戸塚ヨットスクール]]を支援する会会長を務める。[[江藤淳]]の後を引き継ぎ、[[産経新聞]]に[[エッセイ]]『日本よ』を連載している。また2012年10月から6ヶ月掛けて、全集『石原愼太郎の思想と行為』（全8巻 内容は自分の著作をまとめたもの）を[[産経新聞出版]]から刊行。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[趣味]]は[[サッカー]]、[[ヨット]]、[[テニス]]、[[スキューバダイビング]]、[[射撃]]。[[俳優]]の[[石原裕次郎]]は弟。家族は妻（[[石原典子]]）と4男。[[衆議院議員]]の[[石原伸晃]]は長男、俳優・[[タレント]]の[[石原良純]]は次男、衆議院議員の[[石原宏高]]は三男、[[画家]]の[[石原延啓]]は四男。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略年譜 ==&lt;br /&gt;
* [[1932年]]（昭和7年）&lt;br /&gt;
** [[9月30日]] - [[兵庫県]][[神戸市]][[須磨区]]にて海運会社[[商船三井|山下汽船]]に勤める石原潔・光子の長男として生まれる。父・潔は[[愛媛県]][[長浜町 (愛媛県)|長浜町]]（現[[大洲市]]）に生まれ、旧制宇和島中学（現在の[[愛媛県立宇和島東高等学校|宇和島東高校]]）を[[中退]]し山下汽船に入社した。店童（てんどう）&amp;lt;ref name=&amp;quot;Tendoup31-32&amp;quot;&amp;gt;店童（てんどう）とは、海運会社独特の制度で、商店でいえば[[丁稚]]に相当し、宿舎と食事は確保してくれる代わりに、[[給料]]は一切なかった。便所掃除、社員の[[靴]]磨き、使い走り。店童（てんどう）は上司から命じられれば何でもやらなければならなかった。時には、[[質]]入れや、なじみの[[遊郭]]の[[女郎]]に[[菓子]]を届けることまでやらされた (『てっぺん野郎─&amp;lt;small&amp;gt;本人も知らなかった石原慎太郎&amp;lt;/small&amp;gt;』31-32頁) &amp;lt;/ref&amp;gt;あがりだったにもかかわらず、最後は[[関連会社]]の[[重役]]&amp;lt;!--山下汽船本社の重役ではなく関連会社の重役--&amp;gt;にまで出世した&amp;lt;ref&amp;gt;[[佐野眞一]]著『てっぺん野郎─&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:90%&amp;quot;&amp;gt;本人も知らなかった石原慎太郎&amp;lt;/span&amp;gt;』34-35頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。母・光子は[[広島県]][[厳島]]の出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;tv-asahi-mother-20224&amp;quot;&amp;gt;[http://www.tv-asahi.co.jp/mother/contents/100/backnumber/20224.html 石原慎太郎・裕次郎の母 グレートマザー物語 2002年2月24日]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;母・光子が広島県人であるのは古くから知られていた。1971年に出版された『日本人研究 &amp;lt;第2巻&amp;gt; 』 (板坂康弘著、流動) 広島県人の項、259-260頁に「石原慎太郎は父の勤務につれてあちこちで育ったが、血脈は広島である。石原も躁鬱気質の典型的な[[広島県]]人」と論じている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお石原自身は[[神奈川県]]を出身地としている&amp;lt;ref&amp;gt;『人事興信録』&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1934年]]（昭和9年）&lt;br /&gt;
** 12月28日 - 弟・[[石原裕次郎|裕次郎]]が生まれる。&lt;br /&gt;
* [[1936年]]（昭和11年）&lt;br /&gt;
** 6月 - 父の転勤に伴い、[[北海道]][[小樽市]]に転居&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop476&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』476頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。小樽に来て間もなくマリア幼稚園（現[[学校法人藤学園|小樽藤幼稚園]]）に入園&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop124&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』124頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1939年]]（昭和14年）&lt;br /&gt;
** - [[小樽市立稲穂小学校|稲穂小学校]]に入る&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop129&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』129頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1943年]]（昭和18年）&lt;br /&gt;
** 2月 - 父の転勤に伴い、神奈川県[[逗子市]]に転居&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop476&amp;quot;/&amp;gt;。石原一家が逗子で最初に住んだ桜山の家は山下汽船創業者[[山下亀三郎]]の別邸&amp;lt;ref&amp;gt;『てっぺん野郎─&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:90%&amp;quot;&amp;gt;本人も知らなかった石原慎太郎&amp;lt;/span&amp;gt;』180頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1945年]]（昭和20年）&lt;br /&gt;
** 4月 - 神奈川県立湘南中学（後の[[神奈川県立湘南高等学校]]）へ進学&lt;br /&gt;
* [[1946年]]（昭和21年）&lt;br /&gt;
** ～[[極東国際軍事裁判|東京裁判]]を二度傍聴する&amp;lt;ref&amp;gt;2014年(平成26年) 2月12日衆議院予算委員会&amp;lt;/ref&amp;gt;～&lt;br /&gt;
* [[1948年]]（昭和23年）&lt;br /&gt;
** 立身出世主義的な校風に反撥し、胃腸の病を口実に1年間[[休学]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sensenfukoku.net/novel/novelm.html 石原慎太郎公式ウェブサイト 宣戦布告 鮮烈デビュー『太陽の季節』芥川賞受賞]&amp;lt;/ref&amp;gt;。休学中は[[文学]]・[[美術]]・[[演劇]]・[[音楽]]・[[映画]]に耽溺し、[[フランス語]]を学習。&lt;br /&gt;
* [[1951年]]（昭和26年）&lt;br /&gt;
** 10月 - 父が[[脳溢血]]で急死。山下近海汽船[[社長]][[二神範蔵]]から一橋大への進学と、当時できたばかりの[[公認会計士]]の取得を強くすすめられる&amp;lt;ref&amp;gt;『てっぺん野郎─&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:90%&amp;quot;&amp;gt;本人も知らなかった石原慎太郎&amp;lt;/span&amp;gt;』217頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1952年]]（昭和27年）&lt;br /&gt;
** 4月 - [[一橋大学]]法学部に入学&amp;lt;ref&amp;gt;[[佐野眞一]]著『てっぺん野郎─&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:90%&amp;quot;&amp;gt;本人も知らなかった石原慎太郎&amp;lt;/span&amp;gt;』218頁に「ちなみに一橋大には商学部、経済学部、法学部、社会学部の四学部があり、入学試験は第二志望まで希望することができた。慎太郎は[[公認会計士]]を目指していたので、おそらく商学部を志望していたはずである。だが入学試験の成績が第一志望の[[商学部]]の水準に達しなかったのか、実際に入ったのは[[法学部]]だった。」とある。なお新制大学への移行当時は、商学部・経済学部・法学社会学部の3学部であったが、慎太郎が入学する前年の1951年 (昭和26年) に[[学部]]改組が行われ、法学社会学部が法学部と[[社会学部]]に分離した。（[http://passnavi.evidus.com/search_univ/0330/campus.html 一橋大学/キャンパスガイド｜大学受験パスナビ: 旺文社]）&amp;lt;/ref&amp;gt;。柔道部、サッカー部に入部する。[[簿記]]や[[会計学]]などの勉強に励んだが半年間やってみて向いていないと悟り公認会計士になることを断念する&amp;lt;ref&amp;gt;『てっぺん野郎─&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:90%&amp;quot;&amp;gt;本人も知らなかった石原慎太郎&amp;lt;/span&amp;gt;』218-219頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1954年]]（昭和30年）&amp;quot;学内同人誌『一橋文芸』を復刊&lt;br /&gt;
**処女作「灰色の教室」を掲載&amp;quot;　&amp;quot;「灰色の教室」（『一橋文芸』（復刊第1号、1954年12月）、文芸評論家の[[浅見淵]]に評価される&amp;lt;ref&amp;gt;『石原慎太郎を読んでみた』石原慎太郎年表 原書房 2013.8 {{要ページ番号|date=2014年3月31日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1955年]]（昭和30年）&lt;br /&gt;
** 12月 - 当時18歳だった石田由美子 (後に典子と改名) と[[結婚]]。『[[太陽の季節]]』が「[[文學界]]」に掲載され、第1回[[文學界新人賞]]を受賞。[[東宝]]の入社試験に合格し、助監督としての内定を得る。&lt;br /&gt;
* [[1956年]]（昭和31年）&lt;br /&gt;
** 1月 - 『[[太陽の季節]]』により第34回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]を当時史上最年少で受賞、[[ベストセラー]]となる。一橋大学[[法学部]]を[[卒業]]。東宝に入社するもまもなく退社し、嘱託となる。『太陽の季節』が日活で映画化され、弟・裕次郎が日活俳優としてデビューする。また自らも映画初出演を果たし、「[[太陽族]]」、「[[スポーツ刈り#慎太郎刈り|慎太郎刈り]]」が流行する。&lt;br /&gt;
**: 映画『太陽の季節』が公開された際、登場人物が強姦・不純異性交遊等を行う反社会的内容から映画を見た青少年への影響が取りざたされ、[[映画倫理委員会]] (通称、映倫) が作られる契機となった&amp;lt;ref&amp;gt;「太陽族映画に反発 各地で観覧を禁止」『朝日新聞』1956年8月3日付朝刊。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1957年]]（昭和32年）&lt;br /&gt;
** 4月19日 - 長男・[[石原伸晃|伸晃]]が誕生。&lt;br /&gt;
* [[1958年]]（昭和33年）&lt;br /&gt;
** - [[東宝]]で映画「若い獣」の[[監督]]を務める。また、[[大江健三郎]]、[[江藤淳]]、[[谷川俊太郎]]、[[寺山修司]]、[[浅利慶太]]、[[永六輔]]、[[黛敏郎]]、[[福田善之]]ら若手文化人らと「[[若い日本の会]]」を結成し、[[安保闘争|60年安保]]に反対。&lt;br /&gt;
* [[1960年]]（昭和35年）&lt;br /&gt;
** - 隊長として、南米横断1万キロ・[[ラリー]]に[[ラビットスクーター]]で参加&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.ne.jp/asahi/rabbit-house/yamada/ishihara.htm ISHIHARA - ラビットハウス]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1962年]]（昭和37年）&lt;br /&gt;
** 1月15日 - 次男・[[石原良純|良純]]が誕生。&lt;br /&gt;
* [[1963年]]（昭和38年）&lt;br /&gt;
** 3月 - 『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』を新潮社より出版。&lt;br /&gt;
* [[1964年]]（昭和39年）&lt;br /&gt;
** 6月19日 - 三男・[[石原宏高|宏高]]が誕生。&lt;br /&gt;
* [[1966年]]（昭和41年）&lt;br /&gt;
** - 四男・[[石原延啓|延啓]]が誕生。&lt;br /&gt;
* [[1967年]]（昭和42年）&lt;br /&gt;
** - [[読売新聞社]]の依頼で、[[ベトナム戦争]]を取材。&lt;br /&gt;
* [[1968年]]（昭和43年）&lt;br /&gt;
** 7月 - [[第8回参議院議員通常選挙]]に[[自由民主党 (日本)|自民党]]から[[全国区]]に出馬し、史上初の300万票得票でトップ当選。2位[[青島幸男]]・3位[[上田哲]]であり、ライバル関係になっていた。&lt;br /&gt;
* [[1969年]]（昭和44年）&lt;br /&gt;
** 11月 - 『スパルタ教育』を光文社より出版。&lt;br /&gt;
* [[1972年]]（昭和47年）&lt;br /&gt;
** 11月25日 - 参議院議員を辞職。&lt;br /&gt;
** 12月10日 - [[第33回衆議院議員総選挙|衆議院選挙]]に[[東京都第2区 (中選挙区)|旧東京2区]]から無所属で出馬して当選。後に自民党に復党。&lt;br /&gt;
* [[1973年]]（昭和48年）&lt;br /&gt;
** 7月 - [[渡辺美智雄]]、[[中川一郎]]、[[浜田幸一]]らと「[[青嵐会]]」を結成。&lt;br /&gt;
* [[1975年]]（昭和50年）&lt;br /&gt;
** 3月18日 - 衆議院議員を辞職。&lt;br /&gt;
** 4月13日 - 現職の[[美濃部亮吉]]に挑戦する形で[[1975年東京都知事選挙|東京都知事選挙]]に自民党推薦で出馬。233万票を得票するも落選。&lt;br /&gt;
* [[1976年]]（昭和51年）&lt;br /&gt;
: 12月5日- 衆院選で国政に復帰。同月24日発足の[[福田赳夫内閣 (改造)]]で[[環境大臣|環境庁長官]]に就任。在任中は[[水俣病]]補償問題に取り組み国として謝意を表明し話題になった。一方で「ニセ患者もいる。」「患者団体が政治組織に利用されている。」と発言を行い胎児性水俣病患者の上村智子に[[土下座]]して陳謝する一幕もあった。&lt;br /&gt;
* [[1981年]]（昭和56年）&lt;br /&gt;
** - 弟の裕次郎が倒れた際に小笠原諸島から海上自衛隊飛行艇を呼び寄せて帰京し、公私混同として問題になる。燃料代は160万円かかっていた。&lt;br /&gt;
* [[1983年]]（昭和58年）&lt;br /&gt;
** - [[自由民主党の派閥]]、[[自由革新同友会]]を継いで代表就任、後に[[清和会]]へ合流。&lt;br /&gt;
* [[1987年]]（昭和62年）&lt;br /&gt;
** 7月17日 - 弟・裕次郎が[[肝細胞癌]]で死去 (52歳) 。&lt;br /&gt;
** 11月6日 - [[竹下内閣]]で[[運輸大臣]]に就任。&lt;br /&gt;
* [[1988年]]（昭和63年）&lt;br /&gt;
** 4月8日 - 『漁業施設がヨットに危険』と発言し、[[海上保安庁]]に漁業施設を総点検させることになる&amp;lt;ref&amp;gt;[[業田良家]]『シアターアッパレー現代政治家体系』100頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1989年]]（平成元年）&lt;br /&gt;
** 8月8日 - [[亀井静香]]・[[平沼赳夫]]・[[園田博之]]らに推される形で[[自民党総裁選]]に出馬するも[[竹下派]]が推す[[番町政策研究所|河本派]]の[[海部俊樹]]に敗れる。 『[[「NO」と言える日本]]』を[[盛田昭夫]]と共著で出版。&lt;br /&gt;
* [[1990年]]（平成2年）&lt;br /&gt;
** 2月18日 - [[第39回衆議院議員総選挙]]が[[東京都第4区 (中選挙区)|旧東京4区]]で長男の[[石原伸晃|伸晃]]が初当選し、父子揃って衆議院議員となる。&lt;br /&gt;
* [[1995年]]（平成7年）&lt;br /&gt;
** 4月14日 - 議員在職25年表彰を受けての衆議院での演説中、「日本の政治は駄目だ。失望した」という趣旨の発言を行ない辞職を表明（最初の地盤継承者は[[栗本慎一郎]]）。&lt;br /&gt;
* [[1996年]]（平成8年）&lt;br /&gt;
** - 弟の石原裕次郎をテーマに『弟』を発表。&lt;br /&gt;
* [[1999年]]（平成11年）&lt;br /&gt;
** 4月11日 - [[1999年東京都知事選挙]]に出馬。立候補表明の記者会見での第一声の、「石原裕次郎の兄でございます」と言う挨拶が話題を呼ぶ。[[鳩山邦夫]]、[[舛添要一]]、[[明石康]]、[[柿澤弘治]]ら有力候補がひしめく中、166万票を得票して当選。{{要出典範囲|date=2014年3月31日 (月) 13:36 (UTC)|「都庁で会おうぜ」と言う当選の弁が話題を呼ぶ}}。&lt;br /&gt;
* [[2003年]]（平成15年）&lt;br /&gt;
** 4月13日 - [[2003年東京都知事選挙]]に出馬。308万票（得票率史上最高）を獲得し、[[樋口恵子]]、[[若林義春]]らを破り再選。&lt;br /&gt;
* [[2004年]]（平成16年）&lt;br /&gt;
** 11月17 - 21日 - 「[[弟 (テレビドラマ)|弟]]」テレビドラマ化。&lt;br /&gt;
* [[2007年]]（平成19年）&lt;br /&gt;
** 4月8日 - [[2007年東京都知事選挙]]に出馬。投票の過半数にあたる281万票を獲得し、[[浅野史郎]]、[[吉田万三]]、[[黒川紀章]]らを破り3選。選対本部長は[[佐々淳行]]が担った&amp;lt;ref name=&amp;quot;sasachosaku&amp;quot;&amp;gt;佐々 淳行　著『軍師・佐々淳行―「反省しろよ慎太郎だけどやっぱり慎太郎」 危機管理最前線〈2〉』 文藝春秋、2007年、10月&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[2010年]]（平成20年）&lt;br /&gt;
** 4月10日 [[たちあがれ日本]]の応援団長に就任する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* [[2011年]]（平成23年）&lt;br /&gt;
** 4月10日 - 一時は3期目での退任を考慮した中で、[[2011年東京都知事選挙]]に出馬を決断して、立候補する。[[東国原英夫]]、[[小池晃]]らを破り、2,615,120票を獲得して四選（得票率は43.4%）。&lt;br /&gt;
* [[2012年]]（平成24年）&lt;br /&gt;
** 10月25日 - 15時から都庁にて緊急記者会見を行い「本日をもって(東京都知事を)辞任し、新党を結成する」と表明&amp;lt;ref name=&amp;quot;yomiuri20121025&amp;quot;&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121025-OYT1T00905.htm?from=top 石原都知事が辞任表明…新党結成、衆院選出馬へ] - 読売新聞 2012年10月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahi20121025&amp;quot;&amp;gt;[http://www.asahi.com/politics/update/1025/TKY201210250235.html 石原都知事が辞職表明 新党結成、衆院選立候補を検討] - 朝日新聞 2012年10月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;。会見後に都議会議長に辞表を提出した&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahi20121025&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
** 10月31日 - 午後から開催された臨時会で、都知事辞職が同意される&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/news/20121101k0000m010074000c.html 石原知事辞任:「マイ・ウェイ」演奏の中、都庁を去る] - 毎日新聞 2012年10月31日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
** 11月13日 - [[たちあがれ日本]]を改称する形で'''太陽の党'''を結党。共同代表に就任する&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/news/20121113-OYT1T00988.htm 石原氏、太陽の党旗揚げ…「第3極」結集目指す] - 読売新聞 2012年11月13日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
** 11月17日 - 太陽の党が[[日本維新の会]]に合流。代表に就任&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.shinmai.co.jp/news/20121120/KT121119ETI090004000.php 維新と太陽 合流ありきの疑問残す] - 信濃毎日新聞 2012年11月20日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
** 12月16日 - [[第46回衆議院議員総選挙]]に[[比例東京ブロック]]で当選&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121217/elc12121702030052-n1.htm 石原氏親子3人、全員当選] - 産経ニュース 2012年12月17日&amp;lt;/ref&amp;gt;。衆議院議員として、17年ぶりに国政に復帰。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学生時代 ==&lt;br /&gt;
湘南高校サッカー部、一橋大学柔道部、サッカー部と[[体育会系]]の一面も持つ。サッカーに関しては高校大学ともにレギュラーで試合に出場している。&lt;br /&gt;
文芸評論家の[[%E6%B1%9F%E8%97%A4%E6%B7%B3|江藤淳]]とは同級生だった。江藤とは作家となってから共著を出版&amp;lt;ref&amp;gt;『断固「No」と言える日本 戦後日米関係の総括』江藤淳と共著、光文社カッパ・ホームス、1991&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
するなど、1999年に江藤が自死するまで交流があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『[[太陽の季節]]』を引っ提げて華々しくデビューしたとき、[[マスメディア|マスコミ]]は慎太郎をこぞってとりあげた。以下はそのうちの一つ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{quotation|慎太郎が高校一年の時だった。学生運動が盛んになろうとしていた昭和23年に、民主学生同盟にいち早く入り、学内に社会研究会を作った。日本共産党へのヒロイックな気持にかられていた時、母は“大衆のために両親や弟を、そして地位も財産も捨て、獄につながれても後悔しない自信があるなら、私は反対しないが、その覚悟をしてほしい。それならお父さんが、どんなに反対しても、私は賛成する”　この言葉にそのあくる日から彼は学生運動を離れている。|サンデー毎日1956年9月9日号『五つの道をゆく“石原慎太郎”批判』}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石原は後にこの点について、『芸術生活』編集長・御木白日との対談の中で「女親っていうのはバカだから。主義主張が母親の意見で変わるなんてウソですよ。精神風俗としてそういうものに興味をもったから、親が心配したというだけの話です」と否定的に語っている&amp;lt;ref&amp;gt;『てっぺん野郎 ―本人も知らなかった石原慎太郎』195-196頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作家として ==&lt;br /&gt;
{{Infobox 作家&lt;br /&gt;
| name = 石原 慎太郎&amp;lt;br/&amp;gt;（いしはら しんたろう）&lt;br /&gt;
| birth_date =&lt;br /&gt;
| birth_place =&lt;br /&gt;
| death_date =&lt;br /&gt;
| death_place =&lt;br /&gt;
| resting_place =&lt;br /&gt;
| occupation = [[作家]]&lt;br /&gt;
| language = [[日本語]]&lt;br /&gt;
| nationality = {{JPN}}&lt;br /&gt;
| period = [[1955年]] -&lt;br /&gt;
| genre = [[小説]]・[[随筆]]・[[評論]]&lt;br /&gt;
| subject = 不可知なもの、暴力、生と死&lt;br /&gt;
| movement = [[怒れる若者たち]]&lt;br /&gt;
| notable_works = 『[[太陽の季節]]』（1955年）&amp;lt;br/&amp;gt;『化石の森』（1970年）&amp;lt;br/&amp;gt;『弟』（1996年）&lt;br /&gt;
| awards = [[文學界新人賞]]（1955年）&amp;lt;br/&amp;gt;[[芥川龍之介賞]]（1956年）&amp;lt;br/&amp;gt;[[芸術選奨]]（1971年）&amp;lt;br/&amp;gt;[[平林たい子文学賞]]（1988年）&amp;lt;br/&amp;gt;[[毎日出版文化賞]]特別賞（1996年）&lt;br /&gt;
| debut_works = 『灰色の教室』（1954年）&lt;br /&gt;
| footnotes =&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
=== 芥川賞受賞 ===&lt;br /&gt;
[[一橋大学]]在学中に、『[[太陽の季節]]』で、第1回（1955年度）[[文學界新人賞]]と、第34回（1955年下半期）[[芥川龍之介賞|芥川賞]]を受賞した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『ひばり裕次郎 昭和の謎』によると&amp;lt;ref name=&amp;quot;taizyou_p94&amp;quot;&amp;gt;[[斎藤貴男]]・[[吉田司]]『石原慎太郎よ、退場せよ!』94頁&amp;lt;/ref&amp;gt;、「昭和三十年、まだ一橋大生だった石原慎太郎が書いた『太陽の季節』が芥川賞を受賞したが、その余りにえげつない風俗描写に世間は眼を剥（む）いた&amp;lt;ref name=&amp;quot;taizyou_p94&amp;quot;/&amp;gt;」とされ、以下の&amp;quot;[[勃起]] (ぼっき) する男性シンボル&amp;quot;の場面などの性描写が注目された&amp;lt;ref name=&amp;quot;taizyou_p94&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Quotation|裸の上半身にタオルをかけ、離れに上がると彼は[[障子]]の外から声を掛けた。&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
「英子さん」 部屋の英子がこちらを向いた気配に、彼は[[勃起]] (ぼっき) した[[陰茎]]を外から障子に突き立てた。[[障子]]は乾いた音をたてて破れ、それを見た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
本は見事、的に当って畳に落ちた。その瞬間、竜哉は体中が引き締まるような快感を感じた。|石原慎太郎「太陽の季節」&amp;lt;ref&amp;gt;石原慎太郎『[[太陽の季節]]』（[[文學界]] 1955年7月号に掲載。のち[[新潮社]]より1956年3月に単行本刊行。&amp;lt;/ref&amp;gt;}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文芸評論家の[[%E6%B5%85%E8%A6%8B%E6%B7%B5|浅見淵]]は石原がデビューする前から学内同人誌『一橋文芸』に掲載された処女作「灰色の教室」を評価し、浅見は石原のデビュー後も度々石原作品に関してエッセイ、全集等の解説で執筆している。&amp;lt;ref&amp;gt;『石原慎太郎を読んでみた』石原慎太郎年表 原書房 2013.8&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『燈火頬杖 浅見淵随筆集』ウェッジ文庫、藤田三男編 2008.12&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『石原慎太郎文庫 第4巻 』解説 浅見淵 河出書房新社 1964.11～1965.12&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『太陽の季節』は[[文壇]]にも旋風を巻き起こし、支持派と反対派に分れた&amp;lt;ref name=&amp;quot;bungakukai&amp;quot;&amp;gt;「『太陽の季節』および[[文學界新人賞]]選評」（[[文學界]] 1955年7月号に掲載）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;akutagawa&amp;quot;&amp;gt;「第34回芥川賞選評（1956年1月23日選考）」（[[文藝春秋]] 1956年3月号に掲載）[http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/senpyo/senpyo34.htm 芥川賞-選評の概要-第34回]&amp;lt;/ref&amp;gt;。支持派の[[舟橋聖一]]は、「この作品が私をとらえたのは、達者だとか手法が映画的だとかいうことではなくて、一番純粋な“快楽”と、素直にまっ正面から取組んでいる点だった」&amp;lt;ref name=&amp;quot;akutagawa&amp;quot;/&amp;gt;「佐藤春夫氏の指摘したような、押しつけがましい、これでもか、これでもかの、ハッタリや嫌味があっても、非常に明るくはっきりしているこの小説の目的が、それらの欠陥を補ってあまりある」&amp;lt;ref name=&amp;quot;akutagawa&amp;quot;/&amp;gt;と評し、反対派の[[佐藤春夫]]は、「この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者のものではないと思ったし、またこの作品から作者の美的節度の欠如を見て最も嫌悪を禁じ得なかった」&amp;lt;ref name=&amp;quot;akutagawa&amp;quot;/&amp;gt;と評するなど、賛否両極端の選考だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 現在に至るまで ===&lt;br /&gt;
その後『[[処刑の部屋]]』 (映画原作) 、『[[聖餐 (小説)|聖餐]]』といった現代の世相を鋭くえぐり出すのが特徴の同種の作品を多数発表した。1957年10月『新潮』に発表した『[[完全な遊戯]]』について、[[高見順]]宅へ行った際、『群像』編集長の[[大久保房男]]と口論になり、『群像』には一度も執筆していない&amp;lt;ref&amp;gt;西村賢太との対談『en-taxi』2011年7月&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石原が1959年（昭和34年）に文芸雑誌「文學界」8月号に発表した実験的ジャズ短編小説「[[%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97|ファンキー・ジャンプ]]」を三島由紀夫は見事な傑作と述べ、「現実の脱落してゆくありさまを、言葉のこのやうな脱落でとらへようとする（石原）氏の態度には、小説家といふよりは一人の逆説的な詩人があらはれてゐる」と評した。&amp;lt;ref&amp;gt;『美の襲撃―評論集』（「石原慎太郎氏の諸作品」）三島 由紀夫 (著) 1961&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;『決定版 三島由紀夫全集〈31〉評論(6)』（「石原慎太郎氏の諸作品」）三島 由紀夫 (著) 新潮社 2003.6&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政治家への転身以降、発表する作品数は減ったものの、現在に至るまで一貫して創作活動を行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1970年]] (昭和45年) に書下ろし長篇『化石の森』で[[芸術選奨]]文部大臣賞、[[1988年]] (昭和63年) 『生還』で[[平林たい子文学賞]]を受賞。弟裕次郎を描いた[[1996年]] (平成8年) の『弟』は120万部を売り上げ、[[毎日出版文化賞]]特別賞を受賞した。創作以外でも『[[スパルタ教育]]』 ([[1969年]]、70万部) 『[[「NO」と言える日本]]』 ([[1989年]]、125万部) 、『法華経を生きる』 ([[1998年]]、33万部) 『老いてこそ人生』 ([[2002年]]、82万部)、『新・堕落論』（[[2011年]]、25万部） などがベストセラーとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1995年]]から[[2012年]]まで芥川賞の選考委員を務めた。辛口の批評が多かったが、[[辻仁成]]、[[町田康]]、[[青来有一]]、[[中村文則]]、[[青山七恵]]、[[西村賢太]]など強く推して受賞に至った作家もいる。また[[1992年]]から[[1999年]]まで[[三島由紀夫賞]]選考委員を務めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
映像作家としては、弟の裕次郎を世に送り出すことになった自作の映画化『狂った果実』で脚本を担当して以降、映画やテレビで自作小説の脚色を多く手がけている他、[[1958年]] (昭和33年) 、[[東宝映画]]『若い獣』で初[[映画監督|監督]]を務める。[[2007年]] (平成19年) 5月には映画『[[俺は、君のためにこそ死ににいく]]』を発表。制作・指揮・脚本を手がけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文芸評論家[[福田和也]]は、日本の現役小説家を採点した自著『[[作家の値うち]]』（[[2000年]]）の中で『[[わが人生の時の時]]』に100点満点中96点と、同書で採点した中で最高点を付け、情景の鮮烈さが特に魅力的で、20世紀の日本文学として後世に残るであろうと論評する&amp;lt;ref&amp;gt;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%81%AE%E6%99%82%E3%81%AE%E6%99%82　わが人生の時の時ウィキペディア&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.amazon.co.jp/%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%80%A4%E3%81%86%E3%81%A1-%E7%A6%8F%E7%94%B0-%E5%92%8C%E4%B9%9F/dp/4870313952　作家の値うち福田 和也 (著)  新潮社 2003.6&amp;lt;/ref&amp;gt;が文庫も単行本も絶版状態である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石原が発表した小説は膨大にあるが書籍化されていても絶版が多い。石原慎太郎小説を評した著作&amp;lt;ref&amp;gt;『石原慎太郎を読んでみた』 原書房 2013.8&amp;lt;/ref&amp;gt;や随筆はあっても、文庫で読める石原小説は希少な現状である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 東京都知事として ==&lt;br /&gt;
従来の[[官庁会計]]である[[単式簿記]]・現金主義会計を改め東京都は石原の肝いりで戦後初めて自治体公会計に[[複式簿記]]・発生主義を導入&amp;lt;ref name=&amp;quot;koukaikei0&amp;quot;&amp;gt;[http://www.kaikeikanri.metro.tokyo.jp/kaikaku.htm 東京都の新たな公会計制度]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;kaikei&amp;quot;/&amp;gt;、銀行への外形標準課税（銀行税）の導入、日本初で世界三番目のキャップ・アンド・トレード型排出量取引制度の導入、浮遊粒子状物質 (SPM) を減らすためのディーゼル車排ガス規制での硫黄除去装置導入、中小企業の支援のため1000億円の都予算を投入した新銀行東京（石原銀行とも）の設立、首都大学東京の開学など、全国に先駆けた政策は注目を浴びた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
都知事就任後の[[1999年]](平成11年)、「地域環境の保全やまちづくりの観点から、自動車専用部の地下化案を基本として計画の具体化について取り組む」方針を表明し、[[1970年]](昭和45年)以来、[[美濃部亮吉|美濃部都知事]]（当時）や[[日本国政府|国]]に凍結されていた[[東京外かく環状道路]]整備を解禁し、効率的な物流ネットワークの構築や慢性化した[[渋滞]]の緩和等を提唱・推進する&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.ktr.mlit.go.jp/gaikan/gaiyo/keii.html 東京外かく環状国道事務所-これまでの経緯]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2001年]]（平成13年）、芸術家の支援と拠点提供を目的として[[トーキョーワンダーサイト]]という名称の機関を立ち上げた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web |url=http://www.portaltokyo.com/guide_23/contents/c05044wonder.htm |title=トーキョーワンダーサイト本郷 |accessdate=2014-04-08 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他都県市と協定を結び、災害や事故などの緊急事態に協定を結ぶ都道府県に控える警察官・消防・自衛官が一体的に対応する仕組みを構築&amp;lt;ref name=&amp;quot;首都圏FEMA&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2003年]]、大規模災害発生時など緊急事態の際に陣頭指揮を執る危機管理監ポストを新設&amp;lt;ref name=&amp;quot;東京都危機管理監&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
都心部の公道を使った大規模なマラソン大会「[[東京マラソン]]」構想を発表し&amp;lt;ref name=&amp;quot;2007tokyo&amp;quot;/&amp;gt;、[[2007年]]に第一回大会が実現&amp;lt;ref name=&amp;quot;2007tokyomarason&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]（平成18年）から、[[東京オリンピック (曖昧さ回避)|東京オリンピック]]開催の実現を選挙公約とした。[[2016年東京オリンピック構想|2016年の東京オリンピック招致]]成功は叶わなかったが、[[2020年東京オリンピック構想|2020年夏季オリンピック招致]]にも手を上げ&amp;lt;ref name=&amp;quot;tokyogorin2020&amp;quot;/&amp;gt;、オリンピック招致に再チャレンジし、[[2020年夏季オリンピック|2020年の東京オリンピック開催]]への下地を作った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石原は[[アメリカ合衆国|米国]]政府に[[横田飛行場|横田基地]]の返還請願を継続して行い、石原の要求は[[2005年]]に見通しがついた[[2006年]]10月27日の[[横田飛行場#横田空域|横田空域]]の[[航空交通管制]]権の一部返還日米合意により部分的に実現する&amp;lt;ref name=&amp;quot;yokota0&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/danmen/danmen2006/1027.html 横田空域の一部返還／一歩前進、米軍支配は続く]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自らの知事給与の減額や会計制度の[[複式簿記]]・発生主義化による「機能する[[貸借対照表|バランスシート]]」の導入で採算性向上・財政の透明化&amp;lt;ref name=&amp;quot;ref name=&amp;quot;koukaikei0&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;kaikei&amp;quot;&amp;gt;石原 慎太郎 著『もう、税金の無駄遣いは許さない!―都庁が始めた「会計革命」公会計改革プロジェクトチーム』 ワック 、[[2006]]年11月。&amp;lt;/ref&amp;gt;を図って雑用経費を抑えつつ、自らの発案になる大型プロジェクト・[[スポーツ]]・臨海開発事業などへの積極投資で振興を行う&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.zaimu.metro.tokyo.jp/syukei1/zaisei/2304tozaisei.pdf 東 京 都 の 財 政 - 東京都財務局]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[日本の警察官]]の増員、「治安担当副知事」と呼ばれた警察官僚出身の[[竹花豊]]の[[副知事]]への任命や元陸上自衛官の[[志方俊之]]を東京都災害対策担当参与に任命&amp;lt;ref name=&amp;quot;bousaisanyo&amp;quot;/&amp;gt;など治安対策・[[危機管理]]を重視しており、新宿[[歌舞伎町]]などの違法営業店の数・[[不法滞在]]者などが激減した&amp;lt;ref&amp;gt;ただし、政策推進の動機である「犯罪の増加」については、「メディア報道が増えたことによる印象に過ぎず、統計的に否定される」、いわゆる[[体感治安]]だとの批判がある。[[久保大]]『治安は本当に悪化しているのか』[[公人社]] ISBN 978-4-344-00795-6より。著者は元都治安対策担当部長。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
[[2007年]]（平成19年）には[[猪瀬直樹]]を副知事に起用。猪瀬は[[東京DC特区構想]]（[[山手線]]の中側を中心とした区域を政府直轄地にして東京から切り離す）を提案し、オリンピック誘致にも懐疑的であるなど主張が異なる部分もあるが、石原は猪瀬について、「個人的に次の知事にふさわしいと思う」と話している。知事・副知事共に現役の作家というのは異例の組み合わせである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主要な政策 ===&lt;br /&gt;
==== 東京都の会計制度に複式簿記・発生主義を導入 ====&lt;br /&gt;
一橋大学在学中に公認会計士になるための勉強をしたことがあった経験から、官庁や自治体会計に[[単式簿記]]・現金主義会計が採用されている現状に疑問を持っていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;nikkeibp20070410&amp;quot;&amp;gt;{{Cite web | url = http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20070322/265924/ | title = 都知事としての一番いい仕事は、会計制度の改革だと思っています 東京都知事 石原慎太郎氏 | publisher = [[日経BP]] | date = 2007-04-10 | accessdate = 2014-03-17 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。石原は都知事就任後、2002年に新たな会計制度を導入すると宣言&amp;lt;ref name=&amp;quot;nikkeibp20070410&amp;quot;/&amp;gt;。石原2期目の2006年、東京都は他の自治体に先駆けて、会計制度に[[複式簿記]]・発生主義を採用した&amp;lt;ref name=&amp;quot;nikkeibp20070410&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;ref name=&amp;quot;koukaikei0&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
石原は都知事3期目に入った2007年4月、この施策は自身の過去2期における「一番いい仕事」だったと述べた&amp;lt;ref name=&amp;quot;nikkeibp20070410&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
===== 国家の会計制度に導入提起 =====&lt;br /&gt;
:[[2013年]][[2月12日]]、石原は[[予算委員会#衆議院予算委員会|衆院予算委員会]]において「日本の国家の会計制度に懸念を持っている。これを合理化して企業並みにしないと、アベノミクスのバリアになる。この国には健全な[[貸借対照表|バランスシート]]、[[財務諸表]]がない。国は何で[[外部監査制度|外部監査]]を入れないのか。アベノミクスを成功させるためにも会計制度を一新させる必要がある。会計制度を変えると税金の使途がハッキリ分かる」と[[安倍晋三|安倍総理]]および[[麻生太郎|麻生副総理]]に提言を行った&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web | title = 【石原氏の質疑詳報（下）】「子孫のために環境問題アピールを」（2/7ページ） | url = http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130213/plc13021310130011-n2.htm | publisher = 産経新聞 | date = 2013-02-13 | accessdate = 2013-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web | title = 【石原氏の質疑詳報（下）】「子孫のために環境問題アピールを」（5/7ページ） | url = http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130213/plc13021310130011-n5.htm | publisher = 産経新聞 | date = 2013-02-13 | accessdate = 2013-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 環境対策・都市構想 ====&lt;br /&gt;
===== 植樹による海の森公園・水と緑の回廊構想 =====&lt;br /&gt;
{{Main|海の森公園}}&lt;br /&gt;
東京港の中心にある中央防波堤内側埋立地に建設中である植樹による[[海の森公園]]構想&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.uminomori.metro.tokyo.jp/outline_top.html 「海の森」Umi-no-Mori (Sea Forest)]&amp;lt;/ref&amp;gt;は、2005年（平成17年）2月24日に開催された第74回東京都港湾審議会において答申され、「10年後の東京」の「水と緑の回廊」づくりの一環の構想として建築家[[安藤忠雄]]と石原が発案・推進役となって進められている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.token.or.jp/magazine/g200711.html 東京に、水と緑の回廊をつくる「海の森」プロジェクト始動　【シリーズ】世界からつどう－未来への遺産（第9回）／東建月報2007年11月号掲載]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
10年後の東京を構想する水と緑の回廊構想における政策の方向性は「東京の成長過程で失われた、水と緑に囲まれた都市空間を再生するとともに、美しい都市景観を創出し、東京の価値を更に高める。」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/tokyo_of_2020/past_data/plan2011/pdf/honbun/plan2011_01.pdf 水と緑の回廊で包まれた、美しいまち東京を復活させる]&amp;lt;/ref&amp;gt;とされ、植樹による[[海の森公園]]構想や街路樹の増加や校庭の芝生化等による東京都内緑化と都内の[[電線類地中化|無電柱化]]エリア拡大・都内の大規模緑地を街路樹でつなぐ[[ヒートアイランド]]現象を緩和する「風の道」の整備&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.uminomori.metro.tokyo.jp/outline_1.html 「海の森」とは？　　－2.都心に向かう風の道－]&amp;lt;/ref&amp;gt;・水辺の整備と水質改善が主な目標となっている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2011/12/DATA/60lcf116.pdf 水と緑の回廊で包まれた、美しいまち東京を復活させる]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== ディーゼル車排ガス規制 ===== &lt;br /&gt;
{{Main2|ディーゼル車の実態と法規制については[[ディーゼル自動車]]を}}&lt;br /&gt;
青島都政の政策を引き継ぎ、かねてより環境研究者に指摘されてきた、国の[[自動車排出ガス規制]]での対応では不足となっていた東京都の自動車排ガス公害の深刻さに対応するため、[[ディーゼル自動車|ディーゼル車]]への粒子状物質排出規制を首都圏の他の自治体と共同して行い、[[2000年]]（平成12年）には、都民の健康と安全を確保する環境に関する条例（通称: [[ディーゼル車規制条例|環境確保条例]]）を制定し、粒子状物質排出基準を超えるディーゼル車の、新車登録7年経過後の走行を禁止した（条例第37条、第38条）。この条例については、違法な[[上乗せ条例]]であるとの見解や、地域的な特殊性を考慮した適法な条例であるとの見解がある&amp;lt;ref&amp;gt;[[大塚直]]『環境法』&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
石原はディーゼル車の数は全ての自動車の中の2割に過ぎないが、全ての自動車から排出される窒素酸化物の約7割と浮遊粒子物質(SPM)のほとんどを排出していることを示し、東京でディーゼル自動車の排気に含まれ排出される粉塵の量が、1日に500ccのペットボトル12万本分にも達するとして、会見等でペットボトル入りの煤を撒いて見せた。このような訴えは、[[環境省]]始め国による環境規制の強化を促したとされる&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tdk.co.jp/techmag/knowledge/200610u/index.htm TDK テクの雑学 第56回「クリーン・ディーゼルエンジン」] (2006.10) &amp;lt;/ref&amp;gt;。しかし、国は[[自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法]]などで[[窒素酸化物]]の排出量がガソリン車の10倍であるディーゼル車からガソリン車への転換を図る政策をとっているが&amp;lt;ref&amp;gt;[[大塚直]]『環境法』&amp;lt;/ref&amp;gt;、それに乗じCO2排出量が少ないディーゼル車に対する過度の規制や、殊更にディーゼル車を悪者視するかのようなパフォーマンスは[[地球温暖化]]対策に逆行するという主張もある&amp;lt;ref&amp;gt;「ディーゼル車に復権の兆し 技術革新で『環境に優しく』」‐『産経新聞』2006年8月21日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
====== 不正軽油対策 ====== &lt;br /&gt;
:関連して、[[環境汚染]]の原因になるだけではなく[[脱税]]の温床となっている[[不正軽油]]の撲滅にも注力している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tax.metro.tokyo.jp/kazei/bkmt/sengen.htm 不正軽油撲滅東京宣言 - 東京都主税局]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tax.metro.tokyo.jp/kazei/oil/200009f.htm 東京都主税局＜軽油引取税＞＜不正軽油撲滅に向けた取組＞]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 渋滞緩和・物流網の構築 =====&lt;br /&gt;
;東京外かく環状道路整備凍結の解除および推進&lt;br /&gt;
{{see also|東京外かく環状道路|東京都市計画道路幹線街路外郭環状線の2}}&lt;br /&gt;
都知事就任後の[[1999年]](平成11年)、「地域環境の保全やまちづくりの観点から、自動車専用部の地下化案を基本として計画の具体化について取り組む」方針を表明し、[[美濃部亮吉]]都知事（当時）や[[日本国政府|国]]が[[1970年]](昭和45年)以降、反対運動側に付いて凍結していた、[[東京外かく環状道路]]整備を解禁し、効率的な物流ネットワークの構築や慢性化した[[渋滞]]の緩和等を提唱・推進する&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.ktr.mlit.go.jp/gaikan/gaiyo/keii.html 東京外かく環状国道事務所-これまでの経緯]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2003年]]には、当初の高架構造から[[大深度地下]]（[[地下]]40[[メートル|m]]）を通す計画に変更する「方針」を公表する。[[2007年]]3月15日、東京都の都市計画審議会にて、関越道・中央道・東名高速と接続する3[[ジャンクション (道路)|ジャンクション(JCT)]] と、[[目白通り]]、[[青梅街道]]、[[東八道路]]の3[[インターチェンジ]](IC)を設置する案が承認され、同年12月25日、[[国土交通省]]の第3回国土開発幹線自動車道建設会議にて基本計画が承認される。決定された計画では、関越自動車道の起点を練馬区から三鷹市に変更した上で、関越道から中央道までを関越自動車道として、中央道から東名までを中央自動車道として整備することとされた。石原はその後も折に触れ着工の前提となる整備計画を定めることを要望し、[[2009年]]4月27日の第4回国土開発幹線自動車道建設会議で整備計画が承認された。2011年[[12月12日]]に、国土交通省が同区間の着工方針を明らかにし、[[2013年]]9月8日に開催が決定した[[2020年]][[夏季オリンピック]]大会までの完成を目指している。[[シールドトンネル]]等の主要部分は国が直轄施工し、大泉JCT - 中央JCT間（約9.9km）は[[東日本高速道路|NEXCO東日本]]、中央JCT - 東名JCT間（約6.3km）は[[中日本高速道路|NEXCO中日本]]が舗装・設備工事等を施工し完工後は有料道路として運営する見通し&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|url=http://www.kensetsunews.com/article.php?article_id=A1201250103&amp;amp;date=2012-01-25&amp;amp;class=pickups|title=外環の施行区分/主要部は国主体/JCT周辺と舗装・設備高速道路会社に|date=2012-01-25|accessdate=2012-01-25|newspaper=建設通信新聞}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 羽田空港再拡張事業 =====&lt;br /&gt;
[[2010年]]（平成22年）10月に完成して供用が開始された[[東京国際空港]]の四本目の滑走路（D滑走路）は、世界が時間的・空間的に狭小なものとなってきた国際化の時代に、空からのアクセスが国力の維持に絶対に必要なこととの考えのもと、当時[[政調会長]]であった親友の[[亀井静香]]とともに、当時の[[運輸省]]と協議して、15分の交渉で調査費をつけさせ着手に持ちこんだものとされる&amp;lt;ref&amp;gt;『産経新聞』2009年3月2日朝刊 1面&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://megalodon.jp/2009-0309-0050-24/sankei.jp.msn.com/politics/policy/090302/plc0903020238001-n1.htm 【日本よ】石原慎太郎 果断な措置なくして再生はない - MSN産経ニュース] 2009.03.02&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 臨海副都心開発 =====&lt;br /&gt;
{{see also|東京臨海副都心}}&lt;br /&gt;
[[お台場]]の[[臨海副都心]]開発計画は[[鈴木俊一 (東京都知事)|鈴木都政]]下で開始された。石原は事業推進の立場に立っている。当選直後の1998年度（平成10年度）には[[第三セクター]]3社に対して270億円の財政支援をおこなう計画を追認、さらに都によるビルの借り上げ支援や土地代の減免などさまざまな支援策を継続した。その後も投資は継続され、「首都東京の活力と創造力を生み出す新しい重要な事業」として投資や土地の提供など就任後の7年間で2兆5000億円（2006年（平成18年度）まで）を費やした{{要出典|date=2014年5月|}}。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 都立霊園再開発 =====&lt;br /&gt;
[[谷中霊園]]や[[青山霊園]]など、使用料の払われていない[[無縁仏|無縁墓地]]を整理・除去し、空いたスペースを2003年（平成15年）より新たな貸付スペースとしている。無縁墓地の改葬には[[外人墓地]]は含まれないことになり、[[日本人墓地]]だけが対象となっている{{要出典|date=2014年5月|}}&lt;br /&gt;
。&lt;br /&gt;
===== 米軍基地返還 =====&lt;br /&gt;
{{see also|横田飛行場|青山公園}}&lt;br /&gt;
米軍[[横田基地]]の返還・軍民共同利用を公約とし、また麻布ヘリコプター基地（赤坂プレスセンター、ハーディバラックス）が不法占拠している都立[[青山公園]]の該当部分返還を要求している。[[2005年]]に[[横田飛行場#横田空域|横田空域]]の一部返還で日米両政府が合意の見通しとなり、[[2006年]]10月27日に日米両政府は[[横田飛行場#横田空域|横田空域]]の一部返還合意し石原の[[横田飛行場|横田基地]]返還要請は[[航空交通管制]]権の一部返還という形で部分的に実現する&amp;lt;ref name=&amp;quot;yokota0&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 防災対策・危機管理 ====&lt;br /&gt;
===== 東京都総合防災訓練（ビッグレスキュー） =====&lt;br /&gt;
{{Main|ビッグレスキュー}}&lt;br /&gt;
都道府県が主催し、[[警察]]・[[消防]]・[[自衛隊]]・防災関係機関などが参加する大規模災害を想定した総合防災訓練である[[ビッグレスキュー]]が、石原の提唱により2000年9月3日に首都東京で初めて行われた。1995年1月の阪神淡路大震災、3月の地下鉄サリン事件発生を受け、近年中に発災が危惧される首都圏直下型地震とそれに付随する不測事態の対処能力を検証するためという大義名分で実施され、初の[[自衛隊]]参画による首都開催のビッグレスキューは首都に[[自衛隊]]と共に航空機や艦船といった防衛装備の軍機も集まり稼動される大規模な訓練となった。都内の主要官公庁のほかNTTや東京電力、帝都高速度交通営団（現[[東京メトロ]]）・都営地下鉄なども参加した。[[1999年]]から石原の要請により東京都災害対策担当参与に就任していた&amp;lt;ref name=&amp;quot;bousaisanyo&amp;quot;&amp;gt;{{Cite news | url =http://archive.today/6lwel　| title = 都参与に志方氏再任 | newspaper = [[産経新聞]] | date = 2013-05-24 | accessdate = 2013-08-24 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;元陸上自衛官の[[志方俊之]]も訓練に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
訓練は約2万5000人が参加して、葛西・晴海・銀座など都内の計10会場で行われた。2001年9月1日には、七都県市合同防災訓練の一環として、東京都総合防災訓練「ビッグレスキュー東京2001」が東京都の多摩地域を中心に実施された。訓練は約1万5000人が参加して、調布基地跡地・立川広域防災基地・JR八王子駅など計7会場で行われ、防災訓練で初めて在日米軍基地（横田基地と赤坂プレスセンター）が使用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 首都圏FEMA(緊急事態管理庁) =====&lt;br /&gt;
[[2001年]][[9月11日]]に[[アメリカ合衆国|米国]]で発生した[[アメリカ同時多発テロ事件]]発生下の緊急事態における、[[アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁|FEMA(連邦緊急事態管理庁)]]の機能に感心した石原は、8都県市と協定を結び「首都圏FEMA」を組織した&amp;lt;ref name=&amp;quot;首都圏FEMA&amp;quot;/&amp;gt;。政府にも日本版[[アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁|FEMA]]の創設を提言した&amp;lt;ref name=&amp;quot;首都圏FEMA&amp;quot;/&amp;gt;。「首都圏FEMA」により、東京直下型地震発生などの緊急時に都知事の要請で8都県市に控える警察官・消防・自衛官が一体となって対応する体制になった&amp;lt;ref name=&amp;quot;首都圏FEMA&amp;quot;&amp;gt;[http://archive.today/75Tvg　石原都知事・手嶋氏・佐々氏が語る9.11以降の世界　シンポジウム　21世紀におけるグローバルな安全保障「テロリズムと危機管理 ～ 9.11以降の世界」より] 2006年10月2日&amp;lt;/ref&amp;gt;。「首都圏FEMA」構想の骨子は[[佐々淳行]]が立案した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
合わせて、2003年に、大規模災害発生時など緊急事態の際に陣頭指揮を執る危機管理監ポストを新設し&amp;lt;ref name=&amp;quot;東京都危機管理監&amp;quot;&amp;gt;[http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012073101002261.html　危機管理監に陸自前師団長　東京都、外部から初起用] [[共同通信]]　2012月7月31日&amp;lt;/ref&amp;gt;、2012年には、[[第10師団 (陸上自衛隊)#司令部|陸上自衛隊第10師団長]]を務め、[[東日本大震災]]発生時に陣頭指揮を執り、部内から定評があった&amp;lt;ref&amp;gt;陸上自衛隊「10師団だより　第11号」2011年&amp;lt;/ref&amp;gt;[[宮崎泰樹]]を危機管理監に起用した&amp;lt;ref name=&amp;quot;東京都危機管理監&amp;quot;/&amp;gt;　&amp;lt;ref name=&amp;quot;東京都危機管理監・宮嵜泰&amp;quot;&amp;gt;[http://risktaisaku.com/sys/magazine/?p=1412　巻頭インタビュー 宮嵜泰樹氏　1分1秒を無駄にしない首都直下地震における都の役割　東京都危機管理監　宮嵜泰樹氏]　リスク対策.com　2013年5月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 治安対策 ====&lt;br /&gt;
===== 不法移民対策・歌舞伎町浄化作戦 =====&lt;br /&gt;
2003年(平成15年10月17日)に『首都東京における[[不法滞在]]外国人対策の強化に関する共同宣言』を発表し[[不法滞在]]外国人(不法移民)を5年で半減するとした。目標達成と不法移民撲滅のため、「外国人滞在適正化連絡会議」の設置による違法活動の取り締まり及び啓発活動や警察官僚出身の[[竹花豊]]の[[副知事]]起用や警察官の増員を図って、「歌舞伎町浄化作戦」と言われた歌舞伎町治安対策などの治安対策を強化・実施した。東京都治安対策本部の発表によると共同宣言発表から5年間で全国の[[不法滞在]]者はおおむね半減したという&amp;lt;ref&amp;gt;東京都青少年・治安対策本部 [http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/chian/gaikokujin/fuhoutaizai.html 不法滞在外国人対策]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.metro.tokyo.jp/INET/KONDAN/2009/12/40jca100.htm 「外国人滞在適正化連絡会議」の設置及び第1回会議の開催について]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
[[移民]]については[[2002年]]に、「[[アジア]]の人々を秩序ある移民政策のもとで正式に受け入れるべきである」という姿勢を示していた&amp;lt;ref name=&amp;quot;nw020619&amp;quot;&amp;gt;『[[ニューズウィーク]]』日本版 [[2002年]][[6月19日]] 第17巻23号 通巻812号 P.27&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== スポーツ振興 ====&lt;br /&gt;
===== 東京マラソン =====&lt;br /&gt;
{{main|東京マラソン}}&lt;br /&gt;
2003年、石原は「経済波及効果、スポーツや観光の振興につながる」と述べ、銀座などの目抜き通りを走る構想を発表&amp;lt;ref name=&amp;quot;2007tokyo&amp;quot;&amp;gt;2007年2月10日 東京新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。石原の提唱により、東京都と日本陸上競技連盟で大都市マラソンを開催することを目指して協議を開始し、2005年両者は「東京マラソンに関する基本合意」を締結。&lt;br /&gt;
制限時間について7時間を想定した事務局サイドに対し公道を警備する警視庁は5時間を求めた&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahiglobr2010&amp;quot;&amp;gt;{{Cite web|url=http://globe.asahi.com/feature/101122/04_1.html|title=走る 42.195kmの劇場 - 走り出した市民ランナー|work=朝日新聞GLOBE|publisher=[[朝日新聞社]]|date=2010-11-22|accessdate=2011-11-23}}&amp;lt;/ref&amp;gt;が、&amp;lt;!--石原が[[ニューヨークシティマラソン]]のランナーから東京マラソンでは7時間にするよう要望された&amp;lt;ref name=&amp;quot;endo2008&amp;quot;&amp;gt;{{Cite book ja-jp|author=遠藤雅彦|year=2008|title=警視庁を説き伏せろ、7時間道路閉鎖を譲るな～『東京マラソン』|publisher=ベースボール・マガジン新書}}&amp;lt;/ref&amp;gt;ことが念頭にあり、組織委員会の実務責任者だった遠藤雅彦は「7時間を一歩も譲るな」と担当者に指示&amp;lt;ref name=&amp;quot;endo2008&amp;quot;/&amp;gt;、折衝は難航を極めるが、（リンク先と重複のため略）--&amp;gt;最終的には石原の後押しもあって&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahiglobr2010&amp;quot;/&amp;gt;事務局サイドの主張が通る形となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年の第1回大会には抽選で選ばれた約3万人が参加した&amp;lt;ref name=&amp;quot;2007tokyomarason&amp;quot;&amp;gt;[http://www.ntv.co.jp/don/don_02/contents_02/2010/02/20071.html 2007年第1回東京マラソンが開催された日]日本テレビ 2010年2月18日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tokyo42195.org/2012/past2007 過去の大会]東京マラソン公式サイト&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
大会会長を務める石原&amp;lt;ref&amp;gt;2011年2月24日 東京新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;は、2008年2月15日の会見において当初よりも参加枠を広げていることを示し、「将来的に5万人」にして世界の市民マラソンに匹敵する大会にしたいという目標を述べた&amp;lt;ref&amp;gt;2008年2月15日 石原知事定例記者会見録&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、2009年3月19日の定例会見では「多額の参加費を支払う人の別参加枠を 1,000人ほど設けて、参加費を超える部分をチャリティに使いたい」と目標を述べ、2010年10月15日の定例会見においてチャリティー枠を1,000人募集すると発表。2011年大会では参加費10万円のチャリティー枠に応募した707名から約7,300万円の寄付金が集まり、寄付金は[[東日本大震災]]の復興支援などに充てられた。応募者が参加枠の1000名を超えると期待していた石原は707名という応募者数について、他国の事例からすると募集をアナウンスしてから締め切るまでの時間が短すぎたことが誤算であったとし、それでも7000万の寄付金が集まったことは良い事例ができたものであり、翌年からはもっと多くの応募があることを期待していると声明を出した&amp;lt;ref&amp;gt;平成23年1月20日 知事定例記者会見 [http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2011/110114.htm 平成23年1月20日 石原知事定例記者会見録]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]日本語版の山口肇記者は、石原の肝いりで始まった東京マラソンは市民ランナーの増加に大きく貢献してきたとし、2011年大会において石原が都知事最後となる可能性があったことから、石原が都知事を辞めた場合、2012年以降の大会運営が気になるとして、後任知事の「事業仕分け」の対象になることを危惧するという一市民ランナーとしての見解を伝えた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://jp.wsj.com/japanrealtime/2011/02/28/東京マラソン、石原都知事最後の号砲か/ 東京マラソン、石原都知事最後の号砲か]2011年2月28日 [[ウォール・ストリート・ジャーナル]]日本語版&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 東京オリンピック構想 =====&lt;br /&gt;
{{see also|2016年東京オリンピック構想|2020年東京オリンピック構想}}&lt;br /&gt;
[[リオデジャネイロオリンピック|2016年夏季オリンピック]]・[[2020年夏季オリンピック]]の[[東京都]]での開催を目指し、招致活動を進めた。[[2006年]]（平成18年）8月30日には国内候補地選定委員会において[[福岡市]]を破った。招致経費は55億円とされている。東京都は開催に向けて2006年度すでにオリンピック基金1000億円を積み立てており、その後3年間でさらに3000億円積み立てると表明した。「五輪が決まれば国が動かざるをえない。東京の欠点は交通渋滞。五輪を引き金に東京の暮らしがよくなる」とオリンピック招致の理由の一つとして道路渋滞の解消を挙げた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://web.archive.org/web/20070331062430/http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070316-170249.html 8年ぶり公開討論会、五輪で石原氏袋叩き]日刊スポーツ2007年3月16日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
開催都市が決定する[[2009年]]（平成21年）[[10月2日]]に各国の候補都市から東京が選ばれない場合については、「責任を取らなきゃいかんでしょうね」と発言している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://web.archive.org/web/20071016140729/http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070316-OHT1T00016.htm 石原都知事、五輪招致失敗なら&amp;quot;辞任&amp;quot;も][[スポーツ報知]] 2007年3月16日&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2008年]]（平成20年）6月には[[皇太子徳仁親王]]に招致活動への支援を求めるつもりである旨発言。[[宮内庁東宮職]]から「招致活動の段階からというのは…」と難色を示された事について「政府が正式に申し込んだら別な話だと思うね。[[宮内庁]]ごときが決めることじゃない。国家の問題なんだから。木っ端役人が、こんな大事な問題、宮内庁の見解で決めるもんじゃない」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;「皇太子さまの五輪招致、宮内庁『難しい』石原知事反発」アサヒコム2008年7月4日&amp;lt;/ref&amp;gt;。この発言は都議会民主党に7月、「1964年[[東京オリンピック (1964年)|東京]]、1972年[[札幌オリンピック|札幌]]、1998年[[長野オリンピック|長野]]、いずれの招致にも皇族は関与していない。&amp;quot;一種の国家の総力戦”なる発言は国際親善を旨とする皇族の活動とは相容れない、&amp;quot;皇太子が日本のために一席弁じてもらうことに反対する人は誰もいない&amp;quot;なる発言は是非の議論を封じる危険な側面さえ持つ」と批判されている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.togikai-minsyuto.jp/news/post_125.html オリンピック招致に皇室の関与を求める石原知事に申し入れ]都議会民主党&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、[[瑞穂町]]議会で招致賛同決議案が否決されたことに対して「頭がどうかしているんじゃないのか、あとでほえ面かくな」と発言した&amp;lt;ref&amp;gt;『毎日新聞』2006年6月24日付朝刊&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、2016年夏季オリンピックは、2009年（平成21年）10月のIOC総会で[[リオデジャネイロオリンピック|リオデジャネイロ]]にて開催される事が決定した。この結果に対して6日、「ブラジルの大統領が、聞くところ、アフリカの人にかなり思い切った約束をしたというようです。[[ニコラ・サルコジ|サルコジ]]大統領もフランスの戦闘機を買ってくれるなら、ブラジルを支持するとか」と裏工作の存在を臭わせる発言を行ない&amp;lt;ref&amp;gt;[http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/world/news/20091006-OYT1T00549.htm リオのクレーム、矛先は裏取引におわした石原会見] 読売新聞 2009年10月6日&amp;lt;/ref&amp;gt;、ブラジルの国内委員会から&amp;quot;聞き捨てならない。ルール違反でありIOCに通知する&amp;quot;とクレームを表明された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/world/news/20091006-OYT1T00342.htm 「リオ、五輪で石原知事発言にクレーム…中身は不明」] 読売新聞 2009年10月6日&amp;lt;/ref&amp;gt;が、石原は「本当の事を言ったまでのことだけ」と反論している&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news | url = http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100901000640.html | title = 石原知事「本当のこと言った」 リオ反発にも修正せず | newspaper = 47NEWS | date = 2009年10月9日 | accessdate = 2009年12月3日 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。石原は[[2009年]]（平成21年）[[11月9日]]、[[2020年夏季オリンピック]]にも東京都を再度立候補させる意向を表明し&amp;lt;ref name=&amp;quot;tokyogorin2020&amp;quot;&amp;gt;{{cite news | url = http://sankei.jp.msn.com/politics/local/091109/lcl0911091442000-n1.htm| title = 2020年夏季五輪「私の責任で立候補する」石原都知事、招致に意欲| newspaper = [[産経新聞]]| publisher = [[産業経済新聞社]]| date = 2009年11月9日| accessdate = 2009年11月10日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、後任の[[猪瀬直樹#2020年オリンピック招致活動における不適切発言|猪瀬直樹]]が引き継いだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 中小零細企業向け資金繰り対策 ====&lt;br /&gt;
===== 新銀行東京 =====&lt;br /&gt;
{{Main|新銀行東京}}&lt;br /&gt;
[[2003年]]（平成15年）、東京都が石原の発案で「東京発金融改革」と銘打ち、「資金調達に悩む中小企業を救済すること」を理念として設立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]]（平成20年）3月までに1016億円の累積赤字となっており、既に東京都の出資分1000億円を超過している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://web.archive.org/web/20080311010842/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080307k0000e010079000c.html 新銀行東京：累積赤字1016億円]毎日.jp2008年3月7日 &amp;lt;/ref&amp;gt;。さらに、[[2005年]]（平成17年）4月から2008年（平成20年）1月までに出資した2300社が経営破綻し、285億円が不良債権化している。石原は同銀行の再建について「経営者に責任がある」「不退転の決意で必ず再建する」として、400億円の東京都による追加出資を行う方針を示したが、『[[産経新聞]]』や『[[読売新聞]]』も社説で銀行廃止を求めたほか、与党[[自由民主党 (日本)|自民党]]も含め都議会の一部も増資に反対した。石原は2008年（平成20年）1月11日の都議会で「トップダウンで銀行設立を決めた知事の責任が大きい」との追及に対し、「私が社長ならもっと大きな銀行にしていた」「都民から預かった大事な税金を失いきる前に、私には銀行を再建する責任がある」と反論し、責任を否定すると共に存続を主張した。世論調査では都民の7割以上が反対していたが、結局都議会は400億円の税金投入による銀行再建を自民、公明両党の賛成多数により可決した。追加出資の400億円は都民1人当たり約3100円に相当し、すでに都が出資した 855億円を合わせて都民の負担は約11000円に達する。この問題ではNPO法人情報公開クリアリングハウスが[[2009年]]（平成21年）6月、出資金の計1255億円は回収が見込めない、石原と旧経営陣への賠償請求を都に求める住民訴訟を起こしている。石原は、新銀行東京が[[2009年]]（平成21年）5月に発表した2009年（平成21年）3月期決算において、同行の赤字が再建計画より少ない金額に留まったことについて「いい成り行きを見せており、とても嬉しい。早く単黒（単年度黒字）を出すようになってもらいたい」と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090706/lcl0907060216002-n1.htm 新銀行東京、開業以来初の黒字計上へ] [[産経新聞]]2009年7月6日&amp;lt;/ref&amp;gt;。2010年度も2009年度に引き続き黒字を確保している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://diamond.jp/articles/-/14600 【新銀行東京】本業で開業以来初の黒字計上も いまだ道半ばの“中小企業金融”]  [[ダイヤモンド社]]2011年10月27日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 教育政策 ====&lt;br /&gt;
===== 都独自の「江戸から東京へ」科・日本史必修化 =====&lt;br /&gt;
国の基準では高校の必修科目になっていない日本史を全ての都立高校で必修とする方針と都独自の日本史科目「江戸から東京へ」科を都立高校で実施方針が2010年に決定し2012年に開始した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.news24.jp/player/wm/300k.html?m_url=20101216_0053 都立高で「江戸から東京へ」科実施へ | 日テレNEWS24]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/gaiyo/24jimujigyo/05-12.pdf 東京都教育ビジョン（第2次）に示された12の「取組の方向」]&amp;lt;/ref&amp;gt;。2012年に都が新たに開設した「江戸から東京へ」科の教材には、日本が対米戦争に踏み切った理由について「主に自衛のためだった」とする[[ダグラス・マッカーサー#マッカーサーのアメリカ議会証言録|マッカーサーのアメリカ議会証言]]が掲載されている。同証言が公教育の教材で取り上げられるのは戦後初めてである&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/life/news/120330/edc12033008120003-n1.htm 「日本は自衛戦争」マッカーサー証言　都立高教材に掲載　贖罪史観に一石] 産経新聞 2012.3.30 08:11]&amp;lt;/ref&amp;gt;。「江戸から東京へ」科のテキスト（教科書）は東京都教育委員会のホームページで公開されている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/shidou/nihonshi.htm 「江戸から東京へ」テキスト（教科書）について]&amp;lt;/ref&amp;gt;。都立高校の歴史教材を変えるための活動には自民党から圧力がかかったという&amp;lt;ref&amp;gt;[http://wpb.shueisha.co.jp/2012/09/13/14010/週プレNEWS『民主が中国寄り、自民が韓国・北朝鮮寄りな理由とは？』]2012年当時、東京都議会議員で尖閣諸島を守る為に行動する議員連盟の会長でもあった 野田数は、都立高校の自虐的で反日的な内容の歴史教材を変えるための活動に自民党から圧力がかかったと証言している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 都立高校改革 =====&lt;br /&gt;
[[都立高等学校]]は、[[1967年]]（昭和42年）の[[学校群制度]]導入以来、[[東京大学]]を初めとする難関大学への進学実績が大きく落ち込んでおり、1999年に都知事に就任した石原は、学区制を廃止して競争原理を導入し、生徒に選ばれる特色ある学校づくりが必要だという強い思いを持っていた。東京大学の鈴木啓和は、石原の就任後に実現していった「学区制の廃止」や「[[進学指導重点校]]」の制度、そして「[[エンカレッジスクール]]」は、石原の影響により実現していったものとしている&amp;lt;ref&amp;gt;東京大学 鈴木啓和「[http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/36855/1/eac027010.pdf 都立高校における進学指導重点校に関する一考察]」&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2000年]]2月には[[都立九段高校]]で特別授業の講師担当。[[2001年]]（平成13年 、[[横山洋吉]]教育長（のち[[東京都副知事]]）は「[[進学指導重点校]]」を指定した。第一号に[[東京都立日比谷高等学校|日比谷]]・[[東京都立西高等学校|西]]・[[東京都立戸山高等学校|戸山]]・[[東京都立八王子東高等学校|八王子東]]が指定される。これによって「小尾通達」以来、都立学校としてはおよそ35年ぶりに公式に進学指導を打ち出す。&lt;br /&gt;
「'''都立復権'''」をスローガンに各校が特色を出す方針を打ち出し、進学指導も都民の多様なニーズに応える一つの施策として位置づけられる。[[2003年]]（平成15年）には第二号として[[東京都立国立高等学校|国立]]・[[東京都立立川高等学校|立川]]・[[東京都立青山高等学校|青山]]を追加した。2003年（平成15年）には[[学区]]制度を完全撤廃、[[2005年]]（平成17年）には都立学校では初となる附属中学を開校し[[中高一貫教育]]に乗り出した。中高一貫となる都立学校は、[[2010年]]（平成22年）には10校まで増える予定である（[[東京都立桜修館中等教育学校|桜修館]]・[[東京都立小石川高等学校|小石川]]・[[東京都立白鴎高等学校・附属中学校|白鴎]]・[[東京都立両国高等学校・附属中学校|両国]]・[[東京都立富士高等学校|富士]]・[[東京都立大泉高等学校|大泉]]・[[東京都立南多摩高等学校|南多摩]]・[[東京都立北多摩高等学校|北多摩]]・[[東京都立武蔵高等学校|武蔵]]・[[東京都立三鷹高等学校|三鷹]]）。2007年には「[[進学指導特別推進校]]」に[[東京都立新宿高等学校|新宿]]・[[東京都立駒場高等学校|駒場]]・[[東京都立小山台高等学校|小山台]]・[[東京都立国分寺高等学校|国分寺]]・[[東京都立町田高等学校|町田]]の5校が指定された。いわゆる中堅校に対しては「中堅校活性化推進事業」を展開し、学区撤廃に伴って各校が特色を出すことを推進。また、需要の少なくなった[[底辺校]][[高等学校#定時制の課程|定時制]]や職業科の廃統合を「下から順番につぶす。」「高校の事業整理。」として積極的に行った。自身は[[学歴]]観について「オール5を取っても使い物にならない役人にしかなれない。」「自分は東大に50人近く合格者を出した高校で東大へ行けなかったんだから落ちこぼれだった。」「何かひとつ秀でたものがあればいいんだ。」等と著書や講演や息子である良純の書いた著書の中での慎太郎の発言として述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 首都大学東京 =====&lt;br /&gt;
{{Main2|設立前後の経緯と大学の詳細については[[首都大学東京]]を}}&lt;br /&gt;
「全く新しい大学をつくる」と公約。[[東京都立大学]]の改編により[[2005年]]（平成17年）に設立された大学である。&lt;br /&gt;
一般の名称公募では「東京都立大学」が最多だったが、石原の意向で名称が「首都大学東京」となった&amp;lt;ref&amp;gt;なお、大阪府立大学など3つの大学を統合して設立した大学の名称は「大阪府立大学」である。&amp;lt;/ref&amp;gt;。都立大[[法科大学院]]の入試が延期され、[[近代経済学]]グループ16名中15名が大学を去り[[経済学]]コースが設置できなくなり、採択された[[21世紀COEプログラム]]「金融市場のミクロ構造と制度設計」の補助金を返上した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2004/10/20ead200.htm 東京都立大学21世紀COEプログラム「金融市場のミクロ構造と制度設計」について]（H16.10 東京都立大学）&amp;lt;/ref&amp;gt;。石原は経済学部のCOE返上問題について「一部のバカ野郎が反対して（COEの）金が出なくなったが、あんなものどうでもいい」と発言している&amp;lt;ref&amp;gt;『毎日新聞』2004年10月20日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 外形標準課税 ====&lt;br /&gt;
一定規模以上（資金量の残高が5兆円以上）の大手[[銀行]]を対象に、5年間の時限措置として[[事業税#課税標準の例外：事業の情況に応じた外形標準課税|外形標準課税]]を導入した（いわゆる銀行税）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
銀行側は「狙い撃ち」と反発し訴訟に発展、[[東京高等裁判所|東京高裁]]・[[森脇勝]]裁判長は銀行への課税自体は合法と認めた上で、税率負担の水準が不公平で高すぎるとして違法と判断、都側は事実上敗訴した。平成12年度から15年度までの銀行税収入は3173億円にのぼったが、銀行側と税率引き下げを条件に[[和解]]し年率4.1 - 4.5%という高率で発生した還付加算金123億円を含め2344億円を銀行側に返還した。敗訴の結果、銀行税は導入時の3%から、過去10年間の銀行の納税額の平均である0.9%へと引き下げられ、都の税収は同税導入以前の水準とほぼ同じ829 億円に留った。「税収を増やす」という本来の目的としては失敗したものの、自治体の独自課税の動きに大きな影響を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 福祉 ====&lt;br /&gt;
;福祉予算推移&lt;br /&gt;
知事就任前年の1998年から在任最終年の2012年までの歳出分野別の歳出額は以下の通り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{|class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;text-align:right;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|+'''1998～2012年の一般会計歳出総額と福祉歳出と教育歳出'''&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!rowspan=&amp;quot;2&amp;quot;|年度!!colspan=&amp;quot;3&amp;quot;|歳出予算!!colspan=&amp;quot;3&amp;quot;|歳出決算&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;text-align:center;&amp;quot;&lt;br /&gt;
!総額!!福祉!!教育!!総額!!福祉!!教育&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1998(平成10)||68,002||5,600&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget1998&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1998/TOBB510X.PDF 東京都&amp;gt;統計&amp;gt;平成10年&amp;gt;財政1998(平成10)年度予算と決算]&amp;lt;/ref&amp;gt;||8,527||64,935||5,305&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget1998&amp;quot;/&amp;gt;||8,338&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|1999(平成11)||67,071||5,638&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget1999&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/1999/TOBB510Y.PDF 東京都&amp;gt;統計&amp;gt;平成11年&amp;gt;財政1999(平成11)年度予算と決算]&amp;lt;/ref&amp;gt;||8,362||64,207||5,388&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget1999&amp;quot;/&amp;gt;||8,228&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2000(平成12)||66,426||5,557&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2000&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2000/00qyti0520f.htm 東京都&amp;gt;統計&amp;gt;平成12年&amp;gt;財政&amp;gt;2000(平成12)年度予算と決算&amp;gt;一般会計款別予算決算額]&amp;lt;/ref&amp;gt;||7,982||63,502||5,207&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2000&amp;quot;/&amp;gt;||7,873&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2001(平成13)||64,584||5,747&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2001&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2001/01qyti0520f.htm 東京都&amp;gt;統計&amp;gt;平成13年&amp;gt;財政&amp;gt;2001(平成13)年度予算と決算&amp;gt;一般会計款別予算決算額]&amp;lt;/ref&amp;gt;||8,026||62,016||5,493&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2001&amp;quot;/&amp;gt;||7,903&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2002(平成14)||60,996||5,593&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2002&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2002/tn02qyti0520f.htm 東京都&amp;gt;統計&amp;gt;平成14年&amp;gt;財政&amp;gt;2002(平成14)年度予算と決算&amp;gt;一般会計款別予算決算額]&amp;lt;/ref&amp;gt;||7,928||58,115||4,987&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2002&amp;quot;/&amp;gt;||7,808&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2003(平成15)||62,145||5,253&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2003&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2003/tn03qyti0520f.htm 東京都&amp;gt;統計&amp;gt;平成15年&amp;gt;財政&amp;gt;2003(平成15)年度予算と決算&amp;gt;一般会計款別予算決算額]&amp;lt;/ref&amp;gt;||7,832||59,719||4,754&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2003&amp;quot;/&amp;gt;||7,705&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2004(平成16)||62,033||5,086&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2004&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2004/tn04qyti0520f.htm 東京都&amp;gt;統計&amp;gt;平成16年&amp;gt;財政&amp;gt;2004(平成16)年度予算と決算&amp;gt;一般会計款別予算決算額]&amp;lt;/ref&amp;gt;||7,787||60,033||4,745&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2004&amp;quot;/&amp;gt;||7,674&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2005(平成17)||62,841||6,923&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2005&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2005/tn05qyti0520f.htm 東京都&amp;gt;統計&amp;gt;平成17年&amp;gt;財政&amp;gt;2005(平成17)年度予算と決算&amp;gt;一般会計款別予算決算額]&amp;lt;/ref&amp;gt;||7,762||60,498||6,374&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2005&amp;quot;/&amp;gt;||7,543&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2006(平成18)||66,734||7,377&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2006&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2006/tn06qyti0520f.htm 東京都&amp;gt;統計&amp;gt;平成18年&amp;gt;財政&amp;gt;2006(平成18)年度予算と決算&amp;gt;一般会計款別予算決算額]&amp;lt;/ref&amp;gt;||7,796||63,756||6.809&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2006&amp;quot;/&amp;gt;||7,575&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2007(平成19)||70,375||8,731&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2007&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2007/tn07qyti0520f.htm 東京都&amp;gt;統計&amp;gt;平成19年&amp;gt;財政&amp;gt;2007(平成19)年度予算と決算&amp;gt;一般会計款別予算決算額]&amp;lt;/ref&amp;gt;||7,940||67,195||8,068&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2007&amp;quot;/&amp;gt;||7,638&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2008(平成20)||70,071||8,657&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2008&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2008/tn08qyti0520f.htm 東京都&amp;gt;統計&amp;gt;平成20年&amp;gt;財政&amp;gt;2008(平成20)年度予算と決算&amp;gt;一般会計款別予算決算額]&amp;lt;/ref&amp;gt;||7,697||67,501||8,064&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2008&amp;quot;/&amp;gt;||7,457&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2009(平成21)||66,874||9,093&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2009&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2009/tn09q3i021.htm 東京都&amp;gt;統計&amp;gt;平成21年&amp;gt;財政&amp;gt;2009(平成21)年度予算と決算&amp;gt;一般会計款別予算決算額]&amp;lt;/ref&amp;gt;||7,522||63,956||8,575&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2009&amp;quot;/&amp;gt;||7,305&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2010(平成22)||62,544||8,805&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2010&amp;quot;&amp;gt;[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tnenkan/2010/tn10q3i021.htm 東京都&amp;gt;統計&amp;gt;平成22年&amp;gt;財政&amp;gt;2010(平成22)年度予算と決算&amp;gt;一般会計款別予算決算額]&amp;lt;/ref&amp;gt;||7,412||58,699||8,441&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2010&amp;quot;/&amp;gt;||7,263&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2011(平成23)||62,360||9,086&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2012&amp;quot;/&amp;gt;||7,631||-||-||-&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|2012(平成24)||61,490||9,472&amp;lt;ref name=&amp;quot;budget2012&amp;quot;&amp;gt;[http://www.metro.tokyo.jp/INET/KEIKAKU/2012/02/70m2f135.htm 東京都&amp;gt;計画・財政・税&amp;gt;予算・決算&amp;gt;24年度予算案の概要&amp;gt;計数表&amp;gt;一般会計歳出予算款別内訳]&amp;lt;/ref&amp;gt;||7,497||-||-||-&lt;br /&gt;
|-style=&amp;quot;text-align:left;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|colspan=&amp;quot;7&amp;quot;|&lt;br /&gt;
歳出額の単位は億円(億円未満は四捨五入で表記)&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
知事在任最終年の東京都の平成24年度（2012年度）一般会計 歳出予算で占める割合が最も多いのは福祉保健費で、一般会計歳出全体の15.4％を占めている。次に多いのが教育費の12.2％ 警察費が10.2％　土木費が7.7％である&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.metro.tokyo.jp/INET/KEIKAKU/2012/02/70m2f135.htm 一般会計　歳出予算　款別内訳 東 京 都 の平成24年度（2012年度）の一般会計　歳出予算　款別内訳]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 児童福祉 ===== &lt;br /&gt;
児童の医療費無料範囲拡大、児童扶養手当受給者に対する都営交通無料乗車券の交付。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====== 認証保育所制度の創設 ====== &lt;br /&gt;
国の認可保育所に申し込み、用件を満たしているものの、保育所の不足により、入所待ちを余儀なくされている[[待機児童]]が増加しており、都内にはその受け皿となる無認可保育所が存在していた。しかし無認可のため、有資格者が不足していたり、環境が劣悪なところもあった。そこで石原は国の認可保育所に頼るのではなく、都独自の基準を設けて、都市型保育のニーズに応える[[認可外保育施設|認証保育所]]を創設。[[2001年]]（平成13年）[[8月1日]]に都内の三カ所でオープンし、[[2011年]]（平成23年）の時点で615ヶ所の認証保育所が設置されるに至っている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kodomo/hoiku/n.hoikusyo/ichiran/index.html 東京都福祉保険局]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 東京都シルバーパス ===== &lt;br /&gt;
[[東京都シルバーパス]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tokyobus.or.jp/silver/silverpass_02.html 東京都シルバーパスのご案内]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[https://www.youtube.com/watch?v=6xLg5JCoKMc 年間千円で都バス、都営地下鉄乗り放題のシルバーパス更新]&amp;lt;/ref&amp;gt;制度は、2000年（平成12年）の東京都シルバーパス条例（東京都条例第133号）によるものである。前身は東京都シルバーパス交付条例（昭和55年東京都条例第23号）。この福祉乗車証は東京都内在住で、満70歳以上であればパスの交付を受けることができる。ただし、寝たきりで公共交通機関が利用できない場合は購入できない。パスの有効期間は毎年10月1日から翌年9月30日までである。パス交付の費用は20,510円（一年間有効）であるが、有効期限が半年以内であれば10,255円となる。ただし、市町村民税（特別区民税含む）非課税者の場合は、期間によらず一律1,000円である。&lt;br /&gt;
この乗車証を利用することによって、以下に記載された路線バス・都営交通を自由に乗り降りでき、交通弱者とされる高齢者の利便を図るものとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;都営・福祉施設&lt;br /&gt;
:都営住宅や高齢者施設については日本共産党や労働組合系などの一部から批判的な論調があるが、都営住宅については、東日本大震災の際に被災者に開放された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/index.html 東京都都市整備局のHP]&amp;lt;/ref&amp;gt;。東京都都市整備局のHPには都営住宅の新規着工の案内がある。高齢者施設については、少子高齢時代にふさわしい新たな「すまい」実現プロジェクトチーム&amp;lt;ref name=&amp;quot;sumai&amp;quot;&amp;gt;[http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/sumaipt/ 少子高齢時代にふさわしい新たな「すまい」実現プロジェクトチーム]&amp;lt;/ref&amp;gt;が2009年6月に発足し、「高齢者の居住安定確保プラン－基本的方針と実現のための施策－」が2010年9月に策定されている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/katsuji/ 「高齢者の居住安定確保プラン」の改定について]&amp;lt;/ref&amp;gt;。都立児童養護施設は施設の老朽化と区市町村や民間の社会福祉法人等の民間施設の促進と増加・民間施設への財政支援方針転換に伴い、都外に設置されていた3か所の都立児童養護施設を民間に譲渡し撤退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;副知事提案のプロジェクトチーム&lt;br /&gt;
:プロジェクトチームは、石原の発案のみならず副知事だった[[猪瀬直樹]]提案のプロジェクトチームも複数存在する。{{See|猪瀬直樹#東京都政への参画}}&lt;br /&gt;
*周産期医療体制整備プロジェクトチーム&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/iryo/kyuukyuu/syusankiiryo/syuusanki/ 周産期医療体制整備プロジェクトチーム]&amp;lt;/ref&amp;gt;(2008年11月発足)&lt;br /&gt;
*少子高齢時代にふさわしい新たな「すまい」実現プロジェクトチーム&amp;lt;ref name=&amp;quot;sumai&amp;quot;/&amp;gt;(2009年6月発足)&lt;br /&gt;
*都営地下鉄・東京メトロ一元化プロジェクトチーム&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/newsevent/news/subway/2011/sub_p_201111021_h.html 東京の地下鉄のサービスの一体化に向けた取り組みについて]&amp;lt;/ref&amp;gt;(2010年4月発足)&lt;br /&gt;
*「言葉の力」再生プロジェクト（「活字離れ」対策検討チーム）&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/katsuji/ 「言葉の力」再生プロジェクト（「活字離れ」対策検討チーム）]&amp;lt;/ref&amp;gt;(2010年4月発足)&lt;br /&gt;
*海外事業調査研究会&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/04/20k45300.htm 水道局 国際貢献の新たな取組 海外事業調査研究会等｜東京都]&amp;lt;/ref&amp;gt;(2010年4月発足)&lt;br /&gt;
*東京天然ガス発電所プロジェクトチーム&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/energy/tochi_energy_suishin/ 都市エネルギー施策の推進｜東京都環境局 エネルギー]&amp;lt;/ref&amp;gt;(2011年8月発足～終了)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 首都機能移転に反対 ====&lt;br /&gt;
{{main|首都機能移転}}&lt;br /&gt;
[[首都機能移転]]には「膨大な経費をかけて新都市を建設するよりも、首都東京の歴史的文化的蓄積を活用すべき」とし、強く反対している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/chosa/syuto/index.htm 「首都移転にNO!」]（東京都知事本局地方分権推進室国政広域連携・首都調査担当）&amp;lt;/ref&amp;gt;。東京が「首都」であることを死守することも念頭に、都立大の後身となる大学の名称には、石原の意向により[[首都]]という言葉が組み込んだ「[[首都大学東京]]」が採用された。2001年（平成13年）[[11月21日]]の[[衆議院]]の「国会等の移転に関する特別委員会」では[[1990年]]（平成2年）に衆参両院で可決された「国会等の移転に関する決議」を「ばかな決議」と批判し、問題となった。しかし、その際に同委員会の委員長から「新聞社の写真等を見る限り、石原参考人は（同決議の際に）起立していた」と指摘された&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/002615320011207007.htm 第153回国会 国会等の移転に関する特別委員会 第7号 （平成13年12月7日 （金曜日） ）]&amp;lt;/ref&amp;gt;。この指摘を受けて「周囲を確認するためだった」との回答書を提出した&amp;lt;ref&amp;gt;『日本経済新聞』2001年12月22日朝刊 29面&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、[[大阪]]を副首都とすることには賛成している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news |url = http://www.asahi.com/special/08002/TKY201107010653.html |title = 大阪は「副首都」 石原・橋下両知事が会談 |newspaper = asahi.com（朝日新聞） |date = 2011-07-02 |accessdate = 2012-05-03 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 参議院議員宿舎建て替えに反対表明 ====&lt;br /&gt;
{{main|議員宿舎#参議院議員宿舎}}&lt;br /&gt;
[[都心]]部である[[千代田区]][[紀尾井町]]に残るわずかな緑の空間を候補地にした、[[参議院]]による新清水谷[[議員宿舎]]建て替えに反対を表明した。2008年12月、石原と[[西岡武夫]]参院議院運営委員長、石川雅己・千代田区長の三者は計画を白紙に戻すことで合意した&amp;lt;ref&amp;gt;2008年12月13日 読売新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 東京都青少年の健全な育成に関する条例の改正 ====&lt;br /&gt;
{{Main|東京都青少年の健全な育成に関する条例}}&lt;br /&gt;
[[東京都青少年の健全な育成に関する条例]]を、2010年（平成22年）に青少年の性的感情を刺激させる性行為の描写を[[視覚]]により認識する事の出来る青少年性的視覚描写物図書類の販売、頒布、貸し付けを経営者が認める時は、青少年に閲覧させないように務めなければならないとする条項を加え改正した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://internet.watch.impress.co.jp/docs/special/20100311_354038.html 「青少年健全育成条例」改正の意図、東京都の担当者に聞く]2010月3月11日&amp;lt;/ref&amp;gt;。改正条例には、「作品に表現した芸術性、社会性などの趣旨をくみ取り、慎重に運用すること」という付帯決議が添えられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京都議会]]の平成22年第1回定例会で「[[児童ポルノ]]や子供への[[強姦]]等を描いた[[漫画]]の蔓延を、見て楽しむだけなら個人の自由である、いかなる内容であっても[[表現の自由]]である、と許容することは、これは自由の履き違えであり、青少年を守り育てる大人としての責任と自覚を欠いた、未成熟な人間の自己保身に他ならない」と述べて、「青少年健全育成条例（[[東京都青少年の健全な育成に関する条例]]）を改正し、児童ポルノの根絶とこの種の図書類の蔓延の防止に向けて都が、都民、事業者と一体となって取り組み、現在のおぞましい状況にこの東京から決別していきたい」と宣言した&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news | url = http://www.gikai.metro.tokyo.jp/live/video2010-t1.html | title = 平成22年第1回定例会録画映像 | newspaper = 東京都議会 | date = 2010-03-02 | accessdate = 2010-03-20 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。3月19日の定例会見では「私は残念ながらね、（規制の）対象となっているものは読んでもいないし、見てもいないのでねぇ」と言う一方で、漫画や[[アニメ]]が青少年に害悪を与えることがあるのかどうかについては「ありますよ、そりゃ。（記者に向かって）ないと思うのか君」と述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news | url = http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100319/lcl1003191717004-n3.htm | title = 【石原知事会見詳報】2次元児童ポルノ「僕の目で判断したい。君（記者）が提供して」 (3/3ページ) | newspaper = 産経新聞 | date = 2010-03-19 | accessdate = 2010-03-20 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
同条例改正案は2010年（平成22年）6月14日都議会総務委員会において民主共産両党と生活者ネットワーク・みらいの反対票によって否決、同16日に本会議でも否決された。都議会で知事提出の条例案が否決されるのは12年ぶり。修正の上で民主、自民、公明の3党が再提出した結果、[[2010年]]（平成22年）[[12月15日]]に可決され成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同条例反対者からは、石原の過去の小説を引き合いに出した反対論が相次いだ。[[ちばてつや]]は18歳未満の児童に対する[[強姦]]・[[輪姦]]や、[[障害者]]女性に対する輪姦などを扱った石原の小説とその小説の映画化の内容がきっかけで設置されたのが[[映倫]]であった点に触れ、「知事が小説家としてどういう作品を書いてデビューしたかは皆さんご存じだと思う、表現は自由であり若者の支持を得てデビューした原点は忘れないで欲しい、文化が滅びる」と反対意見を述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.ehime-np.co.jp/rensai/chijiku/ren018201012030173.html 漫画規制、再び] 愛媛新聞連載「地軸」2010年12月3日&amp;lt;/ref&amp;gt;。2011年（平成23年） [[5月17日]]、[[東京国際アニメフェア]]とこれに対抗して予定されていた「[[アニメ コンテンツ エキスポ]]」が共に[[東日本大震災]]の影響で中止されたことについて、生番組内で「両方とも震災でパーになった。ざまぁみろだ」と発言し、同時に、エロマンガを子どもの手の届くところに置くなという条例を作ったもので、なぜこれが言論統制なのか、と条例案への批判は当たらないとの見方を示し、その場に同席した [[田原総一朗]]は「例えば大人の本でも、ヌードが多い本なんかは、ビニールで囲ってある。その程度のことをやれってことでしょ?」と同意を示した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news |date=2011-05-18 |url=http://www.j-cast.com/2011/05/18095851.html?p=all |title=震災でアニメイベント中止 石原都知事「ざまあみろ」 |work=J-CASTニュース |publisher=[[ジェイ・キャスト]] |accessdate=2011-05-24 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。この際の石原の「ざまぁみろ」の発言に関して、[[朝日新聞]]は「このような発言を続ける人物が首都の首長でいられること、そして選んだ都民の神経を疑う」という投書者の声を載せた&amp;lt;ref&amp;gt;[[朝日新聞]]2011年5月27日付第13版「声」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 選挙公約 ===&lt;br /&gt;
;選挙公約 (1期目)&lt;br /&gt;
:# 都が主導の債券市場にYES&lt;br /&gt;
:# 踏切のない東京にYES&lt;br /&gt;
:# 健康を損なう排ガスにNO&lt;br /&gt;
:# 福祉に立ちはだかる規制にNO&lt;br /&gt;
:# 借金漬けの財政にNO&lt;br /&gt;
:# 横田返還にYES&lt;br /&gt;
:# 首都移転にNO&lt;br /&gt;
:# 住みやすい東京にYES&lt;br /&gt;
:# 命が守れない危機管理にNO&lt;br /&gt;
:# 新しい道徳教育にYES&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;選挙公約 (2期目)&lt;br /&gt;
:# 安心・安全の確保、都市の再生から始める「都民福祉の充実」&lt;br /&gt;
:# 中小企業の能力を引き出す「新しい銀行を創設」&lt;br /&gt;
:# 都民、国民の健康を損なう「大気汚染を解消」&lt;br /&gt;
:# 利用者から高い評価を受けている「認証保育所を大増設」&lt;br /&gt;
:# これまでの日本にない「まったく新しい大学を実現」&lt;br /&gt;
:# 千客万来の「観光都市を実現」&lt;br /&gt;
:# 雇用促進のため、利用者に便利な「職業紹介を都独自に実施」&lt;br /&gt;
:# 都庁の一層の合理化と「第二次財政再建に着手」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;選挙公約 (3期目) &lt;br /&gt;
:# 環境革命の続行&lt;br /&gt;
:# 子育て支援プログラムと中学3年生まで医療費ゼロ&lt;br /&gt;
:# 都立施設や都立小中高校の食事・給食に東京ブランドの食材導入推進&lt;br /&gt;
:# 神奈川県・千葉県・埼玉県の各知事と首都圏知事連合をつくって、道州制を実現&lt;br /&gt;
:# 2016年に東京オリンピックを招致（2009年に招致失敗）&lt;br /&gt;
:# 高齢者の起業やNPO法人の活動を支援する機関を作る&lt;br /&gt;
:# 都庁の展望台や都の保有財産を有効利用して、歳入を増やす&lt;br /&gt;
:# 公立小中高校グラウンドの[[芝|芝生]]化&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 浜渦副知事の重用と辞任 ===&lt;br /&gt;
{{see also|浜渦武生}}&lt;br /&gt;
石原は衆議院議員時代の[[公設秘書]]で[[青嵐会]]の裏方も務めた[[浜渦武生]]を[[副知事]]に就任させた。2005年（平成17年）3月には、都が[[練馬区]]に建設した東京都社会福祉総合学院について[[都議会]]予算委で浜渦が[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]に質問を依頼した事実が35年ぶりに設置された[[百条委員会]]で判明し、同年5月12日には同委員会は質問依頼を否定した浜渦の[[偽証]]を認定した。6月2日の都議会では浜渦の[[問責決議]]が可決され、浜渦は7月に副知事を辞職した。石原は浜渦が民主党にやらせ質問を依頼したことについて、「やっぱり責任政党の自民党が質問してくれたら一番よかったと思うし、だから僕はそうさせろと言った」と述べ、自民党に質問を依頼するよう指示したことにも言及している。また、「どうも自民党も動きそうもない。それで、民主党ということになったのかな」と述べた&amp;lt;ref name=&amp;quot;ishihara20060603&amp;quot;&amp;gt;石原知事定例記者会見2006年6月3日&amp;lt;/ref&amp;gt;。石原は「やらせ質問」の是非に関しても「話題になれば非常にいいなと思った。それが議会ってもんじゃないの?」と肯定的な見解を示している&amp;lt;ref name=&amp;quot;ishihara20060603&amp;quot;/&amp;gt;。石原は定例記者会見で浜渦を「非常に有能な腹心」「余人を持って代え難い」と再三持ち上げ、「最後は浜渦と私で涙を流して話した。[[泣いて馬謖を斬る|泣いて馬謖を切る]]以上に大事な人材」と心境を吐露した&amp;lt;ref name=&amp;quot;nikkei20060605&amp;quot;&amp;gt;『日本経済新聞』2006年6月5日&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、浜渦が度々暴力事件を起し、問題になっていたことについては「（殴り合いなど）男の世界には良くあること。むしろ無い方が嘆かわしいね」と発言している&amp;lt;ref&amp;gt;石原知事定例記者会見2000年10月27日&amp;lt;/ref&amp;gt;。浜渦は副知事辞任直後の2005年（平成17年）9月から、東京都が出資している外郭団体である[[第3セクター]]のビル会社[[東京交通会館]]の副社長に就任した。石原は「その後の就職の世話を都としてするのは当然じゃないですか」「あの人材を埋もらせるわけにいかないでしょう、それっきりにして。東京都のためにこれからも働いてもらいますよ」との見解を示し&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000149999990146 【石原知事発言から】懐刀失い非常に残念 asahi.com 2006年7月26日]&amp;lt;/ref&amp;gt;、2006年（平成18年）7月22日に浜渦を年度末まで都の参与（都政の課題について知事に助言する非常勤の特別職）に迎えたことを明らかにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政党との関係 ===&lt;br /&gt;
東京都議会では[[自由民主党 (日本)|自民党]]と[[公明党]]が一貫して与党である。[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]や[[東京・生活者ネットワーク|生活者ネット]]、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]（ただし、社民党は[[2001年東京都議会議員選挙]]で公認候補全員落選以降議席0が続いている）なども、都知事選挙では対立候補を立てるものの、都議会での議案に対する姿勢などから通常はいわゆる[[オール与党]]であるという意見があり、[[日本共産党]]からは選挙前の批判はポーズに過ぎないと批判されている。2007年（平成19年）の知事選以降、民主党などは距離を取ることが増えていたが、政権交代後は築地市場の移転関連予算計上に一転賛成したりなど再接近の機会も増えている。共産党は初期には「是々非々」の立場を取っていたが、次第に対決姿勢を強めている。石原は自民党の都議の選挙には選挙ポスターに一緒に写ったり、応援の演説などを行っていたが、3 期目の知事選出馬の表明後は早々に自ら自民党に推薦を依頼していたが、2007年（平成19年）2月19日に突如「政党の看板に支えられた選挙は合わない」と自民党からの推薦を辞退することを表明した。石原は同年2月22日の都議会において、「手打ち」として都議補選の自民党候補に協力することを約束したが、メンツを潰された自民党都議団は「[[第1次安倍内閣|安倍内閣]]の支持率が落ちていることを気にしたのだろうが、知事は小心過ぎる」と不満を露わにした&amp;lt;ref&amp;gt;『読売新聞』2007年2月22日&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、石原は2007年（平成19年）3月21日に公明党に協力を要請しており、公明党側も実質的な支援を決定した。しかしかつては公明党及びその支持母体である創価学会を痛烈に批判していたこともあった&amp;lt;ref&amp;gt;{{リンク切れ|date=2010年3月}} http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;amp;k=2007032200471&amp;lt;/ref&amp;gt;。2010年（平成22年）4月10日、「[[たちあがれ日本]]」の命名者として、平沼新党の結党の発起人に名を連ねた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 情報公開 ===&lt;br /&gt;
[[全国市民オンブズマン連絡会議]]による2006年（平成18年）の第11回全国[[情報公開]]度ランキングでは、[[東京都]]は閲覧[[手数料]]を徴収するという理由により「失格」となり、ランキング外となった（他の失格自治体は[[香川県]]のみ）。情報公開度のポイント評価は全国47都道府県中ワースト3に相当する位置付けとなっている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jkcc.gr.jp/rank/11/11_02.html 第11回全国情報公開度ランキング 都道府県 総合ランキング]&amp;lt;/ref&amp;gt;。東京都のこの調査における失格評価は石原都政以前も含み2007年まで10年連続である。石原は「公開請求の55%は都外の人で、東京での業務展開に必要とする人が多い。都民の税金を使うわけにいかず、『失格』というのはとんちんかん」と反論している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://web.archive.org/web/20070312154356/http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070310k0000e040027000c.html 「情報公開が争点に浮上」毎日インタラクティブ] 2007.3.10&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 頓挫した構想・計画 ===&lt;br /&gt;
==== 三宅島オートバイレース大会 ====&lt;br /&gt;
{{see also|チャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバル}}&lt;br /&gt;
石原は[[2000年]]（平成12年）に発生した[[三宅島]][[火山]]の[[噴火]]による観光客減少への対策として、[[イギリス]]の[[マン島]]で行われている[[マン島TTレース]]を参考に、日本初となる[[一般道路]]を使用した本格的な[[オートバイ]][[レース]]を三宅島で開催することを提唱した。レースは[[東京都]]と[[三宅村]]が主催し、[[2007年]]（平成19年）[[11月9日]]から[[11月11日|11日]]に開催が予定されていたが、「公道でスピードを競うのは危険すぎる」との意見が[[本田技研工業]]など二輪大手4社から続出し、中止が決定した。都は、専門家による検討経費などに4000万円、都道改修に3億円を2007年度予算に計上していた。結局、三宅村では代替イベントとして[[チャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバル]]を開催することを発表している。東京都が2006年（平成18年）に三宅島で実施したテスト走行に参加したプロレーサー3人のうち2人が報告書で危険性を指摘し、公道レースの開催に反対を表明していることが2007年（平成19年）2月23日の都議会で明らかになっており、バイクレースの専門家からも「殺人レースだ。絶対にやめるべし」と批判されていることに対し、石原は「レースは危険があるからエキサイトする。ある程度ライダーの自己責任もある」として同レースを強行する姿勢を示していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/40216 慎太郎にダメ出し…三宅島公道でオートバイレース構想] www.iza.ne.jp 2月21日&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、『朝日新聞』は「三宅島は現在も火山ガスが噴出しており航空路は再開していないため、観光客誘致の起爆剤となるのかは未知数」と報じた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/061213/TKY200612130376.html 三宅島のオートバイレース、都が3億4千万円計上へ] asahi.com 2006年12月14日&amp;lt;/ref&amp;gt;。石原は観光客や機材の輸送には海路を用いる考えを示していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2006/060929.htm 石原知事定例記者会見録 2006年9月29日]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 公営ギャンブル復活構想 ====&lt;br /&gt;
東京都では美濃部都政以前は公営ギャンブルによる収入があったが、美濃部都政の[[美濃部亮吉#公営ギャンブル廃止|公営ギャンブル廃止]]方針により以後、東京都の収入は減少した。[[やまと新聞社]]によれば、都の収入減少と都民から娯楽を奪わないで欲しいとの声が相次いだ経緯があり&amp;lt;ref&amp;gt;[[やまと新聞社]][https://my.bitcasa.com/send/2cb8ace719de141e626c290c02e9b77ba5a0175dd857196495f9c9add760b166/244cd97bbcc78ffc6fa69338f5ca31cc65c18a68946167593e7ea652d8f3261c やまと新聞　バックナンバー、昭和44年、11月6日「美濃部革新都政１２年」]　『私たちの娯楽を奪わないで』　｢いまや健全レジャー。公営競争事業＝プロ野球と同じ妙味だ＝大井競馬場に拾う　ファンの声｣『都営ギャンブル廃止で財源失う』｢当時財務局長だった磯村光男現副知事は、そのころ年間百余億円の収益があった競争事業廃止に猛反対したといわれるが、知事は強行した。ギャンブル全盛の現在なら七百億の収入が得られると関係者が見ているだけに全く欲しい財源をなくしたものだ。このギャンブル廃止では、後楽園競輪場への九一七億円十二年間無利子貸付けなど莫大な廃止経費がかかっている。｣&amp;lt;/ref&amp;gt;、石原は公営ギャンブルによる収入を得るため、[[お台場]][[カジノ]]構想と「後楽園競輪」の復活を提案していた。&lt;br /&gt;
;カジノ構想&lt;br /&gt;
:カジノの設置はは現行の法律では認められておらず、実施には国会による法改正を必要とするが、実現見通しは立たず、[[2003年]]（平成15年）に正式に断念を発表&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.47news.jp/CN/200306/CN2003061301000500.html カジノ施設の建設断念 現行法では無理と石原知事]2003年6月13日 共同通信&amp;lt;/ref&amp;gt;（現在の日本においては、[[公営競技]]や[[宝くじ]]、[[スポーツ振興くじ]]等別途法令で指定された以外の賭け事は全て、[[賭博開帳図利罪]]に問われる[[ギャンブル]]である）。&lt;br /&gt;
;「後楽園競輪」復活構想&lt;br /&gt;
:2003年（平成15年）6月に、[[東京ドーム]]の地下に現在未使用である[[競輪]]用走路が収納されており、また同地の前身が[[後楽園競輪場]]であった背景も踏まえ、「後楽園競輪」復活構想を掲げた&amp;lt;ref&amp;gt;http://www1.dnet.gr.jp/~bod303/425.htm&amp;lt;/ref&amp;gt;。その後、[[三宅島#2000年の噴火|三宅島災害復興支援]]を名目に都議会にも議案を諮ったが、同地の所在地である文京区の住民による反対運動に後押しされた当時の同区区長・煙山力が早速反対の姿勢を表明したばかりか、都議会議員の多くが消極的な姿勢に終始したこともあって難航。加えて、競輪復活計画のまとめ役を務めていた当時の副知事・[[浜渦武生]]が[[問責決議]]により、同職を辞することになったため、この時点で事実上頓挫した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 築地市場移転計画 ====&lt;br /&gt;
{{Main|築地市場#市場移転問題}}&lt;br /&gt;
石原は、中央区[[築地]]にある[[築地市場]]を、施設の老朽化や[[石綿|アスベスト]]問題のため、[[2012年]]度を目処に江東区[[豊洲]]地区へ移転させる方針を明らかにしているが、予定地である[[東京ガス]]の工場跡地において、環境基準を超える毒物（[[鉛]]・[[ヒ素]]・[[六価クロム]]・[[シアン]]・[[水銀]]・[[ベンゼン]]の6種類が国の環境基準を超えており、[[発癌性物質]]であるベンゼンにいたっては国の基準の1500倍である）が検出されるなど土壌汚染が判明している。また、土壌を入れ替え、アスファルトで被覆する都の対策では不十分との指摘がある。一部の関係者は「生鮮食品を扱う市場の移転先としては論外」とし、築地市場移転反対派の団体「市場を考える会」が中心となって移転反対運動を行っている。石原は「築地は古くて清潔でない。都民や消費者の利益を考えれば、市場を維持するわけにはいかない。ほかに適地はない」と述べて、移転計画に変更は無いとし、移転後の跡地には「[[2016年東京オリンピック構想|2016年東京オリンピック]]」のメディアセンターを建設する構想を明らかにしている&amp;lt;ref&amp;gt;『毎日新聞』 2007年3月10日&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、石原は2006年（平成18年）9月8日の定例記者会見において[[築地市場]]跡地に「NHKが移転する」と発言したが、NHKは「そんな計画はない」と否定している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_09/g2006091118.html 慎太郎ポロリ「築地にNHK」で大波紋] [[夕刊フジ|ZAKZAK]] 2006年9月11日&amp;lt;/ref&amp;gt;。2007年（平成19年）10月6日には、東京都は移転予定の豊洲において調査した56カ所のうち14カ所で有害物質のベンゼンが基準値の1000倍の値で検出されたと発表した&amp;lt;ref&amp;gt;『日本農業新聞』 2007年10月7日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 東京都による尖閣諸島購入計画 ====&lt;br /&gt;
{{Main|東京都尖閣諸島寄附金}}&lt;br /&gt;
2012年（平成24年）4月に、東京都が[[尖閣諸島]]を地権者より購入する計画について記者会見し&amp;lt;ref name=&amp;quot;senkakukounyu&amp;quot;&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120707/lcl12070719500006-n1.htm]産経新聞2012.7.7「東京都の購入計画をめぐる石原知事の主な発言」&amp;lt;/ref&amp;gt;、2012年4月27日より東京都によって[[東京都尖閣諸島寄附金]]が募られた。寄附金は2012年10月24日現在で14億7800万円。石原は寄附金を基金化し総選挙後の新政権に託す考えを示している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/life/news/121025/trd12102522540031-n1.htm 尖閣寄付金「灯台などに」]2012年10月25日 産経ニュース&amp;lt;/ref&amp;gt;。東京都による尖閣購入計画が持ち上がっていた当時、自民党は所属全議員に対し、賛成しないよう緘口令を敷いたという&amp;lt;ref&amp;gt;[http://wpb.shueisha.co.jp/2012/09/13/14010/ 週プレニュース-『民主が中国寄り、自民が韓国・北朝鮮寄りな理由とは？』2012年09月13日]　東京都による尖閣購入計画が持ち上がっていた当時、東京都議会議員で「尖閣諸島を守る為に行動する議員連盟」会長でもあった野田かずさは、2012年9月に「今年４月１６日に石原慎太郎都知事が尖閣諸島を都が購入する計画をワシントンで発表した直後、複数のテレビ局から都議会議員全員に対してアンケート取材がありました。もちろん、都による尖閣諸島の買い上げに賛成か反対かを問う内容です。これに対し、当時私が所属していた自民党は全議員に賛成しないよう緘口令を敷きました」と証言している。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 疑惑・批判 ===&lt;br /&gt;
*トーキョーワンダーサイトと四男 &lt;br /&gt;
{{main|トーキョーワンダーサイト#石原慎太郎一家による私物化疑惑}}&lt;br /&gt;
:2002年（平成14年）に設立した東京都の若手芸術家支援事業[[トーキョーワンダーサイト]]の予算配分や無名の四男・[[石原延啓]]を起用や家族や知人を運営に参画など、事業計画・予算決算の疑問点が指摘されている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://web.archive.org/web/20061128013858/http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/localpolicy/28961/ 石原都知事に都政の私物化批判、四男関わる事業に…-政治もニュース:イザ!] 2006.11.25&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*新銀行東京&lt;br /&gt;
:[[新銀行東京]]は本来の目的である中小企業向け融資が1225億円で貸出金全体の約52%にとどまるなど、設立目的が揺らいでいる。また、融資の大半が三男・[[石原宏高]]の地盤である[[品川区]]と[[大田区]]の企業に集中していたことから、身内の選挙対策との疑いも持たれている&amp;lt;ref&amp;gt;『週刊現代』2007年1月6日・1月13日号、『FACTA』2007年2月号、『朝日新聞』2008年2月16日社説（{{リンク切れ|date=2010年3月}} [http://www.asahi.com/paper/editorial20080216.html#syasetu2 「新銀行東京―石原知事は失敗を認めよ」]）&amp;lt;/ref&amp;gt;。{{要出典|範囲=石原は設立当時の記者会見（2003年5月）では、貸し倒れが多くなった場合の都税投入の可能性について「公私混同であり幼稚・粗雑・週刊誌的発想」と否定していた|date=2014年4月}}が、2008年（平成20年）には都税400億円が経営再建のために出資された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*官官接待&lt;br /&gt;
:私的な飲食に公費を流用したとして、[[2000年]]（平成12年）6月から[[2003年]]（平成15年）12月まで78件の飲食費支出は違法だとして計1,194万円の返還を求め、葛飾区の市民団体が知事を提訴していた。判決が違法支出として認定したのは、2003年（平成15年）6月、[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]築地の高級料亭で石原、棚橋都参与ら8人の会食計341,992円、2003年（平成15年）3月、石原、特別秘書・高井英樹、民放テレビプロデューサーの3人が中央区銀座の割烹料理店で行った会食計58,065円の計約34万1000円の飲食費を支出した2件である。78件中67件は[[住民監査請求]]の期限が過ぎているとしたり、残りの9件については棄却した。[[2007年]]（平成19年）[[1月30日]]、[[東京地方裁判所]]の[[鶴岡稔彦]]裁判長は2件分の計約40万円については「社会通念を逸脱する違法な支出にあたる」と認定し、石原と特別秘書に対し同額を都に返還するよう命じた&amp;lt;ref&amp;gt;『毎日新聞』2007年1月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。原告側は請求が容認されなかった残件について控訴したが[[東京高等裁判所]]は1件のみを認める判決に変更。また最高裁判所（[[中川了滋]]裁判長）も2009年5月20日、原告の上告を不受理とした&amp;lt;ref&amp;gt;「飲食費公費支出 石原都知事ら一部敗訴が確定」産経新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*現金2000万円受け取り疑惑&lt;br /&gt;
:石原が元衆院議員や支援者ら計3人（[[糸山英太郎]]、[[水谷建設]]元会長の水谷功、埼玉県の石材業者T）が用意した現金2000万円を受け取りながら、政治団体の政治資金収支報告書に記載していなかったと共産党機関紙である「赤旗」が主張し&amp;lt;ref&amp;gt;2006年12月10日号&amp;lt;/ref&amp;gt;、「都内の男性ら」が、石原と資金管理団体の会計責任者を務める特別秘書の2人について、[[政治資金規正法]]違反の疑いで東京地検に告発状を提出した。 石原は料亭で元衆院議員らと会食したことを認めているが、現金については「疑惑は一切ない」と全面的に否定し、宴席に同席した糸山も「焼酎は渡したが、現金など渡すわけがない」「作り話」としている&amp;lt;ref&amp;gt;『毎日新聞』2007年3月12日&amp;lt;/ref&amp;gt;。一方、同じく同席した水谷は金銭授受について「直接はやってない。Aさん（=女性経営者）が用意してた」と、女性経営者が500万円を立て替えたことし、2000万円の金銭授受についても「その話は聞いた」「（石原は）そりゃ、感謝してたわな!」「（宴席後は）みんな上機嫌だった」と話したと『週刊朝日』 (2006年12月29日号) は伝えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*東京マラソン&lt;br /&gt;
:石原の主導で[[2007年]]（平成19年）から始まった[[東京マラソン]]に関して、次男・[[石原良純]]が[[フジテレビジョン|フジテレビ]]からスペシャルサポーターとして現場での司会と選手などへのインタビューを担当した。良純は今回の出演を依頼される以前に石原から「何かあったら広報として力を貸してくれ。頼むよ」と言われていたことをフジテレビの広報ページで語っている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2007/070215marathon.html 「東京マラソン2007」のスペシャルサポーターが決定]（2007年2月8日発行 フジテレビ広報部のリリース）また、良純は『週刊新潮』の自身の連載『石原良純の楽屋の窓』の中でも「お前もメディアで働く人間ならば、大会が大勢の人に認知され、成功するように協力してくれ」として生まれて初めて親父に頭を下げられたと語っている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。石原が良純に協力を依頼した後にフジテレビ出演が決まったことから、「週刊朝日」は石原とフジテレビの関係に疑問を呈した&amp;lt;ref&amp;gt;『週刊朝日』2007年3月9日号 同記事には疑惑を否定するフジテレビと[[石原良純]]事務所の見解もあわせて掲載された。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*選挙対策と見做された花粉症対策ポスター &lt;br /&gt;
:2007年（平成19年）に入ってから、&amp;quot;STOP花粉&amp;quot;という文字と石原の写真が大きく写った[[花粉症]]対策のポスター5万2000枚が、都内23区と全ての市町村に配布された。東京都森林課により製作され、デザイン、印刷等に要した費用は227万円である。石原は都庁における花粉対策会議の席上「自分ができることをしたい」と積極的な姿勢を示し、15の図案から自身の顔が一番大きく写っている図の採用を決めた。この「顔写真ポスター」に対し、[[中央区 (東京都)|中央区]]など7つの区や[[町内会]]が、選挙運動期間中の候補者や政治団体による文書図画の頒布を禁じた[[公職選挙法]]第146条に抵触する恐れがあるとして、掲示板への掲載を拒否していたが、残りの16区や町内会は問題がないとして掲載していた&amp;lt;ref&amp;gt;『週刊ポスト』2007年3月2日号&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 衆議院議員復帰後 ==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 国会質疑 ====&lt;br /&gt;
衆院選当選時に80歳と高齢でありながら、党を代表して国会での質疑に立っている。&lt;br /&gt;
国政復帰初の2013年2月12日の国会質疑を「国民への遺言」とした&amp;lt;ref name=&amp;quot;sinkanjp2013&amp;quot;&amp;gt;[http://www.sinkan.jp/special/adbook/run_wildly/?link=index 西条 泰 『石原慎太郎 「暴走老人」の遺言』 石原慎太郎が国民に残した「遺言」]新刊ＪＰ&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
同年4月17日と12月4日には安倍首相との党首討論に臨んでおり、10月16日には衆議院本会議において代表質問を行った。&lt;br /&gt;
==== 脳梗塞発症 ====&lt;br /&gt;
石原は、議員当選後に「体調不良」から入院し、姿を見せない時期がしばらく続いていた。これに対し、2013年3月28日に『週刊新潮』が「[[菅直人]]の周辺が石原の[[脳梗塞]]発症説を漏らしている」と報じた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130328/plt1303281140003-n1.htm 石原慎太郎氏に脳梗塞報道 事務所は否定]zakzak 2013年3月28日&amp;lt;/ref&amp;gt;。その後、3月30日に退院した石原は、復帰に伴う記者会見において「軽い脳梗塞」を発症していたことを認めた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130330-OYT1T00594.htm 石原氏「入院は軽い脳梗塞、政治活動は継続」]読売新聞 2013年3月30日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
==== 経済・財政 ====&lt;br /&gt;
;アベノミクスに関して&lt;br /&gt;
:[[2013年]][[2月12日]]、石原慎太郎は[[予算委員会#衆議院予算委員会|衆院予算委員会]]において「何としても[[アベノミクス]]を成功させて欲しい」と応援する発言をした&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web | title = 2013年2月12日(火) 予算委員会 | url = http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&amp;amp;deli_id=42394&amp;amp;media_type=fp | publisher = 衆議院インターネット審議中継 | date = 2013-02-12 | accessdate = 2013-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web | title = &amp;lt;nowiki&amp;gt;H25/2/12&amp;lt;/nowiki&amp;gt; 衆院予算委員会・石原慎太郎【安倍内閣の政治姿勢集中審議】1/2 | url = http://nicoviewer.net/sm20068197 | date = 2013-02-12 | accessdate = 2013-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web | title = &amp;lt;nowiki&amp;gt;H25/2/12&amp;lt;/nowiki&amp;gt; 衆院予算委員会・石原慎太郎【安倍内閣の政治姿勢集中審議】2/2 | url = http://nicoviewer.net/sm20068311 | date = 2013-02-12 | accessdate = 2013-02-13}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 政治姿勢・発言 ==&lt;br /&gt;
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2009年2月}}&lt;br /&gt;
政治的には、歯に衣着せぬ発言が支持を得る一方、政治問題化されるケースもある。批判に対しては安易な謝罪や訂正を拒否し、臆することなく堂々と反論を表明するという強気のスタンスを貫き、結果的にこれまで発言によって公職を辞任に追い込まれたことはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 俳句について ====&lt;br /&gt;
:俳句は日本人の感性ならではの定型詩であるとの見解である。数学者の[[岡潔]]の「芭蕉の俳句研究で数学の難問を解けた」とする述懐を紹介しながら日本の俳句について度々話している&amp;lt;ref&amp;gt;[【日本よ】石原慎太郎 花見の頃に 産経2009年4月7日 石原「数学の世界で世界的な業績を残した岡潔氏が、ハルトークスの残した数学での難問の多くをわずかな時間で解いてしまったのは、岡氏自身の述懐だと芭蕉の俳句の研究に没頭し、芭蕉が名句をものしたとほぼ同じ季節を選んで『奥の細道』を旅して、芭蕉が眺めたと同じ風物を同じ季節同じ時刻に眺め彼の名句を観賞したことによるそうな。」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 尖閣・島嶼について ====&lt;br /&gt;
:沖ノ鳥島に視察上陸しへシマアジの稚魚を放流&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E3%83%8E%E9%B3%A5%E5%B3%B6#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AE.E5.AF.BE.E6.8A.97.E6.8E.AA.E7.BD.AE 沖ノ鳥島　日本の対抗措置]&amp;lt;/ref&amp;gt;等、島嶼防衛・尖閣防衛について度々言及している&amp;lt;ref name=&amp;quot;sinkanjp2013&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:尖閣について、[[江藤淳]]との共著&amp;lt;ref name=&amp;quot;isiharaetokyocho&amp;quot;/&amp;gt;において次のように記している。「尖閣列島周辺の海底に油田があるという話が持ち上がって以来次々と妙なことが起こった。返還前のことですが、米国の石油メジャー会社が、時の佐藤首相に、外相がらみで自分たちによる試掘を持ちかけてきた。佐藤首相は自国日本のことだからといってそれを退けた。すると彼らは同じ話を台湾と北京に持ち込み、「あの島々は本来なら中国の領土の筈だ」とそそのかした。」&amp;lt;ref name=&amp;quot;isiharaetokyocho&amp;quot;&amp;gt;石原慎太郎・江藤淳共著『断固ＮＯといえる日本　戦後日米関係の総括』1991年 p96&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:[[2010年]]、[[5月27日]]の全国知事会には、[[アメリカ合衆国|米国]]が尖閣防衛に消極的である例を示した上で「日本の領土を守らないなら、何のため沖縄に膨大な基地を構えるのか。抑止力を現政府が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に問いたださない限り、訓練分散を論じる足場がない」と当時の政府を糾弾した。関連して同会合に出席していた、当時首相だった[[鳩山由紀夫]]に対し「総理は外国人参政権の問題で、『日本列島は日本人のためだけのものではない』と述べたが衝撃だ」と発言し、それら石原の問いに対し、鳩山は「日中の間で衝突があったとき、アメリカは安保条約の立場で行動する。しかし（[[尖閣諸島]]の）帰属問題は日中当事者同士で議論して結論を出す、と私は理解をしている」との見解を示したため報道陣に、「日中間で[[尖閣諸島]]の帰属を協議しようって、こんなバカをいう総理大臣いるのか？正式に（米国から）返還されたんだ。ばかな会合だよ。ナンセンス！」と怒りをあらわにしている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news | url =http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/localpolicy/396540/&lt;br /&gt;
 | title = 「こんな総理、かなわんわ…」 鳩山発言に石原都知事激怒 全国知事会議 | newspaper = 産経新聞 | date = 2010-05-28 | accessdate = 2011-01-18 | archiveurl =http://web.archive.org/web/20100530091145/http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/localpolicy/396540/ | archivedate = 2010年5月30日 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:[[尖閣諸島]]の[[魚釣島]]に「[[日本青年社]]」が本格的な灯台を造ったことに対し謝礼を述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{citenews|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101004/plc1010040339002-n3.htm|title=【日本よ】石原慎太郎 尖閣、国家としての試練|publisher=産経新聞|date=2010-10-4|accessdate=2010-10-4}}産経新聞社連載の「日本よ」のコラム[[2003年]]（平成15年）[[2月3日]]号や[[2010年]]（平成22年）[[10月4日]]号などで言及している。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2011年]]11月に起きた尖閣沖での中国漁船衝突事件ビデオ流出後の記者会見では「なんで政府が発表しないのか。国民の目に実態を見てもらいたいと思って、流出した。結構なことじゃないか」と述べ海上保安官のビデオ流出行為を肯定した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0502H_V01C10A1CC1000/ 石原都知事「結構なこと」　尖閣映像流出巡り発言 ]2010月11月5日配信&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:[[2012年]]4月には、東京都による尖閣諸島購入計画を発表&amp;lt;ref name=&amp;quot;senkakukounyu&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 日本国憲法について ====&lt;br /&gt;
:[[自主憲法論|自主憲法]]制定論を持論としている。現在の日本国憲法は勝者が敗者を統治するための占領基本法で戦勝国が押し付けた占領憲法であるとしている。占領憲法は勝者の敗者に対する統治の方法としてしか使われてなかったという事で否定したら誰も反対する法的な根拠はないとして、議会で現行憲法の廃棄決議をした上で自主憲法を制定すべきとしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sinkan.jp/special/adbook/run_wildly/?link=index 西条 泰 『石原慎太郎 「暴走老人」の遺言』] 石原慎太郎が国民に残した「遺言」&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120305/plc12030503080001-n1.htm 【日本よ】石原慎太郎 歴史的に無効な憲法の破棄を 2012年、3月5日] &amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;2012年11月30日記者クラブ討論会&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:天皇を日本国の元首と表現し、憲法に天皇を元首と明記すべきとの見解である&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahi19890110&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sensenfukoku.net/philosophy/nation/constitution/ 石原慎太郎 『「アメリカ信仰」を捨てよ』 光文社、2001年。]「憲法改正までに十年をかけるという意見が膾炙しているが、しかしそんな呑気なことでいいのだろうか」 &amp;lt;/ref&amp;gt;。2002年12月11日の都議会で[[日本国憲法]]について「改憲手続きなんていう面倒なことはせず、衆議院で破棄決議をすればいい」と発言した。インタビューなどでも、目標を「憲法を変えること」と明言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 軍事について ====&lt;br /&gt;
===== 自主防衛推進 =====&lt;br /&gt;
:「[[三木武夫]]がつくった[[武器輸出三原則]]や[[防衛費1%枠]]などの政策は変えるべきだ」とする、核武装・自主[[国防]]確立論者である&amp;lt;ref&amp;gt;石原慎太郎『「日米安保」は破棄できる』文芸春秋、8月号、[[2009年]]。など&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:[[1971年]][[7月19日]]付の朝日新聞で「（[[核兵器]]が）なけりゃ、日本の外交はいよいよ貧弱なものになってね。発言権はなくなる」「だから、一発だけ持ってたっていい。日本人が何するかわからんという不安感があれば、世界は日本のいい分をきくと思いますよ」との発言が紹介された。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://dot.asahi.com/wa/2014041600065.html『週刊朝日』2014年4月25日号「キッシンジャー機密文書を入手　米国が警戒した日本の核武装、右傾化」]　&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2011年]][[6月20日]]の記者会見では、「日本は[[核兵器|核（兵器）]]を持たなきゃだめですよ。持たない限り一人前には絶対扱われない」「日本が生きていく道は[[軍事政権]]を作ること。そうでなければどこかの[[属国]]になる&amp;lt;ref&amp;gt;[[中華人民共和国]]を念頭に置いたもの。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[徴兵制]]もやったらいい」と発言した。&amp;lt;!--（軍事国家になるべきとの意見と、軍国主義を肯定とは意味合いが別。）[[軍国主義]]を肯定する考え方を示した。--&amp;gt;&amp;lt;!--（メディアの主観的な評価は不要）この石原の発言について、[[ANN]]は「今の政治の現状を憂う石原知事の発言でしたが、反核団体をはじめ各方面から反発を呼びそうです」とコメントした--&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210620028.html 「日本は核を持て、徴兵制やれば良い」石原都知事]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2011年]][[8月5日]]にも記者会見&amp;lt;ref&amp;gt;{{citenews|url=http://www.47news.jp/CN/201108/CN2011080501001085.html|title=都知事、核保有の模擬実験は可能「3カ月でできる」|publisher=47NEWS|date=2011年8月5日|accessdate=2011年8月6日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;で、また2013年4月5日にも朝日新聞とのインタビューで「日本は強力な軍事国家にならなかったら絶対に存在感を失う」と主張している&amp;lt;ref&amp;gt;『[http://www.asahi.com/politics/update/0404/TKY201304040453.html 橋下君を首相にしたい 軍事国家になるべきだ 石原慎太郎氏インタビュー]』朝日新聞2013年4月5日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&amp;lt;!-- 発言の唐突な抜き出しで文脈の分からない記述 『[[論座]]』2001年5月号において、「[[アドルフ・ヒトラー]]になりたいね、なれたら」--&amp;gt;&amp;lt;!--(なりたいねというのと尊敬するは意味が違う)ヒトラーを尊敬する趣旨のと発言している。 --&amp;gt;&amp;lt;!--（戦に敗れた時の連帯感を賛美することは軍国主義肯定につながらない）また、2011年3月29日の記者会見において、[[東北地方太平洋沖地震]]の被災者・節電への配慮から今年は[[花見]]を自粛すべきとした上で、[[太平洋戦争]]を引き合いに出して「同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感ができてくる」「戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」という考え方を示した &amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110330/plt1103301125000-n1.htm 時代錯誤では…慎太郎“花見禁止令”戦争時の「連帯感は美しい」] [[夕刊フジ]]2011年3月30日&amp;lt;/ref&amp;gt; --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 靖国神社参拝 ====&lt;br /&gt;
:毎年、[[8月15日]]に[[靖国神社]]に参拝している。衆議院議員当選・都知事就任以後も、[[日本維新の会]]共同代表就任・国政復帰以後も参拝している。&lt;br /&gt;
:2013年の8月15日にも[[日本維新の会]]共同代表として参拝している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/676975/ 【靖国参拝】維新・石原氏、自民・野田聖氏も - MSN産経ニュース] 「日本維新の会の石原慎太郎共同代表は終戦の日の１５日昼、東京・九段北の靖国神社を参拝した。自民党の野田聖子総務会長も同日午後、参拝した。」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 佐野眞一について ====&lt;br /&gt;
:[[佐野眞一]]が[[橋下徹]]・大阪市長の出自をめぐる週刊朝日の連載記事で問題となった際に「橋下さんにも子供がおり、その子供にまで影響する。文筆を借りて、他人の家族までおとしめるという物書きは許せない」「同和や被差別部落の問題について強い偏見を持っている」「私も被害者の一人。父親の本籍地に出かけ、石原一族は同和、部落ではないか、と誘導尋問をしていたと報告があり、あきれた」「出自や親族の職業をあげつらい、それがDNAとして受け継がれて危険だというのは、中傷誹謗の域を出ない卑劣な作業だ。」と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121019/lcl12101918290002-n1.htm 石原知事、出自の記事「卑劣」と批判] &amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 慰安婦について ====&lt;br /&gt;
:慰安婦について、「日本人が彼女たちを強制連行した証拠はない。生活が苦しい時期、女性が売春をすることは金をもうけるための仕事のひとつだった。彼女たちは自らこの仕事を選んだ」と発言した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120828-00000036-scn-kr 石原氏　従軍慰安婦は「自ら身体を売って稼いでいた」] ＝韓国サーチナ 8月28日(火)14時16分配信&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 東京消防庁のハイパーレスキュー隊員に涙ながら感謝 ====&lt;br /&gt;
:東日本大震災の際に福島第1原発事故で放水活動を行った[[東京消防庁]]の[[ハイパーレスキュー]]隊員らを前に涙ながらに「ありがとうございました。」と頭を下げた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&amp;amp;d=0323&amp;amp;f=national_0323_091.shtml 石原都知事、涙でハイパーレスキュー隊を称える] 2011/03/23(水) 14:22&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 諸外国に対する見解 ===&lt;br /&gt;
==== 国際連合 ====&lt;br /&gt;
:[[国際連合]]に対して、「[[国際連合憲章]]の精神って何ですか。金科玉条なんですか。国連てそんなに大したものなんですか。神様みたいな存在ですか。冗談じゃないですよ」「今ごろ国連憲章なんて、まともに信じている馬鹿いませんよ」&amp;lt;ref&amp;gt;2005年9月27日、都議会本会議にて、[[靖国神社]]参拝をやめるよう追及した吉田信夫（共産党）に対しての発言。[[ジョン・ボルトン]]が同様に「国際連合本部ビルの最上層10階分がなくなったとしても何ら困らない」と発言している&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 台湾 ====&lt;br /&gt;
:[[中国共産党]]の[[一党独裁]]国家である[[中華人民共和国]]への批判的な姿勢（詳細は下記を参照）とは対照的に、同国と対立関係にある[[議会制民主主義]]国家である台湾（[[中華民国]]）に対しては非常に友好的な姿勢を取っている事で知られている（但しその中華民国も、台湾で[[1948年]]に再建されてから[[1987年]]まで[[中国国民党]]が[[戒厳]]を布告していた独裁だった史実には沈黙）。都知事就任後も数回に渡り同国への渡航を行う他、各種行事に参加している。また、中華人民共和国との間に国交を樹立し中華民国との国交を断絶した日本政府の姿勢（「一つの中国」論）に対しても批判的である。なお、[[2008年中華民国総統選挙]]において国民党の[[馬英九]]は台北市長時代の性風俗の取り締まりの厳しさやパフォーマンス的な言動から「台湾の石原慎太郎」と民進党支持者から揶揄された&amp;lt;ref&amp;gt;2008年3月20日新聞台新聞夜視界&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 中華人民共和国 ====&lt;br /&gt;
:[[2005年の中国における反日活動]]では「民度が低い」と非難し、中華人民共和国を「[[支那]]」と呼んでいるが、本人は「蔑称ではなく、尊敬して昔の呼び名で呼んでいる」「中国の人が屈辱に感じていることを知らなかった」と主張している。[[北京オリンピック]]については「[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]の非常に政治的な[[ベルリンオリンピック]]に、ある意味似ているような気がする」&amp;lt;ref&amp;gt;[[朝日新聞]]2006年7月4日&amp;lt;/ref&amp;gt;と発言していた。その[[反中]]の姿勢が[[2016年東京オリンピック構想|東京でのオリンピック開催]]の実現を困難にする（中華人民共和国は、ODAを元に[[アジア]]や[[アフリカ]]の一部の[[開発途上国|発展途上国]]に影響力を持つ）という指摘もあったが&amp;lt;ref&amp;gt;『FACTA』2007年3月号&amp;lt;/ref&amp;gt;、 2016年夏季五輪招致に北京市の協力を要請して、中華人民共和国の招待に応じて開会式に出席した。「大国の度量を見せるもの」として中国のネットも支持した。感想として「13億の人口のすごさってのはね、ひしひしと感じましたね。」「一番感じたのはね、ボランティアの大学生ですね、みんな。とってもね、いいね。アメリカのボディーチェックするような空港の役人なんかと違ってね、本当に横柄で何様だっていう感じだけど、（大学生は）とっても親切で礼儀正しくてね。」「やっぱり、それはね、いろいろ（政治）体制に対する批判はあるでしょうけど、私もいろいろ異論はあるけども、国家社会の前途にね、あの世代の若者が明らかに日本の大学生と違って期待を持っているということに、青春の生き甲斐を感じているということは、聞いてみてもうらやましく感じましたね。」「（中国の若者と比較して）日本の若者はある意味でかわいそうだな。[[青春]]にある者として[[アイデンティティー]]がないから。やっぱり『[[2ちゃんねる]]』の書き込みとかそんなもんで本当の[[コミュニケーション]]ができるもんじゃないし。全部現実から逃避しているし&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』2008年8月12日&amp;lt;/ref&amp;gt;」さらには「日本と中国が組めば技術でヨーロッパと対抗できるんだからいろいろやりましょう。」とまで述べた。2009年（平成21年）に北京副市長・黄衛が訪日の際に石原は「東京の技術は進んでおり、見たいものは全部見ていってください」と述べ、黄副市長は「これからも交流を活発にしていきたい」と応じた。日中間の領土問題において、東京都の[[沖ノ鳥島]]は岩である旨主張し続ける中国共産党政府の態度、また事前通知無しで調査船を派遣していることに対し反発している。そのため、都知事の立場から「日本の[[経済水域]]であることを実証する」として、沖ノ鳥島に上陸して[[日章旗]]を掲げる等のパフォーマンスを行っている。[[在日中国人]]による犯罪について「民族的DNAを表示するような犯罪が蔓延することでやがて日本社会全体の資質が変えられていく恐れが無しとはしまい」と発言した&amp;lt;ref&amp;gt;『産經新聞』2001年5月8日&amp;lt;/ref&amp;gt;。2008年1月、中華人民共和国から輸入された冷凍餃子に毒が混入していた事件（[[毒入り餃子事件]]）に関して「独裁統制国家なんだから、しっかりしてもらわないと困りますな」と、中華人民共和国当局を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://web.archive.org/web/20080603035210/http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/119502/ 「「独裁国家なんだからしっかりしろ」石原知事、毒餃子で苦言」政治も‐地方自治ニュース:イザ!] [[産経新聞]]2008年1月31日&amp;lt;/ref&amp;gt;。2月には「中国の領土拡張姿勢に日本が賢明に対処しなければ、[[中華人民共和国の国旗|五星紅旗]]の&amp;quot;六番目の星&amp;quot;になるだろう」と発言している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=96063&amp;amp;servcode=A00§code=A00 中央日報 - 石原都知事「日本が第2次大戦起こして植民地が独立」] 中央日報2008年2月15日。なお、五星紅旗の4小星は星条旗と異なり、社会階層を意味する。&amp;lt;/ref&amp;gt;。2010年、石原は「反中国ではなく、反中国の共産主義」などと述べた。「僕は中国の歴史や文化が好きだ。しかし、中国の共産主義が嫌い」「中国は反対しないが、共産党支配下にある中国は、日本にとって脅威となる」などと述べた。共産党や共産主義を中国とは分けて考えている石原氏の論点は素晴らしいと、ラジオ自由アジア（RFA）は四川省作家・冉雲飛氏の言葉を引用して評価した。また、石原はインタビューの中で、人間にとって「自由」が最も大事だと述べた。そのため、自由のない独裁国家は嫌いで、戦時中の日本も嫌いだと語った。また、アメリカと中国の高圧的な態度に嫌悪感を抱いていることを表明し、尖閣諸島問題で中国が5回にわたって日本の駐在大使を呼びつけることは、日本に対する侮辱行為だと批判した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.epochtimes.jp/jp/2010/10/html/d22219.html 「反中ではなく反中共だ」　中国週刊誌、石原慎太郎氏インタビュー果敢報道] &amp;lt;/ref&amp;gt;。2013年に石原が脳梗塞で入院した際、掲示板では“ハッピーニュース”として喜ぶ声が殺到した一方で「石原氏はかなりの中国通で、中国政府は嫌いだが中国文化は好きだと言っている。中国に対する理解は並みの中国人以上だし、多芸多才な民族主義者だよ」と一定の評価をするコメントも見られた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&amp;amp;d=0330&amp;amp;f=national_0330_038.shtml 【中国ＢＢＳ】石原慎太郎氏の入院に「やったあ、いい気味！」と喜びの声]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 北朝鮮 ====&lt;br /&gt;
:[[北朝鮮による日本人拉致問題]]が公になって以降は強硬な姿勢を貫いている。Webキャスターの[[草薙厚子]]によれば、[[1998年]]（平成10年）に「朝鮮民主主義人民共和国がノドン何号かを京都へ撃ち込んでくれれば、この社会もちっとはピリッとするんだろうけどね」との発言を行ったという&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kodansha.cplaza.ne.jp/broadcast/special/2000_04_19/content.html 石原慎太郎都知事のふざけた「差別感覚」] - [http://moura.jp/biglobe/ Web現代 MouRa BIGLOBE edition]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2002年]]には『[[ニューズウィーク]]』のインタビューに応じ、映画『[[風とライオン]]』の内容（[[モロッコ]]のリフ族に拉致されたアメリカ人教師を[[セオドア・ルーズベルト]]大統領が[[軍艦]]を送って取り戻したエピソード）について語り、「国家の国民に対する責任を示している」「私が総理であったら、北朝鮮と戦争してでも（拉致被害者を）取り戻す」「[[アメリカ合衆国|アメリカ]]がそれに協力しないとしたら、[[日米安保条約]]は意味がなくなる」と述べている&amp;lt;ref name=&amp;quot;nw020619&amp;quot;/&amp;gt;。2009年には、北朝鮮による拉致被害者を救出する知事の会を[[泉田裕彦]][[新潟県知事]]や[[上田清司]][[埼玉県知事]]らと共に設立し、会長に就任。47都道府県の知事のうち[[達増拓也]][[岩手県知事]]ただ一人が参加しなかったため、会見では「[[民主党代表]]の[[小沢一郎]]さんの出身地である岩手の知事を除いて……何でかは知りませんよ私は」と皮肉った（後に達増知事は一転、参加を表明）。また会見で、北朝鮮は中国に併合されたほうが良いと発言した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.afpbb.com/article/politics/2557594/3682076 石原都知事、「中国が北朝鮮を合併するのが一番楽」] AFP・BBニュース2009年1月13日付&amp;lt;/ref&amp;gt;。これに対して韓国の政治家や北朝鮮政府は反発を見せた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://s01.megalodon.jp/2009-0115-0836-44/www.ibaraki-np.co.jp/zenkoku/detaile.php?f_page=top&amp;amp;f_file=CN2009011401000923.1.N.20090114T204728.xml 韓国、石原都知事発言に反発 沈黙の政府にも批判] 茨城新聞2009年1月14日&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://s03.megalodon.jp/2009-0118-1452-37/www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090117103.html 石原都知事発言に北朝鮮「容赦しない」] スポニチ・アネックスニュース 2009年1月17日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 在日北朝鮮人の代表なる男たちから脅迫を受ける =====&lt;br /&gt;
:石原の自宅に突然押しかけてきた在日北朝鮮人から、「息子を殺す」と脅迫を受けた事がある。政治家になってから、テレビ発言が元になり、石原の自宅に在日北朝鮮人の代表なる男たちが突然押しかけてきて、「お前が謝らなければ、そこにいる息子を殺してやるから覚悟しろ」と「テレビでの発言が元になって思いがけぬ脅迫に遭った」と自著で述べている。脅迫の元になったテレビ発言は、北朝鮮が実質的に国家・政府と一体である労働党の規約に、「日本軍国主義」を打倒するなどといった大時代的な文言を掲げ、なおかつ中共とも手を組んだ執拗な日本攻撃を繰り返していたとして「こうした国との友好はその限りで不可能だし、彼等が日本に何かを望むならばまず、すみやかに日本を敵国視することをいわば国是としているような異常な状態を改めるべきだ」といったものだったという&amp;lt;ref&amp;gt;石原慎太郎 『国家なる幻影』 文藝春秋、2001年10月&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 朝鮮総連施設・朝鮮学校への対応 =====&lt;br /&gt;
;朝鮮総連施設&lt;br /&gt;
:[[朝鮮総連]]施設は、1972年（昭和47年）に当時の都知事だった[[美濃部亮吉]]が「外交機関に準ずる機関」として認定して以来、多くの自治体が朝鮮総聯の施設を事実上の外交機関や公共施設に準ずるものとみなして、[[固定資産税]]や不動産取得税の減免措置を行ってきたビザやパスポート発行代理業務を行うなど[[北朝鮮]]の窓口機能があったため、「外交機関に準ずる機関」又は「公民館的施設」という名目の下に課税減免措置がとられていたが、2002年（平成14年）9月の[[小泉純一郎]]首相（当時）訪朝で北朝鮮が拉致問題への関与を認めたことを境に、国内の北朝鮮関連組織や施設への優遇措置が見直されるようになった。2003年（平成15年）、東京都は[[朝鮮総連]]の関連施設について「所有者の大半が関連企業（朝鮮総連が法人ではないため）であったり、外交とは無関係なものがある」などとして方針を変更、これらの一部について固定資産税を課すこととした。他の自治体にもこれに追随して固定資産税の減免を解除する動きがあったが、この時点では従来通り減免措置を継続する自治体が多かった。こうした措置に対して朝鮮総連や北野弘久など一部の法学者は反発し、行政訴訟や民事訴訟で争われた。東京都にある朝鮮総連中央本部の不動産への固定資産税などの課税処分をめぐり、登記上の不動産所有者である合資会社「朝鮮中央会館管理会」が、東京都に課税処分取り消しなどを求めた民事訴訟では一審、二審とも請求を棄却。2009年8月12日、最高裁も上告を退け総連側の敗訴が確定した。この固定資産税などの減免措置を巡っては、「北朝鮮に拉致された日本人を救出する熊本の会」の加納良寛会長が熊本市長を相手取り、朝鮮総連施設への課税減免措置の無効確認を求めた訴訟を起こした。2005年（平成17年）4月21日熊本地裁（永松健幹裁判長）は「公益性を備えた公民館類似施設と評価でき、減免に違法性はない」熊本市の主張をほぼ全面的に認め原告の訴えを退けた。これを不服として原告側は控訴し、2006年（平成18年）2月2日に福岡高裁（中山弘幸裁判長）が、「朝鮮総聯の活動に公益性はなく税の減免措置は違法である」とする判決を出した。熊本市長はこれを不服として上告したが、2007年（平成19年）11月30日最高裁第二小法廷（中川了滋裁判長）は熊本市長の上告を棄却し減免措置は違法とした高裁判決が確定した。この最高裁判決により朝鮮総連施設に対する税減免措置の見直しは急速に進んだ。2013年(平成25年)現在、朝鮮総聯関連施設があるとみられる自治体が全国で128。通常課税の自治体が114。全額免除の自治体は0。一部減免の自治体が10。施設なしと回答した自治体が4である（[[在日本朝鮮人総聯合会#課税減免措置撤廃の流れ]]）。&lt;br /&gt;
;朝鮮学校&lt;br /&gt;
:朝鮮学校に対しては、学校運営や教育内容などについて調査をし、2012年の東京都の予算から朝鮮学校への補助金を除外し停止した。石原は、「反日教育をしてわれわれの同胞を拉致する手助けをしていた、そういう組織がそれに連脈のある教育をこれからもするなら、援助するいわれはない」と明言していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140208/elc14020808580000-n2.htm 朝鮮学校への補助金 3氏が「支給しない」]2014年2月8日配信&amp;lt;/ref&amp;gt;。2012年当時、東京都議会議員で尖閣諸島を守る為に行動する議員連盟」）の会長でもあった 野田数は「私は以前に都議会で、拉致問題が解決していないのだから朝鮮学校への補助金は凍結すべきと主張しました。その際も自民党から妨害を受けました。」証言している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://wpb.shueisha.co.jp/2012/09/13/14010/ 民主が中国寄り、自民が韓国・北朝鮮寄りな理由とは？]2012年09月13日配信&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 米国(アメリカ) ====&lt;br /&gt;
:[[日米安保]]に反対する「若い日本の会」に[[大江健三郎]]、[[江藤淳]]らと共に参加し、反安保集会に日活俳優を総動員するよう指示するなどした&amp;lt;ref&amp;gt;『芸能人別帳』ちくま文庫&amp;lt;/ref&amp;gt;。政治家となって以降は、[[日米安保]]を[[安全保障]]上容認するものの、[[日米安保]]破棄について時折触れている&amp;lt;ref&amp;gt;石原慎太郎『「日米安保」は破棄できる』文芸春秋、8月号、[[2009年]]。など&amp;lt;/ref&amp;gt;。日米両国で話題を呼びベストセラーとなった『[[「NO」と言える日本]]』を出版するなど、常に[[第二次世界大戦]]以降のアメリカの[[覇権主義]]的な態度には疑問を呈し続けている。[[1980年代]]の[[ジャパンバッシング]]の際には「何の努力もせずに文句だけつけて来る」として批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:都知事として[[アメリカ合衆国|米国]]に[[横田飛行場|横田基地]]を求め続け、石原の要求は[[2005年]]に見通しがついた[[2006年]]10月27日の[[横田飛行場#横田空域|横田空域]]の[[航空交通管制]]権の一部返還日米合意により部分的に実現する&amp;lt;ref name=&amp;quot;yokota0&amp;quot;/&amp;gt;。[[2007年]]5月17日、[[ニューヨーク]]を訪問中に講演会で[[日米安保条約]]について触れ、「台湾や尖閣諸島での有事の際に、米国が日本の防衛にどれだけ責任を持つかは極めて疑問だ」「米国が日本を守らないのなら、自分で何とかする。それは、米国が懸念する核保有につながるかもしれない」と[[核武装論|核武装]]を示唆した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:[[トヨタ自動車の大規模リコール (2009年-2010年)]]が起こった時には「アメリカのメンタリティとして自分たちの作り出した自動車を日本に抜かれた、腹立たしい気分はあるだろうね。これがフォードやGMの問題だったら、ちょっとこんな騒ぎにはならなかった気がするけどね。アメリカはそういうところはしたたか、ずるいんですよ」と発言した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://response.jp/article/2010/02/13/136317.html 反発はアメリカの嫉妬？ 石原都知事、トヨタリコールで発言] Response.&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== TPP反対 ===== &lt;br /&gt;
:[[2011年]]（平成23年）10月28日の記者会見で、[[環太平洋連携協定|TPP]]について「あんなものはアメリカの策略で、みんなもうちょっと頭を冷やした考えたほうがいい」「[[国民皆保険]]や日本の寿命の高度化はおそらく基本的にぐらついてくる」と主張、TPP参加反対の姿勢を示した&amp;lt;ref&amp;gt;しんぶん赤旗 2011年10月29日 2面&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 南アフリカ共和国 ====&lt;br /&gt;
:[[1984年]]（昭和59年）6月に結成された日本南ア友好議員連盟の副長であった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.h3.dion.ne.jp/~win-tom/newpage7.htm アパルトヘイトへの加担の罪] [[2008年]][[9月20日]]閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;。同議連には40人が参加し、[[南アフリカ共和国]]で実施されていた[[アパルトヘイト]]政策に対する国際的非難が強まっていた状況下で、[[レアメタル]]などの希少金属の確保を目的とした活動をおこなっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 外国人参政権 ====&lt;br /&gt;
:民主党や公明党などが成立を目指す[[外国人地方参政権]]については「危ない試み」「発想そのものがおかしい」「絶対反対」「日本に永住する方なら日本の国籍取ったらいい、問題起こしてないんだったら」等々、反対意見をはっきり述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news | url = http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100115/lcl1001152329003-n1.htm | title = 【石原知事会見詳報 (1) 】外国人参政権「危ない試み。発想おかしい」 (1/3ページ) | newspaper = 産経新聞 | date = 2010-01-15 | accessdate = 2010-01-15 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news | url = http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20100115AT3B1501B15012010.html | title = 石原都知事、「絶対反対」 永住外国人への地方参政権付与に | newspaper = 日本経済新聞 | date = 2010-01-15 | accessdate = 2010-01-15 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news | url = http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;amp;k=2010011500801 | title = 外国人参政権「絶対反対」＝永住するなら国籍取得を-石原都知事 | newspaper = 時事通信 | date = 2010-01-15 | accessdate = 2010-01-15 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news | url = http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20100115150.html | title = 石原都知事 永住外国人の地方選挙権「絶対反対」 | newspaper = スポーツニッポン | date = 2010-01-15 | accessdate = 2010-01-15 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2010年]]（平成22年）[[3月3日]]、都議会で、永住外国人に対する地方参政権付与問題について見解を問われ、「絶対反対だ」と答弁、外国人参政権について改めて反対の意思表示をした&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news | url = http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/100304/tky1003041204000-n1.htm | title = 外国人参政権 都議会で答弁 知事「絶対反対だ」 (1/2ページ) | newspaper = MSN産経ニュース (産経新聞) | date = 2010-03-04 | accessdate = 2010-03-10 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 話題にされた発言 ===&lt;br /&gt;
;石原発言捏造テロップ事件:{{Main|石原発言捏造テロップ事件}}&lt;br /&gt;
:[[2003年]]（平成15年）[[11月2日]]、[[TBSテレビ|TBS]]『[[サンデーモーニング]]』が「日韓合併を100%正当化するつもりはない」という石原が述べた発言の語尾を編集して「日韓合併を100%正当化するつもりだ」とテロップ入りで事実とは異なる放送をした。石原側はこの放送内容に抗議を行ったもののTBSから誠意ある回答が得られないとして刑事告訴した。その結果、名誉棄損容疑で TBSの社員ら4人が東京地検に書類送検されたが&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_12/g2004121501.html 慎太郎「当然だ!」…日韓発言誤報TBS社員が送検] [[夕刊フジ]]2004年12月15日&amp;lt;/ref&amp;gt;、東京地検は証拠不十分による不起訴処分とした。TBSは「ミス」として番組で謝罪した。&lt;br /&gt;
;在日外国人・諸文化: [[在日韓国・朝鮮人]]をはじめとする[[日本の外国人]]、及び外国文化に関する発言が政治問題化されることがよくあるが、一方賛同する意見もある。石原の自宅に突然押しかけてきた在日北朝鮮人から、「息子を殺す」と脅迫を受けた事がある。政治家になってから、テレビ発言が元になり、石原の自宅に在日北朝鮮人の代表なる男たちが突然押しかけてきて、「お前が謝らなければ、そこにいる息子を殺してやるから覚悟しろ」と「テレビでの発言が元になって思いがけぬ脅迫に遭った」と自著で述べている。脅迫の元になったテレビ発言は、北朝鮮が実質的に国家・政府と一体である労働党の規約に、「日本軍国主義」を打倒するなどといった大時代的な文言を掲げ、なおかつ中共とも手を組んだ執拗な日本攻撃を繰り返していたとして「こうした国との友好はその限りで不可能だし、彼等が日本に何かを望むならばまず、すみやかに日本を敵国視することをいわば国是としているような異常な状態を改めるべきだ」といったものだったという&amp;lt;ref&amp;gt;石原慎太郎『国家なる幻影』 文藝春秋 2001年10月&amp;lt;/ref&amp;gt;。2000年（平成12年）[[4月9日]]の[[陸上自衛隊|陸自]]記念式典において「不法入国した多くの[[三国人]]、外国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、大きな災害が起きた時には騒擾（そうじょう）すら想定される」&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』2000年4月12日&amp;lt;/ref&amp;gt;と発言し、三国人という言葉が取り上げられ問題とされた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Citation | last = LARIMER | first = TIM | author-link = | last2 = Sakamaki | first2 = Sachiko | author2-link = | title = Rabble Rouser | newspaper = TIMEasia | location = Tokyo | volume = 155 | number = 16 | pages = | year = 2000 | date = April 24 | url = http://www.time.com/time/asia/magazine/2000/0424/cover1.html | accessdate = &amp;lt;!-----21 February 2010-----&amp;gt;}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。石原は自身のウェブサイトでこの発言について、単に外国人犯罪について言及した発言であり[[朝日新聞]]や特定組織に三国人という語の差別性だけを拡大解釈された、との考えを示している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.sensenfukoku.net/mailmagazine/no12.html 「あきれたメディア事情」石原慎太郎エッセイ『日本よ』] 2003.06.02 産経新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。また「謝罪の必要はない」とも述べた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Citation| title = 'There's No Need For an Apology' | newspaper = TIMEasia| location = Tokyo | volume = 155| number = 16 | pages =| year = 2000| date = April 24 | url= http://www.time.com/time/asia/magazine/2000/0424/int.ishihara.html | accessdate = &amp;lt;!-----21 February 2010-----&amp;gt;}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2001年]]（平成13年）5月には、[[中国人]]犯罪について「民族的[[デオキシリボ核酸|DNA]]を表示するような犯罪が蔓延することでやがて日本社会全体の資質が変えられていく恐れが無しとはしまい」と主張した&amp;lt;ref&amp;gt;『[[産經新聞]]』[[2001年]][[5月8日]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2004年]]（平成16年）10月、都庁内であった[[首都大学東京]]の支援組織設立総会でフランス文学が好きでフランス語を勉強したと述べた上で「[[フランス語]]は数を勘定できない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする」「都立大はフランス語の講師が8人いて、受講者は1人もいない」との主旨の発言をした。これに対し東京都立大学人文学部フランス文学専攻教員らが「石原東京都知事に発言の撤回を求める」と声明を発表した&amp;lt;ref&amp;gt;東京都立大学人文学部フランス文学専攻教員一同「[http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/04-11/041101katayama-toritsu.htm 石原東京都知事に発言の撤回を求める]」 2004年10月31日、2004年11月01日更新、2010年2月21日取得。なお、同声明の中で、「相手国の言語と文化をいたずらに貶めて恥じないような人物を、東京都の長の座に、そして大学設置主体の最高責任者の座に戴いてしまったことの不幸を、良識ある東京都民、現・東京都立大学の教職員、学生諸君とともに心より嘆く」と述べ、また、「フランス語の講師が8人云々」の発言に対し、「現・東京都立大学において、フランス語を学ぶ学生は、毎年、数百人の規模で存在しており、また、人文学部フランス文学専攻に在籍する学生の数（昼間部・夜間部の上限定数、各学年それぞれ9名・3名）がゼロであった年度など、いまだかつて一度もなかった」とも述べている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。後にフランス語教育関係者らによる訴訟に発展した&amp;lt;ref&amp;gt;『[[東奥日報]]』2007年3月19日&amp;lt;/ref&amp;gt;。韓国人については「[[大韓民国|韓国]]に対する差別意識はない。私がもっとも尊敬する政治家は[[朴正煕]]大統領だ」との認識をインタビューで語っている&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』2000年4月26日&amp;lt;/ref&amp;gt;。また[[金田正一]]の項目に引退時のエピソードが詳述されているように[[帰化人]]の金田や在日コリアンの[[つかこうへい]]とも親交がある。また思想的に正反対でありながらも[[柳美里]]を作家として評価する発言をした事もある。他方で、オリンピックの福岡誘致を応援した[[姜尚中]]を「怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは」と発言した&amp;lt;ref&amp;gt;「姜尚中氏の福岡応援に石原知事反発 『怪しげな外国人』」『朝日新聞』2006年08月30日。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;日本人:「日本人には[[携帯電話]]を使って[[売春]]する子供が、[[小学生]]でもざらにいる。300万円、1000万円も貯めて、それを[[駅]]の[[コインロッカー]]に隠している。こんな[[風俗]]は他の国にはまずない&amp;lt;ref&amp;gt;「石原都知事 小学生が売春で1000万円稼ぐ日本人を嘆く」『[[週刊ポスト]]』2011年2月25日号&amp;lt;/ref&amp;gt;」と主張している。石原はその主張の根拠として[[読売新聞]]社会部が著した「親は知らない―ネットの闇に吸い込まれる子どもたち」という書籍を挙げている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite book|和書|title=親は知らない―ネットの闇に吸い込まれる子どもたち|Author=読売新聞社会部|publisher=[[中央公論新社]]|date=2010-11|isbn=9784120041709}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;東日本大震災について:[[2007年]]（平成19年）[[4月8日]]の都知事選で当選が決まった直後、会見で「[[阪神・淡路大震災|阪神大震災]]では首長の判断が遅くて2000人が死んだ」と発言。震災当時の兵庫県知事・[[貝原俊民]]が「見当違い」と反論を行った。反論を受けた石原は4月27日の定例会見で、「ちょっと数字は違ったかもしれない」「[[佐々淳行|佐々さん]]の受け売りなので、彼に聞いてほしい」と発言&amp;lt;ref&amp;gt;『毎日新聞』2007年4月28日&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2011年]]（平成23年）[[3月14日]]には、[[東日本大震災]]により日本の東北地方で広範囲が[[津波]]の被害を受けたことに関して、「被災者の方々はかわいそう」としながらも、「アメリカのアイデンティティーは[[自由]]。フランスは[[自由、平等、友愛|自由と博愛と平等]]。日本はそんなものはない。日本人のアイデンティティーは我欲。物欲、金銭欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」とコメントした&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/national/update/0314/TKY201103140356.html 「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」石原都知事] Asahi.com 2011年3月14日&amp;lt;/ref&amp;gt;。同日、記者会見で「天罰」発言について「意味がどうあれ、被災された方にとっては非常に不謹慎な発言だと思いますが、撤回されるお考えはありませんでしょうか」と追及されると、「『被災された人は非常に耳障りな言葉に聞こえるかもしれないが』と言葉を添えた」と釈明して撤回をしなかったが、実際にはそのような言葉は添えていなかった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011031401000989.html 大震災は「天罰」と石原知事 「津波で我欲洗い落とせ」] [[共同通信]]2011/3/14 21:00&amp;lt;/ref&amp;gt;。この発言に対し、津波被害を受けた宮城県の[[村井嘉浩]]知事が不快感を示したほか、[[長渕剛]]も、自身のラジオ番組『長渕剛 RUN FOR TOMORROW ～明日に向かって～』で「ふざけるな石原。東北の人たちが何をした」と非難。果てはメールや電話による批判が東京都庁に多数殺到したため、石原は翌3月15日の会見で「天罰」発言を撤回して謝罪をするに至った&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110315-OYT1T00633.htm 石原知事、天罰発言撤回・謝罪「深く傷つけた」] YOMIURI ONLINE 2011年3月15日&amp;lt;/ref&amp;gt;。この石原の「天罰」発言は、日本だけでなく韓国でも大きく取り上げられた。韓国メディアは、「日本の[[韓国併合]]は韓国人が望んだことだ」とする石原の過去の発言にも触れつつ、「韓国人が望んで日本人が韓国を併合したとの妄言で悪名高い石原知事が今度は自国民に大きな傷を負わせた」「石原知事が自国民にまで毒舌」などと批判的な報道を繰り広げた。さらに、石原が折しも自らの4期目当選を狙って都知事選への出馬表明をした直後に「天罰」発言を行ったことについて、韓国メディアは「苦しみや悲しみに耐えながら頑張っている国民に慰めるどころか大きな傷を与えた石原知事に対し、東京の有権者が（今回の都知事選で）どのような判断を下すのか注目される」とコメントしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&amp;amp;d=0316&amp;amp;f=national_0316_107.shtml 「自国民にまで毒舌」…石原都知事の「天罰」発言を非難＝韓国]&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、[[三宅久之]]が支持をする一方、[[桂ざこば (2代目)|桂ざこば]]からは「共感できない」と苦言、[[泉谷しげる]]などは激怒しながら批判をした。&lt;br /&gt;
;原子力発電所事故について:石原は自らを「原発推進論者」であると公言している。東京都知事に就任した翌年の[[2000年]]（平成12年）[[4月26日]]、東京国際フォーラムで開かれた日本原子力産業会議の第33回年次大会の場において、石原は「完璧な管理技術を前提とすれば、東京湾に[[原子力発電所]]（原発）を造っても良いと思っている」などと発言していた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aki11/2011-03-29/2011040104_06_0.html 石原都知事、原発で暴言数々]&amp;lt;/ref&amp;gt;。ただし石原の構想は、東京都の電力依存を軽減するために、（津波や巨大地震をやり過ごせる）フローティングシステムの上に、[[東芝]]製の[[4S (原子炉)|4S炉]]のような5万キロワットクラスの超小型原発を必要数東京湾に浮かばせるという具体的なものであった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.cnfc.or.jp/pdf/Plutonium54J.pdf 『2030年に30-40%程度以上でいいのか』社団法人原子燃料政策委員会 (2006年) ]&amp;lt;/ref&amp;gt;。その後、[[2011年]]（平成23年）[[3月11日]]に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]の影響で[[福島第一原子力発電所]]が爆発事故を起こし、大規模な放射能汚染が福島県のみならず東京都民の生活にも深刻な悪影響を及ぼしている状況の中で、石原は同年3月25日に福島県災害対策本部を訪問した際、報道陣の前で「私は原発推進論者です、今でも。日本のような資源のない国で原発を欠かしてしまったら経済は立っていかないと思う」などと発言した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|date=2011-03-25|url=http://www.gaylife.co.jp/?p=1775|title=石原慎太郎知事、「原発推進論者」と発言|work=|author=|publisher=Gay Life Japan|accessdate=2013-05-27|deadlink=2013-05-27|archiveurl=http://web.archive.org/web/20120415112640/http://www.gaylife.co.jp/?p=1775|archivedate=2012-04-15}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2011年東京都知事選挙]]において、[[東国原英夫]]・[[渡邉美樹]]・[[小池晃]]など他の立候補者が原発の危険性を強く指摘し、原発の廃止や見直しを訴えていた中、原発の増設・推進に賛成の意を表していた立候補者は石原だけである。ただし東京の臨海地帯に[[東京風ぐるま]]の建設を許可するなど、再生エネルギーを否定しているというわけではない&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.otsuka-t.jp/activity_BN/bn004_activity.html 『東京臨海風力発電所開所式に出席』大つかたかあき]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;首相への暴行呼びかけ:[[2010年]]（平成22年）[[6月19日]]、[[札幌市]]内で開かれた[[たちあがれ日本]]の集会で、[[菅直人]]内閣総理大臣について、「もし、自衛隊の[[中央観閲式|観閲式]]の国旗入場で立たなかったら、構わないから殴れ。殴られてもしょうがない」と首相への暴行を呼びかける発言をした&amp;lt;ref&amp;gt;{{citenews|url=http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/237582.html|title=「構わず首相を殴れ」 観閲式めぐり石原都知事が発言|publisher=北海道新聞|date=2010-6-20|accessdate=2010-6-20}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;女性専用車両:2012年2月24日の都庁定例記者会見で、記者から「女性専用車両は差別では」との質問に際に、「混雑差はそんなにあるのか」「女性は弱者ではない」「今度俺が女性専用車両乗ってみるが痴漢扱いされたら問題提起する」と、女性専用車両にある数々の問題を厳しく指摘する見解を示された。しかし、その一方で、知事をしていた当時、[[東京都交通局]]では[[都営地下鉄]]に女性専用車両を設置している。[http://www.youtube.com/watch?v=U04E6G2Cy8o&amp;amp;list=PLC6839F661C03104D 記者会見の中継動画]&lt;br /&gt;
;東京中央郵便局建替問題:[[2009年]]（平成21年）、当時の[[総務大臣]][[鳩山邦夫]]が[[東京中央郵便局]]建物の[[文化財]]的価値に鑑み、建替えに反対の立場をとっている問題に関して、石原都知事は、計画前後までに文化財的価値を指摘すれば計画自体に大きな変化があったのであり、そのため建物を残すことには無理があり、大きな計画そのものを棄損しかねないことだとして、建物の一部を保存した現行の建替え案を容認する考えを示し、鳩山総務相に苦言を呈した。併せて都は同日中に建替えを認める[[都市計画]][[決定]]である[[JPタワー]]計画を行った&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090307k0000m010100000c.html 東京中央郵便局：都が建て替え認める都市計画決定] [[毎日新聞]] 2009年3月6日&amp;lt;/ref&amp;gt;。この建て替え工事は2012年5月31日に終了し、2013年3月21日にグランドオープンを迎えた。&lt;br /&gt;
;賃貸住宅の所有者と賃借人の法的権限:[[2012年]]（平成24年）3月に、[[立川市]]の都営アパートで住民が孤立死した事件に関し、記者会見で「住んでいる人たちは権利者じゃなく使用者。管理人が合鍵で入って、元気ならああ失礼しました、お元気でって帰ればいいじゃないですか」と、管理者の都住宅供給公社の姿勢を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;[[東京新聞]]2012年3月10日付朝刊したまち版26頁「石原知事会見ファイル 9日発言」。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
;「ニート」・フリーター :ニート・フリーターについて、「[[ニート]]なんて格好いいように聞こえるけど、みっともない。無気力・無能力な人間のことです」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.metro.tokyo.jp/POLICY/TOMIN/GIRON/eif85100.htm 「次代の日本と世界を担う若者とは…」平成17年度第1回「～東京ビッグトーク～石原知事と議論する会」議事概要] H17.8.5&amp;lt;/ref&amp;gt;「今、ニートなんて、ふざけたやつがほとんどだよ」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2006/060118.htm 石原知事臨時記者会見録 平成18 (2006) 年1月18日 (水) ]&amp;lt;/ref&amp;gt;「[[フリーター]]とかニートとか、何か気のきいた外国語使っているけどね、私にいわせりゃ穀つぶしだ、こんなものは」&amp;lt;ref&amp;gt;{{リンク切れ|date=2010年3月}}[http://www.gikai.metro.tokyo.jp/netreport5/no_4/04.htm 都議会ネットリポートno_4/04.htm]&amp;lt;/ref&amp;gt;との見解を示している。[[田中良 (政治家)|田中良]]都議から、石原が (働いている) フリーターも穀つぶしと非難したことは[[ワーキングプア]]に対しての無理解であるとの指摘を受け、「私の言葉を勝手に引用されまして歪曲されていますが、私が穀つぶしといったのは、これはフリーターじゃありませんよ。ニートのことはそう申しました。こういう歪曲した引用というのは非常に卑劣だと思います」と反論した&amp;lt;ref&amp;gt;{{リンク切れ|date=2010年3月}} [http://www.gikai.metro.tokyo.jp/gijiroku/honkaigi/2007-1/d5117211.htm 東京都議会本会議議事録 2007-1/d5117211.htm]&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[ネットカフェ難民]]について、2008年10月3日の定例会見では、「[[山谷 (東京都)|山谷]]に行けば1泊200円、300円で泊まれる宿がいっぱいあるのに、ファッションみたいな形で1泊1500円払いながら『オレは大変だ』なんて言うのはねえ」と述べ、彼らが苦境に陥っているとするのはマスコミの偏向だと主張した&amp;lt;ref&amp;gt;{[http://www2.toonippo.co.jp/news_kyo/news/20081003010006601.asp カフェ難民の報道おかしい 石原都知事] 東奥日報 2008年10月3日{{リンク切れ|date=2009年10月}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。この発言は[[台東区]]長から猛抗議を受け、1週間後の定例会見で「数字が異なった」と撤回したが、同時に「1500円より安いとこ行ったらいいじゃないですか」とも述べている&amp;lt;ref&amp;gt;{{リンク切れ|date=2010年3月}} [http://mainichi.jp/select/today/news/20081011k0000m040079000c.html 石原都知事: 「山谷は200～300円」発言を撤回] 毎日新聞 2008年10月11日&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[年越し派遣村]]問題については、[[2009年]]（平成21年）[[1月5日]]、年頭の挨拶において[[厚生労働省]]の対応を批判した&amp;lt;ref&amp;gt;{{リンク切れ|date=2010年3月}}[http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090105/lcl0901051820002-n1.htm 石原知事、派遣村問題で国に苦言「大事な現場を知らない」] MSN産経ニュース 2009年1月5日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; 天皇 :石原の天皇に対する態度は複雑である。天皇を元首とし、[[君主]]としての行為を称えたり、天皇の[[靖国神社]]親拝を期待&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news | url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130212-OYT1T00987.htm | title = 石原氏、予算委で“独演会”…憲法や尖閣諸島で「神道の祭司である天皇陛下に、国民を代表してぜひぜひ参拝していただくことをお願いしてほしい」 | agency = [[読売新聞社]] | publisher = [[YOMIURI ONLINE]] | date = 2013-02-12 | accessdate = 2013-02-12 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;する時もあれば興味が無いと言ったりもする。[[東日本大震災]]の発生から少し経った[[2011年]]（平成23年）[[3月30日]]、天皇に対し[[皇太子徳仁親王]]夫妻と[[秋篠宮]]夫妻を名代として被災地への見舞いに差し向けることを建言するも、天皇は「[[東北]]へは私が自分でいきます」と答えた。のちに天皇は被災した各地を慰問したが、[[2012年]]（平成24年）2月に天皇が[[狭心症]]と診断されたことから、石原は「私の建言なんぞの前に陛下はとうにご自分で心に決めておられていたのだと思う」としつつも「しかし陛下にじかに、余計だったかも知れぬ建言を申し立てた私としては、陛下が心臓の病で倒れられたと聞いた時密かな自責の念に囚われぬ訳にはいかなかった」と記し、「（東日本大震災一周年追悼式にて）式辞を述べられ退席される陛下に出来れば私は、二階正面から陛下の御健勝を祈って天皇陛下[[万歳]]を叫びたかった」「陛下はその身の危うさを顧みることなく見事な[[君主]]として、そして見事な男として、その責を果たされたものだと思う」と天皇を称えたり&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=【日本よ】石原慎太郎 天皇陛下の勇気 - MSN産経ニュース|newspaper=[[産経新聞]]|date=2012-04-02|url=http://sankei.jp.msn.com/life/news/120402/imp12040203120002-n1.htm|accessdate=2012-10-15}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、「神道の祭司である天皇陛下に、国民を代表してぜひぜひ参拝して頂く事をお願いして欲しい」と天皇の[[靖国神社]]親拝を切望したり&amp;lt;ref&amp;gt;石原慎太郎　衆議院予算委員会国会議事録　2013年、2月12日。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news | url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130212-OYT1T00987.htm | title = 石原氏、予算委で“独演会”…憲法や尖閣諸島で「神道の祭司である天皇陛下に、国民を代表してぜひぜひ参拝していただくことをお願いしてほしい」 | agency = [[読売新聞社]] | publisher = [[YOMIURI ONLINE]] | date = 2013-02-12 | accessdate = 2013-02-12 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;、運輸相だった1989年9月22日の記者会見で「天皇陛下は元首でもあるが、それ以上に、国民のおとうさんみたいなものだ」と述べて、天皇を元首とし憲法に明記すべきとの見解であるが&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahi19890110&amp;quot;&amp;gt;[http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/01291/contents/015.htm 元首はだれか　「象徴」に揺れる解釈（政治の中の天皇：3）]1989月01月10日 朝日新聞朝刊&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sensenfukoku.net/philosophy/nation/constitution/ 『「アメリカ信仰」を捨てよ』　光文社、2000年、11月。]「憲法改正までに十年をかけるという意見が膾炙しているが、しかしそんな呑気なことでいいのだろうか」&amp;lt;/ref&amp;gt;、27歳頃には『文藝春秋』1959年8月号で「天皇が国家の象徴などという言い分は、もう半世紀すれば、彼が現人神だという言い分と同じ程度笑止千万で理の通らぬたわごとだということになる、というより問題にもされなくなる、と僕は信じる」&amp;lt;ref&amp;gt;『文藝春秋』1959年8月号&amp;lt;/ref&amp;gt;、28歳頃には[[深沢七郎]]の小説『風流夢譚』が皇室への不敬とされる描写で物議をかもした折、『週刊文春』1960年12月12日号で「とても面白かった。皇室は無責任きわまるものだったし、日本に何の役にも、立たなかったのだ。そういう、皇室に対するフラストレーション（欲求不満）を、われわれ庶民は持っている。この作品の感覚は、庶民の意識としては、ぜんぜんポピュラーだ、読んでいてショックもなかった」&amp;lt;ref&amp;gt;『週刊文春』1960年12月12日号&amp;lt;/ref&amp;gt;との発言が見られ、[[文學界]]の[[2014年]]3月号のインタビューで、聞き手の[[中森明夫]]から皇室について考えを尋ねられた時には「いや、皇室にはあまり興味ないね」と答え、小学生の時に、皇居の前で父親に「頭下げろ」と小突かれ、「姿も見えないのに遠くからみんなお辞儀する。バカじゃないか、と思ったね」と当時を回想している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=石原慎太郎氏「君が代は歌詞を変えて歌う」と発言　「斉唱が義務」の教員もそんなことが許されるのか？|newspaper=J-CASTニュース |date=2012-03-04|url=http://www.j-cast.com/2014/03/04198326.html|accessdate=2014-03-21}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。月刊ペン 1969年11月号に掲載された[[三島由紀夫]]と石原慎太郎の対談内では、三島が戦後のパーソナルな人間天皇制が一番いけないとの見解を述べて天皇の話題を切り出し、それに対し石原は「そうです。昔みたいにちっとも神秘的ではないもの。」と応じている。三島は再度、天皇をパーソナルなものにするということは天皇制に対する反逆だとの見解を述べ、石原は「僕もまったくそう思う。」と応じ、その後に三島は「石原さんみたいな、つまり非常に無垢ではあるけれども、天皇制廃止論者をつくっちゃった」と述べ、石原は「僕は反対じゃない。幻滅したの」と応じている。その時に、三島は「幻滅論者というのはつまりパーソナルにしちゃったから幻滅したんですよ。」と結論づけた&amp;lt;ref&amp;gt;[[三島由紀夫]]・石原慎太郎の対談『守るべきものの価値』（月刊ペン 1969年11月号に掲載）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;naotake&amp;quot;&amp;gt;『[[尚武のこころ]] 三島由紀夫対談集』（[[日本教文社]]、1970年。1986年再刊）に所収。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;taidan40&amp;quot;&amp;gt;『決定版 三島由紀夫全集第40巻・対談2』（新潮社、2004年）に所収。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[夏季オリンピック|オリンピック]]誘致活動においては、皇族の協力を求めている。今上天皇へ皇居のライトアップを奏上したことを公表し、宮内庁に咎められたこともある&amp;lt;ref&amp;gt;『産経新聞』2002年10月21日&amp;lt;/ref&amp;gt;。これに対して石原は「宮内庁ごときが決める問題ではない」と宮内庁を批判し皇族の協力を要求した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/culture/imperial/080704/imp0807041933001-n1.htm はてなブックマーク - 「宮内庁ごときが決める問題ではない」石原知事が反発 五輪招致 皇太子さまご協力問題 - MSN産経ニュース] 2008.7.4 &amp;lt;/ref&amp;gt;。[[2008年]]（平成20年）2月には「あそこで装備を見せることで国民の自覚、危機感が出てくる」として弾道ミサイルを地上から迎撃する航空自衛隊の[[パトリオットミサイル|地対空誘導弾ペトリオットPAC-3]]を[[皇居前広場]]で展開すべきとの見解を示している。&lt;br /&gt;
; 日の丸・君が代:[[毎日新聞]]（[[1999年]]（平成11年）[[3月13日]]付）のインタビューにて「[[日の丸]]、[[君が代]]を学校の行事に強制しますか?」という質問に対し「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の[[滅私奉公]]みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌いやいいんだよ。」と答えている。一方で、都知事就任後は文部省の決定に則して都立学校の公式行事における君が代の斉唱と[[国旗]]掲揚の徹底をし、君が代を起立して斉唱しなかった教師に対し懲戒処分を行った。この処分に対し東京都立学校の教職員173人が、都に処分の取り消しと1人あたり55万円の賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.asahi.com/special/061213/TKY200702090332.html asahi.com: 君が代不起立で処分は違法 173人が提訴 東京地裁 - 石原都政特集] 2007年2月9日&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[文學界]]の2014年3月号で、[[中森明夫]]からインタビューを受けた時に「僕、国歌歌わないもん。国歌を歌うときはね、僕は自分の文句で歌うんです。『わがひのもとは』って歌うの」。そして、こう歌うと周りの人たちが驚いて振り返るのだと明かしている&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news|title=石原慎太郎氏「君が代は歌詞を変えて歌う」と発言　「斉唱が義務」の教員もそんなことが許されるのか？|newspaper=J-CASTニュース |date=2012-03-04|url=http://www.j-cast.com/2014/03/04198326.html|accessdate=2014-03-21}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;靖国:靖国神社には毎年8月15日に参拝し、総理大臣には「もし首相が靖国に行かなければ、この国は芯からガラガラと崩れていく」&amp;lt;ref&amp;gt;（2005年6月都議選応援演説）&amp;lt;/ref&amp;gt;と参拝を求め、天皇の[[靖国神社]]親拝を期待する発言を行い、[[小谷喜美]]との対談の中で「日本が行った戦争がすべて[[侵略]]だから[[靖国]]に参拝するななんていう[[進歩的文化人]]の連中はおかしい。」と述べている。一方で&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news | url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130212-OYT1T00987.htm | title = 石原氏、予算委で“独演会”…憲法や尖閣諸島で「神道の祭司である天皇陛下に、国民を代表してぜひぜひ参拝していただくことをお願いしてほしい」 | agency = [[読売新聞社]] | publisher = [[YOMIURI ONLINE]] | date = 2013-02-12 | accessdate = 2013-02-12 }}&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[A級戦犯]]の靖国合祀に関しては異議を唱えたこともある&amp;lt;ref&amp;gt;『産経新聞』2005年9月5日&amp;lt;/ref&amp;gt;。「靖国が日本の興亡のために身を挺して努め戦って亡くなった功ある犠牲者を祭り鎮魂するための場であるなら、彼等を無下に死に追いやった科を受けるべき人間が鎮魂の対象とされるのは面妖な話である」「戦争の明らかな責任者を外して合掌している」と述べている。拳銃が決して致命に至らぬ最小の22口径で自決しようとした[[東条英機]]より、潔く自決した[[大西滝治郎]]中将や[[阿南惟幾]]陸相を靖国へ合祀しない事に異議を唱えた。石原は東条の「戦陣訓」の中の「生きて虜囚の辱めを受けず」なる文言が当時の日本の社会の中でいかに恐ろしい拘束力を持ち、いかに多くの犠牲者を生み出したか、と述べている。&lt;br /&gt;
; ジェンダー・性・障害者・同性愛:ジェンダー・性・障害者・同性愛といったナーバスな話題の発言がしばしば政治問題化されるケースがあるが、石原の同性愛や障害や性に対する姿勢や認識は複雑である。石原は2010年に幼くして視覚と聴覚を失った人物への取材を元に実話に基づく小説を執筆し単行本として出版していたり、(2010年9月発売)&amp;lt;ref&amp;gt; 再生 [単行本] 石原 愼太郎 (著) 文藝春秋 (2010/09)&amp;lt;/ref&amp;gt;、同性愛を扱った小説を絶賛したり、ニューハーフタレントのカルーセル麻紀が、女性セブン2012年11月15日号のインタビューで「私は石原さんには若い頃から随分とかわいがってもらいました」と述べ、「ぜひ一度、総理大臣をやってもらいたいわ」と話しているなど&amp;lt;ref name=&amp;quot;jyosei72012115&amp;quot;&amp;gt;[http://www.news-postseven.com/archives/20121102_152640.html カルーセル麻紀　石原慎太郎に「総理をやってもらいたいわ」]女性セブン2012年11月15日号&amp;lt;/ref&amp;gt;、同性愛者との付き合いも少なくない&amp;lt;ref name=&amp;quot;jyosei72012115&amp;quot;/&amp;gt;。週刊女性2001年11月6日号で「人間には純粋なヘテロってのが20％、純粋なホモってのが20％。あとの60％はリバーシブルで、何かきっかけがあったら両刀使いになっちゃうんだ。三島さんもそうだし、乱歩さんもそう。ところが、純粋なヘテロと純粋なホモってのは一種の天敵みたいなもんで、敏感に感じ合うんだな。」と語っている&amp;lt;ref&amp;gt;週刊女性 主婦と生活社 2001年11月6日号&amp;lt;/ref&amp;gt;。かつて作家仲間で、保守・マッチョ指向で同性愛傾向のあった[[三島由紀夫]]が活躍した時代は、例えば、三島由紀夫が同性愛者を主人公にして書いた小説『[[禁色 (小説)|禁色]]』について、既成の価値への「挑戦と復讐」を「面白くて、ぞくぞくして読んだ」&amp;lt;ref&amp;gt;石原慎太郎『「[[禁色 (小説)|禁色]]」試論―描かれざる[[カタストロフィー|カタストロフ]]』（[[国文学]] 1976年12月号に掲載）&amp;lt;/ref&amp;gt;と語っている。また自著の『真実の性教育』（1972年,光文社）では、「同性愛など、そうした衝動が衝動として異常とは、けっして言いきれない。」「それを日々の性愛の生活のなかにいちいち体現するのは、これはアブノーマルかもしれぬ。しかしある程度のものは、じつは性生活、性愛のスパイスのようなもので、適度に用いられれば、性生活、性愛の高揚につながるはずである」といっている&amp;lt;ref&amp;gt;『真実の性教育』（1972年,光文社）&amp;lt;/ref&amp;gt;。高校教師と生徒との同性愛関係を描いた『バスタオル』（[[福島次郎]]著）が1996年（平成8年）、第115回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]候補となった際、石原はこの小説を強く推し、「ここに描かれている高校教師とその生徒との関わりは間違いなく愛であり、しかも哀切である。誰かがこれが男と女の関係ならばただの純愛小説だといっていたが、もしそうとしてもそれがなぜ小説としての瑕瑾となるのか」、「この作品だけが私には官能的なものとして読めた。小説が与える官能こそが小説の原点的な意味に違いない」と賞賛している。因みに著者の福島は、三島由紀夫との赤裸々な同性愛関係を綴った「剣と寒紅」の著者でもある。2000年代に入った頃からは[[2010年]]（平成22年）[[12月3日]]の記者会見で、「テレビなんかにも同性愛者が平気で出るでしょ。日本は野放図になり過ぎている。」と同性愛者の露出に言及するなど、センセーショナルに報じられるようになる。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20101204ddlk13010267000c.html 都青少年健全育成条例改正案: PTA団体など、都に成立求め要望書/東京]&lt;br /&gt;
毎日新聞 2010年12月4日 地方版&amp;lt;/ref&amp;gt;。同年12月7日、この発言の真意を記者から尋ねられ、「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」と答えた。さらに過去に米・サンフランシスコを視察した際の感想を振り返り、「ゲイのパレードを見ましたけど、見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする」と話した。同性愛者のテレビ出演についても、「それをことさら売り物にし、ショーアップして、テレビのどうのこうのにするってのは、外国じゃ例がないね」と改めて言及した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101208k0000m040122000c.html 石原都知事：同性愛者「やっぱり足りない感じ」]毎日jp 2010年12月7日&amp;lt;/ref&amp;gt;。この発言は日本国外でも問題になり、国際人権団体[[ヒューマン・ライツ・ウォッチ]]は発言を撤回すべきだとする声明文を発表した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.hrw.org/ja/news/2011/02/01 日本　東京都知事は同性愛者差別発言を撤回すべき | Human Rights Watch]&amp;lt;/ref&amp;gt;。またWSJの日系記者は日本国内の一部のメディアしか大きく問題視しなかったことに疑問を呈した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://jp.wsj.com/US/Economy/node_179629 【肥田美佐子のNYリポート】米人権団体が石原都知事の同性愛差別発言に「ノー」 ウォールストリートジャーナル日本版]&amp;lt;/ref&amp;gt;。また人権救済申し立てを受けた[[日本弁護士連合会]]から2度にわたり警告を受けている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/complaint/year/2014/140422.html 元東京都知事石原慎太郎氏宛て警告（HTML版）][http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/hr_case/data/2014/complaint_140422.pdf 元東京都知事石原慎太郎氏宛て警告（文書）] 日本弁護士連合会2014年4月22日&amp;lt;/ref&amp;gt;。2010年代には、石原の同性愛に関する発言がセンセーショナルな話題になると、同年、同性愛者コミュニティや一般社会の橋渡し役となった個人や団体を表彰する目的で開催されるTokyo SuperStar Awards (TSSA) の「ラズベリー賞」（[[ゴールデンラズベリー賞]]の[[オマージュ]]）を受賞した。TSSA公式サイトよると、反同性愛的な独自の主張を展開しながらも、同性愛者が市長や市議会議長であるパリ市・ベルリン市及びニューヨーク市との姉妹友好都市を提携し、また、都民サービスの一環として東京都庁をTSSAの授賞式に利用させたり、2007年の[[ゲイ・パレード|LGBT パレード]]に都として後援したりするなど、「私利私欲・主張を傍らに、真摯に東京都民の公益のみに邁進」している点が評価されての受賞となった。副賞として、苺のミルフィーユ味のアイスクリームが送られた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite web|author=|authorlink=|coauthors=|date=2010-12-08|url=http://www.tokyosuperstarawards.com/?p=376|title=TSSA2010 ラズベリー賞の発表!!|work=PRESS |pages=|publisher=Tokyo SuperStar Awards|language=[[日本語]]|accessdate=2010-12-10}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |title=石原都知事、TSSAラスベリー賞を受賞 |author= |authorlink= |url= http://www.gaylife.co.jp/?p=1286 |agency= |newspaper= [[GAY LIFE JAPAN]] |publisher=コチ株式会社 |location= [[東京都]] |date= 2010-12-09 |page= |pages= |accessdate=2010-12-10 |language= [[日本語]]}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。その後、[[2012年]]、[[吉田豪]]によるインタビューでは同性愛者の[[美輪明宏]]について、彼が自分のことを凄い憎んでいたらしい、呪い殺すとかいったらしいと触れた上で、「大体男が、あの歳であんな格好で出てきやがってと思ってたけど、美輪も同時に気の毒になってきた」と発言した。[[おすぎとピーコ]]については、かつて選挙後の番組で税制の議論になった時に、「君ら歌手か？」と聞いたところ、（私たちオカマです、というから）「おまえらオカマか! 俺はオカマと[[ナマコ]]は大嫌いなんだよ!」と語ったと述べた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.news-postseven.com/archives/20120111_78820.html 石原慎太郎 おすぎとピーコに「オカマとナマコは大嫌い」発言 NEWSポストセブン2012.01.11 07:00]&amp;lt;/ref&amp;gt;。ただこのインタビューでも、「（同性愛者に）都知事は絶対ならないといわれたらしいですね。」との問いに、石原は「ああ、僕は純粋なヘテロですからね。」といいつつ、「いや、わからんよ、どんでん返ったら。」と発言してもいる。障害者についての発言が政治問題化したのは、[[1999年]]（平成11年）9月に東京都知事として府中療育センター（重度知的・身体[[障害者]]療育施設）を視察した後の記者会見での発言だった。「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。 絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって」と発言した。次いで「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする」と発言意図を説明した。上記の発言が一部のメディアで問題発言として報道され、知的障害者団体からも抗議された。石原は「文学者としての表現」と弁明している&amp;lt;ref&amp;gt;『[[朝日新聞]]』1999年9月18日&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[東京新聞]]はさらに詳しく発言を取材しており、視察の帰りがけに「入所者は自分がだれだか分からない。（彼らに）人生がない、というくくり方をする人もいるが、それなりの人生があるんだという一つの確信を持って仕事をしているのは、素晴らしいことだ」と発言していることを報じた。石原は自身の発言を[[差別]]発言として報道した[[朝日新聞社]]に対して、[[産経新聞]]紙上で「卑劣なセンセーショナリズムであり、アジテーションであり、社会的には非常に危険なこと」として批判している。[[ジェンダーフリー]]問題を巡り、[[フェミニスト]]とは日常的に応酬し合っている。「[[女性]]が[[生殖]]能力を失っても生きているってのは無駄で罪です &amp;lt;ref&amp;gt;NPO法人JKSK「[http://www.jksk.jp/j/matsunobu/200301.htm 異議あり-偉そうな男たちの言葉の暴力- (松信章子) ]」&amp;lt;/ref&amp;gt;」「男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、[[きんさん・ぎんさん]]の年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害」「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ」&amp;lt;ref&amp;gt;『[[週刊女性]]』2001年11月6日号&amp;lt;/ref&amp;gt;と識者の話を引用する形で発言をし([[ババア発言]])、[[裁判]]に発展したが、最高裁で石原側の勝訴が確定している。性の問題については『太陽の季節』などの小説で奔放な性を描き、都政でも未成年者の[[性行為|性交]]を禁止する条例案には疑問を示しており、必ずしも[[保守]]派と同じ歩調を取っているわけではない&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』 東京版 2004年9月25日付「中学生の性交渉条例で禁止せず 知事が表明」&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;老人の出処進退:[[1975年]]（昭和50年）、石原は初めて東京都知事選挙に出馬した際の演説において、対立候補の[[美濃部亮吉]]（当時71歳）に関して「もう新旧交代の時期じゃありませんか、美濃部さんのように[[前頭葉]]の退化した六十、七十の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか」と発言し&amp;lt;ref&amp;gt; [[沢木耕太郎]]著 沢木耕太郎ノンフィクションIII 時の廃墟 ISBN 4163648704 p.222『シジフォスの四十日』&amp;lt;/ref&amp;gt;、政治家は遅くとも70歳前に引退すべきとする考えを表明した。しかしながら、石原自身は78歳になってもなお、自らの都知事4期目当選を狙って[[2011年東京都知事選挙|2011年都知事選]]に立候補し、当選した。さらに、2012年には都知事を辞任して国会へ復帰し、新たに[[日本維新の会]]の代表になるなど、80歳を過ぎても政界から引退する意志は全くない考えを示している。&lt;br /&gt;
;冒険家堀江謙一の世界一周について:[[堀江謙一]]の277日間単独無寄港世界一周成功を全否定した。[[週刊プレイボーイ]]1975年11月25日号で「堀江クンの世界一周は、ヨット仲間の常識からいってウソなんだ。絶対にやってないよ。あのときつかったヨットではあんな短期間に世界一周ができるはずはないんだ。彼のほかにも、イギリスのロビン・ノックスが312日間、チャイ・ブロイスチャイ・ブロイス――（以下略）」&amp;lt;ref&amp;gt;[[週刊プレイボーイ]]1975年11月25日号&amp;lt;/ref&amp;gt;また、朝日新聞社の取材ヘリが堀江のマーメイド号から[[航海日誌]]を吊り上げ回収したことに「国際法違反だ」と指摘した。本多勝一は、『貧困なる精神（121）』において、この石原の行為を「小心者の卑劣な嫉妬心」と批判した。&lt;br /&gt;
;海外メディアの反応:[[オーストラリア放送協会|ABC]]からはフランスの極右政治家に例えて「日本の[[ジャン＝マリー・ル・ペン|ル・ペン]]」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.abc.net.au/worldtoday/stories/s546099.htm The World Today Archive - Japan's Le Pen] 2002.5.2 {{en icon}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[中央日報]]からは「極右&amp;lt;!-- 政治家 --&amp;gt;勢力の代表」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://jpadm.joins.com/article/article.php?aid=109998&amp;amp;servcode=500&amp;amp;sectcode=500 「中国が北朝鮮と合併するのがいちばん楽」] 中央日報2009年1月14日{{ja icon}}&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[フィガロ (新聞)|フィガロ]]や[[リベラシオン]]からは「[[国家主義]]的思想の持ち主」「右翼[[ポピュリズム|ポピュリスト]]」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-28/2006042804_03_0.html 石原都知事が「現代美術は無」-仏メディアが批判]（2006.4.28 しんぶん赤旗）&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[エコノミスト]]からは「日本右翼の年老いたゴロツキ（old rogue of the Japanese right）」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.economist.com/node/21564263 Nationalism in Japan：Beware the populists（日本のナショナリズム：ポピュリストを警戒せよ）] エコノミスト2012年10月6日{{en icon}}&amp;lt;/ref&amp;gt;と呼ばれるなど、各国のマスコミからは[[極右]]政治家と認識されている。石原は自らを「真ん中よりちょっと左と思っている」と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140324/stt14032407590001-n3.htm【単刀直言】石原慎太郎・日本維新の会共同代表] 産経新聞 2014月03月24日配信&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;諸団体との関わり&lt;br /&gt;
:2000年（平成12年）、[[犯罪被害者]]の権利確立を目指す[[全国犯罪被害者の会]]代表幹事の[[岡村勲]]弁護士が[[文藝春秋]]に寄稿した「私は見た『犯罪被害者』の地獄絵」を読み感銘を受けた石原のほか、[[瀬戸内寂聴]]（作家）、[[奥田碩]]（[[日本経済団体連合会|経団連]]会長、[[如水会]]理事長）、[[樋口廣太郎]]（[[アサヒビール]]名誉会長）が代表発起人となり「犯罪被害者の会を支援するフォーラム」が設立された。事務局長には石原と大学同期の[[高橋宏]]（[[首都大学東京]]理事長、[[如水会]]副理事長）と、山本千里（[[如水会]]理事兼事務局長）が就任した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.navs.jp/report/2/event1/event1-8.htm l 祝辞]全国犯罪被害者の会 NAVS【あすの会: シンポジウム】、[http://www.navs.jp/report/2/event1/event1-6.html 全国犯罪被害者の会を支援するフォーラム代表/首都大学東京理事長高橋宏氏]全国犯罪被害者の会 NAVS【あすの会: シンポジウム】。&amp;lt;/ref&amp;gt;。同フォーラムは全国犯罪被害者の会へ経済的支援を行い、2004年（平成16年）の[[犯罪被害者等基本法]]の成立、2007年（平成19年）の[[刑事訴訟法]]改正による[[被害者参加制度]]創設、2008年（平成20年）の[[犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律]]改正の実現などに尽力した&amp;lt;ref&amp;gt;[[松村恒夫]][http://www8.cao.go.jp/hanzai/kou-kei/houkoku_h20/asahikawa_giji_kicho.html 「犯罪被害者の現状と必要な支援」][[内閣府]],2008年&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;「[http://www8.cao.go.jp/hanzai/kou-kei/houkoku/osaka_contents.html 「犯罪被害者週間」国民のつどい]」内閣府,2006年&amp;lt;/ref&amp;gt;。岡村は[[2007年]]（平成19年）4月に開かれた如水会有志による「石原慎太郎東京都知事、激励と懇親の会」に出席、来賓祝辞を述べ、[[2007年東京都知事選挙]]で再選を目指す石原を激励した。2010年（平成22年）には全国犯罪被害者の会創立10周年記念シンポジウムが[[有楽町]]で開催され、代表幹事の岡村の開会あいさつの後、石原の祝辞があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:石原は政界進出にあたり、自身の後見人的立場だった当時の[[産経新聞]]社主[[水野成夫]]を介して[[霊友会]]の支持を取りつけ、大量の組織票を獲得する&amp;lt;ref&amp;gt;「てっぺん野郎本人も知らなかった石原慎太郎」佐野眞一 ISBN 4062119064&amp;lt;/ref&amp;gt;自らも霊友会の信者であり、自らの信仰についての著作（「法華経を生きる」など）も書いており、霊友会の機関誌「あした21」に連載を持っている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.reiyukai.or.jp/backnumber/backnumber_02_11.html あした21 (2002年) 11月号のご案内]&amp;lt;/ref&amp;gt;。霊友会初代会長小谷喜美を師として仰いでおり、霊友会現会長大形市太郎と対談を行っている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.reiyukai.or.jp/backnumber_05_01.html あした21 （2005年）1月号のご案内]&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、2002年（平成14年）には霊友会の新年会で挨拶を行っている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://web.archive.org/web/20070930124420/http://www.onokiyoko.com/album/main22.html 霊友会 新年会]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:[[公明党]]は[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]と並んで事実上石原都政の与党である&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-03-01/2007030125_01_0.html 東京都知事選 共産党が推す吉田万三氏 自公民が支える石原都政変える確かな力] 2007.3.1 しんぶん赤旗&amp;lt;/ref&amp;gt;2003年と2007年の選挙では選挙支援を受けている。[[2007年参院選]]では[[公明党]]による都知事選支援の見返りとして、東京選挙区から出馬する[[公明党]]公認の[[山口那津男]]の応援で街頭演説するなどしている&amp;lt;ref&amp;gt;{{リンク切れ|date=2010年3月}}http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/69566/&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1999年]]（平成11年）の都知事選の直前の[[週刊文春]]誌における「あなたの[[池田大作]]氏への人物評価をお聞かせ下さい」との質問に対して、「悪しき天才、巨大な俗物」と回答していた。あわせて創価学会に日本の政治が壟断されている現実を「情けない限り」と評していた&amp;lt;ref&amp;gt;『週刊文春』2007年3月29日号&amp;lt;/ref&amp;gt;。かつては[[創価学会]]に対する批判はしばしば辛辣を極め、『悪辣にして極めて危険な[[カルト]]集団』と表現するなど、長年にわたり『亡国の徒に問う』などの著書類をはじめとして、様々な媒体で批判を行っていた。日本の新興宗教論「巷の神々」を産経新聞に連載中に創価学会を取り上げ学会と争いになる&amp;lt;ref name=&amp;quot;isbn4344400011&amp;quot;&amp;gt;石原慎太郎『法華経を生きる』 ISBN 4344400011&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「[[戸塚ヨットスクール]]を支援する会」を組織し、戸塚ヨットスクールの教育方針を全面的に支持している。殊に、戸塚ヨットスクール主宰者である[[戸塚宏]]の教育方針の支柱をなす「[[脳幹論]]」（脳細胞そのものをトレーニングしてその機能を高めることにより、教育問題の解決を目指すと主張する&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.totsuka-yacht.com/kaikaku.htm 教育改革に関する意見 戸塚ヨットスクール]&amp;lt;/ref&amp;gt;）に共鳴し、「今の日本人が弱くなったのは[[脳幹]]が弱くなったからだ。これは医学的にも証明されている」とする主張を[[産経新聞]]のコラム（『日本よ』）や、自らの公式サイト上で公開している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:石原と同じく[[日本会議]]代表委員である「[[崇教真光]]」代表者・[[岡田恵珠]]と『岡田光玉師御対談集』（崇教真光編集）において、対談を行っている30ページの記事がある&amp;lt;ref&amp;gt;[http://web.archive.org/web/20021007225344/http://www.geocities.com/Tokyo/shrine/5712/protocols.htm THE DEMON IN THE PROTOCOLS] (Garry Greenwood,英語) &amp;lt;/ref&amp;gt;。長男の[[石原伸晃]]が少年の頃、[[岡田光玉]]と岡田恵珠が自宅に訪れたエピソードを伸晃が同宗教団体の42周年秋季大祭（[[2001年]]）の祝辞にて披露する&amp;lt;ref&amp;gt;『崇教真光』誌平成13年12月号&amp;lt;/ref&amp;gt;。また、伸晃は45周年秋季大祭（[[2004年]]）にて自身が信徒であることを明らかにし、信徒としての立場をメインに祝辞を述べている&amp;lt;ref&amp;gt;『崇教真光』誌 平成16年12月号&amp;lt;/ref&amp;gt;。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 新党構想 ===&lt;br /&gt;
:中央政界の政変の度に石原首相待望論・石原新党構想などが[[保守]]系マスコミを中心として頻繁に取り沙汰された。石原は中川の没後に派閥を継承したが福田派に吸収され、当時三塚派だった石原は永年勤続表彰の場での議員辞職表明という形で中央政界を去った。「石原新党」は2010年に「たちあがれ日本」への発起人参加という形で現実のものとなった。そして2012年10月25日、石原は東京都知事を辞任する意向を表明し、新党を結成、自身も次期衆院選に出馬することを明言した&amp;lt;ref name=&amp;quot;yomiuri20121025&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;asahi20121025&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 交流 ===&lt;br /&gt;
:大学同期の[[高橋宏]] (後の[[日本郵政]]副社長) 、[[高原須美子]] (元[[経済企画庁長官]]) 、[[鳥海巌]] (元[[丸紅]]社長) と親しく、4家族で毎年旅行にいく仲であった&amp;lt;ref&amp;gt;1999/05/31, 日本経済新聞&amp;lt;/ref&amp;gt;。のちに石原都政で、高原は[[都営地下鉄大江戸線|都営地下鉄12号線]]路線名称選考委員会委員長、鳥海は東京都の[[外郭団体]]から[[民営化]]された[[東京国際フォーラム]]の初代社長、高橋は都立大学を統合して設立された[[首都大学東京]]の初代理事長などをそれぞれ務めた。慎太郎は大学2年の終わり頃から、小金井の下宿を出て小平の一橋寮で暮らすようになった。これを機に高橋との交流は深まり、3年になると高橋のいる柔道部に入部した&amp;lt;ref&amp;gt;『てっぺん野郎─&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:90%&amp;quot;&amp;gt;本人も知らなかった石原慎太郎&amp;lt;/span&amp;gt;』219頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 議員連盟 ===&lt;br /&gt;
* [[憲法20条を考える会]]（顧問）&lt;br /&gt;
* [[国際観光産業振興議員連盟]]（最高顧問）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
=== 石原家 ===&lt;br /&gt;
; （[[愛媛県]][[松山市]]・[[八幡浜市]]・[[大洲市]]、[[兵庫県]][[神戸市]][[須磨区]]、[[北海道]][[小樽市]]、[[神奈川県]][[逗子市]]、[[東京都]]）&lt;br /&gt;
; 家系&lt;br /&gt;
: 慎太郎によれば、「私も幼い頃家族しての神奈川県から愛媛、[[広島]]への大[[旅行]]で父や母の実家を初めて訪れた時に会った、まだ元気でいた父の母親と母の父親の記憶をこの旅で見た他の何よりも強い印象で覚えていますが、何故かそれはその後私が成長していってからの方がますます鮮やかで確かな記憶として心に刻まれてきたような気がする。そして父や母が亡くなった後、父や母への追憶に重ねてそれがますます懐かしく鮮やかに思い出されるようになりました。」という&amp;lt;ref&amp;gt;石原慎太郎『法華経を生きる』217頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 石原家は'''潔''' (慎太郎の父) の2代前の石原安太夫の時代に絶家となった (理由は不明) &amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop29&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』29頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。それを再興するため服部家から服部信義の二男の信直が石原家に入った&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop29&amp;quot;/&amp;gt;。石原家再興の当主となった[[1862年]] ([[文久]]2年) 生まれの信直と、[[1867年]] ([[慶応]]3年) 生まれの妻ササヨの間には、潔を含めて6人の子供が生まれた&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop29&amp;quot;/&amp;gt;。長男の克己、長女の壽万 (すま) 、二男の静夫、三男の'''潔'''、二女の美壽 (みす) 、四男の真砂 (まさご) の6人である&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop29&amp;quot;/&amp;gt;。信直の職業は[[警察官]]だった&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop29&amp;quot;/&amp;gt;。'''潔'''は[[愛媛県]][[長浜町 (愛媛県)|長浜町]]（現[[大洲市]]）に生まれ、幼少期は八幡浜や宇和島など、西宇和、南宇和地区ですごした&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop19&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』19頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 石原本家の[[菩提寺]]は[[八幡浜市]][[保内町]]の龍潭（りょうたん）寺である&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop28&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』28頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 佐野との対談の中で慎太郎は「うちの本家はそもそも石原ではなく服部なんです。そんな[[名門|大家]]でもないけれど、元は、落魄 (らくはく) &amp;lt;ref name=&amp;quot;落魄(らくはく)&amp;quot;/&amp;gt;した[[士族]]です。先祖は[[武田氏|武田]]の[[浪士|残党]]でそれが[[松山市|松山]]に流れて服部姓を名乗った。[[弓 (武器)|弓]]の名人だったらしく、戦 (いくさ) で七人殺したか、まあ七十人は殺さなかったでしょうが (笑) 、それで七つ矢車の[[家紋]]を許された。歴代、服部勘助を名乗った服部本家の血筋をひいている親父の親父が石原家に入って、それ以来石原姓を名乗った。」と述べている&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop28&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: [[AERA]]誌のインタビューのとき、ノンフィクション作家の[[吉田司]]に慎太郎は「うちは[[士族]]の出でね&amp;lt;ref name=&amp;quot;taizyou_p190&amp;quot;&amp;gt;[[斎藤貴男]]・[[吉田司]]『石原慎太郎よ、退場せよ!』190頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。カッコいいんだ&amp;lt;ref name=&amp;quot;taizyou_p190&amp;quot;/&amp;gt;。武田の[[武士]]でね、弓矢の名人でね、[[家紋]]が7つ矢の矢車なんですよ&amp;lt;ref name=&amp;quot;taizyou_p190&amp;quot;/&amp;gt;。武田軍団って、戦強かったでしょ&amp;lt;ref name=&amp;quot;taizyou_p190&amp;quot;/&amp;gt;。うちの家訓はね、『明日の戦、わが身無念と心得べし』ってんですよ&amp;lt;ref name=&amp;quot;taizyou_p190&amp;quot;/&amp;gt;。つまり死ぬだろうと……&amp;lt;ref name=&amp;quot;taizyou_p190&amp;quot;/&amp;gt;。だから俺の親父もわりと覚悟して、毎晩接待で[[酒]]飲み続けて、仕事で死んでいった&amp;lt;ref name=&amp;quot;taizyou_p190&amp;quot;/&amp;gt;。『今宵の宴、わが身無念と心得べし』じゃないけどね (笑) &amp;lt;ref name=&amp;quot;taizyou_p190&amp;quot;/&amp;gt;」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 祖父・'''信直'''（[[警察官]]）&lt;br /&gt;
: [[1862年]]（[[文久]]2年) 生 - [[1922年]]（[[大正]]11年） 没&lt;br /&gt;
: 服部信義の二男として生まれ石原家に入った&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop29&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 祖母・'''ササヨ'''&lt;br /&gt;
: [[1867年]]（[[慶応]]3年）生 - 没&lt;br /&gt;
* 父・'''潔'''（[[商船三井|山下汽船]]社員）&lt;br /&gt;
: [[File:Ishihara Family.jpg|thumb|300px|right|&amp;lt;div style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;&amp;gt;[[北海道]]の[[小樽市|小樽]]にて家族写真&amp;lt;br /&amp;gt;(左から父・潔、弟・[[石原裕次郎|裕次郎]]、母・[[石原光子|光子]]、慎太郎)&amp;lt;/div&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
: [[1899年]]（[[明治]]32年）12月生 - [[1951年]]（[[昭和]]26年）10月没&lt;br /&gt;
:; 生い立ち&lt;br /&gt;
:: [[愛媛県]][[八幡浜市|八幡浜]]に隣接する[[長浜町 (愛媛県)|長浜]]という港町に生まれた&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop19&amp;quot;/&amp;gt;。[[警察官]]石原信直・ササヨの三男。父・信直の人事異動に伴って、幼い頃は信直の赴任先である愛媛県各地の[[派出所]]を随分転々とさせられた&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop30&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』30頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[1922年]]（[[大正]]11年）、父・信直が59歳で亡くなり、子供たちはみんな非常に苦労したという&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop47&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』47頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:; 山下汽船へ&lt;br /&gt;
:: [[1913年]]（[[大正]]2年）3月、宇和島男子尋常高等小学校を卒業し、旧制宇和島中学（現在の[[愛媛県立宇和島東高等学校|宇和島東高校]]）に進んだが、入学から一年もしないうちに同校を[[中退]]している&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop30&amp;quot;/&amp;gt;。中退の理由はわからない&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop30&amp;quot;/&amp;gt;。[[1914年]]（[[大正]]3年）、山下汽船に入社&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop28&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』28頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。当時潔はまだ14歳の少年だった&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop28&amp;quot;/&amp;gt;。潔の山下汽船入社時の身分は店童 (てんどう)&amp;lt;ref name=&amp;quot;Tendoup31-32&amp;quot;/&amp;gt;だった&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop31&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』31頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:: 慎太郎によれば、「（潔は）本当は大学へ行きたかったんだけど、家の事情で行けなかったようです&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop47&amp;quot;/&amp;gt;。家は落魄 (らくはく) &amp;lt;ref name=&amp;quot;落魄(らくはく)&amp;quot;&amp;gt;落魄（らくはく）とは、落ちぶれること&amp;lt;/ref&amp;gt;する一方だったようですからね&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop47&amp;quot;/&amp;gt;」という。&lt;br /&gt;
:: 店童 (てんどう)&amp;lt;ref name=&amp;quot;Tendoup31-32&amp;quot;/&amp;gt;として入社してから5年目[[台湾]]赴任時代の[[1919年]]（[[大正]]8年）12月正式の社員となった&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop173&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』173頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:: [[1942年]]（[[昭和]]17年）9月山下汽船小樽出張所は小樽支店に格上げされた&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop173&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』173頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。この組織改革に伴って潔はそれまでの小樽出張所長から小樽支店長心得に出世し、翌18年1月1日を以って、正式に小樽支店長となった&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop173&amp;quot;/&amp;gt;。慎太郎が10歳のときだった&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop173&amp;quot;/&amp;gt;。しかし潔が小樽支店長の肩書を使ったのは二ヵ月にも満たなかった&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop173&amp;quot;/&amp;gt;。同年2月15日には東京支店副長の辞令が出て、足かけ8年すごした小樽を後にした&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop173&amp;quot;/&amp;gt;。同じ年の10月には子会社の山下近海機船（昭和24年山下近海汽船に改組改称）に転出となり、山下汽船のほうは[[嘱託]]扱いとなった&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop174&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』174頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:: 店童 (てんどう) あがりだったにもかかわらず、最後は[[関連会社]]の[[重役]]&amp;lt;!--山下汽船本社の重役ではなく関連会社の重役--&amp;gt;にまで出世した。&lt;br /&gt;
:; 人柄&lt;br /&gt;
:: 妻光子が書いた『おばあちゃんの教育論』によると、潔は身長百七十五センチ、体重は八十キロもあった大男であだ名は“クマさん”だったという&amp;lt;ref&amp;gt;『てっぺん野郎─&amp;lt;small&amp;gt;本人も知らなかった石原慎太郎&amp;lt;/small&amp;gt;』 57-58頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
:: 先妻は元大同海運社長[[崎山好春]]の妻の[[姪]]にあたる&amp;lt;ref&amp;gt;『てっぺん野郎─&amp;lt;small&amp;gt;本人も知らなかった石原慎太郎&amp;lt;/small&amp;gt;』 49頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:: [[佐野眞一]]によれば、「[[商船三井|山下汽船]]OBたちの間からは潔を絶賛する声が次々とあがった&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop53&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』53頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。その評価のなかに仕事に関するものはほとんどなく、[[酒]]や人とのつきあいに関するものばかりだったといってよい&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop53&amp;quot;/&amp;gt;。潔が“人間的”魅力にあふれていたことは間違いないようである&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop53&amp;quot;/&amp;gt;。」という。&lt;br /&gt;
:: 慎太郎によれば、「親父は僕ら兄弟と一緒にいると、いつも相好を崩していた&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop62&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』62頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。怒るときは怒ったけど、ああいう偏愛っていうか溺愛っていうか、動物的な愛情の示し方は、おふくろはしなかった&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop62&amp;quot;/&amp;gt;。ですから、どこが似てるかっていわれれば、そういうところが似てると思うし、なんか言わなくていいことを言って、平気で相手をコキオロシたりするところは、おふくろに似てるし… (笑) &amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop62&amp;quot;/&amp;gt;。」という。&lt;br /&gt;
:; 晩年&lt;br /&gt;
:: 晩年には今まで家になかった[[仏壇]]をしつらえて、毎朝出勤する前に必ず合掌して[[お経]]を上げるようになったという&amp;lt;ref&amp;gt;石原慎太郎『法華経を生きる』99頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:: 慎太郎によれば、「朝など時折、前夜の接待が遅くまでになって、好きではあったが医者に禁じられている酒を毒と知りつつ自らに強いて接待に努め疲れて戻った父が、眠りも足りなかったのだろう、[[高血圧]]のせいもあって、舌がもつれて[[お経]]を読む声がいつもと違って少し呂律が回らず、自分でもそれがわかるのかいらいらしながら同じ部分を何度も唱えなおしているのを床の中で聞きながら、子供なりに心を痛めたのを覚えています。そして結局父は五十一歳で、当時としても若死にしました」という&amp;lt;ref&amp;gt;石原慎太郎『法華経を生きる』100頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 母・'''光子'''（加藤三之助の娘）&lt;br /&gt;
: [[File:Ishihara Mituko.jpg|thumb|150px|right|&amp;lt;div style=&amp;quot;text-align:center&amp;quot;&amp;gt;母・石原光子&amp;lt;br /&amp;gt;(神戸第二高女時代)&amp;lt;/div&amp;gt;]]&lt;br /&gt;
: [[1909年]]（[[明治]]42年）9月生 - [[1992年]]（[[平成]]4年）6月没。&lt;br /&gt;
:; 生い立ち&lt;br /&gt;
:: [[2002年]]（平成14年）[[2月24日]]に[[テレビ朝日]]系で放送された『[[グレートマザー物語]]』では、光子は[[広島県]]の生まれと紹介している。&lt;br /&gt;
:; 厳島での生活&lt;br /&gt;
:: 加藤家は[[厳島神社]]の[[参道]]で[[土産物]]屋を開いた。光子がいくつのとき厳島に移ってきたかははっきりしない。光子は[[大正]]末期か[[昭和]]のはじめ頃に厳島を出ていった。地元の古老によれば「光子が厳島を出ていったのは、[[継母]]との折り合いが悪かったからだろう」という。&lt;br /&gt;
:; 神戸での生活、結婚&lt;br /&gt;
:: 厳島を出た光子が誰を頼って神戸に出たかについてははっきりしていない。慎太郎によれば「神戸ではおばさんの家に寄宿していたんでしょう。その家は[[三宮]]にあって、[[貿易]]商だったみたいですよ。そこに預けられたけれど、[[従姉妹]]にあたる娘となかなかそりがあわなくて、ずいぶん意地悪されたって言ってましたけど。それで（第二高女を卒業後）東京に行ったんだという言い方をしてましたけどね。名前はたしかタケウチさんといったかな。」という&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop65&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』65頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:: 光子の神戸での寄宿先は竹内五一商店という貿易商だった&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop66&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』66頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&amp;lt;!-- 信憑性に乏しい人物(佐野眞一)による情報源の記述を修正 --&amp;gt;慎太郎は、潔と光子の[[見合い]]は[[芦屋]]に住む河野という女性が仲介したという話は聞いているが、それ以外は知らない、といった。&lt;br /&gt;
:: [[1927年]]（昭和2年）3月に神戸市立第二[[高等女学校]] (現[[神戸市立須磨高等学校|神戸市立須磨高校]]) を卒業した&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop62&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』62頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。第二高女を卒業した光子は絵描きを目指して上京した&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop66&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』66頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
[[File:Shori-sha poster detail.jpg|thumb|150px|right|弟・[[石原裕次郎|裕次郎]]]]&lt;br /&gt;
* 弟・'''[[石原裕次郎|裕次郎]]''' ([[俳優]]、歌手)&lt;br /&gt;
: [[1934年]]（[[昭和]]9年）12月生 - [[1987年]]（昭和62年）7月没。&lt;br /&gt;
:* 同妻・'''[[石原まき子|まき子]]''' (元[[俳優|女優]])&lt;br /&gt;
:* 子どもはない&lt;br /&gt;
* 妻・'''[[石原典子|典子]]'''（石田光治の娘）&lt;br /&gt;
: [[1938年]]（昭和13年） 1月生 -&lt;br /&gt;
: 典子の父親石田光治は落下傘の[[紐]]などを製造する東洋麻糸という[[紡績]][[会社]]に勤めていた&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop259&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』259頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。典子は父光治が同社の彦根工場に赴任し召集令状を受け中国戦線に出征した後、母方の実家のある[[広島市]]己斐町 (現・[[西区 (広島市)|西区]]己斐) で生まれた&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop259&amp;quot;/&amp;gt;。光治は典子が生まれて十ヵ月後の1938年 (昭和13年) 秋、中支の攻略戦で敵の弾丸を受け、胸部貫通銃創で戦死した&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop259&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 典子が慎太郎と母同士が知り合いだった関係で出会い、淡い憧れのような感情を抱いたのは12歳の頃だったという&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop255&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』255頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 結婚について慎太郎は[[阿川佐和子]]との対談で「まあね、面倒臭いからしちゃったんですよねえ&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop262&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』262頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。今でいう[[ラブホテル]]から二人で出てくるのを[[親戚]]に見つかって、おっかないおばあさんにいいつけられちゃった (笑) &amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop262&amp;quot;/&amp;gt;。それで、呼びつけられて&amp;quot;切れるか[[結婚]]するか、どっちだ?”って言われて、しょうがないから&amp;quot;結婚します&amp;quot;って決心しちゃったのよ (笑) &amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop263&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』263頁&amp;lt;/ref&amp;gt;」と述べている。&lt;br /&gt;
* 長男・'''[[石原伸晃|伸晃]]'''（政治家）&lt;br /&gt;
: [[1957年]]（昭和32年）4月生 -&lt;br /&gt;
:* 同妻・'''[[田中理佐|里紗]]'''（元女優・[[タレント]]）&lt;br /&gt;
* 次男・'''[[石原良純|良純]]'''（俳優・タレント、[[気象予報士]]）&lt;br /&gt;
: [[1962年]] (昭和37年) 1月生 -&lt;br /&gt;
* 三男・'''[[石原宏高|宏高]]'''（銀行員、政治家）&lt;br /&gt;
: [[1964年]]（昭和39年） 6月生 -&lt;br /&gt;
* 四男・'''[[石原延啓|延啓]]''' ([[画家]])&lt;br /&gt;
: [[1966年]]（昭和41年） 生 -&lt;br /&gt;
* '''末弟'''（あるいは'''従兄弟'''）&lt;br /&gt;
: [[1940年]]（昭和15年） 3月生 -&lt;br /&gt;
: 最初、潔の[[戸籍]]に入っていたが、のち他家に[[養子]]縁組した&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop154&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』154頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。この男性によれば、父親は潔ではなく潔の弟の真砂 (まさご) であるという&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop154&amp;quot;/&amp;gt;。なおこの男性の&amp;quot;父&amp;quot;という真砂 (まさご) と&amp;quot;母&amp;quot;という女性の間に正式の[[婚姻]]関係はない&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop153&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』153頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。この男性が[[養子]]縁組した祖母の家と、[[山下亀三郎]]の生家は直接の血縁関係はないが、遠い縁戚にあたる&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop154&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 異母兄（'''小河姓'''）&lt;br /&gt;
: 父・潔が先妻との間にもうけた子。&lt;br /&gt;
: 潔の[[姉]]壽万 (すま) 夫婦に子供がなかったため[[養子]]に行った。[[1952年]] ([[昭和]]27年) 、神戸商大を卒業して[[山下汽船]]と同じ[[資本]]系列にある第一汽船に入社した&amp;lt;ref&amp;gt;『てっぺん野郎─&amp;lt;small&amp;gt;本人も知らなかった石原慎太郎&amp;lt;/small&amp;gt;』48-54頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 伯母・'''壽万''' (すま、[[教員]])&lt;br /&gt;
: 父・潔の姉、異母兄 (小河姓) の[[養母]]。&lt;br /&gt;
: 慎太郎によれば「壽万 (すま) さんという伯母さんは苦労して資格をとって学校の先生になった」という&amp;lt;ref&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』47頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
: 慎太郎の異母兄 (小河姓) によれば「（壽万 (すま) の夫は）一時[[獣医]]をやっていましたが、すぐにやめて[[明石市]]の[[市役所]]の公吏になりました&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop50&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』50頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。仕事は[[税務]]関係です&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop50&amp;quot;/&amp;gt;。[[養母]]も明石小学校の[[教員]]をやっとったから、生活的には困ったことはありません&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop50&amp;quot;/&amp;gt;」という。&lt;br /&gt;
* 伯父・'''克己'''、'''静夫'''&lt;br /&gt;
: 父・潔の兄。&lt;br /&gt;
: [[1944年]]（[[昭和]]19年）から敗戦までは、[[家制度|本家]]である克己の石原家は[[八幡浜市|八幡浜]]から[[今治市|今治]]に[[疎開]]していた&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop39&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』39頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 叔父・'''真砂'''（まさご）&lt;br /&gt;
: [[1939年]]（[[昭和]]14年）没&lt;br /&gt;
: 父・潔の弟。&lt;br /&gt;
* 叔母・'''美壽'''（みす）&lt;br /&gt;
: 父・潔の妹。&lt;br /&gt;
* [[認知]]した子（'''男'''、元[[ホステス]]との間に出生、1994年認知）&lt;br /&gt;
: [[1996年]]（平成8年） 3月、慎太郎の[[愛人]]問題が発覚&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop404&amp;quot;&amp;gt;『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』404頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。このスキャンダルをスクープした写真週刊誌は、「愛人は[[銀座]]の高級クラブの元ホステスで、二人の間には一九八〇年代はじめに生まれた男の子もいる&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop404&amp;quot;/&amp;gt;。母子はいま母の故郷の雪深い町でひっそりと暮している。」と報じた&amp;lt;ref name=&amp;quot;Sanop404&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 小泉家との関係&lt;br /&gt;
: 妻典子の従兄弟の子にあたる美枝子が政治家の[[小泉純一郎]] (元首相) の実弟・正也と結婚した&amp;lt;ref&amp;gt;慎太郎は小泉が首相に就任する以前のインタビューで「小泉君は女房と同じ横須賀の出身で、[[親戚]]筋なんだ。血がつながってないんで、ほっとしているけど (笑) 」と述べている (系図でみる近現代より) &amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 系図 ===&lt;br /&gt;
東京都教育長　- [[小泉誠示]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;font-size:80%&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
{{familytree/start}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | |mata|-|yoshi| | | | |mata=[[小泉又次郎]]|yoshi=[[小泉芳江|芳江]]}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |:| |,|zyun|v|kou|zyun=[[小泉純一郎]]|kou=[[小泉孝太郎]]}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |:| |!| | | |!| |}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |}|-|(| | | |`|shin|shin=[[小泉進次郎]]}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |:| |!| |}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |:| |`|masa|masa=小泉正也}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | |sumi| | |:| | |sumi=[[小泉純也]]}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | | | | | |:| | }}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | |,|zyuu |-|kichi|-|mie| | | | | |zyuu=石田重蔵|kichi=石田吉之輔|mie=美枝子}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | |!| | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | |!| | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | |!| | | | | | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | |`|mitsu|-|nori| | | | |mitsu=石田光治|nori=[[石原典子|典子]]}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |:| |,|nobute|nobute=[[石原伸晃]]}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |:| |!| | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |}|-|+|yoshi|yoshi=[[石原良純]]}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |:| |!| | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |:| |)|hiro|hiro=[[石原宏高]]}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |:| |!| | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |:| |`|nobuh|nobuh=[[石原延啓]]}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | |,|shinn| | | | |shinn='''石原慎太郎'''|boxstyle_shinn=background-color: #afa;}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1|nobu|-|kiyo|!| | | | | |nobu=石原信直|kiyo=石原潔}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | |:| |!| | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | |}|-|(| | | | |}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | |:| |!| | | | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1|katou|-|mitu|!| | | | | | | |katou=加藤三之助|mitu=光子}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | |`|yuu| | | | |yuu=[[石原裕次郎]]}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |:| | |}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |:| | | | | }}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | | |:| | |}}&lt;br /&gt;
{{familytree|border=1| | | | | | | | |maki | |||maki=[[石原まき子|まき子]]}}&lt;br /&gt;
{{familytree/end}}&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
=== 創作 ===&lt;br /&gt;
{{Multicol}}&lt;br /&gt;
* [[太陽の季節]] 新潮社、 (1956年[[芥川龍之介賞|芥川賞]]受賞・1955年[[文学界新人賞]]受賞) のち新潮文庫 ISBN 4-10-111901-5&lt;br /&gt;
* 北壁 三笠書房 1956&lt;br /&gt;
* [[狂った果実 (小説)|狂った果実]] 新潮社、1956 のち角川文庫&lt;br /&gt;
* 日蝕の夏 三笠書房 1956&lt;br /&gt;
* 理由なき復讐 三笠書房 1956&lt;br /&gt;
* 若い獣 新潮社 1957 のち角川文庫&lt;br /&gt;
* [[完全な遊戯]] 新潮社、1958 のち角川文庫&lt;br /&gt;
** (完全な遊戯、若い獣、乾いた花、[[鱶女]]、[[ファンキー・ジャンプ]]、狂った果実)&lt;br /&gt;
* 海の地図 角川書店 1958 のち文庫&lt;br /&gt;
* 亀裂 文藝春秋新社、1958 のち角川文庫、新潮文庫 1960, ISBN 4-10-111902-3&lt;br /&gt;
* 月蝕 角川書店、1959 のち文庫&lt;br /&gt;
* 夜を探がせ 光文社 1959 のち角川文庫&lt;br /&gt;
* 男の掟 角川書店 1959&lt;br /&gt;
* 乾いた花 文藝春秋新社 1959&lt;br /&gt;
* 殺人教室 新潮社 1959 のち角川文庫&lt;br /&gt;
* 青年の樹 1-2 角川書店 1959-1960 のち文庫&lt;br /&gt;
* 挑戦 新潮社 1960 のち文庫&lt;br /&gt;
* 見知らぬ顔 新潮社 1960&lt;br /&gt;
* 青い糧 講談社 1961&lt;br /&gt;
* 汚れた夜 新潮社 1961 のち集英社文庫&lt;br /&gt;
* 死んでいく男の肖像 角川書店 1961&lt;br /&gt;
* 雲に向かって起つ 第1-2 集英社 1962&lt;br /&gt;
* 禁断 角川書店 1962 のち文庫&lt;br /&gt;
* 断崖 新潮社 1962&lt;br /&gt;
* 狼生きろ豚は死ね・幻影の城 新潮社 1963［戯曲］&lt;br /&gt;
* 日本零年 文藝春秋新社 1963 のち角川文庫&lt;br /&gt;
* 密航 新潮社 1963&lt;br /&gt;
* てっぺん野郎 青雲編 集英社 1963&lt;br /&gt;
* 死の博物誌 新潮社 1963&lt;br /&gt;
* '''石原慎太郎文庫''' 全8巻 河出書房新社 1964-1965&lt;br /&gt;
* 行為と死 河出書房新社 1964 のち新潮文庫&lt;br /&gt;
* てっぺん野郎 昇竜編 集英社 1964&lt;br /&gt;
* 銀色の牙 講談社 1964 のち角川文庫&lt;br /&gt;
* 傷のある羽根 文藝春秋新社 1964&lt;br /&gt;
* 終幕 集英社 1964 のち文庫&lt;br /&gt;
* 青春とはなんだ 講談社 1965 のち角川文庫&lt;br /&gt;
* 命の森 読売新聞社 1965 のち角川文庫&lt;br /&gt;
* 星と舵 河出書房新社 1965 のち新潮文庫&lt;br /&gt;
* おゝい、雲! サンケイ新聞出版局 1965 のち角川文庫&lt;br /&gt;
* 砂の花 新潮社 1965&lt;br /&gt;
* 人魚と野郎 集英社 1965 のち角川文庫&lt;br /&gt;
* 大いなる海へ 集英社 1965&lt;br /&gt;
* 還らぬ海 講談社 1966&lt;br /&gt;
* 飛べ、狼 講談社 1966&lt;br /&gt;
* 青い殺人者 集英社 1966 のち文庫&lt;br /&gt;
* 野性の庭 河出書房 1967&lt;br /&gt;
* 黒い環 河出書房新社 1967&lt;br /&gt;
* 野蛮人のネクタイ 読売新聞社 1968 のち集英社文庫&lt;br /&gt;
* 鎖のついた椅子 新潮社 1969&lt;br /&gt;
{{Multicol-break}}&lt;br /&gt;
* 化石の森 ([[芸術選奨]]文部大臣賞受賞) 新潮社 1970 のち文庫&lt;br /&gt;
* 野蛮人の大学 集英社 1971 のち文庫&lt;br /&gt;
* 信長記 河出書房新社 1972&lt;br /&gt;
* 石原慎太郎短編全集 新潮社 1973&lt;br /&gt;
* 男の海 集英社 1973&lt;br /&gt;
* 風の神との黙約 北洋社 1975［散文詩集］&lt;br /&gt;
* 大いなる手との黙約 文藝春秋 1976&lt;br /&gt;
* 光より速きわれら 新潮社 1976&lt;br /&gt;
* 刃鋼 文藝春秋 1976 のち角川文庫&lt;br /&gt;
* 暗闇の声 光文社 1977&lt;br /&gt;
* 嫌悪の狙撃者 中央公論社 1978 のち文庫&lt;br /&gt;
* 一点鐘 集英社 1979&lt;br /&gt;
* 亡国 日本の突然の死 角川書店 1982 のち文庫&lt;br /&gt;
* 大いなる海へ 舵社 1983 (海洋文庫)&lt;br /&gt;
* 秘祭 新潮社 1984 のち文庫&lt;br /&gt;
* 生還 ([[平林たい子賞]]受賞) 新潮社 1988 ISBN 4-10-301505-5&lt;br /&gt;
* 不思議な不思議な航海 白泉社 1990［絵本］&lt;br /&gt;
* [[わが人生の時の時]] 新潮社 1990 のち文庫&lt;br /&gt;
* 十代のエスキース 成瀬書房 1991［画集］&lt;br /&gt;
* 遭難者 新潮社 1992&lt;br /&gt;
* 風についての記憶 集英社 1994 のち幻冬舎文庫 ISBN 4-08-774059-5&lt;br /&gt;
* わが人生の時の会話 集英社 1995 のち幻冬舎文庫 ISBN 4-08-774163-X&lt;br /&gt;
* 弟 ([[毎日出版文化賞]]特別賞受賞) 幻冬舎 1996 のち文庫 ISBN 4-87728-119-3&lt;br /&gt;
* 肉体の天使 新潮社 1996&lt;br /&gt;
* 聖餐 幻冬舎 1999 のち文庫 ISBN 4-87728-306-4&lt;br /&gt;
* 僕は結婚しない 文藝春秋 2001 のち文庫 ISBN 4-16-320380-X&lt;br /&gt;
* 『石原愼太郎の文学』全10巻 文藝春秋 2007 (以下が収録作品。括弧の数字は収録巻)&lt;br /&gt;
** 刀鋼 (はがね) (1) ISBN 4-16-641580-8&lt;br /&gt;
** 化石の森 (2)&lt;br /&gt;
** 亀裂 (3)&lt;br /&gt;
** 死の博物誌 (3)&lt;br /&gt;
** 星と蛇 (4)&lt;br /&gt;
** 風についての記憶 (4)&lt;br /&gt;
** 行為と死 (5)&lt;br /&gt;
** 暗殺の壁画 (5)&lt;br /&gt;
** 光より速きわれら (6)&lt;br /&gt;
** 秘祭 (6)&lt;br /&gt;
** 生還 (7)&lt;br /&gt;
** 弟 (7)&lt;br /&gt;
** わが人生の時の時 (8)&lt;br /&gt;
** 短編集I『太陽の季節』『完全な遊戯』 (9)&lt;br /&gt;
** 短編集II『遭難者』 (10)&lt;br /&gt;
* 火の島 文藝春秋、2008&lt;br /&gt;
* 生死刻々 文藝春秋、2009&lt;br /&gt;
* 再生 文藝春秋、2010&lt;br /&gt;
{{Multicol-end}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 短編作品 ===&lt;br /&gt;
* 灰色の教室  一橋文芸 復刊第1号、1954年12月&lt;br /&gt;
* 太陽の季節  文學界 1955年7月号&lt;br /&gt;
* 冷たい顔  文學界 1955年9月号&lt;br /&gt;
* 取り返せぬもの  新女苑 11月号&lt;br /&gt;
* 奪われぬもの  文學界 1956年2月号&lt;br /&gt;
* 処刑の部屋  新潮 1956年3月号&lt;br /&gt;
* 日蝕の夏  別冊文藝春秋 50号、1956年3月&lt;br /&gt;
* 失われた女  新女苑 1956年3月号&lt;br /&gt;
* 北壁  新潮 1956年6月号&lt;br /&gt;
* 空港にて  別冊文藝春秋 52号、1956年6月&lt;br /&gt;
* 悪い夢  小説新潮 1956年6月号&lt;br /&gt;
* 透きとおった時間  文學界 1956年7月号&lt;br /&gt;
* 狂った果実  オール讀物 1956年7月号&lt;br /&gt;
* 婚約指輪  小説公園 1956年7月号&lt;br /&gt;
* 青い舷燈  知性 1956年8月号&lt;br /&gt;
* 傷痕  別冊文藝春秋 54号、1956年10月&lt;br /&gt;
* 恋の戯れ  新潮 1956年11月号&lt;br /&gt;
* 男だけ  別冊文藝春秋 55号、1956年11月&lt;br /&gt;
* 舞扇  小説春秋 1956年12月号&lt;br /&gt;
* ヨットと少年  理由なき復讐 （三笠書房、1956年）に書き下ろし&lt;br /&gt;
* 若い獣  文藝春秋 1957年1月号&lt;br /&gt;
* 旅の果て  文藝 1957年1月号&lt;br /&gt;
* 接吻泥棒  オール讀物 1957年2月号&lt;br /&gt;
* 蟷螂の庭  新潮 1957年4月号&lt;br /&gt;
* 白い翼の男  別冊文藝春秋 58号、1957年6月&lt;br /&gt;
* 谷川  知性 1957年8月号&lt;br /&gt;
* 完全な遊戯  新潮 1957年10月号&lt;br /&gt;
* ギンザ・ファンタジア  オール讀物 1957年10月号&lt;br /&gt;
* それだけの世界  別冊文藝春秋 61号、1957年12月&lt;br /&gt;
* 栄光を白き腕に  小説新潮 1958年1月号&lt;br /&gt;
* 水中花  宝石 1958年2月号&lt;br /&gt;
* 乾いた花  新潮 1958年6月号&lt;br /&gt;
* 怒りの果実  オール讀物 1958年6月号&lt;br /&gt;
* 男の掟  別冊文藝春秋 65号、1958年8月&lt;br /&gt;
* 鱶女  文學界 1958年10月号&lt;br /&gt;
* 遊戯の終点  小説新潮 1958年10月号&lt;br /&gt;
* 不死鳥  オール讀物増刊　スポーツ読本 1958年10月号&lt;br /&gt;
* 夜の道  新潮 1959年7月号&lt;br /&gt;
* 太陽の餌  聲 4号、1959年7月&lt;br /&gt;
* ファンキー・ジャンプ  文學界 1959年8月号&lt;br /&gt;
* ともだち  新潮 1959年8月号&lt;br /&gt;
* 顔のない男  オール讀物 1959年8月号&lt;br /&gt;
* 男たち  文學界 1959年10月号&lt;br /&gt;
* 殺人キッド  中央公論 文芸特集臨時増刊号、1959年10月&lt;br /&gt;
* 殺人教室  日本 1959年10月号&lt;br /&gt;
* 見知らぬ顔  小説新潮 1959年10月号&lt;br /&gt;
* 題名のないバラード  小説新潮 1959年4月号&lt;br /&gt;
* 十八歳  小説中央公論 臨時増刊号、1960年7月&lt;br /&gt;
* 黒い声  オール讀物 1960年7月号&lt;br /&gt;
* 誰  小説新潮 1960年8月号&lt;br /&gt;
* 神立ち船  小説新潮 1960年10月号&lt;br /&gt;
* ファンキーな出会い 〈恋のもざいく(1)〉 女性自身 1960年9月28日号&lt;br /&gt;
* 最後の接吻 〈恋のもざいく(2)〉 女性自身 1960年10月5日号&lt;br /&gt;
* 海は許す 〈恋のもざいく(3)〉 女性自身 1960年10月12日号&lt;br /&gt;
* ある別れ 〈恋のもざいく(4)〉 女性自身 1960年10月19日号&lt;br /&gt;
* 声  小説中央公論 第2号、1960年10月&lt;br /&gt;
* 密航  別冊文藝春秋 74号、1960年12月&lt;br /&gt;
* 吹きっさらし  小説中央公論 1961年1月号&lt;br /&gt;
* 紅い祭礼  小説新潮 1961年1月号&lt;br /&gt;
* 死んでいく男の肖像  オール讀物 1961年1月号&lt;br /&gt;
* 失われた道標  別冊文藝春秋 1961年3月&lt;br /&gt;
* 鴨  中央公論 1961年4月号&lt;br /&gt;
* 人間  新潮 1961年5月号（ 死の博物誌 に収録）&lt;br /&gt;
* 花火  小説新潮 1961年8月号&lt;br /&gt;
* 喪われた街  オール讀物 1961年9月号&lt;br /&gt;
* 十年選手  別冊文藝春秋 1961年9月号&lt;br /&gt;
* 腕  小説新潮 1961年11月号（ 死の博物誌 に収録）&lt;br /&gt;
* フィッシング・ボートの日記  日本 1961年11月号&lt;br /&gt;
* 明日に船出を  別冊文藝春秋 78号、1961年12月&lt;br /&gt;
* 鼓斬り  オール讀物 1962年2月号&lt;br /&gt;
* 朝の微笑  新潮 1962年2月号&lt;br /&gt;
* 小さき闘い  文學界 1962年8月号（ 死の博物誌 に収録）&lt;br /&gt;
* 青い島白い波  別冊文藝春秋 81号、1962年9月&lt;br /&gt;
* 顔のない女  別冊文藝春秋 82号、1962年12月&lt;br /&gt;
* 閉ざされた部屋  文學界 1963年1月号&lt;br /&gt;
* 傷のある羽根  オール讀物 1963年1月号&lt;br /&gt;
* 白い小さな焔  文藝 1963年2月号&lt;br /&gt;
* 雲の上にいた  別冊文藝春秋 83号、1963年3月&lt;br /&gt;
* 狼の王子  小説新潮 1963年4月号&lt;br /&gt;
* 還らぬ海  文學界 1963年5月号&lt;br /&gt;
* 弔鐘  オール讀物 1963年6月号&lt;br /&gt;
* リキとタクとルリ  別冊文藝春秋 84号、1963年6月&lt;br /&gt;
* 屍体  文藝 1963年8月（ 死の博物誌 に収録）&lt;br /&gt;
* 裸の踊り子  オール讀物 1963年12月号&lt;br /&gt;
* 悪い娘  別冊文藝春秋 86号、1963年12号&lt;br /&gt;
* 鉛の部屋  小説現代 1964年5月号&lt;br /&gt;
* 歴史の外で  オール讀物 1964年7月号&lt;br /&gt;
* 飛べ、狼  別冊文藝春秋 89号、1964年9月&lt;br /&gt;
* 聖書  オール讀物 1964年12月号&lt;br /&gt;
* 暴力  小説現代 1964年12月号&lt;br /&gt;
* 虚無と貞操  別冊文藝春秋 90号、1964年12月&lt;br /&gt;
* 一点鐘  風景 1965年1月号&lt;br /&gt;
* 貧しい海  文藝春秋 1965年1月号&lt;br /&gt;
* 大計画  オール讀物 1965年4月号&lt;br /&gt;
* 錆色の塔  小説新潮 1965年5月号&lt;br /&gt;
* 獅子の倒れた夜  日本 1965年7月号&lt;br /&gt;
* 盲目の天使  別冊文藝春秋 93号、1965年9月&lt;br /&gt;
* 灰波  文藝 1965年10月&lt;br /&gt;
* 天使よ、俺を起こしてくれ  オール讀物 1965年11月号&lt;br /&gt;
* 水際の塑像  文藝 1966年1月号&lt;br /&gt;
* 聖衣  小説現代 1966年1月号&lt;br /&gt;
* 沈黙  文藝春秋 1966年3月号&lt;br /&gt;
* 野生の庭  文藝 1966年5月号&lt;br /&gt;
* 神の鎖  小説現代 1966年12月号&lt;br /&gt;
* 失踪者  別冊文藝春秋 98号、1966年12月&lt;br /&gt;
* 天使たちの革命  文藝 1967年1月号&lt;br /&gt;
* 癌対策――革命の童話  オール讀物 19661967年1月号*1&lt;br /&gt;
* 死に神と殺し屋  オール讀物 1967年1月号初出不明*2&lt;br /&gt;
* 待伏せ  季刊藝術 1号、1967年4月&lt;br /&gt;
* L・S・D  文學界 1968年2月号&lt;br /&gt;
* 鎖のついた椅子  文學界 1969年2月号&lt;br /&gt;
* 神異  文藝春秋 1969年2月号&lt;br /&gt;
* 機密報告――ニッポンの危機　一九七×年  小説宝石 1969年2月号&lt;br /&gt;
* 明月鏡  文藝 1971年1月号&lt;br /&gt;
* 条約  文藝春秋 1972年1月号&lt;br /&gt;
* 国家についての個人的会話――歴史の備忘ノート  別冊文藝春秋 118号、1971年12月&lt;br /&gt;
* 桃花  文藝 1973年1月号（* 公人 と改題）&lt;br /&gt;
* 甘い毒  新潮 1973年7月号（ 光より速きわれら に収録）&lt;br /&gt;
* 救済  文學界 1973年7月号&lt;br /&gt;
* 天体  新潮 1973年8月号（ 光より速きわれら に収録）&lt;br /&gt;
* 院内  文學界 1974年1月号&lt;br /&gt;
* 孤島  新潮 1974年1月号&lt;br /&gt;
* 饗宴  新潮 1974年12月号（ 光より速きわれら に収録）&lt;br /&gt;
* 視つめている眼  別冊文藝春秋 132号、1975年6月&lt;br /&gt;
* 舞踏  文藝 1975年8月号（ 光より速きわれら に収録）&lt;br /&gt;
* パティという娼婦  野性時代 1978年6月号&lt;br /&gt;
* ボストンの夜  文藝 1981年8月号&lt;br /&gt;
* きょうだい  すばる 1990年8月号&lt;br /&gt;
* ある行為者の回想  新潮 1992年1月号&lt;br /&gt;
* 遭難者  新潮 1992年5月号&lt;br /&gt;
* 風の使途たち  すばる 1992年8月号（ 風についての記憶 に収録）&lt;br /&gt;
* 風の罠  すばる 1993年1月号（ 風についての記憶 に収録）&lt;br /&gt;
* 風についての記憶  すばる 1993年10月号（ 風についての記憶 に収録）&lt;br /&gt;
* 山からの声  新潮 1994年10月号&lt;br /&gt;
* 海からの声  新潮 1994年11月号&lt;br /&gt;
* 肉体の天使  新潮 1996年1月号&lt;br /&gt;
* 沢より還る  新潮 1996年9月号&lt;br /&gt;
* 海にはすべて  新潮 1998年1月号&lt;br /&gt;
* 空からの声  すばる 1999年3月号&lt;br /&gt;
* 青木ヶ原  新潮 2000年1月号&lt;br /&gt;
* 生き残りの水兵  新潮 2001年2月号&lt;br /&gt;
* ブラックリング  新潮 2002年1月号&lt;br /&gt;
* 夢のつづき――続 青木ケ原  文學界 2010年7月号&lt;br /&gt;
* 夢々々  文學界 2011年3月&lt;br /&gt;
* 世の中おかしいよ  文學界 2012年4月号&lt;br /&gt;
* 僕らは仲が良かった  文學界 2013年1月号&lt;br /&gt;
* 連作短篇集「やや暴力的に」文藝界　2013年10月号&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
{{Multicol}}&lt;br /&gt;
* 青春にあるものとして 河出書房 1956&lt;br /&gt;
* 価値紊乱者の光栄 凡書房 1958&lt;br /&gt;
* これが恋愛だ 講談社 1960&lt;br /&gt;
* 南米横断一万キロ 講談社 1960&lt;br /&gt;
* 孤独なる戴冠 河出書房新社 1966 のち角川文庫&lt;br /&gt;
* 青春との対話 (人生のことば) 番町書房 1967&lt;br /&gt;
* 巷の神々 サンケイ新聞出版局 1967&lt;br /&gt;
* 怒りの像 サンケイ新聞社出版局 1968 のち角川文庫&lt;br /&gt;
* 祖国のための白書 集英社 1968&lt;br /&gt;
* プレイボーイ哲学 集英社 (プレイボーイ・ブックス) 1968&lt;br /&gt;
* スパルタ教育 強い子どもに育てる本 光文社 1969 (カッパ・ホームス)&lt;br /&gt;
* 慎太郎の政治調書 講談社 1970&lt;br /&gt;
* 慎太郎の第二政治調書 講談社 1971&lt;br /&gt;
* 男の世界 集英社 1971&lt;br /&gt;
* 真実の性教育 学校では教えない人間の性 光文社 1972 (カッパ・ホームス)&lt;br /&gt;
* 酒盃と真剣 対話集 参玄社 1973&lt;br /&gt;
* 新和漢朗詠集 現代に息づく日本人の鼓動 いんなあとりっぷ 1973&lt;br /&gt;
* 対極の河へ 河出書房新社 1974&lt;br /&gt;
* 息子をサラリーマンにしない法 わが子よオレを越えて行け 光文社 1975 (カッパ・ホームス)&lt;br /&gt;
* 真の革新とはなにか 対論集 読売新聞社 1976&lt;br /&gt;
* 伯爵夫人物語 ヨットと海を愛する歓び 集英社 1976&lt;br /&gt;
* 情熱のための航海 大和出版 1976 (わが人生観)&lt;br /&gt;
* 戦士の羽飾り 男の博物誌 角川書店 1979&lt;br /&gt;
* バカでスウェルな男たち 男の美学 プレジデント社 1984&lt;br /&gt;
* 暗殺の壁画 河出書房新社 1984［ノンフィクション］&lt;br /&gt;
* 流砂の世紀に 新潮社 1985&lt;br /&gt;
* 現代史の分水嶺 文藝春秋 1987 のち文庫&lt;br /&gt;
* 拝啓息子たちへ 父から四人の子へ人生の手紙 光文社 1987 (カッパ・ホームス)&lt;br /&gt;
* 時の潮騒 日本と世界をめぐる父と子の14の対話 PHP研究所 1990 のち文庫&lt;br /&gt;
* 光速の時代に PHP研究所 1991&lt;br /&gt;
* 来世紀の余韻 中央公論社 1991&lt;br /&gt;
* [[三島由紀夫]]の日蝕 新潮社 1991 ISBN 4-10-301507-1&lt;br /&gt;
{{Multicol-break}}&lt;br /&gt;
* 禁断の島へ [[加納典明]]、大津善彦写真 集英社 1992&lt;br /&gt;
* かくあれ祖国 誇れる日本国創造のために 光文社 1994&lt;br /&gt;
* 亡国の徒に問う 文藝春秋 1996 のち文庫&lt;br /&gt;
* &amp;quot;父&amp;quot;なくして国立たず 光文社 1997 ISBN 4-334-97150-4&lt;br /&gt;
* 法華経を生きる 幻冬舎 1998 のち文庫 ISBN 4-87728-271-8&lt;br /&gt;
* 国家なる幻影 わが政治への反回想 文藝春秋 1999 のち文庫&lt;br /&gt;
* この日本をどうする 再生のための10の対話 文藝春秋 2001 のち文庫&lt;br /&gt;
* いま魂の教育 光文社 2001 ISBN 4-334-97225-X&lt;br /&gt;
* 生きるという航海 海竜社 2001 のち幻冬舎文庫&lt;br /&gt;
* 東京の窓から日本を 1-3 文春ネスコ 2001-2003&lt;br /&gt;
* わが人生の時の人々 文藝春秋 2002 のち文庫 ISBN 4-16-712809-8&lt;br /&gt;
* 老いてこそ人生 幻冬舎 2002 のち文庫 ISBN 4-344-40382-7&lt;br /&gt;
* 日本よ 扶桑社 2002 のち文庫&lt;br /&gt;
* 惰眠を貪る国へ 東京をテコに国を変える挑戦 扶桑社 2004&lt;br /&gt;
* 息子たちと私-子供あっての親 幻冬舎 2005 のち文庫 ISBN 4-344-01064-7&lt;br /&gt;
* 人の心を動かす「名言」 新装版 [[ロングセラーズ]] 2005 ISBN 978-4845404483&lt;br /&gt;
* 日本よ、再び 産経新聞出版 2006&lt;br /&gt;
* 東京の窓から世界を 対談集 PHP研究所 2007 ISBN 4-569-64656-5&lt;br /&gt;
* オンリー・イエスタディ 幻冬舎 2008&lt;br /&gt;
* 私の好きな日本人 [[幻冬舎]] 2008 のち新書&lt;br /&gt;
* 新・堕落論-我欲と天罰 2011 [[新潮新書]] ISBN 978-4106104268&lt;br /&gt;
{{Multicol-end}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 共著 ==&lt;br /&gt;
* 新旧の対決か調和か [[賀屋興宣]] 経済往来社 1969&lt;br /&gt;
* 人間の原点 対話 [[小谷喜美]] サンケイ新聞社出版局 1969&lt;br /&gt;
* いかに国を守るか [[羽仁進]]、[[藤原弘達]] 日新報道 1970&lt;br /&gt;
* エベレスト 日本エベレスト・スキー探検隊の記録 [[三浦雄一郎]]共著 文藝春秋 1970&lt;br /&gt;
* 闘論 君は日本をどうするか [[野坂昭如]] 文藝春秋 1975&lt;br /&gt;
* 「NO」と言える日本 (共著: 盛田昭夫) 光文社カッパ・ホームス 1989 ISBN 4-334-05158-8&lt;br /&gt;
* それでも「NO」と言える日本 -日米間の根本問題- (共著: [[渡部昇一]]・[[小川和久]]) 光文社 1990 ISBN 4-334-05174-X&lt;br /&gt;
* 断固「NO」と言える日本 (共著: [[江藤淳]]) 光文社 1991 ISBN 4-334-05184-7&lt;br /&gt;
* 「No」と言えるアジア 対欧米への方策 [[マハティール]] 光文社 1994&lt;br /&gt;
* 宣戦布告「NO」と言える日本経済 アメリカの金融奴隷からの解放 [[市川周]]共著 光文社 1998 ISBN 4-334-97190-3&lt;br /&gt;
* 「アメリカ信仰」を捨てよ 二〇〇一年からの日本戦略 一橋総合研究所共著 光文社 2000&lt;br /&gt;
* 勝つ日本 [[田原総一朗]] 文藝春秋 2000 のち文庫&lt;br /&gt;
* 永遠なれ、日本 元総理と都知事の語り合い [[中曽根康弘]] PHP研究所 2001 のち文庫&lt;br /&gt;
* 人生への恋文-往復随筆 [[瀬戸内寂聴]] 世界文化社 2003 文春文庫 2008&lt;br /&gt;
* 日本の力 田原総一朗 文藝春秋 2005 のち文庫&lt;br /&gt;
* 生きる自信 健康の秘密 [[石原結實]]対談 海竜社 2008&lt;br /&gt;
* 鍛える! 嫌われても憎まれても果たすべき大人の役割 [[松平康隆]]対談 小学館 2009 ISBN 978-4093878449&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作詩曲 ==&lt;br /&gt;
* [[狂った果実 (小説)#映画版|狂った果実]] (曲: [[佐藤勝]]、歌唱: 石原裕次郎)&lt;br /&gt;
* [[青年の樹 (1960年の映画)|青年の樹]] (曲: [[山本直純]]、歌唱: [[三浦洸一]])&lt;br /&gt;
* [[夏の終わり]] (曲: 石原慎太郎、歌唱: [[ペギー葉山]]&amp;amp;石原慎太郎)&lt;br /&gt;
* [[青年の国をつくろう]] (曲: [[小林亜星]]、歌唱: 石原裕次郎)&lt;br /&gt;
* [[泣きながら微笑んで]] (曲: 石原慎太郎、歌唱: 石原裕次郎)&lt;br /&gt;
* [[さあ太陽を呼んでこい]] (曲: 山本直純、歌唱: [[東京放送児童合唱団]])&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 翻訳 ==&lt;br /&gt;
* ロバート・J.リンガー『型破りで勝つ!』三笠書房 1978&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外国語訳 ==&lt;br /&gt;
* &amp;lt;i&amp;gt;Season of Violence. The Punishment Room. The Yacht and the Boy.&amp;lt;/i&amp;gt; John G. Mills, Toshie Takahama &amp;amp; Ken Tremayne. Rutland, Vt. : C. E. Tuttle Co., 1966 (太陽の季節、処刑の部屋、ヨットと少年）&lt;br /&gt;
* &amp;lt;i&amp;gt; Undercurrents: Episodes from a Life on the Edge&amp;lt;/i&amp;gt;（わが人生の時の時）Wayne P. Lammers 2006&lt;br /&gt;
* &amp;lt;i&amp;gt;The Japan That Can Say NO&amp;lt;/i&amp;gt; 『NOといえる日本』&lt;br /&gt;
* &amp;lt;i&amp;gt;Le Japon sans Complexe&amp;lt;/i&amp;gt; 『NOといえる日本』フランス語&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連作品 ==&lt;br /&gt;
=== 映画 ===&lt;br /&gt;
{{Multicol}}&lt;br /&gt;
* [[太陽の季節#映画|太陽の季節]] (1956年、原作・出演)&lt;br /&gt;
* [[処刑の部屋]] (1956年、原作)&lt;br /&gt;
* [[狂った果実 (小説)#映画版|狂った果実]] (1956年、脚本・原作・出演)&lt;br /&gt;
* [[日蝕の夏]] (1956年、脚本・原作・出演)&lt;br /&gt;
* [[婚約指輪 (映画)|婚約指輪]] (1956年、脚本・原作・出演)&lt;br /&gt;
* [[月蝕 (映画)|月蝕]] (1956年、原作)&lt;br /&gt;
* [[危険な英雄]] (1957年、出演)&lt;br /&gt;
* [[穴 (1957年の映画)|穴]] (1957年、唄・出演)&lt;br /&gt;
* [[俺は待ってるぜ]] (1957年、脚本)&lt;br /&gt;
* [[錆びたナイフ]] (1958年、脚本・原作)&lt;br /&gt;
* [[霧の中の男]] (1958年、脚本・原作)&lt;br /&gt;
* [[死の壁の脱出]] (1958年、脚本)&lt;br /&gt;
* [[若い獣]] (1958年、監督・脚本・原作)&lt;br /&gt;
* [[完全な遊戯]] (1958年、原作)&lt;br /&gt;
* [[海は狂っている]] (1959年、脚本・原作)&lt;br /&gt;
* [[海の地図]] (1959年、原作)&lt;br /&gt;
* [[海底から来た女]] (1959年、脚本・原作)&lt;br /&gt;
* [[夜を探がせ]] (1959年、原作)&lt;br /&gt;
* [[青年の樹 (1960年の映画)|青年の樹]] (1960年、原作)&lt;br /&gt;
* [[接吻泥棒]] (1960年、原作・出演)&lt;br /&gt;
* [[トップ屋を殺せ]] (1960年、脚本)&lt;br /&gt;
* [[愛と炎と]] (1961年、原作)&lt;br /&gt;
* [[青い狩人]] (1961年、原作)&lt;br /&gt;
* [[雲に向かって起つ (映画)|雲に向かって起つ]] (1962年、原作)&lt;br /&gt;
* [[禁断]] (1962年、原作)&lt;br /&gt;
* [[二十歳の恋]] (1962年、監督・脚本)&lt;br /&gt;
{{Multicol-break}}&lt;br /&gt;
* [[素晴らしい悪女]] (1963年、原作)&lt;br /&gt;
* [[狼の王子]] (1963年、原作)&lt;br /&gt;
* [[小さな冒険旅行]] (1963年、原作)&lt;br /&gt;
* [[乾いた花]] (1964年、原作)&lt;br /&gt;
* [[敗れざるもの]] (1964年、原作)&lt;br /&gt;
* [[おゝい雲! (映画)|おゝい雲!]] (1965年、原作)&lt;br /&gt;
* [[青春とはなんだ (映画)|青春とはなんだ]] (1965年、原作)&lt;br /&gt;
* [[処刑の島]] (1966年、製作・脚本)&lt;br /&gt;
* [[これが青春だ!]] (1966年、脚本監修)&lt;br /&gt;
* [[男なら振りむくな]] (1967年、原作)&lt;br /&gt;
* [[復讐の歌が聞える]] (1968年、脚本・原作)&lt;br /&gt;
* [[狂戀詩 Summer Heat]] (1968年、原作)&lt;br /&gt;
* [[野蛮人のネクタイ]] (1969年、原作)&lt;br /&gt;
* [[スパルタ教育 くたばれ親父]] (1970年、原作)&lt;br /&gt;
* [[化石の森 (1973年の映画)|化石の森]] (1973年、原作)&lt;br /&gt;
* [[青年の樹 (1977年の映画)|青年の樹]] (1977年、原作)&lt;br /&gt;
* [[秘祭]] (1998年、脚本・原作)&lt;br /&gt;
* [[俺は、君のためにこそ死ににいく]] (2007年、製作総指揮・脚本)&lt;br /&gt;
* [[宇宙戦艦ヤマト 復活編]] (2009年、原案)&lt;br /&gt;
* [[青木ヶ原 (映画)|青木ヶ原]] (2012年、製作総指揮・企画・原作・脚本・出演)&lt;br /&gt;
{{Multicol-end}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== テレビドラマ ===&lt;br /&gt;
{{Multicol}}&lt;br /&gt;
* [[深夜のメス]] (1957年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、原作)&lt;br /&gt;
* [[幽霊と宝石と恋]] (1958年、[[日本放送協会|NHK]]、原作)&lt;br /&gt;
* 慎太郎ミステリー 暗闇の声 (1959年 - 1960年、[[TBSテレビ|ラジオ東京テレビ]]、企画・監修)&lt;br /&gt;
** [[見知らぬ顔]] (1959年、原作)&lt;br /&gt;
** [[分身]] (1960年、脚本)&lt;br /&gt;
* [[この情報を買ってくれ]] (1959年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、脚本)&lt;br /&gt;
* [[降霊]] (1960年、[[東海テレビ放送|東海テレビ]]「[[夜の十時劇場]]」、脚本)&lt;br /&gt;
* [[怒りの果実]] (1960年、[[TBSテレビ|TBS]]「[[グリーン劇場]]」、原作)&lt;br /&gt;
* [[これが恋愛だ]] (1961年、TBS「日立劇場」、原作)&lt;br /&gt;
* [[密航 (テレビドラマ)|密航]] (1961年、TBS「グリーン劇場」、原作)&lt;br /&gt;
* [[殺人キッド]] (1961年、TBS「日立劇場」、原作)&lt;br /&gt;
* [[青年の樹 (1961年のテレビドラマ)|青年の樹]] (1961年、TBS「[[ナショナル劇場|ナショナルゴールデンアワー]]」、原作)&lt;br /&gt;
* [[死んでゆく男の物語]] (1961年、[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]、脚本)&lt;br /&gt;
* [[喪われた街 (1962年のテレビドラマ)|喪われた街]] (1962年、NHK「テレビ指定席」、原作)&lt;br /&gt;
* [[夜を探せ]] (1962年、フジテレビ、原作)&lt;br /&gt;
* [[闇から来る]] (1962年、[[テレビ朝日|NET]]、原作)&lt;br /&gt;
* [[アラスカ物語]] (1962年、NHK、脚本)&lt;br /&gt;
* [[青い糧]] (1963年、NET「銀行8時劇場」、原作)&lt;br /&gt;
{{Multicol-break}}&lt;br /&gt;
* [[断崖 (テレビドラマ)|断崖]] (1963年、NET「銀行8時劇場」、原作)&lt;br /&gt;
* [[雲に向って起つ (テレビドラマ)|雲に向って起つ]] (1963年、NET「銀行8時劇場」、原作)&lt;br /&gt;
* [[夜の道]] (1963年、NHK、原作)&lt;br /&gt;
* [[喪われた街 (1964年のテレビドラマ)|喪われた街]] (1964年、NET、原作)&lt;br /&gt;
* [[小さき闘い]] (1964年、フジテレビ「[[一千万人の劇場]]」、原作)&lt;br /&gt;
* [[有馬稲子アワー 喪われた街]] (1965年、フジテレビ「[[シオノギテレビ劇場]]」、原作)&lt;br /&gt;
* [[てっぺん野郎]] (1965年、TBS、原作)&lt;br /&gt;
* [[青春とはなんだ]] (1965年、日本テレビ、原作)&lt;br /&gt;
* [[おゝい雲! (テレビドラマ)|おゝい雲!]] (1965年、[[MBSテレビ|毎日放送]]、原作)&lt;br /&gt;
* [[人魚と野郎]] (1967年、NET、原作)&lt;br /&gt;
* [[おおい雲]] (1971年、NHK「[[銀河ドラマ]]」、原作)&lt;br /&gt;
* [[恐怖の人喰い鱶 鱶女]] (1980年、[[テレビ朝日]]「[[土曜ワイド劇場]]」、原作)&lt;br /&gt;
* [[太陽の季節#テレビドラマ|太陽の季節]] (2002年、TBS、原作)&lt;br /&gt;
* [[狂った果実 (小説)#テレビドラマ版|狂った果実2002]] (2002年、TBS、原作)&lt;br /&gt;
* [[弟 (テレビドラマ)|弟]] (2004年、テレビ朝日、原作)&lt;br /&gt;
{{Multicol-end}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 舞台 ===&lt;br /&gt;
* 若きハイデルベルヒ（1977年、[[日生劇場]]、潤色）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 演じた俳優 ==&lt;br /&gt;
* [[別所哲也]]『[[人間ドキュメント 石原裕次郎物語]]』 ([[1993年]][[フジテレビジョン|フジテレビ]])&lt;br /&gt;
* [[テレビ朝日]]『[[弟 (テレビドラマ)|弟]]』 ([[2004年]][[11月17日]] - [[11月21日]][[放送]]) での配役&lt;br /&gt;
** [[鈴木宗太郎]] (幼年期)&lt;br /&gt;
** [[久保海晴]] (少年期)&lt;br /&gt;
** [[渡邉邦門]] (思春期)&lt;br /&gt;
** [[長瀬智也]] ([[TOKIO]]) (青年期)&lt;br /&gt;
** [[渡哲也]] (父・石原潔との二役) (壮年期 - 現在)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逸話 ==&lt;br /&gt;
* {{要出典範囲|date=2014年2月19日 (水) 16:55 (UTC)|かつて対談した[[数学者]]の[[岡潔]]の哲学を信奉している}}。&lt;br /&gt;
* [[Ustream]]での放送にて、[[田原総一朗]]が[[政治献金]]をしている事が明らかになる&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite news |url = http://www.ustream.tv/recorded/8105327 |title = [[田原総一朗|田原総一郎]]のタブーに挑戦! 10.07.06) |publisher = [[JFN]] |date = 2010-07-06}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 『[[正論 (雑誌)|正論]]』は、特集「2012年注目の政治家50人を値踏みする」で、石原を10点満点中9点と評価した&amp;lt;ref&amp;gt;『正論』2012年3月号 50-91頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 自身が代表を務める[[日本維新の会]]の[[幹事長]]である[[松井一郎]][[大阪府知事]]が[[フリーアナウンサー]]の[[辛坊治郎]]に語った話では、石原は、基本的に、朝は遅く昼からしか働かないという&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.ytv.co.jp/wakeup/movie/index.html ''WAKE! UP+ 動画+'']（[[読売テレビ]][[ウェークアップ!ぷらす]][[2012年]][[12月1日]]配信分(配信日に閲覧)）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist|3}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[神一行]]『閨閥 改訂新版 ―特権階級の盛衰の系譜―』 [[角川文庫]] 2002年 231、244頁&lt;br /&gt;
** 同 『石原慎太郎と都知事の椅子』 [[角川文庫]]、2000年がある。&lt;br /&gt;
* [[佐野眞一]]『てっぺん野郎 ―本人も知らなかった石原慎太郎―』 ([[講談社]] 2003年) ISBN 4-06-211906-4&lt;br /&gt;
** 増補改題され、『誰も書けなかった石原慎太郎』 [[講談社文庫]]、2009年&lt;br /&gt;
* [[斎藤貴男]]『空疎な小皇帝 「石原慎太郎」という問題』 ([[岩波書店]] 2003年、[[ちくま文庫]] 2006年)&lt;br /&gt;
** [[吉田司]]との対話『石原慎太郎よ、退場せよ!』 [[洋泉社]]新書 2009年&lt;br /&gt;
* [[江藤淳]]『石原慎太郎論』 ([[作品社]] 2004年)&lt;br /&gt;
* 鈴木斌『作家・石原慎太郎 価値紊乱者の軌跡』 (菁柿堂 2008年)&lt;br /&gt;
* [[前野徹]]『救世主石原慎太郎』 ([[扶桑社]]文庫、2004年)&lt;br /&gt;
* [[別冊宝島]]編集部『石原慎太郎の値打ち』 ([[宝島社]]文庫 2003年)&lt;br /&gt;
* 嶋田昭浩『解剖・石原慎太郎』 ([[講談社文庫]] 2003年)&lt;br /&gt;
* [[浅野史郎]]ほか8名『石原慎太郎の東京発日本改造計画』 (人物文庫・学陽書房、2002年)&lt;br /&gt;
* [[上杉隆]]『石原慎太郎「5人の参謀」』 ([[小学館]]文庫、2000年)&lt;br /&gt;
* 『特集石原慎太郎研究 ポリティーク08号』&amp;amp;lt;労働法律旬報別冊&amp;amp;gt; (旬報社 2004年)&lt;br /&gt;
* [[一ノ宮美成]]+グループK21『黒い都知事 石原慎太郎』 ([[宝島社]]) ISBN 978-4796676328&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
{{Commonscat|Shintaro Ishihara}}&lt;br /&gt;
{{Wikiquote}}&lt;br /&gt;
* [[2020年東京オリンピック構想]]&lt;br /&gt;
* [[複式簿記]]&lt;br /&gt;
* [[渡部昇一]]&lt;br /&gt;
* [[糸山英太郎]]&lt;br /&gt;
* [[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]&lt;br /&gt;
* [[新しい歴史教科書をつくる会]]&lt;br /&gt;
* [[櫻井よしこ]]&lt;br /&gt;
* [[渡邉恒雄]]&lt;br /&gt;
* [[高井英樹]]&lt;br /&gt;
* [[日本維新の会]]&lt;br /&gt;
* [[タカ派]]&lt;br /&gt;
* [[マッチョ|マッチョイズム]]&lt;br /&gt;
* [[ネッシー]]&lt;br /&gt;
* [[南京の真実]] 賛同者&lt;br /&gt;
* [[国家基本問題研究所]] 理事&lt;br /&gt;
* [[日本青年社]]&lt;br /&gt;
* [[戸塚ヨットスクール]]&lt;br /&gt;
* [[戸塚宏]]&lt;br /&gt;
* [[石原裕次郎]]&lt;br /&gt;
* [[東京都知事選挙]]&lt;br /&gt;
* [[日本会議]]&lt;br /&gt;
* [[青嵐会]]&lt;br /&gt;
* [[平沼赳夫]]&lt;br /&gt;
* [[阿久津幸彦]] -もと[[公設秘書]]&lt;br /&gt;
* [[北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟]]&lt;br /&gt;
* [[非核三原則]] - [[日本の核武装論]]&lt;br /&gt;
* [[成田空港高速鉄道]] - 運輸大臣時代、成田空港アクセスの不備を感じた際「鶴の一声」で建設が決定された。&lt;br /&gt;
* [[未確認飛行物体|UFO]] - [[三島由紀夫]]や[[星新一]]らとともに[[日本空飛ぶ円盤研究会]]の会員であった。&lt;br /&gt;
* [[伝統と創造の会]]&lt;br /&gt;
* [[たちあがれ日本]] - 同政党の支援者であり、党名を命名した。&lt;br /&gt;
* [[野中広務]] - プライベートで食事をするなどの仲。もっとも、野中は石原を“ボンボン”と評している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://sensenfukoku.net/ 石原慎太郎公式サイト「宣戦布告.net」]&lt;br /&gt;
* {{Twitter|i_shintaro}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:いしはら しんたろう}}&lt;br /&gt;
[[Category:石原慎太郎|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の小説家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の評論家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の脚本家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の映画監督]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の作詞家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の俳優]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都知事]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の保守政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の反共主義者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本維新の会の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:比例東京ブロック選出の衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の参議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:全国区選出の参議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都選出の衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:たちあがれ日本の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本会議の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:円卓会議の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:国家基本問題研究所の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の核武装推進論者]]&lt;br /&gt;
[[Category:芥川賞受賞者]]&lt;br /&gt;
[[Category:文學界新人賞受賞者]]&lt;br /&gt;
[[Category:石原裕次郎]]&lt;br /&gt;
[[Category:一橋大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:神戸市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:神奈川県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1932年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2022年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%93%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=396882</id>
		<title>リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%93%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6&amp;diff=396882"/>
				<updated>2022-02-10T03:02:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件'''（リンゼイ・アン・ホーカーさんさつがいじけん）は、[[2007年]][[3月]]に[[日本]]の[[千葉県]][[市川市]]において、英会話学校講師'''リンゼイ・アン・ホーカー'''（英表記：''Lindsay Ann Hawker ''、[[イギリス|英国]]籍、当時22歳）が[[市橋達也]]（当時28歳）に殺害された殺人事件の一般名称。 正式な事件名としては、「'''市川市福栄における英国人女性殺人・死体遺棄事件'''」と呼称される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件の概要 ==&lt;br /&gt;
=== 事件発生 ===&lt;br /&gt;
[[2007年]][[3月26日]]、被害者と同居していた女性から行方不明の相談を受けた[[千葉県警察]][[船橋警察署]]員が、被害者宅を捜索。市橋の電話番号・メールアドレスと、被害者の似顔絵を描いたと思われるメモを発見し、市橋宅の家宅捜査に急行した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同日午後9時40分ごろ[[千葉県]][[市川市]]の市橋宅（マンション4階）に生活安全課と刑事部の署員数人が到着した&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;&amp;gt;[http://www.iza.ne.jp/news/feature/6770/ 市橋被告初公判]　産経新聞　2011年7月5日&amp;lt;/ref&amp;gt;。市橋は部屋から出てきてマンションの共用廊下で応対しようとした&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。捜査員が部屋に入ろうとすると、市橋は非常階段を駆け下りて同マンション裏の駐車場を経て[[東京地下鉄東西線|東京メトロ東西線]][[行徳駅]]方面に逃走した。予め逃走を防ぐ為に非常階段などにも捜査員が配置されていたが&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;、取り逃がす結果となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同日午後10時ごろ、捜査員は、市橋宅のベランダに置かれていた浴槽の内部で、全裸様の前傾[[座位]]で土に完全に埋められた被害者の遺体を発見した&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逃走後の市橋はしばらく近隣の住宅地の物陰に潜んでおり、そこで探索中の捜査員に発見されて一旦[[羽交い絞め]]にされるが、ここでも逃走することに成功している&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;&amp;gt;逮捕されるまで　空白の2年7カ月の記録 幻冬舎 2011年1月26日　初版　ISBN 978-4-344-01941-6&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 事件直後の捜査 ===&lt;br /&gt;
* 千葉県警察[[行徳警察署]]は、市橋逃走の翌日、[[警察犬]]を投入して臭覚追跡を行ったところ、東京メトロ行徳駅付近で警察犬が感知し得る市橋の臭気が途絶するとともに、同駅付近において市橋が着用していたと見られる衣類（靴下）が落下しているのを確認した。&lt;br /&gt;
* 市橋は[[死体遺棄]]容疑で指名手配された。千葉県警行徳警察署捜査本部の捜査により、市橋と被害者の両名は被害者が所属していた英会話学校のプログラムとは無関係な個人的レッスンに合意していたことが判明した。&lt;br /&gt;
*市橋は2005年に大学を卒業した。大学では植物や公園のデザイン、建築について学んだが、卒業後は就職していなかった。当時、海外の大学院に進学する為に市橋は英語の勉強をしていた。&lt;br /&gt;
* 被害者のルームメイト（カナダ人）の証言により、3月20日、市橋が千葉県市川市の東京メトロ行徳駅の改札前広場で被害者に声をかけ、その後被害者宅まで押しかけて、似顔絵を書く、メールアドレスを聞くなどした。その後数回のメールの交換を行い、3月25日に英会話レッスンを1回3500円でする約束をした。&lt;br /&gt;
* 3月25日午前9時には市橋と被害者が、英会話レッスンを行うために行徳駅前の喫茶店に来店した様子が防犯カメラに映っている&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。レッスンの終盤、市橋はレッスンの代金を忘れたことを明かし、2人はタクシーで市橋の自宅にお金を取りに行くために移動した。9時54分、自宅マンションのエレベーターの監視カメラに2人が映っているのが確認されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。市橋宅に入ったところで被害者を押し倒し、結束バンドなどで拘束して暴行した&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。その後取り外し可能な浴槽を和室に置き、被害者を入れて監禁した&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。監禁中には、拘束を解くように要求する被害者を殴りつけるなどしている。24時ごろには、当時交際中の女性に1週間ほど会えないとメールで連絡している&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。翌3月26日2～3時頃、手の拘束を解いて被害者が逃亡しようとしたため頚部を圧迫して窒息死させた&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。被害者の死亡後、ホームセンターで、赤玉土56リットル、園芸土50リットル、シャベル1個、発酵促進脱臭剤2個、脱臭剤2個、苗木1本を購入している&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。ベランダに浴槽と遺体を移動させて、購入した土を投入した&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。捜査員が訪れたのは、その日の夜であった。&lt;br /&gt;
* 司法解剖の結果、死因は、頚部を圧迫したことによる[[窒息死]]と判断された&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。頚部を圧迫されたために2箇所の[[舌骨]]骨折を伴っている。また右眼窩下と左頬部に、殴打痕とみられる皮下出血が確認された&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。部屋のゴミ袋からは、市橋のDNAと一致する体液が入った避妊具が発見され、避妊具の外側には被害者の細胞が認められた&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 懸賞金による情報公開 ===&lt;br /&gt;
千葉県警行徳警察署捜査本部は、当初100人体制をとっていたが、のちに150人体制に捜査強化し、手配ポスターも3万枚余作成された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後にこの事件は「[[公的懸賞金制度]]」の適用を受け、捜査特別報奨金の上限を100万円として、別の4事件と共に[[懸賞金]]が掲出された&amp;lt;ref&amp;gt;官報（2007年6月29日 号外142号 捜査特別報奨金に関する公告）に掲載。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite press release&lt;br /&gt;
 | title = 捜査特別報奨金に関する公告（平成19年6月29日官報掲載）&lt;br /&gt;
 | publisher = [[警察庁]]&lt;br /&gt;
 | date = 2007-06-29&lt;br /&gt;
 | url = http://www.npa.go.jp/reward/contents02.html&lt;br /&gt;
 | accessdate = 2007-06-30&lt;br /&gt;
 | archiveurl = http://web.archive.org/web/20070704060817/http://www.npa.go.jp/reward/contents02.html&lt;br /&gt;
 | archivedate = 2007-07-04&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。これを受け、同年[[6月29日]]、被害者遺族が[[駐日英国大使館]]において[[プレスリリース|記者会見]]を開催し、市橋逮捕とその契機となる情報提供を広く訴求するとともに、新たに製作された手配ポスター約6000枚を配布し、その後も市橋の捜索に関してしばしばコメントを寄せた。後に、報奨金額は、1000万円まで引き上げられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2008年]][[3月13日]]、千葉県警察行徳警察署捜査本部は、市橋が茶髪で眼鏡をかけた姿と[[女装]]姿の2つのイメージ画像を掲載した手配ポスターを新たに公開し、A3版を約4000枚掲示するとともに、A4判チラシ約3万枚をホテルや駅などで配布した。さらに2008年[[3月18日]]には、市橋が記した被害者の似顔絵付きのメモと、市橋の遺留品であるリュックサックや靴・靴下の写真を公開している&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news &lt;br /&gt;
 |url = http://www.47news.jp/CN/200803/CN2008031801000740.html&lt;br /&gt;
 |title = 証拠品をＨＰ上で初公表　千葉、英女性死体遺棄事件&lt;br /&gt;
 |newspaper = [[共同通信]]&lt;br /&gt;
 |date = 2008-03-18&lt;br /&gt;
 |accessdate = 2012-06-08&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年[[10月24日]]、イギリス紙『[[タイムズ]]』が「警視庁は市橋が[[自殺]]したと断定した」という記事を掲載したが、同日、[[佐藤勉]][[国家公安委員長]]が記者会見席上で市橋自殺について否定した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news &lt;br /&gt;
 |url = http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008102401000320.html&lt;br /&gt;
 |title = 市橋自殺報道を全面否定 公安委員長、英紙記事で&lt;br /&gt;
 |newspaper = [[共同通信社]]&lt;br /&gt;
 |publisher = [[47NEWS]]&lt;br /&gt;
 |date = 2008-10-24&lt;br /&gt;
 |accessdate = 2009-12-27&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 被害者の家族の活動 ==&lt;br /&gt;
被害者の家族は、単独あるいはイギリスのマスコミと一緒に何度も訪日し、事件現場に慰霊に通ったり、駅でのビラ配りを行い市橋逮捕への協力を訴えた。2007年[[6月27日]]には専用サイトを立ち上げ、市橋の顔を印刷したTシャツをネット販売するとともに、事件の風化を防ぐため繰りかえしマスコミへの出演を行った。捜査協力はあらゆる方面に及び、イギリスのメディア『Mail Online』は、父親が日本のマフィア、つまりヤクザにも接触し、市橋探しの捜査を依頼していたと報道した&amp;lt;REF&amp;gt;[http://news.livedoor.com/article/detail/4453812/ 殺害されたイギリス人女性の父親がヤクザに市橋市橋の捜査を依頼]&amp;lt;/REF&amp;gt;。当時のグレアム・フライ駐日英大使も2007年4月1日、東京都内で記者会見を行い、市橋逮捕への協力を求め、家族の活動を支援した。[[テレビ朝日]]『[[奇跡の扉 TVのチカラ]]』（2007年[[6月30日]]放送）において[[特別番組]]が編成され、来日中の被害者両親も出演して、日本国内に広く情報提供を求めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 加害者の逃避行 ==&lt;br /&gt;
{{単一の出典|section=1|date=2011年7月}}&lt;br /&gt;
市橋は逃走開始直後に靴と靴下、上着を紛失したが、ゴミ捨て場からサンダルと上着を入手した。所持金は5万円程度であった&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;。自家用車を所有する当時交際中であった女性に公衆電話から連絡を取って共に逃亡することを依頼しようとしたが、女性が通話中だったために実現しなかった&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逃走初日のうちに放置自転車や電車を利用して、[[市川市]]の自宅から[[上野]]経由で[[秋葉原]]まで移動し、途中立ち寄った[[東京大学医学部附属病院]]の障害者用トイレで、人相を変えるために鼻翼を左右から縫い縮める自己整形手術を行っている&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;kohan6&amp;quot;&amp;gt;[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/517607/ 市橋被告第６回公判（３）千葉→青森→四国の遍路道　整形は自分でも]&amp;lt;/ref&amp;gt;。後にホクロを自らカッターナイフで切り落とし、下唇を小さくするためにハサミで切っている&amp;lt;ref&amp;gt;市橋、自分で下唇切る整形手術…ハサミで　『読売新聞』2011年 1月26日(水)11時49分配信&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後は[[埼玉県|埼玉]]、[[群馬県|群馬]]、[[茨城県|茨城]]などの[[北関東]]周辺を放浪し、[[熱海]]を経て[[静岡県]]の[[駿河湾]]付近まで南下した後に[[青森県]]まで北上することを決める。事件前に[[福岡県]]の知人宛てに近々遊びに行く旨のメールを送信しており、パソコンの記録解析によって南方への逃亡が察知される危険性を考えた行動であった&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;。東京から[[新潟県|新潟]]を経て青森まで移動したが、青森駅前公園で1週間ほど寝泊りするうちに青森の経済状況がよくないことを感じ取り、働いて生活するために[[大阪市]][[西成区]]の職業安定所を訪れた。ここでは職に就くことはなく、すぐに[[岡山県]]を経由して[[四国]]に移動した&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
四国では[[香川県]][[高松市]]から徒歩で[[徳島県]]～[[高知県]]～[[愛媛県]]とお遍路を歩いた。これは贖罪の意味があったとしている&amp;lt;ref name=&amp;quot;kohan6&amp;quot;/&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;。一方で「逮捕されればさらしものになる」「指名手配されると、自首しても減刑にならない」と自主的な出頭は考えていなかった。お遍路の先々にも手配写真が掲載されているのを見て、このままでは逮捕されるのは時間の問題と考え、[[無人島]]での生活を考え始める。高知の図書館で無人島について調べ、滞在地として[[沖縄県]]の[[オーハ島]]を選択した&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;。お遍路を途中で止め、[[松山港]]からフェリーで[[別府港]]に移動し、その後[[鹿児島県]]を経て沖縄に渡った&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初回のオーハ島渡航は準備不足で1週間ほどで頓挫した。資金が尽きた市橋は、沖縄本島の建設現場で偽名で働き金を稼いだ&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;。沖縄での経験で、市橋はオーハ島と大阪での住み込み労働を繰り返す生活スタイルを考案した。住み込みでの仕事は解体現場や建設現場を選んだ。他にも船に乗る仕事や風俗に女性を派遣する仕事などをしないかと誘われたが市橋は断っている&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;。勤務態度は良好であったが、宿舎の近くに警察らしい車両が止まっていたりすると、身近に捜査が及んでいるのではないかと疑い、所持物を部屋に残したまま逃げ出すことを繰り返した&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;。2008年春には自宅の近隣に所在し、卒業論文のテーマであった[[東京ディズニーランド]]を訪れている&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;。住み込み労働で得た貯金で、2008年10月23日と24日に名古屋の形成外科にて眉間の形成手術を受けた&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== オーハ島での生活 ===&lt;br /&gt;
市橋は、逃亡中に沖縄県の[[沖縄県]][[島尻郡]][[久米島町]]の[[オーハ島]]を4回訪れており最長で3ヶ月ほど滞在した&amp;lt;ref&amp;gt;市橋被告が逃亡生活手記に 『[[報知新聞社]]』 2011年1月25日&amp;lt;/ref&amp;gt;。最初の滞在では海岸近くの岩場に当初潜伏していたが、2回目以降の滞在は海岸近くのコンクリートブロック造りの小屋に移動した&amp;lt;ref&amp;gt;リンゼイさん事件の市橋被告「本に書きたい」読売新聞2011年 1月24日(月)10時27分配信&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;リンゼイさん殺害事件　市橋被告、潜伏の沖縄の離島について図書館やネットで調査 フジテレビ系（FNN）2011年 1月24日(月)12時14分配信&amp;lt;/ref&amp;gt;。オーハ島は[[ダイビング]]スポットや海水浴としては人気があったが、当時居住していたのは70歳代の男性が1人であった。隣の[[久米島]]で仕事を探したが適当な仕事がなく、自給自足の生活をしていた。最初の滞在は準備不足で魚釣りも満足にできず食料調達に失敗し1週間で頓挫した。オーハ島から沖縄本島に戻るときにはフェリーの代金が足りず[[不正乗車#.E3.82.AD.E3.82.BB.E3.83.AB|キセル]]をして職員に捕まっているが、事件の市橋とは察知されず放免されている&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2回目以降の滞在では図書館でサバイバルに関して調査し、魚や蛇、[[ヤシガニ]]を食べたり、野菜を栽培するなどして生活した&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;。飲料水は[[奥武島]]に泳いで渡り、1週間分の飲料水をペットボトルに積めて持ち帰るなどした&amp;lt;ref name=&amp;quot;taihokiroku&amp;quot;/&amp;gt;。燃料となる薪は流木が豊富に得られたので困ることはなかった。逮捕されたときも、この島を目指して移動途中であった。初公判で市橋は、もはや逃げ切れないと思い、オーハ島の小屋で死のうと思っていたと供述した&amp;lt;ref name=&amp;quot;kohan6&amp;quot;/&amp;gt;。2011年1月23日千葉県警は捜査員を派遣して、小屋の残留物を証拠品として押収した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逮捕 ==&lt;br /&gt;
[[2009年]][[11月5日]]、[[名古屋市|名古屋市内]]の美容形成外科医院が、過去に美容形成術を行った患者カルテの顔写真を整理していたところ、男性には珍しい[[ほくろ]]の除去を不審に感じ報道された市橋との一致部分を確認し、病院スタッフが通報した。県警は骨格などから同市橋と断定。顔写真を公開した。同市橋はすでに整形していて、一重だったまぶたが二重になっているほか、鼻が高くなっていた。下唇は薄くなっていた。指名手配の顔写真は整形後の同院提供の顔写真に差替えられた。なお、同院は、手術前にすでに市橋が顔を整形していた模様であったため、実際の施術にあたっては気付かなかったとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この手術後の新しい指名手配の報道を見て、同年10月ごろまで[[大阪府]][[茨木市]]の建設会社において同市橋が住込みの土木作業員に従事していたとして、雇用主の建設会社が警察当局に対して通報を行った。2008年2月29日から6月26日までの間、偽名を使って神戸市の建設会社で勤務し、8月20日から10月10日までは大阪府茨木市内の建設会社で勤務した&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。ともに会社の寮で生活していたが、無断で退去していた。なお、同建設会社は市橋を雇用する際に、[[あいりん地区]]に社有車を派遣して求職者を募集し、その場で雇用したという経緯から、当初は同事件の市橋であるとは気付かなかったとしている。イギリスの被害者両親にも市橋発見の報道は届いたが、既に建設会社を奔出した後だったので、日本の警察への不信感はより強まる結果となったと家族は述べている。市橋は福岡のホテルに滞在中にその報道を知った。雲隠れするためにオーハ島（後述）に行くために鹿児島まで移動したが、警察の警備を恐れて神戸からのフェリーで沖縄に移動することを選択した。この過程で制服警官より職務質問を受けているが、逃走に成功している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[11月10日]]、[[神戸市]][[東灘区]]の[[六甲船客ターミナル]]において、同社の従業員が、[[沖縄県|沖縄]]行き航路に搭乗しようとしていた乗客の中に、市橋に似た不審な男性を発見した。当日は、神戸発・沖縄行きの航路は欠航であったため、同日も同航路に就航していた[[大阪府|大阪]][[南港]]発の沖縄行き便を案内すると、市橋と思われる人物が乗船のため大阪南港に向かう旨の発言をしたことから、不審に思った同港担当者は警察当局ならびに大阪南港担当者に通報、大阪南港フェリーターミナルに先回りし待機していた警察官により身柄を確保され、移送された[[住之江警察署|住之江署]]において同事件容疑で逮捕、さらに東海道新幹線を経由して千葉県警行徳署に移送された。市橋が逮捕された2009年[[11月10日]]は、俳優[[森繁久彌]]逝去の報道と報道日時が重複したこともあり、ニュース報道の視聴率が軒並み20%を超えた&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news &lt;br /&gt;
 |url = http://news.livedoor.com/article/detail/4448713/&lt;br /&gt;
 |title = 市橋逮捕のニュース報道の視聴率、20%越え&lt;br /&gt;
 |newspaper = [[シゴトの計画]]&lt;br /&gt;
 |publisher = [[ライブドア]]&lt;br /&gt;
 |date = 2009-11-13&lt;br /&gt;
 |accessdate = 2009-12-27&lt;br /&gt;
}}（リンク切れ）&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[12月2日]]、[[千葉地方検察庁|千葉地検]]は死体遺棄罪で同市橋を起訴。同年[[12月3日]]、現場に残された精液と同市橋のDNAの一致が確認されたことから、千葉県警行徳署は、[[殺人]]ならびに[[強姦致死]]容疑で再逮捕し、同年[[12月4日]]付、千葉地検あて送検した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
市橋は逮捕後数日間にわたって絶食していたが、同年[[11月24日]]にはじめて食事を摂り、以後は毎日食事を摂っている。取調べに対しては、逮捕初期には黙秘を続けていたが、食事摂取開始に前後して具体的な供述を開始した。&lt;br /&gt;
千葉地検は同年12月23日、殺人と強姦致死の罪で市橋を追起訴した。裁判員裁判で審理される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 市橋の手記 ==&lt;br /&gt;
市橋は、逃亡生活の様子や心境などをまとめた手記&amp;lt;ref&amp;gt;「逮捕されるまで―空白の2年7カ月の記録」[[幻冬舎]]（ISBN 978-4-344-01941-6）&amp;lt;/ref&amp;gt;を、2011年1月26日に[[幻冬舎]]から出版し、手記による収入はすべて遺族への弁済に充てるとした。接見はできないため、間接的な原稿のやりとりだったが、編集担当者は「（被告の）観察眼、感性の豊かさを感じた」と話しているが、英国の遺族は「裁判の前に、こうした本を書くことが許されるのか。強い嫌悪感を抱いており、傷つけられた。私たちが求めているのは公正な処罰だけだ」と話した&amp;lt;ref&amp;gt;被告の手記、26日発売　遺族は嫌悪感　『[[スポーツ報知]]』　2011年 1月25日(火)8時1分配信&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110125/crm11012510540137-n1.htm 市橋被告の逃亡手記にリンゼイさん遺族「強い嫌悪感」 - MSN産経ニュース]&amp;lt;/ref&amp;gt;。2011年7月までに印税は1100万円となり、市橋は税引き後の912万円を遺族に渡したいとしたが&amp;lt;ref&amp;gt;「被告、印税1100万をリンゼイさん両親に」　読売新聞　2011年7月4日&amp;lt;/ref&amp;gt;、被害者の両親は「娘を殺したことをネタに金儲けをしている」として、1銭たりとも受け取らない立場を千葉地裁で明らかにした。手記には遺族が受け取らない場合は印税を[[公益]]に代えるように記載されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 公判 ==&lt;br /&gt;
[[千葉地方裁判所]]に於ける初公判は2011年7月4日。[[起訴状]]の[[公訴事実]]は、殺人罪、強姦致死罪、死体遺棄罪。被害者の両親と姉妹の計4人が[[被害者参加制度]]を利用して裁判に参加した。検察側は市橋が事件の発覚を恐れて殺害に至ったとしたが、被告・弁護側は強姦と監禁、死に至らせた事実は認めたが、殺意については否認し&amp;lt;ref&amp;gt;被告、突然床にひざまずき遺族に土下座　読売新聞　2011年7月5日&amp;lt;/ref&amp;gt;、殺人罪と強姦致死罪ではなく、傷害致死罪と強姦罪だと主張した&amp;lt;ref&amp;gt;平成23年 7月21日 千葉地裁 判決 平２１（わ）２７６４号 強姦致死、殺人、死体遺棄被告事件&amp;lt;/REF&amp;gt;&amp;lt;REF&amp;gt;門田成人・法セ 682号133頁&amp;lt;/REF&amp;gt;&amp;lt;REF&amp;gt;仲道祐樹・刑事法ジャーナル 31号76頁&amp;lt;/REF&amp;gt;&amp;lt;REF&amp;gt;中央大学真法会・受験新報 738号20頁&amp;lt;/REF&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は、市橋は非常に強い力で3分以上に頚部を絞めており殺意は明らかで、蘇生措置をしたというのは被害者の肋骨に損傷がないことから信用できないと主張した。被害者の遺族は、市橋の発言は減刑を意識したパフォーマンスで、反省が見られないとして死刑を求めた&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;が、検察は市橋に前科がなく犠牲者が1人のことから死刑は躊躇せざるを得ないと[[無期懲役]]を求刑した&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 供述内容及び弁護団発表 ===&lt;br /&gt;
* 殺意はなかったが、結果的にリンゼイさんを死なせてしまった。その責任は取るつもりだ&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news &lt;br /&gt;
 | |url = http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110704/trl11070413400002-n1.htm&lt;br /&gt;
 |title = 市橋被告は「殺意はありませんでした」と一部否認　千葉地裁で初公判&lt;br /&gt;
 |newspaper = msn産経ニュース&lt;br /&gt;
 |publisher = 産経新聞社&lt;br /&gt;
 |date = 2011-07-04&lt;br /&gt;
 |accessdate = 2011-07-16&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 暴行目的で連れてきたのではなく、あくまでレッスン料を渡すために家に連れてきた&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* 口をふさいだ時髪の毛が絡まったので切ったら怒られた&lt;br /&gt;
* 浴槽を和室に持ち込んでその中に入れた、毛布をかけてあげた（フジテレビ再現）&lt;br /&gt;
* 英会話をしたりキング牧師の演説をネットで聞いたりジュースを飲んだりした&lt;br /&gt;
* 拘束を一時解くこともあった&lt;br /&gt;
* 人工呼吸をした&amp;lt;ref name=&amp;quot;kouhan_chiba&amp;quot;/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 一審 ===&lt;br /&gt;
2011年7月21日、千葉地方裁判所は検察側の求刑通り、市橋に無期懲役の判決を言い渡した。検察の主張する殺人罪と死体遺棄罪は認定したが、「首の圧迫は強姦後に相当の時間がたった後で、時間的に接着していない」として、強姦致死罪ではなく、弁護側が主張する強姦罪にとどまるとした。また遺族が死刑を求めた点について触れ、「計画性がなく、更生可能性がないとはいえない」と無期懲役とした理由を説明した&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news &lt;br /&gt;
 |url = http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110721-OYT1T00675.htm&lt;br /&gt;
 |title = 読売新聞&lt;br /&gt;
 |newspaper = [[読売新聞社]]&lt;br /&gt;
 |date = 2011-7-22&lt;br /&gt;
 |accessdate = 2011-7-25&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。地裁の判決に対し、被害者の遺族は「4年半、リンゼイのために正義が下される日を待っていた。今日、それに到達できた。とても満足している」とコメントをした&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY201107210681.html リンゼイさん父「正義下され満足」市橋被告無期刑判決&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 二審 ===&lt;br /&gt;
上記の一審判決の後、市橋の弁護側は「刑を確定させるのは反対」と反発。事実認定の誤りと量刑不当などを理由に8月2日に[[東京高等裁判所]]に[[控訴]]した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.47news.jp/CN/201108/CN2011080201000333.html 無期懲役の市橋達也被告が控訴 英国人女性殺害事件] 共同通信47News 2011年8月2日閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;。弁護団と接見した市橋は「自分の言っていることは事実である。どうして信頼できないと言われるのか」とあからさまに不満な表情で話していたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]][[3月15日]]、東京高等裁判所に於いて控訴審初公判が開廷され、被告人側が殺意を否認する弁論を行ったのに対し、検察側は一審の無期懲役判決を維持して控訴を棄却するよう求める陳述を行った&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chibanippo.co.jp/c/news/national/73241 市橋被告二審も殺意否認 判決は来月11日 英国人女性殺害遺棄] 千葉日報 2012年3月16日閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;。控訴審審理はこの1日のみで終結した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[4月11日]]、東京高等裁判所は『被告人に真摯な悔恨が見られない』などとして、一審の千葉地方裁判所の無期懲役判決を支持して被告人の控訴を棄却した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120411/trl12041111110001-n1.htm 「真摯な悔恨なし」 市橋被告に2審も無期懲役判決 東京高裁] 産経新聞 2012年4月11日閲覧&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[4月25日]]の上告期限まで検察側弁護側双方が上告せず、判決が確定した。弁護団は市橋に対しこれ以上証拠を見いだせないので上告しない方針を伝えると市橋も上告しない意思を示したという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 == &lt;br /&gt;
; 報奨金&lt;br /&gt;
: 同事件の、市橋逮捕に結びつく重要情報提供に対する報奨金1000万円は、整形手術後の顔写真を提供した名古屋市内の美容整形外科医院、逮捕当日の位置情報を提供したフェリー会社、フェリー会社まで市橋を乗せたタクシー会社の3社に支払われることとなった。&lt;br /&gt;
; ファンクラブ&lt;br /&gt;
: また、逮捕時直後には、同市橋を「イッチー」と呼びファンクラブを標榜する[[mixi]]コミュニティが乱立し、そのモラル面について批判が相次いだ&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news &lt;br /&gt;
 |url = http://sankei.jp.msn.com/economy/it/091119/its0911190757001-n1.htm&lt;br /&gt;
 |title = 【Web】コミュニティーに批判殺到&lt;br /&gt;
 |newspaper = [[産経新聞]]&lt;br /&gt;
 |date = 2009-11-19&lt;br /&gt;
 |accessdate = 2009-12-27&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
; TBS社員逮捕&lt;br /&gt;
: 市橋が送検される際、[[TBSテレビ]]情報制作局所属のディレクターが、送検される車内を撮影すべく、警察官を突き飛ばしたとして公務執行妨害の現行犯で逮捕された&amp;lt;ref&amp;gt;{{Cite news &lt;br /&gt;
 |url = http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20091113-OHT1T00065.htm&lt;br /&gt;
 |title = TBSディレクター、市橋に突撃取材で逮捕&lt;br /&gt;
 |newspaper = [[スポーツ報知]]&lt;br /&gt;
 |publisher = [[報知新聞社]]&lt;br /&gt;
 |date = &lt;br /&gt;
 |accessdate = 2009-12-27&lt;br /&gt;
}}&amp;lt;/ref&amp;gt;。のちに不起訴となった。その理由について千葉地検は「社会的に制裁を受けていて、反省もしている」などと説明。&lt;br /&gt;
; 裁判費用募金の呼びかけ&lt;br /&gt;
: 大学時代の部活顧問だった千葉大学大学院名誉教授の[[本山直樹]]が「適正な裁判を受けさせる会」を立ち上げ、市橋の自首と募金を呼びかけた。マスコミ報道で大きく報じられたことに胸を痛め、あくまでも適正な裁判を受けさせ、社会復帰への道を、という元教授としての愛情からである。罪状が死体遺棄から強姦致死、殺人へと大きく変わり、国選弁護士として引き続き弁護していくためには費用の面で難しいことを支援の理由に挙げている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://naokimotoyama.blogspot.com/ 市橋達也君の適正な裁判を支援する会]&amp;lt;/ref&amp;gt;。募金の合計金額は2011年7月までに340万円に達したが、発足以来いたずら電話や通販を利用した悪質な嫌がらせが300回以上継続していることを法廷で明らかにした。市橋はこのことについて、逃亡中は知らなかった&amp;lt;ref name=&amp;quot;kohan6&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 市橋を雇用した建設会社&lt;br /&gt;
: 建設会社での勤務態度は比較的良好であったが、帽子などで顔を隠す、社内の催しに参加を渋るという態度が見られた。市橋の逮捕後は、指名手配の殺人犯を雇用した会社として契約を断られるなどの風評被害が発生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
; 謝罪文&lt;br /&gt;
: 逮捕された市橋は、イギリスの被害者家族に向けて英語と日本語で手書きの4ページの謝罪文を送ったが、被害者家族は裁判対策だとして受け取りを拒否した。謝罪文は[[タイムズ]]2010年10月5日付で、その一部の文章を掲載して報じられた&amp;lt;REF&amp;gt;市橋被告「私は悪だった」＝謝罪文、遺族は受け取り拒否―英　[[時事通信]]2010年10月5日(火)21時6分配信&amp;lt;/REF&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{reflist}}&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[指名手配]]&lt;br /&gt;
*[[殺人事件被害者遺族の会]]（宙の会）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連書籍 ==&lt;br /&gt;
*市橋達也『逮捕されるまで ―空白の2年7カ月の記録―』[[幻冬舎]] 2011年1月　ISBN 9784344019416&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://naokimotoyama.blogspot.com/ 市橋達也君の適正な裁判を支援する会]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:りんせいあんほかさんさつかいしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の全裸殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の警察不祥事]]&lt;br /&gt;
[[Category:捜査特別報奨金制度]]&lt;br /&gt;
[[Category:2007年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:市川市の歴史]]&lt;br /&gt;
{{Crime-stub}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%B8%82%E6%A9%8B%E9%81%94%E4%B9%9F&amp;diff=396881</id>
		<title>市橋達也</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%B8%82%E6%A9%8B%E9%81%94%E4%B9%9F&amp;diff=396881"/>
				<updated>2022-02-10T03:01:28Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア白紙保護}}&lt;br /&gt;
'''市橋 達也'''（いちはし たつや、[[1979年]][[1月5日]] - ）は、[[リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件]]の犯人である。不細工だったが整形してイケメン顔を手に入れた。身長180cm、体重60kg。*足のサイズ27cm。[[空手]]で[[黒帯]]を持っていると言う虚実をばら撒いている。血液型O型。[[岐阜県|G県]][[羽島市|H市]]出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 実態 ==&lt;br /&gt;
だが、イケメンなのはあくまで顔だけである。それでも最初は市橋をイケメンだという人物は殆ど現れず、むしろ「危険な顔」とか言われていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この男は[[2007年]]に当時住んでいた[[千葉県]][[市川市]]のマンションで女性英会話講師を殺害して、現場に駆けつけた'''間抜けな貧弱ポリス'''を倒して逃亡（このとき間抜けポリスの「警察呼んで！」は全国で笑いものになった）、[[2009年]]に[[大阪府]][[大阪市]][[住之江区]]で逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
だが逮捕後、その市橋に日本の女らはファンクラブ的な動きを起こし、「'''市橋ガールズ'''」たる団体が出てきた。'''流石は犯罪者美化・被害者侮辱大国の日本だけのことはあるぜ!'''だが、この実態についてもやはり[[I.T.Revolution|このアホ]]はわかってくれない…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
父親は医師、母親は歯科医師という、裕福な家庭に育ち、活発で人気者の少年時代を送っていた。&lt;br /&gt;
だが、キレやすくなる一面もあった。だから･･･、こいつなんて'''死ね'''ばいいんだ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 学歴 ==&lt;br /&gt;
平成6年3月 [[羽島市立竹鼻中学校]]卒業&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平成9年3月 [[岐阜県立羽島北高等学校]]卒業 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
浪人を経て進んだ[[横浜国立大学]]工学部二部を1年ほどで中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平成13年4月（22歳）に[[千葉大学]]園芸学部緑地環境学科に再入学したが、平成17年3月（26歳）に大学卒業後も就職せずに祖父母名義のマンションに一人で住む。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無期懲役囚として長野刑務所入所。現在に至る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録』（幻冬舎、2011年1月、ISBN 978-4-344-01941-6 ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 映画 ==&lt;br /&gt;
*『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』（2013年11月）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連事項 ==&lt;br /&gt;
*[[大橋竜也]]&lt;br /&gt;
*[[水嶋ヒロ]]&lt;br /&gt;
*[[整形]]&lt;br /&gt;
*[[マイケル・ジャクソン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://wiki.chakuriki.net/index.php/Category:%E7%95%A0%E5%B1%B1%E8%82%B2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%82%BD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%91%E3%83%9A%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A8%E5%BC%B7%E3%81%8F%E7%96%91%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC チャクウィキ市橋関連アカウント]（全て封鎖済）&lt;br /&gt;
*[[wiki:利用者:市橋達也|ウィキペディアの市橋達也氏]]（不適切の利用者名として無期限ブロック）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{オウム真理教}} &lt;br /&gt;
{{野田憲太郎}} &lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:いちはしたつや}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで白紙保護された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:人殺し]]&lt;br /&gt;
[[Category:性犯罪者]]&lt;br /&gt;
[[Category:千葉大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:岐阜県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1979年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%88%90%E5%9F%8E%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%BB%E5%B0%8F%E7%8E%89%E6%99%BA%E8%A3%95&amp;diff=396880</id>
		<title>成城大学・小玉智裕</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%88%90%E5%9F%8E%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%BB%E5%B0%8F%E7%8E%89%E6%99%BA%E8%A3%95&amp;diff=396880"/>
				<updated>2022-02-10T02:58:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:小玉智裕1.jpg|350px|thumb|小玉　智裕]]&lt;br /&gt;
[[Image:小玉智裕2.jpg|350px|thumb|小玉　智裕]]&lt;br /&gt;
'''小玉 智裕'''（こだま ともひろ、[[1991年]][[10月23日]] - ）とは、[[2012年]]、旅行用トランクに小6女児を入れて逮捕された[[ロリコン]]の[[成城大学]]生である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「小玉」は通名で、本名は「里」であることが確認されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 旅行カバンに小6入れ移動の20歳逮捕(2012年9月) ==&lt;br /&gt;
[[2012年]][[9月4日]]午後9時ごろ、[[広島市]]中区三川町の路上から、「タクシーのトランクに死体のようなものがある」という内容の110番があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
駆けつけた[[広島県警]]広島中央署員が、トランクにあったナイロン製の旅行カバン(長さ約70センチ、幅と高さ約30センチ)に入っていた同市西区在住の小学6年の女児(12)を発見した。女児にけがはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同署はタクシーの客で、[[東京都]][[世田谷区]][[祖師谷]]3、私立成城大学生、小玉智裕(20)を監禁容疑で現行犯逮捕した。「間違いない」と容疑を認めている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同署によると、小玉は、通報現場の西約3キロの[[JR西広島駅]]（広島市西区）からタクシーに乗り、[[JR広島駅]]に行くよう求めた。タクシーの運転手が走行中、トランク内から叫び声のような音がするのに気付き停車。トランクを開けると、カバンの中から声が聞こえたため、通行人に110番するよう頼んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女児は塾から帰る途中、西広島駅付近で面識のない小玉から声をかけられた。小玉は、凶器や薬物などは所持していなかった。女児が発見された現場は、JR広島駅から南西約2キロで、ホテルや飲食店などが並ぶ繁華街の一角。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 成城大生、女児の両手縛り「いたずらしたいと…」 ==&lt;br /&gt;
旅行かばんに小学6年の女児を閉じ込めたとして、広島県警広島中央署に監禁容疑で現行犯逮捕された東京都世田谷区祖師谷3、成城大2年小玉智裕が「女児にいたずらしたいと思った」などと供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小玉は女児をかばんに押し込む際、両手を粘着テープで縛っていたことも判明。小玉は4日夜の逮捕後、動機について「人間関係に悩んでいた」「警察に捕まりたかった」などと供述していた。しかし、5日になって「女児をかばんに押し込んでタクシーに乗っているうち、女児にいたずらしたいと思った」などと話した。一方で、「頭を整理して話したい」とも供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 女児監禁の成城大生「おとなしい青年」2年生で留年 ==&lt;br /&gt;
広島市の女児監禁事件で、広島県警に逮捕された小玉智裕容疑者が通っていた成城大学(東京都世田谷区)は5日、記者会見し、学生部長の神田範明(のりあき)経済学部教授が「被害者の方に大変申し訳ない」と謝罪した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
成城大によると、小玉は平成22年4月、福岡市内の高校から同大社会イノベーション学部へ入学。2年生に進級してからは単位が足りずに留年し、2年生として在籍していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同学部長の篠原光伸(みつのぶ)教授は、「最近は学校へ来ていなかったようだ。私の企業評価論の授業も履修登録していたが、試験を受けていない」と説明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小玉は昨年まであった居合同好会に所属。都内の道場で週に1回、初心者向けの居合の型を習っていた。師範代の男性は、「背がひょろっと高く、おとなしい青年。言葉遣いが丁寧で礼儀正しい印象を受けたが、2、3回稽古に出た後、まったく来なくなってしまった」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
油井(ゆい)雄二学長は「被害者とご家族には多大のご心痛をおかけし深くおわび申し上げます」とのコメントを発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 小女児監禁男はプリキュア好き ==&lt;br /&gt;
JR広島駅方面へ向かう途中、運転手の星山寿幸さん(63)が、トランクから「出して！！」という声に気付いた。直後、小玉が「降ります」と告げ、ドアを開け逃走したため、不審に思った星山さんは約3メートル追い掛け、両腕をつかんで後部座席に再び押し込んだ。通行人に110番通報を依頼し、警察官が駆け付け、現行犯逮捕された。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
星山さんは、高校時代にボクシング部に所属し、広島県のチャンピオンにもなった。「あのまま目的地まで着いていたらと思うとぞっとする」と振り返った。小玉は「サークル活動がうまくいかず自暴自棄になって女の子を乱暴しようと思った」と供述。わいせつ目的については 「車内ではそういう思いもよぎった」と話した。小玉は以前住んでいた広島へ運転免許取得のために来ていた。4日は事件前に免許試験を受けた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小玉は2010年4月に成城大社会イノベーション学部に入学。現在は留年し、2年生として在籍していた。同学部2年の男子学生は、同容疑者について「居合同好会の幹事を務めていて、学校にはほとんど来ていなかった。（アニメ）プリキュアが大好きで、趣味は、[[秋葉原]]の[[メイド喫茶]]通いと聞いた」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== バッグ監禁大学生のロリコンぶり ==&lt;br /&gt;
[[9月4日]]夜、広島市内で塾帰りの女の子を旅行バッグに押し込んで連れ去ろうとして、監禁・未成年者略取などの容疑で逮捕・送検された成城大学2年生、小玉智裕(20)。その[[ロリコン]]ぶりが明らかになりつつある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「[[夏休み]]だった小玉は、[[7月29日]]から広島市内に住む祖父母宅を訪れ、[[8月21日]]からは広島の合宿[[自動車教習所]]に通い、犯行当日の[[9月4日]]午前中に卒業検定に合格。その後、教習所が手配していたホテルとは別のホテルにチェックインし、女の子の物色。午後8時半過ぎにバス停で母親を待っていた小学6年生の女児(12)にナイフを突きつけ、旅行バッグ(高さ奥行き各30センチ、横70センチ)に押し込めてタクシーでホテルへ連れ込もうとしたのです」(社会部記者)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小玉は広島市で小学生高学年までを過ごし、その後、両親とともに福岡市へ移住し中学・高校と過ごした。当時は「温和で真面目な生徒で、友人たちとも普通に交流する子だった」(知人)という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高校時代の成績は優秀で、推薦で大学へ進学。居合いのサークルに所属し、10万円以上もする模擬刀を購入するなど活動に力を入れていたが、両親が離婚してからは元来内向的だった性格が再び顔を出し始めたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「その頃からあまり大学にも行かず、[[パソコン]]で[[オンラインゲーム]]をしたり、美少女アニメの『[[プリキュア]]』にはまるようになった。外出したかと思えば、[[秋葉原]]の[[メイド喫茶]]に出向いていたようです。家宅捜索では幼女の監禁調教モノのアニメ動画も押収され、ネットの動画共有サービス『[[ニコニコ動画]]』のプロフィル欄には、将来の夢を《JC(女子中学生)になること》としている。少女への執着が垣間見えます」(同)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自動車の免許を取得し、[[フェイスブック]]では「どの車を買って、助手席に誰を乗せようか」と考える傍ら、鞄と結束紐、果物ナイフなどを予め用意する周到ぶり。“助手席”に乗せたかったのは少女だったのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 裁判 ==&lt;br /&gt;
=== 旅行かばん女児閉じこめ、元大学生に懲役4年(2014年1月) ===&lt;br /&gt;
広島市内で2012年9月、小学6年の女児が旅行かばんに閉じこめられた事件で、わいせつ目的略取と監禁の両罪などに問われた住所不定の元大学生、小玉智裕(22)の判決が29日、[[広島地裁]]であり、[[伊藤寿]]裁判長は懲役4年(求刑・懲役5年)の実刑を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
判決によると、小玉は2012年9月4日夜、広島市西区で女児をナイフで脅し、旅行かばんに閉じ込めてタクシーのトランクに入れ、約20分間監禁した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[準ひきこもり]]&lt;br /&gt;
* [[ロリコン]]&lt;br /&gt;
* [[ジュニアアイドル]]&lt;br /&gt;
* [[名古屋女児監禁父親殺し事件]]&lt;br /&gt;
* [[宮崎勤]]&lt;br /&gt;
* [[高崎小1女児殺害事件]]&lt;br /&gt;
* [[広島小1女児殺害事件]]&lt;br /&gt;
* [[栃木小1女児殺害事件]]&lt;br /&gt;
* [[黒磯小2女児誘拐事件]]&lt;br /&gt;
* [[秋山暢大]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:こたま　ともひろ}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の誘拐事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:2012年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:広島市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:成城大学]]&lt;br /&gt;
[[Category:ロリコン]]&lt;br /&gt;
[[Category:広島市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1991年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>瓦力</title>
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				<updated>2022-01-31T11:55:18Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|人名 = 瓦 力&lt;br /&gt;
|各国語表記 = かわら つとむ&lt;br /&gt;
|画像 = &lt;br /&gt;
|画像説明 = &lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = [[1937年]][[4月1日]]&lt;br /&gt;
|出生地 = [[石川県]][[七尾市]]&lt;br /&gt;
|没年月日 = [[2013年]][[1月13日]]&lt;br /&gt;
|死没地 = &lt;br /&gt;
|出身校 = [[中央大学]][[法学部]]卒業&lt;br /&gt;
|前職 = 衆議院議員&lt;br /&gt;
|現職 = 引退&lt;br /&gt;
|所属政党 = [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]&lt;br /&gt;
|称号・勲章 = &lt;br /&gt;
|世襲の有無 = 無&lt;br /&gt;
|親族（政治家） = &lt;br /&gt;
|配偶者 = &lt;br /&gt;
|サイン = &lt;br /&gt;
|ウェブサイト = http://homepage3.nifty.com/kawara/&lt;br /&gt;
|サイトタイトル = 瓦力ホームページ&lt;br /&gt;
|国旗 = JPN&lt;br /&gt;
|職名 = 第63代 [[防衛庁長官]]&lt;br /&gt;
|内閣 = [[第1次森内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区 = &lt;br /&gt;
|当選回数 = &lt;br /&gt;
|就任日 = [[2000年]][[4月5日]]&lt;br /&gt;
|退任日 = [[2000年]][[7月4日]]&lt;br /&gt;
|退任理由 = &lt;br /&gt;
|所属委員会 = &lt;br /&gt;
|議員会館 = &lt;br /&gt;
|元首職 = &lt;br /&gt;
|元首 = &lt;br /&gt;
|国旗2 = JPN&lt;br /&gt;
|職名2 = 第62代 [[防衛庁長官]]&lt;br /&gt;
|内閣2 = [[小渕恵三内閣第2次改造内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区2 = &lt;br /&gt;
|当選回数2 = &lt;br /&gt;
|就任日2 = [[1999年]][[10月5日]]&lt;br /&gt;
|退任日2 = [[2000年]][[4月5日]]&lt;br /&gt;
|退任理由2 = &lt;br /&gt;
|所属委員会2 = &lt;br /&gt;
|議員会館2 = &lt;br /&gt;
|元首職2 = &lt;br /&gt;
|元首2 = &lt;br /&gt;
|国旗3 = JPN&lt;br /&gt;
|職名3 = 第65代 [[建設大臣]]&lt;br /&gt;
|内閣3 = [[第2次橋本内閣改造内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区3 = &lt;br /&gt;
|当選回数3 = &lt;br /&gt;
|就任日3 = [[1997年]][[9月11日]]&lt;br /&gt;
|退任日3 = [[1998年]][[7月30日]]&lt;br /&gt;
|退任理由3 = &lt;br /&gt;
|所属委員会3 = &lt;br /&gt;
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|国旗4 = JPN&lt;br /&gt;
|職名4 = 第45代 [[防衛庁長官]]&lt;br /&gt;
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|選挙区4 = &lt;br /&gt;
|当選回数4 = &lt;br /&gt;
|就任日4 = [[1987年]][[11月6日]]&lt;br /&gt;
|退任日4 = [[1988年]][[8月24日]]&lt;br /&gt;
|退任理由4 = [[なだしお事件]]の引責&lt;br /&gt;
|所属委員会4 = &lt;br /&gt;
|議員会館4 = &lt;br /&gt;
|元首職4 = &lt;br /&gt;
|元首4 = &lt;br /&gt;
|国旗5 = JPN&lt;br /&gt;
|職名5 = [[衆議院議員]]&lt;br /&gt;
|内閣5 = &lt;br /&gt;
|選挙区5 = （旧[[石川県第2区 (中選挙区) |石川2区]]→&amp;lt;br /&amp;gt;[[石川県第3区]]→）&amp;lt;br /&amp;gt;[[比例北陸信越ブロック]]&lt;br /&gt;
|当選回数5 = 12回&lt;br /&gt;
|就任日5 = [[1972年]]&lt;br /&gt;
|退任日5 = [[2009年]]&lt;br /&gt;
|退任理由5 = &lt;br /&gt;
|元首職5 = &lt;br /&gt;
|元首5 = &lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↑省略可↑ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''瓦 力'''（かわら つとむ、旧姓：戸島、[[1937年]][[4月1日]] ‐ [[2013年]][[1月13日]]）は、[[日本]]の[[政治家]]。元[[衆議院議員]]（12期）。[[防衛庁長官]]（45・62・63代）、[[建設大臣]]（65代）を歴任。いわゆる防衛[[族議員]]とされる。岳父は元カワラ金属社長の瓦辰二。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
*[[石川県]][[七尾市]]出身&lt;br /&gt;
*[[石川県立七尾高等学校]]、[[中央大学]]法学部卒業&lt;br /&gt;
*愛称は「りきさん」であり、公式ウェブサイトでは本名の「'''かわら・つとむ'''」ではなく、「'''かわら・りき'''」と称している。&lt;br /&gt;
*[[建設大臣]]・[[衆議院議長]]などを歴任した[[益谷秀次]]の秘書を経て地盤を後継。&lt;br /&gt;
*[[1988年]]、潜水艦[[なだしお事件]]の責任をとって[[防衛庁長官]]を引責辞任する。辞任の翌日から日本中の三十数遺族すべてを線香を持って訪ね歩いた。&lt;br /&gt;
*[[第44回衆議院議員総選挙|第44回衆院選]]において、党は瓦を比例単独候補とし、選挙区候補を[[輪島市]]選出の県議会議員である[[北村茂男]]とする[[コスタリカ方式]]を打診した。瓦は反発し一時無所属での出馬も検討したが、党本部による比例名簿上位の確約により受諾した。これは[[石川県第2区]]選出の[[森喜朗]]が能登地域への影響力拡大を意図して行われたといわれている。{{要出典}}&lt;br /&gt;
*[[第45回衆議院議員総選挙|第45回衆院選]]への引退表明の際、石川県第3区に自身と同じ自民党から立候補した[[北村茂男]]を「後継候補として認めない」旨発言し支援しないことを表明、さらに選挙戦中に第3区民主党新人候補の[[近藤和也]]と握手する姿を披露するなどしたため物議を醸した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*{{和暦|1972}}[[12月10日]]：[[第33回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]公認）当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1976}}[[12月5日]]：[[第34回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）2期目当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1977}}[[1月31日]]：[[衆議院]][[議事進行係]]。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1979}}[[10月7日]]：[[第35回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）3期目当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1980}}&lt;br /&gt;
:[[6月22日]]：[[第36回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）4期目当選。&lt;br /&gt;
:[[7月17日]]：[[内閣官房副長官]]（[[鈴木善幸内閣]]）就任。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1983}}[[12月18日]]：[[第37回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）5期目当選。[[大蔵委員会|衆議院大蔵委員長]]就任。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1986}}&lt;br /&gt;
:1月：[[建設委員会|衆議院建設委員長]]就任。 &lt;br /&gt;
:[[7月6日]]：[[第38回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）6期目当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1987}}[[11月6日]]：[[防衛庁長官]]（[[竹下内閣|竹下登内閣]]）就任。政務次官は中大法学部の後輩[[高村正彦]]。（翌年の[[なだしお事件]]で引責辞任）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1990}}&lt;br /&gt;
:[[2月18日]]：[[第39回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）7期目当選。&lt;br /&gt;
:3月：衆議院安全保障特別委員長就任。 &lt;br /&gt;
:12月：党[[国会対策委員長]]就任。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1993}}[[7月18日]]：[[第40回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）8期目当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1996}}[[10月20日]]：[[第41回衆議院議員総選挙]]（[[石川3区]]・自民党公認）9期目当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1997}}[[9月11日]]：[[建設大臣]]（[[第2次橋本内閣改造内閣|第2次橋本龍太郎改造内閣]]）就任。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1999}}[[10月5日]]：防衛庁長官（[[小渕内閣第2次改造内閣|小渕恵三第2次改造内閣]]）就任。&lt;br /&gt;
*{{和暦|2000}}&lt;br /&gt;
:[[4月5日]]：防衛庁長官（[[森内閣|森喜朗内閣]]）再任。&lt;br /&gt;
:[[6月25日]]：[[第42回衆議院議員総選挙]]（石川3区・自民党公認）10期目当選。 &lt;br /&gt;
*{{和暦|2002}}&lt;br /&gt;
:4月：衆議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員長就任。 &lt;br /&gt;
:10月：[[国家基本政策委員会|衆議院国家基本政策委員長]]就任。  &lt;br /&gt;
*{{和暦|2003}}[[11月9日]]：[[第43回衆議院議員総選挙]]（石川3区・自民党公認）11期目当選。 &lt;br /&gt;
*{{和暦|2005}}&lt;br /&gt;
:[[4月1日]]：[[弾劾裁判所]]裁判長就任。&lt;br /&gt;
:[[9月11日]]：[[第44回衆議院議員総選挙]]（[[比例北陸信越ブロック]]・自民党公認）12期目当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|2009}}&lt;br /&gt;
:[[7月21日]]：[[第45回衆議院議員総選挙]]に出馬せず引退することを表明。&lt;br /&gt;
:[[11月]]：平成21年秋の[[叙勲]]において[[旭日大綬章]]を受ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関係団体 ==&lt;br /&gt;
*[[日韓議員連盟]]（副会長）&lt;br /&gt;
*[[みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会]]（前会長）&lt;br /&gt;
*[[日米平和・文化交流協会]]、[[安全保障議員協議会]]（会長）&lt;br /&gt;
*[[隊友会]]（会長）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[自由民主党国会議員一覧]]&lt;br /&gt;
**[[宏池会]]、[[宏池会_(古賀派)|宏池会（古賀派）]]&lt;br /&gt;
*[[益谷秀次]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://homepage3.nifty.com/kawara/ 瓦力ホームページ]（公式サイト）&lt;br /&gt;
*自由民主党石川県支部連合会&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-par}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[国家基本政策委員会|衆議院国家基本政策委員長]]&lt;br /&gt;
| before = [[池田行彦]]&lt;br /&gt;
| years  = 第5代：2002年 - 2004年&lt;br /&gt;
| after  = [[伊藤公介]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|JPN}} [[防衛庁長官]]&lt;br /&gt;
| before = [[栗原祐幸]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[野呂田芳成]]&lt;br /&gt;
| years  = 第45代：1987年 - 1988年&amp;lt;br/&amp;gt;第62・63代：1999年 - 2000年&lt;br /&gt;
| after  = [[田沢吉郎]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[虎島和夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|JPN}} [[建設大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[亀井静香]]&lt;br /&gt;
| years  = 第65代：1997年 - 1998年&lt;br /&gt;
| after  = [[関谷勝嗣]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党国会対策委員長]]&lt;br /&gt;
| before = [[梶山静六]]&lt;br /&gt;
| years  = 第38代 : 1992年 - 1993年&lt;br /&gt;
| after  = [[小里貞利]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:石川県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:中央大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:石川県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1937年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2013年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
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				<updated>2022-01-31T11:50:13Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|人名 = 瓦 力&lt;br /&gt;
|各国語表記 = かわら つとむ&lt;br /&gt;
|画像 = &lt;br /&gt;
|画像説明 = &lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = [[1937年]][[4月1日]]&lt;br /&gt;
|出生地 = [[石川県]][[七尾市]]&lt;br /&gt;
|没年月日 = [[2013年]][[1月13日]]&lt;br /&gt;
|死没地 = &lt;br /&gt;
|出身校 = [[中央大学]][[法学部]]卒業&lt;br /&gt;
|前職 = 衆議院議員&lt;br /&gt;
|現職 = 引退&lt;br /&gt;
|所属政党 = [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]&lt;br /&gt;
|称号・勲章 = &lt;br /&gt;
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|親族（政治家） = &lt;br /&gt;
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|サイン = &lt;br /&gt;
|ウェブサイト = http://homepage3.nifty.com/kawara/&lt;br /&gt;
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|国旗 = JPN&lt;br /&gt;
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|元首 = &lt;br /&gt;
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|当選回数3 = &lt;br /&gt;
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|元首3 = &lt;br /&gt;
|国旗4 = JPN&lt;br /&gt;
|職名4 = 第45代 [[防衛庁長官]]&lt;br /&gt;
|内閣4 = [[竹下内閣]]&lt;br /&gt;
|選挙区4 = &lt;br /&gt;
|当選回数4 = &lt;br /&gt;
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|職名5 = [[衆議院議員]]&lt;br /&gt;
|内閣5 = &lt;br /&gt;
|選挙区5 = （旧[[石川県第2区 (中選挙区) |石川2区]]→&amp;lt;br /&amp;gt;[[石川県第3区]]→）&amp;lt;br /&amp;gt;[[比例北陸信越ブロック]]&lt;br /&gt;
|当選回数5 = 12回&lt;br /&gt;
|就任日5 = [[1972年]]&lt;br /&gt;
|退任日5 = [[2009年]]&lt;br /&gt;
|退任理由5 = &lt;br /&gt;
|元首職5 = &lt;br /&gt;
|元首5 = &lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ↑省略可↑ --&amp;gt;&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
'''瓦 力'''（かわら つとむ、旧姓：戸島、[[1937年]][[4月1日]] ‐ [[2013年]][[1月13日]]）は、[[日本]]の[[政治家]]。前[[衆議院議員]]（12期）。[[防衛庁長官]]（45・62・63代）、[[建設大臣]]（65代）を歴任。いわゆる防衛[[族議員]]とされる。岳父は元カワラ金属社長の瓦辰二。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
*[[石川県]][[七尾市]]出身&lt;br /&gt;
*[[石川県立七尾高等学校]]、[[中央大学]]法学部卒業&lt;br /&gt;
*愛称は「りきさん」であり、公式ウェブサイトでは本名の「'''かわら・つとむ'''」ではなく、「'''かわら・りき'''」と称している。&lt;br /&gt;
*[[建設大臣]]・[[衆議院議長]]などを歴任した[[益谷秀次]]の秘書を経て地盤を後継。&lt;br /&gt;
*[[1988年]]、潜水艦[[なだしお事件]]の責任をとって[[防衛庁長官]]を引責辞任する。辞任の翌日から日本中の三十数遺族すべてを線香を持って訪ね歩いた。&lt;br /&gt;
*[[第44回衆議院議員総選挙|第44回衆院選]]において、党は瓦を比例単独候補とし、選挙区候補を[[輪島市]]選出の県議会議員である[[北村茂男]]とする[[コスタリカ方式]]を打診した。瓦は反発し一時無所属での出馬も検討したが、党本部による比例名簿上位の確約により受諾した。これは[[石川県第2区]]選出の[[森喜朗]]が能登地域への影響力拡大を意図して行われたといわれている。{{要出典}}&lt;br /&gt;
*[[第45回衆議院議員総選挙|第45回衆院選]]への引退表明の際、石川県第3区に自身と同じ自民党から立候補した[[北村茂男]]を「後継候補として認めない」旨発言し支援しないことを表明、さらに選挙戦中に第3区民主党新人候補の[[近藤和也]]と握手する姿を披露するなどしたため物議を醸した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
*{{和暦|1972}}[[12月10日]]：[[第33回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]公認）当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1976}}[[12月5日]]：[[第34回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）2期目当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1977}}[[1月31日]]：[[衆議院]][[議事進行係]]。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1979}}[[10月7日]]：[[第35回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）3期目当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1980}}&lt;br /&gt;
:[[6月22日]]：[[第36回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）4期目当選。&lt;br /&gt;
:[[7月17日]]：[[内閣官房副長官]]（[[鈴木善幸内閣]]）就任。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1983}}[[12月18日]]：[[第37回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）5期目当選。[[大蔵委員会|衆議院大蔵委員長]]就任。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1986}}&lt;br /&gt;
:1月：[[建設委員会|衆議院建設委員長]]就任。 &lt;br /&gt;
:[[7月6日]]：[[第38回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）6期目当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1987}}[[11月6日]]：[[防衛庁長官]]（[[竹下内閣|竹下登内閣]]）就任。政務次官は中大法学部の後輩[[高村正彦]]。（翌年の[[なだしお事件]]で引責辞任）&lt;br /&gt;
*{{和暦|1990}}&lt;br /&gt;
:[[2月18日]]：[[第39回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）7期目当選。&lt;br /&gt;
:3月：衆議院安全保障特別委員長就任。 &lt;br /&gt;
:12月：党[[国会対策委員長]]就任。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1993}}[[7月18日]]：[[第40回衆議院議員総選挙]]（旧石川2区・自民党公認）8期目当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1996}}[[10月20日]]：[[第41回衆議院議員総選挙]]（[[石川3区]]・自民党公認）9期目当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1997}}[[9月11日]]：[[建設大臣]]（[[第2次橋本内閣改造内閣|第2次橋本龍太郎改造内閣]]）就任。&lt;br /&gt;
*{{和暦|1999}}[[10月5日]]：防衛庁長官（[[小渕内閣第2次改造内閣|小渕恵三第2次改造内閣]]）就任。&lt;br /&gt;
*{{和暦|2000}}&lt;br /&gt;
:[[4月5日]]：防衛庁長官（[[森内閣|森喜朗内閣]]）再任。&lt;br /&gt;
:[[6月25日]]：[[第42回衆議院議員総選挙]]（石川3区・自民党公認）10期目当選。 &lt;br /&gt;
*{{和暦|2002}}&lt;br /&gt;
:4月：衆議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員長就任。 &lt;br /&gt;
:10月：[[国家基本政策委員会|衆議院国家基本政策委員長]]就任。  &lt;br /&gt;
*{{和暦|2003}}[[11月9日]]：[[第43回衆議院議員総選挙]]（石川3区・自民党公認）11期目当選。 &lt;br /&gt;
*{{和暦|2005}}&lt;br /&gt;
:[[4月1日]]：[[弾劾裁判所]]裁判長就任。&lt;br /&gt;
:[[9月11日]]：[[第44回衆議院議員総選挙]]（[[比例北陸信越ブロック]]・自民党公認）12期目当選。&lt;br /&gt;
*{{和暦|2009}}&lt;br /&gt;
:[[7月21日]]：[[第45回衆議院議員総選挙]]に出馬せず引退することを表明。&lt;br /&gt;
:[[11月]]：平成21年秋の[[叙勲]]において[[旭日大綬章]]を受ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関係団体 ==&lt;br /&gt;
*[[日韓議員連盟]]（副会長）&lt;br /&gt;
*[[みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会]]（前会長）&lt;br /&gt;
*[[日米平和・文化交流協会]]、[[安全保障議員協議会]]（会長）&lt;br /&gt;
*[[隊友会]]（会長）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[自由民主党国会議員一覧]]&lt;br /&gt;
**[[宏池会]]、[[宏池会_(古賀派)|宏池会（古賀派）]]&lt;br /&gt;
*[[益谷秀次]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://homepage3.nifty.com/kawara/ 瓦力ホームページ]（公式サイト）&lt;br /&gt;
*自由民主党石川県支部連合会&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-par}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[国家基本政策委員会|衆議院国家基本政策委員長]]&lt;br /&gt;
| before = [[池田行彦]]&lt;br /&gt;
| years  = 第5代：2002年 - 2004年&lt;br /&gt;
| after  = [[伊藤公介]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|JPN}} [[防衛庁長官]]&lt;br /&gt;
| before = [[栗原祐幸]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[野呂田芳成]]&lt;br /&gt;
| years  = 第45代：1987年 - 1988年&amp;lt;br/&amp;gt;第62・63代：1999年 - 2000年&lt;br /&gt;
| after  = [[田沢吉郎]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[虎島和夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|JPN}} [[建設大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[亀井静香]]&lt;br /&gt;
| years  = 第65代：1997年 - 1998年&lt;br /&gt;
| after  = [[関谷勝嗣]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党国会対策委員長]]&lt;br /&gt;
| before = [[梶山静六]]&lt;br /&gt;
| years  = 第38代 : 1992年 - 1993年&lt;br /&gt;
| after  = [[小里貞利]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:石川県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:中央大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:石川県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1937年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2013年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E8%8F%85%E7%BE%A9%E5%81%89&amp;diff=396719</id>
		<title>菅義偉</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E8%8F%85%E7%BE%A9%E5%81%89&amp;diff=396719"/>
				<updated>2022-01-31T11:47:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: /* 外部リンク */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''菅 義偉'''（すが よしひで、[[1948年]][[12月6日]] - ）は、[[日本]]の[[政治家]]。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の[[衆議院|衆議院議員]]（9期）。自由民主党神奈川県連会長。[[内閣官房長官]]（[[第2次安倍内閣|第81代]]）。[[内閣総理大臣]]（第99代）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由民主党幹事長代行、[[総務大臣]]（[[第1次安倍内閣|第7代]]）、[[特命担当大臣|内閣府特命担当大臣]]（[[内閣府特命担当大臣（地方分権改革担当）|地方分権改革]]）、[[郵政民営化|郵政民営化担当大臣]]、自由民主党選挙対策副委員長、[[横浜市|横浜市会]]議員（2期）等を歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴・人物 ==&lt;br /&gt;
[[秋田県]][[雄勝郡]][[雄勝町 (秋田県)|雄勝町]]（現[[湯沢市]]）生まれ。雄勝町立秋ノ宮中学校(現湯沢市立雄勝中学校)卒業後、[[秋田県立湯沢高等学校]]に進学し卒業後、[[集団就職]]で上京する。ダンボール工場で働きながら、[[法政大学]][[法学部]]法律学科を卒業。大学卒業後はいったん就職するも仕事を辞め、[[小此木彦三郎]][[衆議院議員]]の秘書を11年にわたって務めた。[[1984年]]、小此木の[[通商産業大臣]]就任に伴い、秘書官を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1987年]]、[[横浜市|横浜市会]]議員選挙・[[西区 (横浜市)|西区]]選挙区から出馬し、初当選を果たした。市議は2期務める。[[1996年]]の[[第41回衆議院議員総選挙]]に[[神奈川県第2区]]から自民党公認で出馬し、[[新進党]]公認・[[公明党|公明]]推薦の[[上田晃弘]]、[[民主党_(日本 1996-1998)|旧民主党]]公認の新人[[大出彰]]らを破り、初当選した。当時の[[橋本龍太郎]]首相の出身派閥である[[平成研究会]]に入会（当選同期に[[平沢勝栄]]・[[渡辺喜美]]・[[大村秀章]]・[[河本三郎]]・[[桜田義孝]]・[[下村博文]]・[[滝実]]・[[棚橋泰文]]・[[谷畑孝]]・[[田村憲久]]・[[戸井田徹]]など）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1998年]]の[[自由民主党総裁選挙]]では所属していた平成研究会の[[小渕恵三]]会長ではなく[[梶山静六]]を支持し、小渕派を退会。その後[[宏池会]]に入会した。[[2000年]]の[[第2次森内閣]][[不信任決議]]をめぐる「[[加藤の乱]]」では、[[加藤紘一]]らに同調して不信任案の採決では欠席したが、その後の加藤派分裂では親加藤派の[[小里派]]（[[小里貞利]]会長）ではなく、反加藤グループの[[堀内派]]（[[堀内光雄]]会長）に参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2002年横浜市長選挙]]で、自民党横浜市連会長を務めていた菅は4選をめざした[[高秀秀信]]市長の支援を決定するが、高秀は[[中田宏]]に敗れ、落選。選挙後、神奈川県選出でありながら高秀を無視し、中田を首相官邸に呼んで激励した[[小泉純一郎]]首相を批判している（ただし自身も[[2011年愛知県知事選挙]]で自民党を[[除名]]された当選同期の大村秀章を支援している）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2006年]]、[[再チャレンジ支援議員連盟]]の立ち上げに参加。この議連は実質、ポスト小泉を選出する[[2006年自由民主党総裁選挙]]に、[[安倍晋三]]を擁立する原動力になった。結果、総裁選で安倍は圧勝する。同年9月に発足した[[第1次安倍内閣]]では[[総務大臣]]（[[郵政民営化|郵政民営化担当相]]を兼務）に任命され、初入閣を果たす。同年12月、[[内閣府特命担当大臣]]（[[地方分権]]改革）の補職辞令を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2007年]]、[[第21回参議院議員通常選挙]]敗北を受けた内閣改造では、安倍は菅の[[内閣官房長官]]（次善案として[[内閣官房副長官]]）起用を模索したが、直前に菅に事務所費問題が発覚し実現せず、自民党選挙対策総局長に就任した。菅は自民党選挙対策総局長への就任早々「私の仕事は首を切ること」と発言し、候補者の大幅な調整を示唆した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年9月、安倍首相の退陣に伴い行われた[[2007年自由民主党総裁選挙]]では[[福田康夫]]を支持する[[古賀派]]の方針に反して[[麻生太郎]]を支持し、推薦人にも名前を連ねた。福田政権の下で、選対総局長を格上げした[[自由民主党選挙対策委員長]]に[[古賀誠]]が就任すると、古賀に手腕を買われ、同副委員長として引続き衆院選対策にあたることになった。古賀の配慮で選対総局長時代の部屋を選対副委員長室として引き続き使用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麻生内閣発足後は麻生の側近として低支持率にあえぐ政権を支え、[[中川秀直]]や[[塩崎恭久]]ら党内の反麻生派を硬軟取り混ぜた様々な手段で抑えた。また、積極的な政策提言をおこない、[[政府紙幣]]や無利子国債発行、世襲制限を唱えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年7月、古賀が[[2009年東京都議会議員選挙|東京都議会議員選挙]]敗北の責任を取る形で辞任。麻生首相の解散予告後だったこともあり、選対委員長代理として総選挙を取り仕切ることになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2009年]]の[[第45回衆議院議員総選挙]]では、[[神奈川県第2区]]で[[民主党_(日本 1998-)|民主党]]の[[三村和也]]の猛追を受けるも548票の僅差で三村を破り、5選。[[2009年自由民主党総裁選挙]]において、96年当選同期の大村や[[新藤義孝]]・[[松本純]]と共に[[河野太郎]]の推薦人になるとともに、所属する古賀派を退会した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年、自由民主党国会対策副委員長及び広報本部本部長代理に就任。2011年、自由民主党組織運動本部長に就任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2012年]]9月、盟友関係にある安倍晋三の[[自由民主党総裁]]就任に伴い、[[自由民主党幹事長|自由民主党幹事長代行]]に起用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年12月26日に組閣された[[第2次安倍内閣]]において[[官房長官]]に起用された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 総務大臣として ===&lt;br /&gt;
菅は2006年10月、[[NHKワールド・ラジオ日本|NHK短波ラジオ国際放送]]への放送命令に定義されている放送事項に、「[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致問題]]」という具体的な内容を加える方針を示し論議を呼んだ。日本の[[放送法]]33条には『国際放送等の実施の命令等』という項目があり、そこには「総務大臣は、協会に対し、放送区域、放送事項その他必要な事項を指定して国際放送を行うべきことを命ずることができる」とある（2007年12月の放送法改正で「命令」から「要請」に変更された）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
菅は「北朝鮮国内で厳しい生活環境で救出を待ちわびている多くの拉致被害者に対し、日本政府も国民も見捨てていないことが生きる希望になる」と強調し、11月10日に放送事項に「北朝鮮による日本人拉致問題に特に留意すること」を追加する命令をNHKに出した。一方で菅は「報道の自由は守らなければならない。番組内容や放送回数を指示する訳ではない」とNHKに対して編集権の配慮も示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
放送法44条には「編集権」に関して『放送番組の編集等』という項目があり、そこでは「NHKは、国際放送の放送番組の編集に当たっては、海外同胞に適切な慰安を与えるようにしなければならない」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年1月6日、[[宮崎県]][[知事]]選挙期間中の宮崎県を訪れ、「総務大臣を囲む新春懇談会」を開催した。その際、地方自治体の予算配分に強い影響力を持つ[[総務大臣]]であるにもかかわらず、市町村の[[首長]]たちに自民党推薦の[[持永哲志]]への支援を呼びかけたため、マスコミからの批判を招いた。また、懇談会に参加していた市町村の首長たちは[[川村秀三郎]]を支援していたため、結果的に地元の反発をも招く結果となった。なお、この知事選では[[東国原英夫]]が当選した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年1月16日、菅総務大臣が「NHKの改革と（受信料の支払い）義務化によって生じた分を国民に還元していくのは基本」と述べ、さらに「経営合理化とともに、徴収率を現在の70%前後から85%に引き上げることで受信料2割前後の値下げが可能」と指摘したことから、NHK受信料義務化と受信料値下げがセットで議論され始めた。総務省もNHK受信料の支払いを義務づける放送法改正案を第166回国会（2007年1月25日から6月23日）に提出し、2008年度から義務化する方針としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これを受けて、日本民間放送連盟の[[広瀬道貞]]会長（[[テレビ朝日]]会長）は「NHK自身が視聴者に利益還元するというメッセージを出すべき」と語り（1月18日）、値下げ案を支持した。ただ、菅が求める「2008年度から2割値下げ」という具体案については「契約数が何割を超えたらこれぐらい値下げしますというぐらいがいい」と述べ、NHKに広く裁量権を認めるべきとの見解を示した。一方、当事者であるNHKは、受信料義務化には賛成するものの、受信料値下げには慎重な姿勢に終始している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2007年[[3月23日]]、[[朝日ニュースター]]の番組にて、当時の自由民主党[[参議院]][[幹事長]]かつ党の通信・放送産業高度化小委員長であった[[片山虎之助]]（現在は[[日本維新の会]]所属）は、日本放送協会を担当する総務省放送政策課課長を菅が交代させたことに対し、「総務大臣（＝菅）が駄目だ。（総務省放送政策課）課長はNHK寄りだとかいうが、『自分のいうことを聞かないから代える』ということでは大臣を辞めた方がいい」と指摘し、菅の放送行政運営を批判している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
菅は[[日本郵政公社]][[総裁]][[生田正治]]と会談後、生田から総裁辞任の申し出があったことを発表した。その後、後任の日本郵政公社総裁には、[[日本郵政]][[社長]][[西川善文]]が就任することが発表された。なお、生田自身が政府に辞任を申し入れたことはない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== エピソード ==&lt;br /&gt;
* 「安倍が最も信頼する側近の1人」とされ、第1次安倍内閣が閣僚の問題発言などで混乱する中、存在感を増していった。地方分権改革推進法など19本の法案を成立させるとともに、[[ふるさと納税]]の提唱や、年金記録問題における省内委員会の設置などをおこなうなど、閣僚のスキャンダルが続出した第1次安倍内閣にあって安定した存在感を発揮した。2012年の[[2012年自由民主党総裁選挙|自由民主党総裁選挙]]に際して早くから安倍擁立に動き、第2次安倍内閣では念願だった官房長官に抜擢された。&lt;br /&gt;
* 他方で[[日本放送協会|NHK]]命令放送、受信料引き下げ問題や[[郵政公社]]総裁解任などを巡って、強権的と評された。自民党内でも選挙対策責任者として、[[コスタリカ方式]]の選挙区解消に努めたため、候補選定で一部から反感を買った。&lt;br /&gt;
* 安倍・麻生両首相の信頼を得て急速に発言力を増した人物だが、そのスピード出世には周囲の反感も多い。派閥の長である古賀も自らの意に反する行動を続ける菅の台頭に複雑な思いを持っているとされる。また、所属派閥を何度も変えていることから、「信用できない」（[[森喜朗]]など）との評価や、側近として活動した第1次安倍内閣、麻生内閣が短命だったことから、「菅さんがやったことは、ほとんど失敗している」との評価もある。&lt;br /&gt;
* [[梶山静六]]を政治の師匠と仰ぐ。第2次安倍内閣で官房長官に就任した際、梶山の墓前にも就任を報告した。&lt;br /&gt;
* [[中宏池会構想]]に関してはかつて古賀に対し「反対しないが、次の総裁選で麻生が立候補をすれば麻生を支持する」と明言していた。&lt;br /&gt;
* 選択的[[夫婦別姓]]制度の導入に賛成。&lt;br /&gt;
* 「私は農家の長男だが地方では農業が衰退しており集約化が必要だ。都市農業は相続税など税制で支援すべき。日本は資源のない島国。雇用をつくるのが政治家の仕事だ」として[[環太平洋連携協定|TPP]]の参加に賛成。&lt;br /&gt;
* 2009年の総選挙で自民党が下野した頃から[[ダイエット]]を敢行。4ヶ月で14キロの減量に成功し、メディアでも盛んに取り上げられたが、あまりに急に痩せたため、関係者の間では健康不安説が飛び交ったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 所属団体・議員連盟 ==&lt;br /&gt;
* [[創生「日本」]]（副会長）&lt;br /&gt;
* [[日本会議]]国会議員懇談会（副会長）&lt;br /&gt;
* [[再チャレンジ支援議員連盟]]（幹事長）&lt;br /&gt;
* [[日韓議員連盟]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
*『政治家の覚悟 &amp;lt;small&amp;gt;官僚を動かせ&amp;lt;/small&amp;gt;』（[[文藝春秋]]企画出版部、2012年3月12日、ISBN 978-4160087422）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 論文 ==&lt;br /&gt;
* [http://ci.nii.ac.jp/author?q=%E8%8F%85%E7%BE%A9%E5%81%89&amp;amp;count=100&amp;amp;sortorder=3 CiNii収録論文] [[国立情報学研究所]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.sugayoshihide.gr.jp/ すが義偉HP]&lt;br /&gt;
*[http://gree.jp/suga_yoshihide/ 菅義偉 公式ブログ]&lt;br /&gt;
*{{Facebook|yoshihide.suga|菅 義偉}}&lt;br /&gt;
*[http://www.choujintairiku.com/culshock/suga.html 菅義偉氏動画メッセージ(キャッシュ)]（*[http://www.choujintairiku.com/ 超人大陸]）&lt;br /&gt;
*[http://www.geocities.com/diet1114/ 2002/11/14衆議院決算委員会議事録]（[[NHKスペシャル]]「[[奇跡の詩人]]」が[[放送法]]違反なのではないかという、菅義偉代議士による[[板谷駿一]]NHK専務理事への質問）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:すか よしひて}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の副大臣経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の大臣政務官経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:神奈川県選出の衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:神奈川県の地方議会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:法政大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:秋田県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の保守政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の反共主義者]]&lt;br /&gt;
[[Category:1948年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:☁]]&lt;br /&gt;
[[Category:回]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%A2%97%E5%B2%A1%E5%8D%9A%E4%B9%8B&amp;diff=396718</id>
		<title>増岡博之</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%A2%97%E5%B2%A1%E5%8D%9A%E4%B9%8B&amp;diff=396718"/>
				<updated>2022-01-31T11:46:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|人名 = 増岡 博之&lt;br /&gt;
|各国語表記 = ますおか ひろゆき&lt;br /&gt;
|画像 =&lt;br /&gt;
|画像説明 =&lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = [[1923年]][[2月3日]]&lt;br /&gt;
|出生地 = [[広島県]][[呉市]]&lt;br /&gt;
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1923|2|3|2011|7|24}}&lt;br /&gt;
|死没地 =&lt;br /&gt;
|出身校 = [[早稲田大学]]&lt;br /&gt;
|所属政党 = [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]&lt;br /&gt;
|称号・勲章 =&lt;br /&gt;
|配偶者 =&lt;br /&gt;
|サイン =&lt;br /&gt;
|ウェブサイト =&lt;br /&gt;
|サイトタイトル =&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''増岡 博之'''（ますおか ひろゆき、[[1923年]][[2月3日]] - [[2011年]][[7月24日]]）は、[[日本]]の[[実業家]]・[[政治家]]。元[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[衆議院議員]]（8期）。株式会社[[鉄鋼ビルディング]]代表取締役会長。[[増岡組]]創業者・[[増岡登作]]の次男として[[広島県]][[呉市]]に生まれた。[[早稲田大学]][[政治経済学部]]卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 来歴・人物 ==&lt;br /&gt;
[[1948年]]家業である増岡組入社。[[1952年]]専務取締役を務めた後[[1967年]]、[[池田勇人]]前首相の後継者として衆議院議員総選挙に旧広島2区から出馬し初当選。当選8回。自民党内では[[宏池会]]に属し厚生、運輸政務次官などを務めた後、[[1984年]][[第2次中曽根内閣第1次改造内閣|第2次中曽根内閣]]の[[厚生大臣]]として初入閣。[[1991年]]宏池会領袖の[[宮澤喜一]]内閣が発足すると、[[自由民主党国会対策委員会|党国会対策委員長]]に就任したが、[[PKO国会]]で[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律|PKO法案]]の成立が先送りになるなど、国会対策の手腕に疑問の声が上がり、翌年の1月にわずか2か月で[[経世会]]の[[梶山静六]]と交代。自身は党幹事長代理に就任した。旧広島2区は[[池田行彦]]、[[谷川和穂]]、[[中川秀直]]、[[森井忠良]]ら、有力政治家がひしめく全国有数の激戦区だったため、[[第40回衆議院議員総選挙|1993年の総選挙]]で落選し政界を引退した。[[1994年]][[瑞宝章|勲一等瑞宝章]]受章。政界引退後の[[1998年]]、鉄鋼ビルディング社長に就任したが、その後会長に退いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 家族・親族 ==&lt;br /&gt;
父は増岡組創業者の増岡登作、弟は増岡組2代目社長の[[増岡重昂]]（登作の三男）。長女は元[[防衛庁長官]]の[[斉藤斗志二]]に、次女は[[三菱鉛筆]]社長の[[数原英一郎]]にそれぞれ嫁いでいる。鉄鋼ビルディング取締役の[[増岡隆一]]は甥（重昂の長男）であり、隆一は眞崎大和鉛筆（三菱鉛筆の前身）の社長を務めた[[近藤賢二]]の曾孫で[[弁護士]]・[[高島信之]]の長女にあたる。また、高島信之の弟、すなわち増岡隆一の妻の叔父にあたる[[高島孝之]]は元[[三菱地所]]取締役・[[岩崎彦弥太]]（[[三菱財閥]]3代目総帥・[[岩崎久弥]]の長男）の三女と結婚している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
旧三菱財閥の流れを汲む企業集団・[[三菱グループ]]と三菱鉛筆は[[三菱]]の文字も使用するうえロゴマークも同じであるものの一切の資本・人的関係がないが、三菱鉛筆の現オーナー一族・数原家と三菱の創業者一族・[[岩崎家]]は高島家・増岡家を通じて姻戚関係にあり、三菱鉛筆の前身・眞崎大和鉛筆の社長を輩出した近藤家もまた高島家を通じて岩崎家及び増岡家と姻戚関係にあるといえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[厚生省|厚生大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[渡部恒三]]&lt;br /&gt;
| years  = 第65代：1984年 - 1985年&lt;br /&gt;
| after  = [[今井勇]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[自由民主党国会対策委員長]]&lt;br /&gt;
| before = [[梶山静六]]&lt;br /&gt;
| years  = 第36代 : 1991年 - 1992年&lt;br /&gt;
| after  = [[梶山静六]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ますおかひろゆき}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の実業家]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:自由民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:広島県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:早稲田大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:広島県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1923年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2011年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E8%97%A4%E7%94%B0%E9%9B%84%E5%B1%B1&amp;diff=396717</id>
		<title>藤田雄山</title>
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				<updated>2022-01-31T11:42:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{政治家&lt;br /&gt;
|各国語表記 = ふじた ゆうざん&lt;br /&gt;
|画像 = &lt;br /&gt;
|画像説明 = &lt;br /&gt;
|国略称 = {{JPN}}&lt;br /&gt;
|生年月日 = [[1949年]][[4月19日]]&lt;br /&gt;
|出生地 = [[広島県]][[広島市]]&lt;br /&gt;
|没年月日 = [[2015年]][[12月18日]]&lt;br /&gt;
|死没地 = &lt;br /&gt;
|出身校 = [[慶應義塾大学]][[商学部]]&lt;br /&gt;
|所属政党 = 無所属（1993 - ）&amp;lt;br/&amp;gt;自由民主党（1989 - 1993）&lt;br /&gt;
|称号・勲章 = &lt;br /&gt;
|配偶者 = &lt;br /&gt;
|サイン = &lt;br /&gt;
|ウェブサイト = http://www.pref.hiroshima.lg.jp/page/1173257463983/&lt;br /&gt;
|サイトタイトル = ようこそ知事室へ&lt;br /&gt;
|国旗 = 日本&lt;br /&gt;
|職名 = 前広島県知事&lt;br /&gt;
|内閣 = &lt;br /&gt;
|選挙区 = &lt;br /&gt;
|当選回数 = 4回&lt;br /&gt;
|就任日 = 1993年&lt;br /&gt;
|退任日 = &lt;br /&gt;
|退任理由 = &lt;br /&gt;
|元首職 = &lt;br /&gt;
|元首 = &lt;br /&gt;
|国旗2 = 日本&lt;br /&gt;
|職名2 = 参議院議員&lt;br /&gt;
|内閣2 = &lt;br /&gt;
|選挙区2 = 広島県選挙区&lt;br /&gt;
|当選回数2 = 1回&lt;br /&gt;
|就任日2 = 1989年&lt;br /&gt;
|退任日2 = 1993年&lt;br /&gt;
|退任理由2 = 広島県知事選挙出馬のため&lt;br /&gt;
|元首職2 = &lt;br /&gt;
|元首2 = &lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''藤田 雄山'''（ふじた ゆうざん、[[1949年]][[4月19日]] - [[2015年]][[12月18日]]）は、元[[広島県]][[知事]]。元[[参議院議員]]。[[広島県]]広島市翠町(現[[南区 (広島市)|南区]]翠町)出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[修道高等学校]]から[[成蹊高等学校]]に転入し、[[慶應義塾大学]]商学部卒業。[[参議院議長]]を務めた[[藤田正明]]の長男。母方の祖父は第2代（公選）広島県知事、[[大原博夫]]。大伯父は藤田組（現・[[フジタ]]）創業者、藤田一郎。妻と一男二女の5人家族。知事4期目。（2005年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
* 1972年4月：[[三井物産]]入社。（～1982年）&lt;br /&gt;
* 1982年9月：参議院議員（父・正明）秘書に。&lt;br /&gt;
* 1989年7月：参議院選挙に立候補。初当選。&lt;br /&gt;
* 1993年11月：広島県知事選挙に立候補。初当選。（当時、44才、最年少の知事）&lt;br /&gt;
* 1995年：[[ベストドレッサー賞]]（政治・経済部門）受賞。&lt;br /&gt;
* 1997年11月9日：知事選で再選。&lt;br /&gt;
* 2001年11月4日：知事選で再選。（無所属、自・民・公・由・保推薦）&lt;br /&gt;
* 2005年11月6日：知事選で再選。（無所属、自・公・[[国民新党]]推薦）&lt;br /&gt;
* 同12月9日：部下が[[政治資金規正法]]違反容疑で逮捕される。&lt;br /&gt;
* 2006年12月18日：県議会、[[知事辞職勧告決議]]を可決&lt;br /&gt;
* 2007年3月18日：県議会から2度目の辞職勧告決議&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== その他 ==&lt;br /&gt;
* 身長は186cmで、全国の知事の中で最も高い。&lt;br /&gt;
* 戦後、広島県で4選された初めての知事である。&lt;br /&gt;
* 2001年6月に藤田雄山広島県知事は自民党議員会の役員14人と料亭で、知事交際費から支出した費用48万円で会食した件で、広島地方裁判所は判決で「会合は合理的な必要性が認められない」として、全額返還を命じで敗訴が確定し藤田雄山広島県知事は費用全額を返還となった。&lt;br /&gt;
* 2007年4月に行われた[[広島県議会]]選挙で藤田陣営から金銭を送られたと実名で報道（[[中国新聞]]）された、県議会議員の多数が落選したため、広島県政史上自民党系議員の数が最小になった。&lt;br /&gt;
* [[朝日新聞]]が実施した「全国知事支持率世論調査」（[[2007年]][[7月21日]]朝刊）によれば、調査対象になった46都道府県（県知事選挙中の[[群馬県]]を除く）のなかで、最低支持率（17パーセント）と最悪不支持率（56パーセント）を記録し、広島県民からの信頼が事実上喪失していると報道された。&lt;br /&gt;
* [[2007年]][[10月]]の[[広島市]]で10代後半の女性が、[[アメリカ海兵隊]][[岩国基地]]所属（[[山口県]][[岩国市]]）の4人の米兵に[[集団暴行]]された事件を受け、同月[[10月20日|20日]]に行なわれた「日本女性会議2007ひろしま」での挨拶で、「朝の3時ごろまで、盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思うんでありますけれども、米兵による暴行事件が起きました。誠に遺憾であり、強く抗議したい」と発言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 兼職役職一覧 ==&lt;br /&gt;
* （社）日本住宅協会理事&lt;br /&gt;
* （財）広島県水泳連盟会長&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.pref.hiroshima.lg.jp/page/1173257463983/ ようこそ知事室へ]&lt;br /&gt;
*[http://kingendaikeizu.net/seizi/huzitayuuzan.htm 藤田雄山 近現代・系図ワールド～政治家系大事典～]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ふした ゆうさん}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の参議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:都道府県知事・市町村長]]&lt;br /&gt;
[[Category:広島県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:1949年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:三井グループの人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:三井物産]]&lt;br /&gt;
[[Category:慶應義塾大学出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:2015年没]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[en:Yūzan Fujita]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%8F%A4%E7%94%B0%E9%A0%86%E5%AD%90&amp;diff=396716</id>
		<title>古田順子</title>
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				<updated>2022-01-31T11:37:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: /* 事件概要 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{| class=&amp;quot;wikitable&amp;quot; style=&amp;quot;margin-left:14px; float: right;&amp;quot;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
! colspan=&amp;quot;2&amp;quot; |&amp;lt;big&amp;gt;古田順子さん&amp;lt;/big&amp;gt;&amp;lt;br /&amp;gt;Junko Furuta, ''Furuta Junko''&amp;lt;br /&amp;gt;[[画像:Junko_Furuta_02.jpg|280px]]&amp;lt;br /&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|本名&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |古田 順子（ふるた じゅんこ）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|愛称&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |順ちゃん&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|国籍&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |{{JPN}}&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|民族&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[日本人]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|性別&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[女性]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|生年月日&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[1971年]]1月18日（やぎ座）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|生誕地/出身地&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[埼玉県]][[高州 (三郷市)|三郷市高州]]1丁目&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|瞳の色&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |黒&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|毛髪の色&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |黒&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|ルックス&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |倉田まり子に似たアイドル顔&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|身長&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |165cm&amp;lt;ref name=&amp;quot;週刊明星1&amp;quot;&amp;gt;160cm説もある（『週刊明星』 1989年4月20日号、207ページ）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|体重&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |51kg（事件前）&amp;lt;br /&amp;gt;35kg（死体発見時）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|バスト&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |87cm&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|カップ&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |Dカップ&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|股下&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|身体備考/スタイル&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|住居&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[埼玉県]][[高州 (三郷市)|三郷市高州]]1丁目&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|学校&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[三郷市立高州東小学校]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[三郷市立南中学校]]&amp;lt;br /&amp;gt;[[埼玉県立八潮南高等学校]][[商業 (教科)|商業科]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|成績&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |トップクラス&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|部活動&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |テニス部（[[三郷市立南中学校|中学]]時代）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|職業&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |プラスチック工場のアルバイト&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|家族&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |両親と兄と弟の5人&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|失踪年月日&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[1988年]]11月25日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|監禁・暴行現場&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[東京都]][[足立区]][[綾瀬]]&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|没年月日&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[1989年]]1月5日（17歳没）&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|死因&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |外傷性ショックまたは窒息死&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|遺体発見&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[1989年]]3月29日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|葬儀/告別式&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |[[1989年]]4月2日&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|墓地&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |埼玉県三郷市&lt;br /&gt;
|-&lt;br /&gt;
|補足&lt;br /&gt;
| style=&amp;quot;background:white;&amp;quot; |&lt;br /&gt;
|}&lt;br /&gt;
'''古田 順子'''（ふるた じゅんこ、[[1971年]]1月18日 - [[1989年]][[1月4日]]）は、[[埼玉県立八潮南高等学校]]の[[女子高生|生徒]]（当時）であり、[[女子高生コンクリート詰め殺人事件]]の被害者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 被害者人物 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Junko_Furuta_01.jpg|thumb|right|200px|殺された古田順子さん]]&lt;br /&gt;
* 名前：古田順子（ふるた・じゅんこ）&lt;br /&gt;
* 出生：[[1971年]]1月18日（やぎ座）&lt;br /&gt;
* 身長：165cm&amp;lt;ref name=&amp;quot;週刊明星1&amp;quot;&amp;gt;160cm説もある（『週刊明星』 1989年4月20日号、207ページ）&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 体重：51kg（事件前） 35kg（死体発見時）&lt;br /&gt;
* 学校：[[埼玉県立八潮南高等学校]][[商業 (教科)|商業科]]&lt;br /&gt;
* 成績：トップクラス&lt;br /&gt;
* 部活：テニス部（[[三郷市立南中学校|中学]]時代）&amp;lt;ref&amp;gt;『FLASH』 1989年4月18日号&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 家族：両親と兄と弟&lt;br /&gt;
* 「[[アイドル|アイドルタレント]]の[http://marikostroom.o.oo7.jp/ 倉田まり子]に似た明るく活発な生徒」&amp;lt;ref&amp;gt;『朝日新聞』 1989年3月31日&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「スラリとした際立った[[美人]]」&amp;lt;ref&amp;gt;『週刊大衆』 1989年4月24日号、188ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「大柄で目鼻だちのはっきりとした[[美人]]」&amp;lt;ref name=&amp;quot;週刊明星&amp;quot;&amp;gt;『週刊明星』 1989年4月20日号、207ページ&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「スラリとした感じの[[お嬢さん]]でまるで[[モデル]]さんのようにきれいな人でした」&amp;lt;ref name=&amp;quot;週刊明星&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「今までに何か問題を起こしたことなんてありません。欠席も、3年間で1日か2日です」（八潮南高校教頭）&amp;lt;ref name=&amp;quot;週刊明星&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「服装だって[[Tシャツ]]に[[Gパン]]という飾らない感じでね、それはマジメな子でしたよ」（バイト先の[[スーパー]]の店長）&amp;lt;ref name=&amp;quot;週刊明星&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 順子さんの最後の言葉は「'''苦しいです'''」だったと犯人のひとりは後に語っている。&lt;br /&gt;
在学当時の友人の話では[[アイドル]]に憧れていたとのことであり、成績はトップクラスだったという。人柄も大変よく、たくさんの同級生の[[女子高生|女子]]からも慕われているほどで、1989年4月2日に営まれた[[葬式]]では、[[テレビ|TV]]放映されているにもかかわらず、同級生はわき目も振らずに号泣し、弔辞を読んだ同級生も声を詰まらせての涙ながらのものだった。 &lt;br /&gt;
{{Quotation|順ちゃんの[[死]]を無駄にはしません。私たちに何があっても精いっぱい生きようとした順ちゃんを思い出して頑張っていきます…。||高校の同級生}}&lt;br /&gt;
{{Quotation|かれんな無抵抗な女の子に対して犯人たちのとった行いには、人間として怒りを押さえることはできない…。||古田順子さんのおじ}}&lt;br /&gt;
家電量販店への就職が内定しており、[[高校]]卒業後はそこに就職する予定だった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1988年11月25日を最後に行方不明となっていたが、翌年3月29日、本事件の主犯格や共犯者の供述によって下記の項目の事実が明らかとなり、江東区若洲の埋立地（現在の若洲海浜公園の敷地）でドラム缶に[[コンクリート]]詰めにされた[[遺体]]として発見された。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[遺体]]は格子柄のスポーツシャツに[[スカート]]姿。ひざを両手で抱きかかえるような格好で押しこめられ、[[頭部|頭]]までコンクリートを流し込まれていた。発見当初は元の[[顔]]がわからないほど原形をとどめていなかったが、[[司法解剖]]と[[指紋]]鑑定の結果、行方不明になっていた本人のものと一致した。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
享年17歳。また、1989年1月8日に元号が「[[昭和]]」から「[[平成]]」になったが、「平成」を迎えることなく短い生涯を閉じることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Junko_Furuta_03.jpg|thumb|right|300px|殺された古田順子さん]]&lt;br /&gt;
* アルバイト帰りの女子高生を誘拐し、脅迫した上で不良仲間の家に連れ込む。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 不良仲間の家に監禁し、暴走族仲間十数人で輪姦、左記を知る関係者は１００人に及ぶ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 陰毛を剃り、陰部にロケット花火の軸木を挿入して発射させる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 全裸にしてディスコの曲に合わせて踊らせ、自慰行為を強要される。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ゴキブリを食べさせられる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 性器や肛門に鉄棒、ビンなどを挿入される。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 性器や肛門に入れたビンに釘を打ち肛門内、性器内で割られた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 両鼓膜が激しく傷ついており、最後のほうはほとんど音が聞こえていなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 小指の生爪を剥がされた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 度重なる暴行に耐えかねて、「もう殺して」と哀願することもあった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 左乳首はペンチのようなもので潰された。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 顔面に蝋を垂らして顔一面を蝋で覆いつくし、両眼瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てられた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 衰弱して自力で階下の便所へ行くこともできず飲料パックにした尿をストローで飲まされた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 鼻口部から出血し、崩れた火傷の傷から血膿が出、室内に飛び散るなど凄惨な状況となった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 素手では、血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、腹部、肩などを力まかせに数十回強打。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 1.74kgのキックボクシング練習器で、ゴルフスイングの要領で力まかせに多数回殴打。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 揮発性の高いジッポオイルなどを太腿部等に注ぎ、ライターで火を点ける。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 固まった血で鼻が詰まり、口呼吸しかできなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 最初は手で火を消そうとするしぐさをしたものの、 やがてほとんど反応を示すこともなくなり、ぐったりとして横臥したままになった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* あまりの地獄に、脳が自ら活動を停止する「自死」という状態だった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 臨死状態の被害者をこんなの仮病とばかりに容赦ない殴打を浴びせた挙句に、ダンベルを１メートル以上の高さから腹部に向けて落とす。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 再現動画や映画と違って逮捕された四人以外からも殴打を受けており、死後も殴られている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 実際に被害者が亡くなったとわかったのは上記の後であり、証拠隠滅としてコンクリート詰めにして放置。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 遺体の乳房には数本の裁縫針が入っていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 監禁中の被害者の様子が撮影された家庭用ビデオテープが被害者がコンクリート詰めにされたドラム缶の中から発見された。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 監禁された部屋に被害者の遺品となった下着が残っていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 腸壁にも傷があった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 受精していた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 歯茎にまともに付いている歯は一本もなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* あまりのストレスに生前頭髪が抜け落ちていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 遺体の性器には、オロナミンＣの瓶が２本突き刺さっていた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 性器と肛門、顔面は完全に破壊され原型をとどめていなかった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 腕や足は、重度の火傷で体液が漏れ出していた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 解剖してみると、脳が萎縮して小さくなっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* 眼球をえぐり取ろうとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 平成元年3月29日（練馬少年鑑別所） ==&lt;br /&gt;
綾瀬警察署から2人の捜査官が派遣。平成元年1月23日に昭和63年の11月8日に強姦窃盗などにより少年鑑別所に送られた少年を取り調べた際、担当の刑事がなにげなく言った（他の事件のことでカマをかけた）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「お前人を殺しちゃ駄目じゃないか」に、「すみません、殺しました」と自供。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時、横山 裕史(旧姓は宮野)は、どきっとしてこの事件を知ってる他の3人が言ったと思い自供した。別室で行われてたもうひとりの取り調べ神作 譲（旧姓は小倉）の担当捜査官に連絡。このことを神作 譲（旧姓は小倉）に話すと、顔色が変わり、あまりにも凄惨な事件について話し出す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
担当官は当初の目的であった余罪の窃盗に関する調書を取ることなく、半信半疑のまま自供内容をたよりに、東京江東区若洲15号地海浜公園整備工場現場空き地へと向かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現場にはひとつだけドラム缶が転がっており、周囲にはタバコの吸い殻がたくさん落ちていた。ドラム缶に詰められたコンクリの隙間から変な匂いがし、305キロあるドラム缶をクレーンでトラックにつりあげ持ち帰る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌日、警察署内で解体が行われた。中にはボストンバックに詰められ、掛け布団２枚にくるまれた女性の死体が入っていた。死後2ヶ月以上経過、腐敗が進行しており状態は悪かった。皮下脂肪の厚さは通常の6割程度で栄養失調状態。全身に殴打による浮腫（リン パ液が多量にたまり腫れ上がった状態）。左右の腕や太ももを中心に十数ヶ所に激しい内出血があったうえ、目、鼻、口など顔全体が腫れあがっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死因は外傷性ショックによる意識不明、または胃の内容物を吐いたことによる窒息死。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遺体は顔面が変形陥没などしてひどく傷んでいたため、外見からの確認は困難だったが、指紋などの照合から、昭和63年11月25日夜アルバイト先からの帰宅途中で行方不明になった埼玉県三郷市高州1丁目の県立八潮南高校3年生古田順子さんであることが確認された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害者は、八潮市内のアルバイト先に行ったまま帰宅しないと吉川署に捜索願を出されていた。両親は、同女が無事に帰ってくることを心待ちにし、父親は仕事を休んで行方を必死に探していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、被害者の母親は、順子さんが死に至った詳しい経過を聞かされたあと、精神状態が不安定になり、精神科に通院治療を受けることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 昭和63年11月25日夜 午後6時 ==&lt;br /&gt;
湊 伸治の家に横山 裕史(旧姓は宮野)がやってくる。「今日は給料日だからひったくりに行く」と誘う。知り合いの家でバイクをもう一台借り埼玉県三郷へ。その日は、バックはひったくったが現金は取れず。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
午後8時過ぎ。自転車で帰宅途中の順子さんを見つけた横山 裕史(旧姓は宮野)が、「オレがうまくやってやるから、あの女を蹴れ」と指示。湊 伸治に自転車を蹴られた純子さんは、道路の側溝に自転車もろとも倒れる。湊 伸治が逃げ去った後、横山 裕史(旧姓は宮野)が現場に現れ、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あいつはキチガイだ。オレも脅された。この辺りは危ないから送っていきましょう。」と言葉をかけ近くの倉庫内に連れ込むと態度を変える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「さっきの奴とオレは仲間だったのさ。お前のことを狙ってるヤクザだ。オレは幹部だから、オレの言うことを聞けば、上の方になんとかとりなしてお前の命だけは助けてやる」と脅し、タクシーでホテルに連れ込む。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
午後10時頃。神作 譲（旧姓は小倉）がCの家に行く。湊 伸治はまだ帰ってきておらずDが来ていた。間もなく湊 伸治が帰宅。その間、横山 裕史(旧姓は宮野)から数回電話がかかってきて&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「女といっしょにいる。お前ら、やりたいか?」「11時にさっきバイクを借りた家に来い」と神作 譲（旧姓は小倉）、湊 伸治、渡邊 恭史に指示を出す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害者を含め合計5人になった一行は夜の町をブラブラ歩く。ときおり、「ヤクザの車が来た隠れろ」などとさらに被害者を脅迫。湊 伸治の近くの公園に行き、横山 裕史(旧姓は宮野)は湊 伸治を連れてバイクを返しに、そのまま、生花店経営者に会い酒を飲みだす。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その間、約2時間。公園に待たされた3人。寒さに耐えきれなくなった神作 譲（旧姓は小倉）とDは純子さんを連れて湊 伸治の部屋に入る。つまり、この時点で被害者である順子さんに自分たちの住んでいるところを知られてしまい、返すことができなくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、湊 伸治と被害者は初対面ではなく、美人の順子さんを気に入った湊 伸治が「手に入れる」と何度も言っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 11月28日 ==&lt;br /&gt;
午後5時。コンビニの前で、ぶつかったという男を殴っていた横山 裕史(旧姓は宮野)が「おまえら、今日ヒマか？」と、EとFに夜になったら湊 伸治の家に来いと告げる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
午後11時。家族が寝静まった後、Fが横山 裕史(旧姓は宮野)を迎えに行く。「いいもん見せてやるから行こうぜ」と、湊の家へ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
横山 裕史(旧姓は宮野)が合図すると二階から湊 伸治が顔を出し二階に上がる。数日前にFが横山 裕史(旧姓は宮野)らと服飾店から盗んだ縞模様の長袖Ｔシャツと黒のスカートに、着替えされられた純子さんが部屋の真ん中に座っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
湊 伸治の母親が夜中に湊 伸治の部屋がうるさいということで目を覚まし、二階に上がってドアを叩き部屋の中の様子を見ているが、湊 伸治の部屋は天井の蛍光灯が壊れており、床に置かれたスタンドしか照明はなく薄暗かった為、ちゃんとした確認は出来ず。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
横山 裕史(旧姓は宮野)の提案でカゼ薬を覚醒剤だということにしてみんなで飲み、ラリったふりして襲いかかる。怖がって悲鳴をあげて逃げ出す純子さんの足をつかんで倒す。横山 裕史(旧姓は宮野)はFに、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ボサっとしてんじゃねえよ。なにかで押さえろ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Fは近くにあったクッションを顔にかぶせ押さえつけたが再度悲鳴を上げられる。その悲鳴で目を覚ました湊の父親が、「いま、悲鳴みたいなのが聞こえたぞ。なにやってんだ」と、ドアの前まで来て言ったがCに「うるせえな。なんでもないから下いけよ」と言われ、それ以上なにも言わず。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
湊 伸治の父親が来たのは純子さんが悲鳴をあげたせいだと横山 裕史(旧姓は宮野)と小倉が怒り「声だすんじゃねえよ」と、ふとももを中心に足全体を殴る。それにより、純子さんはすくんでしまい声を出すのを止めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、陰部にライターを入れ着火するなどの凌辱行為と輪姦。最初興味半分に見ていたEとFだが、さすがに怖くなり「おまえらもやれ」横山 裕史(旧姓は宮野)の命令に、「やですよ」と拒んだが、「てめえらふざけんじゃねえ」と小倉がスニーカーを手に持って振り上げEとFに投げつける真似などをして脅される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その間純子さんは放心状態でまばたきもせず天井の一点を見ていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 11月30日 ==&lt;br /&gt;
横山 裕史(旧姓は宮野)の提案で、外の公衆電話から順子さんの母親や親友に、「友達の家にいるから捜索願は出さないで」と電話させる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
湊 伸治の母親が台所にいたとき、玄関から「今晩わ」と少女が連れられて入ってきた。「もう遅いから帰りなさい」と言ったが返事をせず二階に上がって行く。湊 伸治の父親も湊 伸治が降りてきた時「早く返せ」と言った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌日、湊 伸治にあの子は帰ったと言われ、深く考えずに帰ったものだと湊 伸治の両親は疑問を抱かず。この時は、順子さんが隙をうかがい外に出ようとして発見され連れもどされた時だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一週間後、湊 伸治の母親がトイレを掃除してたら、ゴミ箱から生理用品が出てきたので、「いやだ、まだいるんだわ」と二階にあがる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
二階には渡邊 恭史と順子さんがいた。「どうしてここにいるの」と聞いたが順子さんは答えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「家出するからには相当な理由があるんでしょうから、どうしても言いたくなかったらいい。でも、お名前は？」と聞いたがそれにも答えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
住所は埼玉の方、何歳かと聞いたら高校三年生でもう就職は決まっているとだけ言った。「お母さんが心配しているでしょうから、早く家に帰りなさい」と言っても返事をしない。Dが「帰った方がいいよ」と言い、ご飯を食べてから帰すことになり、下に降りた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
食事を始める前に湊 伸治が帰ってきて食事中に父親が帰ってくる。父親は少女を見て、「ガールフレンドか。オレにも紹介しろよ」と息子に声をかけるが無視される。食事が終わった後、少女が茶碗や皿を片づけているのを見て「やっぱり、女の子はいいな」とも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
食べ終わってからは、渡邊 恭史らとテレビを見たりファミコンをやって仲良さげにしていた。また、この時、少女がタバコを吸っていたのを母親は見ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それから、また二階に上がって行ったので、なんで帰らないんだろう早く帰ってほしいとイライラした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
順子さんは横山 裕史(旧姓は宮野)に、「家に帰って警察に訴えたら、オレ達が捕まっても仲間のヤクザが何十人もいる。そいつがお前の家に火をつけて、家族を皆殺しにする。お前たちを必ず殺しに行くぞ」と脅されていた。また、「オレたちは、お前を狙っているヤクザからお前を守ってやってるんだ。」とも&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌日湊 伸治の部屋に母親が上がったら、少女と神作 譲（旧姓は小倉）とDがいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「必ず帰るのよ」と約束したのに、なぜ帰らないんだろうと「この家には、男の子が二人いるのよ。どういうことになるかわかるでしょう」「オレたちはやってないよ」と小倉。「でも、ここはヤクザみたいなの（宮野のこと）が出入りしているから、すぐ帰りなさい」と言っても動く気配なし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分一人の説得じゃ無理だと思い、夫の勤務先に電話するがいない。小倉宅の電話番号を知る為に、近くに住む小倉の祖母に会いに行くがこのことについて話は出来ずに帰る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家に戻ると湊 伸治の父親が帰ってきたので、二人で二階に上がり説得を続ける。母親は少女の手を引っ張ったり腕を抱えたりして立たせようとするが立ち上がらない。「とにかく帰りましょう」と、少女のハンドバックと靴を持ち、下に降りる。なにか身元の手がかりはないかと、探した少女のハンドバックの中から自宅の電話番号らしいものを発見する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
わざわざ小倉の祖母宅に行き電話を借りる。（余計なことをしたのがばれると湊 伸治に殴られるから）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「お宅に、こういうお嬢さんはいらっしゃいますか」「おりますが、今はいません」「失礼ですが、そのお嬢さん、タバコを吸いますか」「ええ、吸いますけど」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不審に思った順子さんの母親が「どなたですか？」と訪ねたが、湊 伸治の母親は偽名を名乗り電話を切る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家に帰ると、居間で湊 伸治の父親と少女が話をしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「じゃ、帰ることにしたのね。お母さんが心配しているでしょうから、すぐ家に「これから帰る」と電話しなさい」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「いいんです。前にも電話してますから」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「それじゃ、そこまで送って行くわ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「1人で帰れますから・・・」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「タクシー代もってる？あげましょうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あります。大丈夫です」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「そう、まっすぐ帰りなさいね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「わかりました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
少女はそう言って玄関に出た。が、外には小倉と湊 伸治の兄が待機しており、順子さんを帰すかどうか横山 裕史(旧姓は宮野)と相談するため公園で待つ。両親が寝静まるのを待って電柱をよじのぼり二階の湊 伸治の部屋に戻る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、帰宅した湊 伸治は、仲間からそのことを聞き、「関係ねえことするんじゃねえ」と母親を数時間にわたり殴る。以後、湊 伸治の両親は順子さんが帰ったものだと疑わず。湊 伸治の家は、敷地30坪。一階に居間兼夫婦の寝室台所浴室トイレ、二階に長男の部屋と湊 伸治の部屋。そして湊 伸治の部屋のドアノブは壊れていて内側からしか開かない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 12月始め午後4時頃 ==&lt;br /&gt;
4人が昼寝してた隙に、純子さんが下に降り、110番通報。すぐ横山 裕史(旧姓は宮野)に気づかれ電話を切り殴る。警察が逆探知をして、「何かあったのですか」とかけ直してきた電話には宮野が出て誤魔化す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それまで、仲がいいように見せていたのが全部だまされたと思い。裏切ったらどうなるか教えるために、純子さんを全員でリンチしライターのオイルを足首にかけ火をつける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 12月11日 ==&lt;br /&gt;
横山 裕史(旧姓は宮野)の暴力団で忘年会が行われる。そこで、横山 裕史(旧姓は宮野)をリーダー、他3人をメンバーとした「極青会」を作る話がきまり、三次会の席で、組の銀バッチを貰う。横山 裕史(旧姓は宮野)は、恋人である渡邊 恭史の姉や友人にそのバッジを見せに行く。暴走族仲間や女友達にはかっこいいと誉められたが、渡邊 恭史の姉だけは、「そんなものもらって、あんたバカじゃないの」と言った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件が明るみになったあと、周囲の人間達はさして驚いた様子もなかったが、この渡邊 恭史の姉だけは、自分が知っていれば、体を張ってでも純子さんを帰らせたと言った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
湊 伸治の友人で11月28日の輪姦にも加わったＥが、横山 裕史(旧姓は宮野)に誘われた極青会に入らず別の暴走グループを作ろうかと冗談で言っていたのが伝わり、なめているということで、湊 伸治の部屋まで連れてこられ、純子さんの前で、横山 裕史(旧姓は宮野)と小倉にリンチをされ頭をハサミで丸刈りに刈られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、逃げ出したが1月6日に友人の家に隠れているところを発見されイスや灰皿で頭をめった打ちにされ、三週間以上入院するケガを負うが、それでも許さず「僕は100万円でも許してもらえないので、川に飛び込みます」という遺書を書かせ近くの荒川の放水路に連れだし、3人が口に入れたクッキーを次々に川に投げ込み取ってこいと命令。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 12月12日 ==&lt;br /&gt;
「極青会」に入ることを断りに行ったＦ。前に来た2日ごろは湊 伸治らと仲良さげしてた純子さんが顔にあざを作りふとんに入っていた。Ｆに、「わたしどうなるの」と聞く純子さん。「自分は下のもんだからそれはわからない」と答える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 12月14日ごろ ==&lt;br /&gt;
新宿の事務所当番から帰ってきた横山 裕史(旧姓は宮野)と湊 伸治に、「飯くったら、夜来いよ」と言われたＦ、5回目の訪問。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神作 譲（旧姓は小倉）に「やれ」と言われたが前と同じように断るＦを無視し、用意しとけとポルノ雑誌を持ってくる。が、純子さんが「湊くんは？」と（どこに行ったのか）聞いたことに腹をたてた神作 譲（旧姓は小倉）が、純子さんの喉首胸を殴りだした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、関わりになることをいやがったＦは居留守を使うが、結局は、ファミレスで横山 裕史(旧姓は宮野)と神作 譲（旧姓は小倉）とＦの親をまじえて話し合いをすることになる。「アニキ(宮野)に恥かかせるとただじゃすまない」と、親が見ている前で神作 譲（旧姓は小倉）に数度殴られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 12月19日 ==&lt;br /&gt;
湊 伸治の家に横山 裕史(旧姓は宮野)が来て、純子さんにまたジッポオイルをかけ火をつける。それを見て湊 伸治はひどいと思ったものの、純子さんが熱がってる姿や横山 裕史(旧姓は宮野)がさせたキチガイの真似を見て面白いと思うようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
再度にわたる火傷により出来たウミが出てきて、匂いで湊 伸治の両親が気づいてしまうかもしれないので、下のトイレを使用させず紙パックに用を足たせることにする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 12月20日 ==&lt;br /&gt;
4人の他に[[石川あかね|女]]が1人やってきて「化粧してやる」と言って純子さんの頬にマジックペンで髭をかいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
純子さんは、横山 裕史(旧姓は宮野)らの友達の間で、「カンキンオンナ」と呼ばれ、暴走族が集まった際など、あるやつがナンパしようと言いだし始めた時、ナンパなんかすることねえや自分がいま、女、監禁してるんだと横山 裕史(旧姓は宮野)が言っていた。湊 伸治も、「オレの家に、面白いのがいるんだよ。明日、家に来たらやらしてあげる。」と、あちこちで言っていた。そして、最終的には100人近くがこのことを知っていたことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 12月20日頃 ==&lt;br /&gt;
度重なる暴行により、頬が鼻の高さに並ぶまで腫れ上がり目の位置が判別できないほど。脚の部分、多数箇所に出来た火傷は治る暇なく化膿しひどく匂うようになったので性的興味を失う。そして、「こいつなんとかならないか」という勝手な被害者意識が生まれてくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小倉「宮野先輩、あいつをどうする気なんだよ」&lt;br /&gt;
湊「どうすんですかね」&lt;br /&gt;
小倉「山の中に埋めますか」&lt;br /&gt;
湊「埋めるんですか」&lt;br /&gt;
小倉「渡邊くん、どうですかね」&lt;br /&gt;
渡邊「ミンチがいいですよ。バラバラにして捨てればわかりません」&lt;br /&gt;
小倉「誰がどこでやりますか」&lt;br /&gt;
渡邊「ここの風呂場でやります」&lt;br /&gt;
小倉「渡邊くんはこう言ってますが、湊くんどうします」&lt;br /&gt;
湊「うちの風呂場は勘弁してください。それより自殺に見せかけて、青木ヶ原に投げ込みますか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最初の頃こそ、純子さんが持っていた3,000円で出前をとって食べさせていたが、純子さんのケガや火傷が酷くなるに連れ食事風呂に対して気を配らなくなる。以降、12下旬までの食事は湊 伸治の兄が、カップラーメン、パン、牛乳、卵など家にあったものを食べさせ、それ以降からは純子さんの衰弱したせいもあり1日に牛乳をコップ1杯。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、この兄は純子さんのことは弟のグループの友達で自分とは関係ないと思っていた。早く出ていってほしいとは思っていたが、関わりになるのが嫌でできるだけ無関心をよそおっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 12月21日 ==&lt;br /&gt;
家に帰っても警察にはなにも言わない、信じて貰えるまでなんでもやりますと純子さんが言うので、裸になって踊れと横山 裕史(旧姓は宮野)。武田鉄也の「声援」という歌に「がんばれがんばれ」という歌詞があり、いじめるときに、それを歌いながら「お前も歌え」と純子さんに歌わせる。それ以外の時も、小さな声で自分に言い聞かせるように「がんばれ」と言っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 12月28日 ==&lt;br /&gt;
横山 裕史(旧姓は宮野)が部屋に入ったら、純子さんがおなかを押さえて倒れており「お水下さい」とすがるように頼んできた。横山 裕史(旧姓は宮野)が栄養をつけよう生傷にいいと牛乳を飲ませるが量多くなるにつれ吐いてしまったので、「みんなで殴りました」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
上半身を裸にして12月の寒空のベランダに立たせる。たばこを2本同時に吸わせ、苦しさの余りこれらを吐いたところで、両大腿部、膝、すね等にジッポオイルをかけて点火。純子さんが熱がってその火を消そうとするや、手にもオイルをかけて点火し、火が消えると、またオイルをかけて点火するなどの繰り返し。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その湊 伸治の部屋と隣家のベランダは40センチしか離れていないが、そのようなことが行われてるとは、まったく気づかなかったと証言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 12月暮れ ==&lt;br /&gt;
湊 伸治の母親が「二階に誰もいないようだから、盗品などがないかようすを見てきて欲しい」と頼むが父親は酒を飲んでおり面倒くさがり調べず。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 昭和64年1月3日 ==&lt;br /&gt;
湊 伸治の家に叔父叔母が年始くる。湊 伸治、渡邊 恭史の家に行く。神作 譲（旧姓は小倉）も来て三人でファミコンをする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 1月4日 ==&lt;br /&gt;
朝早く渡邊 恭史の家に横山 裕史(旧姓は宮野)がやってきて、「面白くねえ。麻雀で大負けだ。おい、サウナでも行くか」「先輩、サウナは10時からですよ」「そうか。じゃあそれまであいつのところに行くか。負けたのはあいつのせいだ。これから行っていじめてやろうじゃないか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
午前7時ごろ、途中コンビニエンスストアにより、小倉羊羹、ロウソクなどを買い4人は湊 伸治の家に着く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
純子さんに買った小倉羊羹を見せ、名前を聞く。純子さんが答えると小倉を呼び捨てにするとはなんだと殴り、困った純子さんが、今度は品物にさんを付けて呼び直すと品物にさんづけするとはなにごとだと殴る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神作 譲（旧姓は小倉）が湊 伸治に、「おい、あれやれよ」と言って小泉今日子の「なんてったってアイドル」のテープをかけた。歌詞の中の「イエーイ」に合わせて脇腹に思いっきりパンチをいれる。「痛い」と声を出すとまた殴られるため、こらえるので口が変なふうに歪む。「先輩、この顔が面白いんですね」と神作 譲（旧姓は小倉）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
曲が終わったってからも全員で殴る。純子さんの顔にロウソクをたらしたり小便を飲ましたりした。渡邊 恭史はいつもは無関心でいるが、宮野や小倉に、なぜお前殴らないんだと言われるのが怖くなりリンチに加わった。すでに、純子さんは鼻や口から血を流しており、自分の手に血が付くことをいやがった渡邊 恭史は、横山 裕史(旧姓は宮野)が吸っていたシンナーのビニール袋を手にはめ殴る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、横山 裕史(旧姓は宮野)は疲れたのでタバコを吸う。小倉と湊は、純子さんを真ん中に立たせ神作 譲（旧姓は小倉）が右から湊が左から、肩や顔に回し蹴りを数発いれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのうち、純子さんにパンチがもろに入りステレオにぶつかり倒れる。全身を硬直させブルブルと痙攣して前のめりに手をつきながら倒れてきたのを見て、「仮病だ、このやろう」とＣがすごい勢いで怒る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
横山 裕史(旧姓は宮野)も、蹴るとかでは甘いんで、もっとひどいことをやってやろうと思い、鉄球の着いた鉄棒を持ち出し純子さんの腹の上に落とし顔面などを殴った。殴り終わった後、反応しなくなったので怖くなりいつものようにライターのオイルをかけ火をつけた。最初は動いたが最後になったら動かなくなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮野「こいつ、死ぬんじゃないか」&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
湊「大丈夫ですよ。こいつはいつもこうなんですよ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ガムテープで純子さんの両足首を二周か三周縛る。10時になったので「いい時間になった。サウナに行こう」と部屋を出る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、その同日、Ｆ宅に綾瀬母子殺人事件の聞き込みのために刑事が来ていた。そのとき、Ｆは宮野らに脅されてることを話そうと、「ちょっと相談したいことがあるんですけど・・・」と言ったが、刑事は忙しいから少年課に行ってくれと&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 1月5日 ==&lt;br /&gt;
昼過ぎ。湊の兄から事務所に純子さんの様子がおかしいと電話。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮野、小倉、湊の三人で港の家に行く、渡邊 恭史は事務所の留守番として残した。湊の部屋は外から開かないので、湊の兄の部屋からベランダに回ってのぞいてみると純子さんが敷きっぱなしの布団の上で倒れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「死んでるのか」&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
「まさか」&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
「お前、入れ」&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
「いやだよ」&amp;lt;br/&amp;gt;&lt;br /&gt;
「オレ、こえーよ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と10分弱押し問答の末、湊と湊の兄が部屋に入って体を押してみると冷たくなっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
横山 裕史(旧姓は宮野)は以前勤めていたタイル工場に行き、モルタル砂ドラム缶など調達。「お前、人を殺したんか」と店の人は確信を持って聞いたが届けでず。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
遺体をバックにつめ、横山 裕史(旧姓は宮野)の家の前で三人でドラム缶に入れコンクリートを流し込んだ。近くの川に捨てようとしたが、Ｂが「家が近いので怖い。化けて出るかもしれない」と反対して東京湾に捨てることになった。横山 裕史(旧姓は宮野)が借りてきたワゴンを運転して東京湾の埋め立て地に行ったが、適当な場所が無く道路脇の草むらに捨てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 1月中旬 ==&lt;br /&gt;
東京都足立区綾瀬一帯の暴走族「ワラ人形」と葛飾区堀切方面の暴走族「Ｋ」が合同で行なった集会に参加。そのときの横山 裕史(旧姓は宮野)は、すがすがしく、いつもに比べ変にいきがった様子だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 昭和63年11月25日「略取・誘拐」 ==&lt;br /&gt;
昭和64年1月4日の最後の暴行に加わった4人が家庭裁判所の審判で「刑事処分相当」とされ刑事裁判をかけられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初公判1988年7月31日。そして、1990年7月19日東京地検419号法廷&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 判決文 ===&lt;br /&gt;
残忍かつ極悪非道である点でおいて、過去に類例を見出し難く、重大かつ凶悪犯罪。動機はきわめて反社会的かつ自己中心的であり、被害者の女子高生はなぶり殺しにされたとしか言いようがなく、動機に酌量の余地はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、被害者の両親の激しい怒りと悲しみと、社会に与えた衝撃や不安を強調し、被告人らの行動は人の仮面を被った鬼畜の仕業と断ぜられるを得ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和63年11月25日から翌1月4日まで41日に渡って不法に監禁し、その間、同女に対し、ほとんど連日、筆舌に尽くしがたい殴る蹴るなどの暴行を加えた他、身体に火をつけて皮膚を焼くなどの、凌辱の限りを尽くし、精神的にも、肉体的にも衰弱の度合いを深め、最後には常識では考えられないような仕打ちまで受け入れざるをえず、助けを求めるすべもないまま、あえなく絶命し、揚げ句はコンクリート詰めにされて捨てられるなど、被害者の身体的および精神的苦痛苦悶ならびに被告者らへの恨みの深さはいかばかりのものであったか、まことにこれを表現する言葉さえないくらいである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「主文。被告人・宮野　裕史(現在は横山)を懲役17年に、被告人・小倉　譲(現在は神作)を懲役5年以上17年以下に、被告人・湊 伸治を懲役4年以上6年以下に、被告人・渡邊 恭史を懲役3年以上4年以下に、それぞれ処する」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後に裁判長は4人を立たせ、ひとりひとりの顔を見ながらこう言った。「判決は以上の通りですが、事件を各自一生考えつづけてください」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 上記の犯行を行った少年達 ==&lt;br /&gt;
[[画像:Junko_Furuta_05.jpg|thumb|right|300px|古田順子さんの葬儀]]&lt;br /&gt;
=== Ａ　横山 裕史（旧姓は宮野） ===&lt;br /&gt;
昭和４５年４月３０日 葛飾区生まれ。&lt;br /&gt;
父親が証券会社社員。&lt;br /&gt;
母親がピアノ講師。&lt;br /&gt;
妹1人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
夫婦仲に問題があり、母親が留守をしがちで食事を作って貰えない日も多かった。&lt;br /&gt;
頭は切れるほうで、話し上手で面白いと評判。&lt;br /&gt;
小5でパンチパーマ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小倉の通っていた小学校にヌンチャク木刀を持ってなぐり込みに行く。悪いことはかっこいい、大人になったら人を殺そうと言っていたが、6年生の時に出来た勉強好きの親友に影響され真面目になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
卒業文集には「少年院の院長になりたい。オレ、悪いことをいっぱいした。万引き、ケンカ、たいがいのことはやった。だから、悪いことをやった奴の気持ちがわかる。オレなら非行少年と呼ばれてる連中を立ち直らせてやれる。オレに向いてるのはそういう仕事だと思う。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学入学と同時に周囲の人のすすめで、柔道部に入部。体型は小柄で160センチぐらいだったが、練習熱心で3年の時にベスト5に選ばれ、それにより、東海大付属高へ推薦入学。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高校の柔道部の先輩、顧問などにひどく体罰を受ける。(←宮野の父親が裁判所に訴えたほど)。その反動で、外に出て手当たりしだいにケンカを売るようになり、家中のものを壊し母親を殴り肋骨を折る重傷を負わせる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高校を中退し、中学の頃から付き合っていた同級生(渡邊 恭史の姉）と同棲。18になったら結婚しようと昭和62年から1年半、タイル工として真面目に働くが、自動車学校の合宿場で知り合った暴力団員と知り合い、銀座にシマを持つ生花商でアルバイト。「やめたい」が言えるような雰囲気でなく、現実逃避するためにシンナーを始める。シンナーを吸っている時、強姦してる時にしか楽しいと感じないような生活を送る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出所後は平成19年5月に川口市で解体業に従事していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
▼２０１３年１月１０日 詐欺容疑で逮捕された。&lt;br /&gt;
『パチンコ必勝法』の情報料名目で現金を騙し取る手口を繰り返す詐欺で、&lt;br /&gt;
口座の所有者でした。&lt;br /&gt;
２００９年夏に満期出所、 &lt;br /&gt;
その約３年半後に再び悪事に加担。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
▼２０１３年１月３１日に詐欺事件については黙秘を貫いて不起訴処分になった、 &lt;br /&gt;
詐欺グループは素人集団に近い、&lt;br /&gt;
ちなみに不起訴は無罪判決ではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Ｂ（サブリーダー）神作 譲（旧姓は小倉） ===&lt;br /&gt;
昭和46年5月11日生まれ。小3の時、両親が離婚、母親により育てられる。姉ひとり。小学校の頃「ひらけポンキッキ」の相撲大会に出場。中学での宮野の後輩。私立高校に入るが3ヶ月で退学。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2004年]]5月再犯により逮捕。実名が公開される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「かみさくじょうです」。名前を尋ねた裁判官に、180センチあまりの長身の男は答えた。7月28日に開かれた、逮捕監禁致傷事件の被告・神作譲（33）の初公判。被害者男性に東京・足立区内で暴行を加え、車に乗せて母親の経営する埼玉県三郷市内のスナックに監禁。「俺の女を取っただろ」 とさらに殴る蹴るの暴行に及んだという事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は神作被告が、『俺は人を殺したことがあるんだぞ。本当に殺すぞ』、『俺は10年懲役に行ってきた。警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出てこられる』などと脅迫したと主張したが、被告はこれを否認。「これだけで逮捕監禁とは、なんとも言えないんですけど」と述べるなど、その姿に反省の色はなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Ｃ（被害者の監禁宅）湊 伸治 ===&lt;br /&gt;
昭和47年12月16日生まれ。父親は病院の事務長母同病院の看護婦。兄1人。中学で宮野の2年後輩。工業高校に入るが2学期には中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
平成18年秋ルーマニア人と結婚。トーカイ２１（寝屋川市）で福祉の仕事をしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
湊 靖人(父68歳)、湊 ます子(母67歳)無罪。湊 恒治(兄、昭和47年1月21日生）も監視役で無罪。京都市伏見区ニノ丸町151向島市営住宅に住んでいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出所後、なんと平成30年8月19日に埼玉県川口市内の路上で'''通行人男性の首にナイフを刺して襲撃した'''という殺人未遂事件を起こしたとして埼玉県警察武南警察署に緊急逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
格闘フェチ。出所後はボクシングの選手になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''実写Vシネマでは、なんと北川悠仁が彼の役を担当していた。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Ｄ　渡邊 恭史 ===&lt;br /&gt;
昭和46年12月18日生まれ。両親離婚、母に育てられる。姉ひとり。宮野の中学の後輩。工業高校に入るがすぐ中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
横浜市金沢区六浦東ＯＯ住宅に母ヤスと2人暮らし&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Ｅ　中村高次 ===&lt;br /&gt;
宮野らの友人。宮野、小倉、湊の3人にリンチされ病院に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在は地元スナックでこの事件のことを面白おかしく語る無反省人間。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== Ｆ　伊原真一===&lt;br /&gt;
宮野らの友人。事件後特別少年院に送られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
結婚し娘をもうけ、新聞配達員を経て、某建築会社で社員として働いている&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 準主犯格・神作譲（33）ほか “鬼畜”加害少年たちは今…(2004年) ==&lt;br /&gt;
「かみさくじょうです」。名前を尋ねた裁判官に、180センチあまりの長身の男は答えた。7月28日に開かれた、逮捕監禁致傷事件の被告・神作譲（33）の初公判。被害者男性に東京・足立区内で暴行を加え、車に乗せて母親の経営する埼玉県三郷市内のスナックに監禁。「俺の女を取っただろ」 とさらに殴る蹴るの暴行に及んだという事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
検察側は神作被告が、『俺は人を殺したことがあるんだぞ。本当に殺すぞ』、『俺は10年懲役に行ってきた。警察や検事を丸め込むノウハウを学んだ。何があっても出てこられる』などと脅迫したと主張したが、被告はこれを否認。「これだけで逮捕監禁とは、なんとも言えないんですけど」と述べるなど、その姿に反省の色はなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 再犯経緯 ===&lt;br /&gt;
「深夜2時ごろ、家の前に車が止まっていた。あいさつするといきなり『テメエ、この野郎』と殴りかかってきた」。復讐を恐れ、法廷に用意された異例の衝立の中で証言するのは被害者、円山勝男(27)＝仮名、以下同＝の同居人、大木勇三。2004年5月19日、かねてから円山に「女を取った」と濡れ衣を着せていた神作は、計画的に円山を襲撃したのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「右手をグーにして5、6発殴り、路上に血が落ちた。車のトランクを開け、金属バットを円山君の顔の高さぐらいまで上げて『これで殴って殺すぞ』と脅した。それで円山君はトランクに入り、連れ去られた」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌朝6時、大木の携帯に「迎えに来い」と神作から電話がかかる。神作は三郷市内にある母が経営するスナック内で朝まで円山を監禁し、リンチをしていたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、神作は「今回はこんなもんで済んだが、これからもっとエスカレートしていく」と2人に捨てゼリフを吐いて解放する。「今度は殺されると思い、2人で警察に届けを出した」（大木）。神作は逮捕監禁致傷容疑で再び警察の厄介になったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「殺される」と2人が思ったのはワケがある。神作はコンクリ殺人の前科を「実はオレが主犯だった」などと、あたかも輝かしい経歴として笑いながら自慢。そして「平然と『捕まっても警察をだますのは簡単だ』『簡単に刑務所から出れる。精神鑑定にひっかかるフリをすればいい』といっていた」（同）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神作が豪語した巧みな法廷戦術。早くも公判で「人を殺したとは言っていない」と検察側の調べを一部否定してみせた。また、法廷に入る都度、裁判長と弁護士にキチンと頭を下げ「いい子ちゃん」ぶりをみせる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「証人は行方不明です」－。心苦しそうに語るのは検察官。神作を追い詰めようと検察側が法廷で証言させる予定だった被害者、円山は「（復讐を）怖がっていた。ノイローゼ気味になり、8月なかばにいなくなった」（大木）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
被害者の蒸発という異例の展開。希代の犯罪者は、また何をしでかすかわからない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 女子高生コンクリート詰め殺人事件 ===&lt;br /&gt;
[[画像:Junko_Furuta_06.jpg|thumb|right|300px|古田順子さんの葬儀]]&lt;br /&gt;
神作被告がかつて起こした事件。それが15年前の、「女子高生コンクリート詰め殺人事件」である。’88年11月25日、三郷市の高校3年生古田順子さん（当時17）はバイト先から自転車で帰宅途中に姿を消した。発見されたのは’89年3月30日。コンクリートを詰められたドラム缶の中の腐敗した遺体という変わり果てた姿だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宮野（当時18）、小倉（神作被告・同17）、湊（同16）、渡邉（17）の4人らは、順子さんを猥褻目的で誘拐して足立区綾瀬の湊の自宅2階に監禁し、41日間にわたってレイプや暴行を繰り返し殺したのだった。事件ではこの4人が起訴、ほか少年3人が少年院送致などされたが、その凄惨極まる暴力の内容は例えばこうだ。小泉今日子の『なんてったってアイドル』の曲に合わせて、「イエイ」と歌うたびに殴る。武田鉄矢の曲で「頑張れ」のフレーズに合わせてリンチを加え、女子高生は呟くようにしてその歌を歌っていた。50数キロあった体重は30キロ台に…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、監禁現場の目撃証言によれば、「女のコが全裸で柱に縛りつけられ、部屋の中にはシンナーや酒がごろごろあって、もうひどかった」という状況。まさに鬼畜の所業である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
’91年7月、東京高裁は宮野に懲役20年、神作被告に懲役5年以上10年以下、湊に懲役5年以上9年以下、渡邉に懲役5年以上7年以下を言い渡した。主犯格の宮野以外はすでに出所している。彼らの「今」を追った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 少年B＝神作被告の出所後 ===&lt;br /&gt;
神作被告は’99年8月に出所。4年前に中国人女性と結婚、昨年離婚していた。「神作は日本では働けないと思い、中国で生活するために結婚したようだ。だが、離婚でそれは実現しなかった」とは、さるジャーナリストの話だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出所後、一時コンピュータ関連の会社に就職したが、’02年ごろからは仕事に就かず、暴力団に出入りするようになった。同級生はこう語る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「今回の事件報道を見て、仲間と連絡を取り合いました。みんな 『やっぱりあいつはダメだったなぁ。懲りないやつだよ』 と話していましたよ」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親と暮らしていたのは、埼玉県八潮市の木造2階家の2階。1階に入っている設備関連会社の関係者が言う。「お母さんは髪が長くてちょっとハデめ。気さくでいい人だったんじゃないの。せがれは昼間からラフなジャージー着てて遊び人なんだなと思ったね」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
向かいの商店主はこんな印象を語る。「息子さんは髪を金色に染めていました。『黄色くなっちゃったね』と言ったら笑ってましたよ。道の向こう側を歩いていても会釈するし、あの人が昔、人間とは思えないひどい事件を起こしていたなんて信じられませんでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親のスナックで、ホステスを務める女性は今回の事件後、コンクリート殺人事件を知ったという。「7月5日にテレビを見てたら、『元コンクリート事件の小倉』 だって出てて初めて知ったんです。ママからは、『ばれちゃったね。今までずっとひた隠しにしてて、ただただ無理して明るく振る舞って生きてきたけど、もうどうしていいかわからない』っていうメールがきました」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神作被告にも前の事件の“後遺症”は出ていたようだ。ホステスが続ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「昼間でも『ギャー』とか、『ウー』とか叫び出すことがあったって。きっと感情を抑えられなくなるのよね。譲君は、『おふくろ、俺の前にいないでくれ。いるとおふくろを殴ってしまう』って言ってたらしい。譲君もママもずっと生き地獄なんだと思う。死刑になったほうがよかったのかもしれない…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、母親は店にも顔を出さず、自宅にもいない。「たぶん、車の中で寝泊まりしているんだと思います。最近、ママと会うといつも靴が同じなんです。お店に来る前にお風呂に入り、お店が終わってからもう一度入るような人ですから、靴が同じなんて考えられないんです」（ホステス）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月29日に母親に会った際、母親は神作被告から手渡された手紙を見せたという。「『これからは警察の世話になるようなことは二度としないから、おふくろも心配しないでくれ。しばらくの辛抱だからしのいでくれ』って書いてありました。『そんなふうに言われると信じちゃうのよね』ってママは涙を浮かべていました」（ホステス）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、事件後離婚し、別の家庭を持つ父親は本誌の直撃に、「帰ってください」と繰り返し、玄関のドアを閉めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 神作譲被告控訴を取り下げ、懲役4年の実刑が確定(2005年5月) ===&lt;br /&gt;
東京地裁で懲役4年の実刑判決が下り、判決を不服とし東京高裁に控訴していた神作　譲被告が控訴を取り下げた。これにより、懲役4年の実刑判決が確定となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逮捕から判決確定まで拘置所等で過ごした未決勾留日数なども勘案して、神作受刑者は2009年に2度目の出所をした。また89年のコンクリート事件で懲役20年の判決を受け、服役した主犯格の宮野受刑者も2009年夏に満期出所、凶悪犯人が次々と社会に戻る不安が大きい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 主犯宮野と監禁現場宅の湊は… ===&lt;br /&gt;
宮野は2009年夏に満期出所。以下は法曹関係者の話。「宮野は関西地方の保護司と養子縁組して、まったく別の戸籍に入る手続きが取られました。妹もいるし、家庭のことを鑑みてのことでしょう」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
監禁場所だった湊の自宅は事件後取り壊され、今は別の住居が建っている。近所の住民が言う。「もう15年もたつのねぇ。仕事から帰ってきたらロープが張られていて、事件を聞いたときはもうびっくりでしたよ。湊君の両親は事件後しばらくして引越していったし、その後どうしているか…」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両親が移ったのは埼玉県内である。父親が4～5年前まで勤めていた生花店社長はこんな話をする。「私生活のことはいっさい話さなかったから、事件のことは知らなかったよ。酒ばかり飲んでいたという印象だね」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現在、両親が住む家を訪ねると、父親とおぼしき男性がインタホン越しに、「お話しすることはありません。お帰りください」と語るのみだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
湊は出所後、一時両親のもとに身を寄せていたようだが、その後埼玉県内の1Kの木造アパートで暮らしていた。が、そこも1年ほど前に引き払っている。「仕事は運送業だったと思います。独身でした。4万数千円の家賃を毎月きちんと持ってきていましたし、普通でしたよ。アパートを出るときは、仕事を辞めていたようです」（アパート大家）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回の神作被告の事件を湊は知っていたようだが、さる友人には、「何も答えたくない」と語っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
渡邉の母親が語った。渡邉は清掃の仕事をする母親と暮らしている。「あの事件のことは、どうして防げなかったのか今でもずっと考えています。息子は出所してから仕事はしていません。目が見えなくなる病気にかかっていて、すぐ入院しないといけないのですが、お金がなくて家でずっと寝ています。夕方になると近くの商店街に晩ご飯を買いに行き、自分の部屋に持って帰って食べています」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
姉家族だけには心を開いているようだが、母親と渡邉が顔を合わせることはほとんどないという。もっとも、最近は“日曜大工”をすることも。「エアコンを取り付けてくれたり、100円ショップでカーペットを買ってきて敷いてくれたりしています」（母親）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件後は（犯人の）親たちの間でこんなことがあったとも。「しばらくはお盆に親御さんが集まって、事件の家に花を捧げに行っていました。でも、最近はもう連絡を取っていません。皆さんも連絡を取りたくないでしょう」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
母親は、「買い物に行った息子に会うといけないので」と、いつもと違う道を隠れるように歩きながら語った。その姿からは、死ぬまで息子の面倒を見るしかないという諦めが伝わってきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
順子さんが遺棄されていた、江東区若洲の現場には物流センターの建物が建ち、空き地だった当時とはすっかり様変わりしていた。「当時は寂しい所だった。あんなところに捨てられて、可哀相だったね。本当に悲惨な事件だったよ」（現場近くのセメント会社の運転手）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[女子高生コンクリート詰め殺人事件]]&lt;br /&gt;
* [[1989年の日本の女性史]]&lt;br /&gt;
* [[少年犯罪]]&lt;br /&gt;
* [[性犯罪]]&lt;br /&gt;
* [[横山裕史]]&lt;br /&gt;
* [[神作譲]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ふるた　しゆんこ}}&lt;br /&gt;
[[Category:古田順子|*]]&lt;br /&gt;
[[Category:埼玉県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:女子スポーツ選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:夭折した女子スポーツ選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:テニス選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本のテニス選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の女子テニス選手]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の女子高生]]&lt;br /&gt;
[[Category:少女]]&lt;br /&gt;
[[Category:悲劇のヒロイン]]&lt;br /&gt;
[[Category:殺人被害者]]&lt;br /&gt;
[[Category:転落人生]]&lt;br /&gt;
[[Category:少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:女子高生コンクリート詰め殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:アクセス数の高い記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:1971年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1989年没]]&lt;br /&gt;
[[category:故人]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94&amp;diff=396715</id>
		<title>柴田大輔</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94&amp;diff=396715"/>
				<updated>2022-01-31T11:36:32Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''柴田 大輔'''（しばた だいすけ、[[1979年]][[5月24日]] - [[2021年]][[11月28日]]）は、[[日本]]の実業家。作家。[[犯罪者]]。[[関東連合]]元リーダー、関東連合元最高幹部を自称する。筆名は「'''工藤 明男'''」（くどう あきお）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
関東連合一派の暴走族「[[宮前愚連隊]]」8代目総長。関東連合昭和54世代の実質的なリーダーである。両親が不仲であるなど家庭環境が悪く、小学5年生の頃から学校に行かず万引きを繰り返したり、他校の少年と喧嘩をする不良少年だった。ゲームセンターに入り浸るうちに年上の不良中学生と知り合い、暴走族と関わりを持つようになる。小学6年生の時にはすでにバイクに乗り、暴走族の集会に参加していた。なお、暴走族として一番影響を受けた人物に[[スペクター (暴走族)|三鷹スペクター]]の吉野サダカツを上げている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
身体的特徴として非常に背が低く「'''チビ大'''」とあだ名がつけられている。[[石元太一]]著の『反証』では「'''身長が150センチないくらい'''」と、[[瓜田純士]]著の『遺書』では「'''身長は150センチ前後のチビ'''」と記述されている。それ以外にも額が広い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== ペンネームについて ===&lt;br /&gt;
:私のペンネーム「工藤明男」は、ネット住人の妄想によって作り上げられた“関東連合の黒幕”「[[工藤明生]]」のパロディーである。はっきりと断っておくが「工藤明生」などという人物は、それが偽名や稼業名(暴力団などがその世界でだけ使う名前)であったとしても、少なくとも関東連合の中には存在しない。警察や大手新聞社の記者でさえ「関東連合の『工藤明生』は実際にはどんな奴なんだ？」と聞いてくることがあるが、そんな人間には実際に会ったことも、見たこともない。もっとも、オレオレ詐欺の頭領として大金をつかみ、数年前まで歌舞伎町のキャバクラで派手に飲んでいた「工藤」を名乗る男の噂は耳にしたことはあるが…&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」（宝島SUGOI文庫）199-200頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
などと『いびつな絆』内で工藤明生は架空の人物であるとも取れるように書いているが、あくまで「'''工藤明生という人物は関東連合メンバー、または関係者の中には存在しない'''」という内容である（少なくとも嘘は言っていないという体裁）。歌舞伎町で派手に飲んでいた詐欺の元締めの「工藤」は知っていると最後に触れており、後に『酒鬼薔薇聖斗と関東連合』の前書きにおいて「同様の名前で該当する人物が実在することが（『いびつな絆』）刊行の間際にわかった」と書き、工藤明生が実在することを認めた（『いびつな絆』執筆時は本当に工藤明生の存在は知らなかったという体裁）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;margin: 0.5em 0; background-color: #f2f2f2; border: 1px solid #aaa; padding: 3px; font-size:80%;&amp;quot;&amp;gt;'''下記の経歴については、主に柴田の著書や、柴田サイドから詳述されたニュースサイトから引用したものであり、柴田の都合の良いことばかり記述してあるので注意。'''&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幼少期～暴走族現役時代===&lt;br /&gt;
1979年に実業を経営していた日本人の父と、在日朝鮮人2世の母の子として[[東京都]][[調布市]]飛田給で生まれる。小学3年のときに[[杉並区]]へ引越す。育った家庭は生活水準はそれなりにあったものの、両親の夫婦仲は悪く、小学高学年くらいから素行が悪くなる&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.cyzowoman.com/2016/12/post_122938_1.html 「関東連合」元最高幹部に聞く、芸能人が裏社会と深い関係になりやすい理由]　cyzowoman 2016年12月14日&amp;lt;/ref&amp;gt;。不良として過ごすうちに後に[[関東連合]]に連なる暴走族「[[宮前愚連隊]]」に入り、'''[[見立真一]]'''や[[松嶋クロス]]や[[石元太一]]、関東連合のメンバーではないが東京の不良として有名だった'''[[瓜田純士]]'''と知り合う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
14歳の時に傷害、恐喝の他にひったくりなどの余罪が明るみに出て、初等少年院に8ヶ月半ほど送られる&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）144・145頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
杉並区の不良少年たちがチーマーグループ「イラプション」と対立した際には、最終的に両者の後ろ盾だった者の話し合いにより、4対4のゴチャマン（8人が一斉に戦うこと）で勝敗をつけることになった。しかしゴチャマンでは膠着状態となり決着がつかなかったため、さらに代表者を絞り1対1で戦うこととなると、後に反関東連合グループのトップとなる兄弟の兄・'''木村泰一郎'''が杉並代表として出た。柴田は傍観する立場であったが、杉並のリーダー格だった瓜田が代表で出なかったことに不満を持ち、その場で瓜田にヤキ（暴力による制裁）を入れた&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）161-163頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1996年2月に敵対チーム「高井戸魔天使」のメンバーの自宅を襲撃した件で暴力行為処罰法違反および器物損壊罪で逮捕され、別件の[[CRS連合]]の集会に紛れ込んだ際に因縁をつけてきた暴力団関係者を暴行した事件でも送検された&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）128-140頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。家裁での判断は試験観察処分の補導委託（民間ボランティアに非行のあった少年を預けて、通学や仕事をさせながら生活指導する制度）となった&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）140頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。補導委託先として配管工の親方に預けられたが、親方の暴力や暴言は日常的であり、さらには飲酒運転まですることから、在宅試験観察にするように弁護士を通じて家裁に交渉。その結果、1ヶ月後には在宅試験観察となり、自宅に戻ることになる&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）142-144頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
対抗グループへの襲撃だけでなく、チーム名を入れたステッカーの販売やイベントのパーティー券の販売から、偽造テレホンカードの販売に携帯電話の横流しなどを行い、組織だった資金獲得活動をするようになる&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）182頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。そうして親の金に頼らず生活し、多いときは月に100万円に近い収入を得ることもあった。その金で仲間内で飲み食いしたり、喧嘩の後に祝勝会を開いたり、暴走族活動に必要な床屋代、服装代、バイク代、携帯電話代などに費やしていた&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）182-187頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1996年12月に関東連合は、柴田の8歳ほど年上の関東連合OB[[川名毅]]と接近&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）23-30頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。川名は本業のAVプロダクションの傍ら、渋谷の街を中心に様々な若い女性を集めては、実業家や会社社長を相手に接待させ、芸能・クラブ・不動産などの業界の人脈を作り上げた関東連合のパイオニア的存在であった&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）95・96頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）24頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1997年1月に捕まった仲間を激励する名目での集会中に、関東連合メンバーが交通事故を起こして一般人を死なせてしまう事件が発生&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）32-44頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。柴田や見立ら関東連合メンバーは川名に相談し、柴田と見立は集会を主催していないと口裏わせをした結果、死亡事故についての罪には問われず、共同危険行為での罰金刑で終わった&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）44-50・55-57頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件のもみ消しを川名に依頼したことで、関東連合と川名との距離が急速に縮まった&amp;lt;ref name=&amp;quot;hakai_218&amp;quot;&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）218頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。柴田は、関東連合という組織で関東周辺のあらゆる不良少年やサークルや読者モデル等の若者たちを押さえ、様々なビジネスを展開することを考えるようになり、川名の下に就くことを決める&amp;lt;ref name=&amp;quot;hakai_218&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;。柴田は川名が主催した接待相手もいる出所祝いで「女を集めれば金になる。柴田、お前にはできるか」と問われ、すぐに後輩メンバーに3人の読者モデルを連れてこさせた&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）226-230頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。川名は柴田の女性を集める力に感心し、接待相手からは現金が渡された&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）230-235頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
関東連合は川名との付き合いを始めたことで活動拠点は広がったが、木村兄弟グループをトップとする新宿ジャックスは放置できない敵意の対象となっていった&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）238頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
敵対グループ「全日本狂走連盟」との抗争の末、1997年7月に起きた死傷者を出す乱闘事件に関与&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）274-277頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。川名のツテで3ヶ月間ほど匿ってもらっていたが、下手打ちをしたことで呼び出してヤキを入れた[[三軒茶屋愚連隊]]の後輩に潜伏先を通報される。1997年10月に乱闘事件の首謀者として逮捕され、特別少年院送致となった&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）283-292頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。川名は柴田を匿った犯人隠避の容疑で逮捕されたが、起訴猶予で釈放された&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）293頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）46頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===暴走族引退から六本木事件まで===&lt;br /&gt;
2000年3月に出院&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）19頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。出院早々、柴田の潜伏先を密告した三軒茶屋愚連隊のリーダーから、落とし前として200万円を要求。これが柴田にとって最初に得た収入となった&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）51-54頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
出院から2ヶ月後、後輩が運転する車に乗っていた柴田は、Uターン禁止場所でUターンして注意してきた男性を殴った傷害事件で逮捕された&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）65-69頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。さらに、2～3週間前に神奈川県の暴走族グループのメンバーをさらって車のトランクに詰めた事件で被害届が出されて、暴行罪と逮捕監禁罪でも容疑者となっていた&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）70頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。柴田は見立と松嶋が紹介した有力刑事弁護士に依頼し、執行猶予付きの有罪となって社会に復帰した&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）73-81頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
柴田が出院した頃、川名を巡る環境が変化していた&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）46頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。川名は柴田の入院中に傷害事件を起こして逮捕されており、判決は執行猶予であったものの、多額の弁護士費用と被害者に対する慰謝料のため経済的に厳しくなっていた&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）47-49頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。また川名の片腕的存在である6歳年下の加藤伸雄も逮捕され、別件の恐喝事件も重なって実刑判決を受けていた。その間に川名のAVプロダクションに所属していたAV女優に逃げられるなどし、経済的にさらに苦しくなった&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」（宝島SUGOI文庫）106頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）47-49頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。川名は以前から関東連合メンバーを酷使し、仕事上のトラブルや接待相手に見せるデモンストレーションなど様々な場面で利用していた。ほかにもAV女優を紹介した際の紹介料は払われず、接待相手から受け取った関東連合メンバーへのタクシー代をごまかすなど、以前から極端にルーズな部分があった中で、さらに経済的にも厳しくなったことから川名の求心力は低下していった&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」（宝島SUGOI文庫）104・105頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）49・50・95-99頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。松嶋が川名から袂を分かつことを強く提案し、見立ら関東連合のメンバーもそれに賛同。柴田を含めた関東連合は川名と絶縁することになった(柴田はその1年後に元の上下関係に戻ることはないものの、連絡を取り合う程度には川名との関係を回復した)&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」（宝島SUGOI文庫）109-113・153頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）100-108頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、反関東連合グループのトップである木村兄弟とも接触。弟・孔次郎とは喧嘩をしたり、兄・泰一郎とは和解について話し合いをしたりしていた&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）145-156頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一時期、有名経営者のボディガードを務めた後で本格的に起業し、女性をAVにスカウトをする仕事を中心に金を稼いだ&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）116-137・199-210頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。AVスカウトの仕事に嫌気がさして止めた後は、芸能プロダクションを経営することになるが、経営は四苦八苦を重ねていた&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）211-239頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。起業してから1年後に関東連合のメンバー2人と共に広告に絡むIT会社を立ち上げ、アダルト動画・消費者金融・出会い系サイトの広告を中心に見たことのないほど金額が振り込まれるが、どんぶり勘定だったため資金が一時的にショートし、当時闇金融をしていた見立から1000万円の借金をすることになる&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）239-253・259頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。柴田が経営する会社は連結売上で40億円ほどとなり、従業員数が80人ほどの規模になっていた&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）281頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年3月に見立の面倒見だった[[金剛弘]]が反関東連合グループと思われる集団に殺害される。警察が犯人を特定できない中、関東連合は反関東連合グループに報復するまで絶対に引き下がることのできないと考えるようになり、関東連合の中で暴力団化が急速に進んでいった&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」（宝島SUGOI文庫）272-275・286-293頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2010年11月の[[11代目市川海老蔵暴行事件]]を機に関東連合に対する社会の目が厳しくなり、柴田は1億5000万円以上の個人所得があるのに不動産の審査が通らず、証券会社の口座が止められ、社会から疎外される焦りから事業意欲を失い、一時はハワイに滞在した&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）379・380頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===六本木事件以後===&lt;br /&gt;
ハワイから日本に帰ってきた直後の2012年9月に[[六本木クラブ襲撃事件]]が発生&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）380頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。これは反関東連合グループのトップである木村孔次郎を狙ったものだが、人違いで無関係の人物を死亡させた事件であった&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」（宝島SUGOI文庫）45-47頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。柴田は事件発生の当日の夜に見立と会い、自分が実行犯であること、さらに最初の一撃を加えた張本人であることを明かされる。さらに見立は下の3人に罪をかぶらせて終結させることや自分はしばらく海外で隠れることを宣言し、逃亡のための金の面での援助を提案してきた&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」（宝島SUGOI文庫）34-38頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）380頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。柴田は見立が事件の実行犯として関与したことに驚く一方で、見立の下の3人に罪をかぶらせて事件を終結させるというロジックに懐疑的なコメントを返した&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」（宝島SUGOI文庫）36・38頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
見立が海外逃亡した後で、柴田は同じく事件に関与した見立と同い年の國田正春と佐藤幹二と弁護士を交えて相談に乗るようになる&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」（宝島SUGOI文庫）220頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）387頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。話し合った結果、國田と佐藤は逃亡せずに全員が出頭し、人違いで襲ったことは認めた上で、殺意を否認して傷害致死で減刑を狙うことになったが、見立はその方針に同意しなかった。見立は下の3人に罪をかぶらせて事件を終結させ、当面は自分を含めた他のメンバーを逃亡させたうえで、下の3人に「知り合いの女性をレイプされたからその復讐でやった」と言い張らせる方針を持ち、國田と佐藤と直接やり取りしようとはしなかった&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」（宝島SUGOI文庫）234・235・242-249頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。國田と佐藤は警察に出頭し、それに激怒した見立が「裏切り者の國田と佐藤は許さない」「裏切り者を支援する柴田も許さない」「裏切り者の國田と佐藤の供述を覆させろ」と脅迫がエスカレートしていった&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」（宝島SUGOI文庫）207・334・341頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
見立が仙台に本家がある山口組系暴力団を出した上で「國田と佐藤の供述を覆さなければ、柴田を殺す」と脅迫されたことで、関東連合を決別。筆名「工藤明男」として関東連合の内幕本『いびつな絆 関東連合の真実』を出すことになった&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」（宝島SUGOI文庫）238・242頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）433頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。「工藤明男」のプロフィールとして「東京・杉並区出身の関東連合元リーダーで、ITや芸能の分野で活動後、複数の企業の筆頭株主として投資と企業コンサルタントの活動に主に従事しており、警察当局から関東連合の資金源と目されてきた人物」としていた&amp;lt;ref&amp;gt;『[http://tkj.jp/book/?cd=02099101 いびつな絆　関東連合の真実]』 [[宝島社|宝島チャンネル]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。筆名の由来は「ネット住人の妄想によって作り上げられた“関東連合の（架空の）黒幕”『[[工藤明生]]』のパロディー」&amp;lt;ref&amp;gt;『いびつな絆 関東連合の真実』 ： “「工藤明生」の正体” {{small|(p.183)}} 2013年 工藤明男 [[宝島社]] ISBN 978-4-8002-0991-7&amp;lt;/ref&amp;gt;。発売時期に『[[週刊文春]]』（7月4日号）の関連記事で初のインタビューを受けている&amp;lt;ref&amp;gt;『[http://accessjournal.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=6396 『週刊文春』の「関東連合」元最高幹部インタビュー記事のイニシャル部分の実名]』（要購読登録） 2013年7月1日 [[山岡俊介|アクセスジャーナル]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本を出版後、ほどなく警視庁の保護対象へ。さらに商業登記から住所がばれる事態を防ぐためにそれまでの事業役職の一切を辞したうえで株主配当のみを受ける生活に入った&amp;lt;ref&amp;gt;『[http://www.a-mizoguchi.com/newspaper.php?rid=139 バクロ本を出された関東連合は解体危機]』 2013年7月8日 [[溝口敦]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。六本木クラブ襲撃事件に関しては、2013年末に開かれた被告2名の公判に証人として出廷するなどもしている&amp;lt;ref&amp;gt;『[http://blog.takarajima.tkj.jp/archives/1876272.html 関東連合元幹部、工藤明男の独占手記公開！～六本木クラブ襲撃事件の公判に大きな影響を与えた『いびつな絆』～]』 2013年12月10日 [[宝島 (雑誌)|宝島]]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以後は関東連合や闇社会にまつわる話でメディアに寄稿している。しばらく筆名で通していたが、2016年に「柴田大輔」と実名を公開するようになる。実名を公開した理由として「実名を出さないのは卑怯だと言われるのが癪だから」「すでにネット上でも人間関係でも工藤明男イコール柴田大輔というのは周知の事実ですから」と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://lite-ra.com/2016/10/post-2652_2.html 関東連合元リーダーが実名で“IT長者”たちの夜の素顔を暴露！ 楽天三木谷、サイバー藤田、ホリエモン…]　リテラ 2016年10月28日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2016年12月にAbemaTVのAbemaPrimeでサングラス姿で初めて動画に声出し出演して、関東連合に関してコメントしている&amp;lt;ref&amp;gt;[https://abematimes.com/posts/1745021 なぜ関東連合は夜の街で暗躍できたのか 元リーダーが明かす]　AbemaTIMES 2016年12月6日&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==他人の著書による柴田に関する記述==&lt;br /&gt;
;[[石元太一]]&lt;br /&gt;
:著書『反証』（双葉社）の中で工藤明男について以下のように述べている&amp;lt;ref&amp;gt;石元太一「反証」（宝島社）75-78・94頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:「身体的に優れていて喧嘩で名をはせたというタイプではなかったが、10代の頃は何か求心力めいたものがあった」「若い頃はかっこいい先輩だったし、好きな先輩の一人でもあった」「しかし、20代になり、そういった影響力が徐々に失いはじめ、彼のビジネスを支え続けていた人々が離れていった」「『会社を私物化して俺たちが稼いだ金を全て飲み代や女に使ってしまい、会社を皆で成長させようという気持ちが欠如している』と人から聞かされ、理解できた」「工藤に対して疑問や不審に思う出来事はあったものの、それがいよいよ露呈する事件が起こった際には見立が仲介し、見立から『工藤は一人一人に言っていることが違っており、本人はうまく立ち回っているようだったが全てめくれてしまい、皆の前で見立自身からヤキを入れられ、今後一切見立世代以外とは連絡を取らないことで話がまとまった』と聞かされた」「（傷害致死事件の遺族への対応について）『俺なんか頭のおかしい振りをしていたら、逆に遺族に同情されてさ』と話していた」「見立さえ抑えておけばよいという邪な気持ちから、自ら進んで、マンションや自分の会社名義の車を見立に貸していたことは紛れもない事実」「俺の前で見立に『金銭面でバックアップするので、見立はヤクザをやってくださいよ』とまで言っていた」「関東連合の名前をビジネスなど様々な場面でうまく使ってきた人間の一人で、仲間に対しても平気でひどい対応をしてきた」「本を出版したことで見立などに不満を抱えていた人間が自分に賛同してくれると考えていただろうが、工藤は正義心の強い仲間思いの強い人間ではなかったため、益々孤立するハメになり、さらには命まで狙われることになった」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[瓜田純士]]&lt;br /&gt;
:著書『遺書』（竹書房文庫）の中で工藤明男について以下のように述べている&amp;lt;ref&amp;gt;著書「遺書」（竹書房文庫）55-59・80-85・100-110・114-119・136頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:「同い年でお互いを良く思っていなかっただろうが、工藤と初対面した直後にバイク2人乗りでツーリングして対抗グループに負けるなと先輩風をふかしてきて自分は面白くなかった」「対抗グループとの最後のタイマン勝負で自分が出なかったことで工藤に場面としてヤキを入れられた。直後に松嶋クロスから工藤の格下と扱われるような暴走族への加入命令があるも断った」「工藤はビジネスをするにあたって人脈にステータスを感じる性格で、芸能界や経済界の大物を自分の誕生日に呼ぶ、川名のやり方を模倣していた」「反関東連合グループのトップの弟と会った工藤は口の効き方に腹を立てて、喧嘩を起こした」「反関東連合グループのトップの兄と会った工藤は関東連合の傘下に入ることを要求したが、対立はしないが媚びないと返された際に休戦協定とも宣戦布告とも取れる言葉を述べた」「後日、工藤は反関東連合グループのトップの兄弟とやりあった話はしないという自分との約束を破って関東連合幹部に話をし、それ以後は工藤とは会わなくなった」&lt;br /&gt;
:柴田は瓜田について「彼の話はどこまでが嘘でどこまでが本当かよくわからない」「『遺書』は僕たちのなかでは『うしょ（うそ）』と呼ばれ、馬鹿にされている」と述べている&amp;lt;ref&amp;gt;工藤明男「破戒」（宝島SUGOI文庫）161頁&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;柴田大輔「聖域」（宝島社）380頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
;溝口敦と多田達也（川名の仮名）&lt;br /&gt;
:柴田がまだ工藤を名乗っていた頃、溝口敦の『闇経済の怪物たち』（光文社新書）（2014年から2015年に『週刊宝石』で連載されたものをまとめたもの）では「第7章 六本木の帝王と関東連合」では川名との取材に絡む文章の中で、柴田について言及されている&amp;lt;ref&amp;gt;溝口敦「闇経済の怪物たち」（光文社新書）170・185頁&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
:そこでは溝口は実名「柴田大輔」について「見立に従ったり反発したりしてきた副官級」としたうえで「見立からの報復攻撃を恐れるとして警察の保護を受けながら、自伝で見立批判を行い、関東連合の四分五裂状態を定着させた」「実在の人物と錯覚するような筆名を使って自伝本を書く」と「工藤明男」という筆名を避けながらも、容易に同一人物と特定できるような書き方がされていた。溝口の取材を受けた川名は「柴田は過去の内情を語りながら、ホントに知られたくないことは巧妙に隠している。生き方として完全におかしい。自慢できる半生だったのか」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
;工藤明男&lt;br /&gt;
*「いびつな絆 関東連合の真実」（宝島社）後に宝島SUGOI文庫で文庫化。&lt;br /&gt;
*「実録! 激変する日本の闇社会」 （宝島社）第3章の1節『関東連合とヤクザの「いびつな関係」』を担当。後に「暴力団のタブー」として宝島SUGOI文庫で文庫化。&lt;br /&gt;
*「破戒の連鎖」（宝島社）後に「破戒」として宝島SUGOI文庫で文庫化。&lt;br /&gt;
;柴田大輔&lt;br /&gt;
*「酒鬼薔薇聖斗と関東連合」（宝島社）&lt;br /&gt;
*「聖域」（宝島社）&lt;br /&gt;
*「comics Black Flower」シリーズ（宝島社）原作担当。脚本は大島保、イラストは山根聖史。&lt;br /&gt;
*「「惡問」のすゝめ」（徳間書店）猫組長や沖田臥竜との共著&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 出典 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==外部リンク==&lt;br /&gt;
*[https://ameblo.jp/kudouakio/ a.k.a.“工藤明男” プロデュース「不良の花道 ～ワルバナ～」運営事務局]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:しはた たいすけ}}&lt;br /&gt;
[[Category:関東連合]]&lt;br /&gt;
[[Category:暴走族]]&lt;br /&gt;
[[Category:少年犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:半グレ]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:韓国・朝鮮系日本人]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の実業家]]&lt;br /&gt;
[[Category:1979年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2021年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E4%B8%AD%E5%8B%9D%E7%BE%8E&amp;diff=396714</id>
		<title>中勝美</title>
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				<updated>2022-01-31T11:34:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: /* 生い立ち */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:中勝美1.png|350px|thumb|中　勝美]]&lt;br /&gt;
'''中 勝美'''（なか かつみ、[[1948年]] - [[2016年]][[7月11日]]）とは、生まれながらの犯罪者であり強姦魔かつ殺人鬼である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生い立ち ==&lt;br /&gt;
[[京都府]][[舞鶴市]]生まれ。子供の頃に母親が離婚し、後に再婚。母親の再婚相手の家の離れで暮らす。再婚相手は警察官だった。舞鶴市立青葉中学校卒業、京都府立高等農業講習所中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中学生時分より脅迫、恐喝の犯歴があり、少年院を出たり入ったりしていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 最初の殺人(1973年　25歳) ==&lt;br /&gt;
少年院出所後は、職を転々とするものの真面目に働く。京都や大阪で、自動車の見習工や警備員のバイト、飲食店などに勤務していた。24歳の時に知り合った[[ホステス]]の林 好子さんと舞鶴で同棲を始める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし中が25歳の時、当時舞鶴市で同棲生活をしていたことを良く思わぬ、林さんの家族が林さんを[[滋賀県]]の実家に連れ戻した。そのことを知った中は、彼女の滋賀県にある実家まで追いかけた。その後、玄関前で待ち伏せをし、林さんとその兄を刺殺。更にそのあと、別の民家に立てこもり2名の人質を取った末、6時間も籠城。結果、中は警察の説得の応じ投降、逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『1973年9月17日草津市内で林さん兄妹を刺殺後、滋賀県の住宅で 人質2人とともに篭城（中勝美25歳、料理店員）』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たった懲役16年の判決。しかも12年で仮釈され出所した。[[1985年]]頃に出所。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 強姦に失敗し海上自衛官に捕まる(1991年　43歳) ==&lt;br /&gt;
夜道のいたずら男つかまえた。2自衛官「お手柄」舞鶴 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
舞鶴市浜の市道で、[[1991年]][[9月12日]]午後7時25分ごろ、女性(21)にいたずらしようとした男を、同市余部下、海上自衛官・吉開勝治3佐(46)と同市桃山町、海上自衛官・吉田雄二郎海士長(26)が協力して取り押さえ、舞鶴東署に引き渡し。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
調べでは、男は同市朝来西町、グラインダー工員・中勝美容疑者(43)で、同時刻ごろ女性の自転車に後部から体当たりして転倒させた。[[自転車]]で通りかかった吉開3佐が悲鳴を聞いて駆けつけ、あわてて逃げる中勝美容疑者を40メートルほど追跡、騒ぎに気づいた吉田海士長とともに現行犯逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同署は、女性が顔などに約10日間のけがをしていたため、傷害と強制わいせつの疑いで調べている。自衛官2人には感謝状を贈ることにしている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時に転倒した女性に対して顔などを鈍器のようなもので執拗に殴っている。舞鶴女子高生殺害の被害者の小杉美穂さんも自転車に乗っていて同じようにバールのようなもので激しく殴られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件で中は懲役6年。[[1998年]]頃、満期出所する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2001年 舞鶴高3女子殺害事件発生(未解決事件) ==&lt;br /&gt;
[[2001年]][[11月17日]]、府立海洋高校13年の新谷茜さん(18歳舞鶴市多門院)が自宅から北西3.5km水深約60cmの志楽川で遺体で発見された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歯型などから5日夕から行方不明だった同市多門院、府立海洋高校3年の新谷茜さん(18)と確認された。首に鋭利な刃物で切られたような跡があったことから、府警は殺人事件とみて捜査を始めた。調べでは、新谷さんは、国道27号にかかる田中橋の上流約50メートルに、うつぶせの状態で浮かんでいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新谷さんは宮津市内にある高校まで列車で通学していた。5日は、2時限で早退した。同級生に「舞鶴市内にある高専の学園祭に行く」と話していたという。同日夕、高専近くの友人宅を訪れたが、不在だったため、立ち去ったらしい。同日午後5時半ごろ、志楽川近くの 路上で1人でいるところを、知人が目撃している。それを最後に行方が分からなくなり、6日夕に家族が捜索願を出していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
京都府[[舞鶴市]]の[[志楽川]]で、[[府立海洋高校]]3年新谷茜さん(18)が遺体で見つかった事件で、茜さんは2001年11月5日に行方不明になった直後に殺害された可能性が高いことが11月18日、京都府警捜査1課の調べで分かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
司法解剖の結果、茜さんの死因は鋭利な刃物による首の刺し傷からの出血が気道に詰まった窒息死と判明。死後10日前後が経過していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同課は同日、舞鶴東署に捜査本部を設置、行方不明になった前後の足取りを調べるとともに、凶器などの発見を急いでいる。発見現場からは、所持していた手提げかばんや靴が見つかっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査本部は、茜さんが行方不明になった直後に殺害され、川に運ばれて捨てられたとみている。茜さんは5日、2時限目の授業が終わった後、学校を早退。男友達と学園祭が開かれていた舞鶴市内の高等専門学校を訪れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
茜さんの通っていた海洋高校では18日、緊急の職員会議を開いた。小林憲彦校長は「大変ショックで悲しい。新谷さんのごめい福を祈るとともに事件の解決を願っている」と声を詰まらせた。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 3年後の2004年 ===&lt;br /&gt;
京都府舞鶴市の志楽川で当時、海洋高3年の新谷茜さん(18)＝同市多門院＝が遺体で見つかってから2004年11月17日で丸3年を迎えた。殺人容疑で捜査を続けている府警捜査本部(舞鶴東署)は同日、発見現場近くのスーパーと[[JR東舞鶴駅]]前で市民に情報提供を求めるチラシを配り、捜査への協力を呼びかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新谷さんは2001年11月5日夕、同市田中町で見かけられたのを最後に消息を絶ち、同17日に近くの志楽川で遺体で見つかった。府警は殺人容疑で捜査本部を設置。遺留品の捜索や聞き込みなどを続けているが、凶器が未発見で事件解明には至っていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この日は捜査員ら7人が、新谷さんの特徴などを書いたチラシとティッシュペーパーを田中町のスーパーなどで配布し、「ささいな情報でも連絡を」と協力を呼びかけた。チラシを受け取った主婦らは「あれからもう3年ですか」と話していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2008年　舞鶴高1女子殺害事件発生 ==&lt;br /&gt;
詳細は[[舞鶴高1女子殺害事件]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2008年11月15日 下着ドロ、賽銭ドロで逮捕 ==&lt;br /&gt;
この時、中勝美60歳。[[生活保護]]を受給し鉄屑拾いをして糊口を凌いでいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2009年4月7日 女子高生の殺人容疑で逮捕 ==&lt;br /&gt;
詳細は[[舞鶴高1女子殺害事件]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2013年5月28日 大阪市西成区内のコンビニにてアダルト雑誌を万引きし現行犯逮捕 ==&lt;br /&gt;
京都府舞鶴市で平成20年5月、府立高校1年の小杉美穂さん＝当時(15)＝が殺害された事件で殺人罪などに問われ、2審・大阪高裁で無罪判決を受けた大阪市西成区梅南、無職、中勝美被告(64)＝検察側が上告＝が、自宅近くのコンビニでアダルト雑誌1冊を万引したとして、窃盗容疑で現行犯逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中容疑者は「家から持ってきた」と否認している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
28日午前7時45分ごろ、[[大阪市]][[西成区]]旭の「[[ファミリーマート]]花園町店」で、アダルト雑誌1冊(680円相当)を万引した。中容疑者が成人雑誌コーナーで雑誌を手に取り、シャツの下に隠して店外に出るのを、控室で防犯カメラ映像を見ていたアルバイトの女性店員(34)が発見。店内の男性客とともに店のすぐ近くの路上で中容疑者を取り押さえ、通報で駆けつけた署員に引き渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中容疑者が万引したのは人妻を特集した雑誌だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小杉さん殺害事件をめぐっては、大阪高裁が2012年12月、「被告を犯人とするには合理的疑いが残る」として、中容疑者を無期懲役とした1審京都地裁判決を破棄、逆転無罪を言い渡している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 2014年 推定無罪を勝ち取る ==&lt;br /&gt;
=== 中勝美被告に1審無期懲役判決。京都地裁、笹野明義裁判長 ===&lt;br /&gt;
京都府舞鶴市で2008年に府立高校１年の小杉美穂さん(当時15歳)が殺害された事件で、殺人と強制わいせつ致死の罪に問われた中勝美被告(62)に対し、京都地裁は[[2011年]][[5月18日]]、無期懲役(求刑・死刑)を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[笹野明義]]裁判長は「被告が被害者の遺留品の特徴を知っていたことから犯人であることが強く推認される」とし、「犯行態様は冷酷残虐だが、周到に計画したり、ことさらに残忍な殺害方法を選択した事案とは異なり、死刑の選択がやむを得ないとまでは言い難い」と量刑理由を述べた。被告側は控訴する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公判で被告側は一貫して無罪を主張。被告と事件を結びつける直接証拠がない中、防犯ビデオの画像鑑定や目撃証言など、検察側が積み重ねた状況証拠をいかに評価するかが最大の焦点となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
判決は、現場に至る道路で被告と被害者を見たとする目撃者2人の証言の信用性を認め、道路沿いの3カ所にある防犯ビデオの画像も目撃証言と合わせて検討し、「映っている男は被告であり、犯行現場近くに犯行時刻に近接した時間、被害者と一緒にいた」と認定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、検察側の画像鑑定は「単なる印象に基づくものが多い」として証拠能力を認めなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
続いて被害者の遺留品を詳細に説明した被告の供述について検討。「自発的にされたと認められ、供述を求めた捜査官に違法なものはない」としたうえで、「非公表の特徴と合致する具体的な供述で、知る機会があるのは犯人の他にはほとんど考えられない」と検察側の立証に沿う判断をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
量刑について笹野裁判長は「経緯、動機に酌むべき点はない」と指弾したが、「同種前科の刑期終了後は暴力的犯罪を行っておらず、偶発的な面もある」などとして死刑回避の理由を述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
事件は裁判員制度の施行約１カ月前に起訴され、裁判官3人が審理した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
京都地裁は状況証拠の積み重ねによる立証を認め、無期懲役を言い渡した。[[和歌山毒物カレー事件]]([[1998年]])や[[仙台・筋弛緩剤混入点滴事件]]([[2000年]])と同様、直接証拠がない中で有罪を導いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
状況証拠による立証について[[最高裁]]は[[2010年]]4月、「犯人でなければ合理的に説明できない事実関係が必要」との基準を示した。同年12月、[[鹿児島夫婦殺害事件]]([[2009年]])の[[裁判員裁判]]はこの基準を踏襲し、現場から被告の指紋が出ていたが無罪(求刑・死刑)を言い渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回の判決では、防犯ビデオの画像と目撃証言を合わせ、検察側が主張する被告と被害者の事件前の足取りを認定し、被害者の遺留品に関する被告の供述調書も「自発的なもの」と認めた。しかし、ビデオ画像が不鮮明だったことには言及せず、別人物が犯行に及んだ可能性については「想像し難い」と説明しただけで、最高裁基準を厳密に検討した形跡は見られない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 舞鶴高1女子〈小杉美穂さん〉殺害事件。中勝美被告の無罪確定へ(2014年7月) ===&lt;br /&gt;
京都府舞鶴市で2008年、高一少女を殺害したとして、殺人罪などに問われた中勝美被告(65)について、[[最高裁]]第一小法廷([[横田尤孝]](ともゆき)裁判長)は、検察側の上告を棄却する決定をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無期懲役とした一審・京都地裁判決を破棄し、逆転無罪とした二審・大阪高裁判決が確定する。決定は8日付で、裁判官五人の全員一致。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中被告は一貫して否認。裁判では、凶器など直接証拠がない中、目撃証言など状況証拠の評価が争点となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
決定理由で横田裁判長は「事件現場近くで被害者と歩く被告と似た男を目撃したとする男性の証言は、取り調べを重ねるにつれ、年齢や目など被告の特徴と一致するように変遷している」と信用性を否定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中被告は捜査段階で「知人が被害者の化粧ポーチや下着を川に捨てるのを見た」と供述。一審は、中被告がポーチの色や形状などを詳細に説明した点を「犯人のほかに考えられない」と判断したが、横田裁判長は「遺留品の特徴について当初はあいまいだったが、長時間の取り調べで具体的になり、信用性に疑問がある」と取調官の誘導を示唆。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「二審の判断に事実誤認があるとは認められない」と結論付けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2011年5月の一審判決は検察側の死刑求刑に対し無期懲役、2012年12月の二審判決は無罪とした。中被告は二審判決後に釈放されたが、窃盗罪で実刑判決を受け、大阪拘置所で服役中。弁護士を通じ「無実が証明されてほっとしている。京都府警と検察官に強い憤りを持っている」とコメントした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
京都府舞鶴市の女子高生殺害事件の上告審で、最高裁第1小法廷は捜査機関による供述の示唆や誘導を否定して上告した検察側の主張を退けた。最高裁が証拠の内容を再検討して無罪を維持したことで、状況証拠の積み重ねによる有罪立証の難しさを改めて示す形となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
状況証拠による立証のあり方について、最高裁は2010年、大阪市の母子殺害放火事件の判決で「被告が犯人でなければ合理的に説明できない事実関係が含まれることを要する」と述べ、高いハードルを課している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
記録が残る1983年以降、死刑求刑に対する無罪判決が最高裁で確定するのは、広島市の母娘3人殺害事件の上告棄却決定(2012年2月)に続き2例目。異例の事案だけに、小法廷も判例に沿って目撃証言や被告の供述の信用性を精査し、2審判断を「合理的」と結論付けたとみられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
直接証拠がない事件で、死刑求刑に対して被告が無罪を主張した裁判員裁判では、鹿児島地裁が夫婦殺害事件で2010年に無罪を、さいたま地裁が[[首都圏連続不審死事件]]で2012年に死刑を選択している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 中勝美元被告、女性刺し現行犯逮捕。舞鶴高1女子殺害事件で無罪確定(2014年11月) ==&lt;br /&gt;
[[大阪府警]]は2014年[[11月5日]]、[[大阪市]]北区で女性を刺したとして、殺人未遂で、舞鶴高1女子殺害事件で逮捕・起訴され無罪判決が確定した無職、中勝美(66)を現行犯逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中は、5日午前8時40分ごろ、大阪市北区兎我野町の雑居ビルで女性(38)を刺した。府警曽根崎署や消防によると、女性は顔や胸、背中など約10カ所を刺された。中は「ママの上半身を数回ナイフで刺した」などと供述している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
中は[[京都府]][[舞鶴市]]で[[平成20年]]5月、府立高校1年の女子生徒＝当時(15)＝が殺害された事件で殺人罪などに問われたが、2014年7月に無罪が確定している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013年5月には、[[大阪市]][[西成区]]のコンビニで雑誌を万引したとして窃盗で逮捕され、[[大阪地裁]]で同8月、懲役1年2月の実刑判決を言い渡されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現場は[[大阪市営地下鉄]][[谷町線]][[東梅田駅]]から東に約300メートルの繁華街。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 舞鶴高1の母親「驚きと憤り」無罪の男逮捕受け ===&lt;br /&gt;
中勝美容疑者(66)が殺人未遂で[[大阪府警]]に逮捕されたことを受け、[[京都府]][[舞鶴市]]で殺害された高校1年小杉 美穂さん＝当時15歳＝の母親(44)は5日、「一報を聞いて、驚きと共に憤りを感じた。一番恐れていたことが現実となってしまった」とのコメントを発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
代理人の細川治弁護士が同日、京都地裁で記者会見してコメントを発表。母親は「捜査機関には（大阪の事件の）真相解明に向けて全力を挙げてほしい。被害に遭われた方の回復を心から願っています」とつづった&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 医療刑務所で病死　大阪の殺人未遂事件で服役中に(2016年7月 67歳) ==&lt;br /&gt;
2014年11月5日に大阪市北区で女性を刺し、殺人未遂及び強制わいせつ致傷で2016年3月に大阪地裁で懲役16年の判決を受け服役中だった中勝美受刑者(67)が堺市北区の[[大阪医療刑務所]]で病死したことが、2016年7月11日に関係者への取材でわかった。[[大阪刑務所]]に服役中に体調を崩し大阪医療刑務所に移送されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:なか かつみ}}&lt;br /&gt;
[[Category:舞鶴市の歴史]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の殺人犯]]&lt;br /&gt;
[[Category:2013年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:1973年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:未解決の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:昭和時代の殺人事件 (戦後)]]&lt;br /&gt;
[[Category:殺人の前科のある人物による殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:京都府出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1948年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:2016年没]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

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		<id>http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%9D%89%E6%9C%AC%E7%A5%90%E5%A4%AA&amp;diff=396713</id>
		<title>杉本祐太</title>
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				<updated>2022-01-31T11:30:40Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ozawamaria900: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[Image:杉本祐太1.jpg|300px|thumb|杉本 裕太]]&lt;br /&gt;
[[Image:杉本祐太2.jpg|300px|thumb|杉本 裕太]]&lt;br /&gt;
'''杉本 裕太'''（すぎもと ゆうた、[[1993年]] - ）は、川崎市多摩区宿河原の無職。無職だが、結婚しており子供もいる。タイトル「杉本祐太」になっているけど正しくは「'''杉本裕太'''」。川崎市立稲田小学校卒業、川崎市立稲田中学校卒業、神奈川県立川崎北高等学校中退。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
20歳にて[[強姦]]、[[強盗]]犯であり、脱走犯である。[[レイシストをしばき隊]]の[[山口祐二郎]]の友人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 事件概要 ==&lt;br /&gt;
杉本裕太は2014年[[1月2日]]の午前0時ころ、[[川崎市]]麻生区の路上で21歳の女性会社員を拳で殴るなどして、[[レンタカー]]の中に連れ込み車内で仲間と[[輪姦]]し、その後、女性を[[コンビニ]]に連れて行きATMから現金15万円を引き出させて奪い、1月6日に逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、翌7日、[[川崎市]][[川崎区]]の[[横浜地検]]川崎支部で取り調べ中に脱走。仲間の協力を得て2日間逃走したが、[[1月9日]]に[[横浜市泉区]]で発見、身柄を確保された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 略歴 ==&lt;br /&gt;
[[Image:杉本祐太3.jpg|300px|thumb|杉本 裕太]]&lt;br /&gt;
* 10代の頃サッカー部で活躍するも、神奈川県立川崎北高等学校中退。[[少年院]]「駿府学園」に入院&lt;br /&gt;
* 2013年6月 - [[神奈川県]][[川崎市]]内に妻子と暮らしていたが、杉本の[[家庭内暴力]]が原因で別居を始める&lt;br /&gt;
* 2013年12月 - 嫁と入籍&lt;br /&gt;
* 2014年1月1日 - 嫁と子供と初詣&lt;br /&gt;
* 2014年1月2日 - 川崎市麻生区内の路上で[[OL|女性会社員]](21)に殴るなどの暴行を加え、車の中に連れ込み車内で強姦後、[[コンビニ]]に連れて行き15万円を引き出させて強奪&lt;br /&gt;
* 2014年1月6日 - 東京都[[町田市]]内にいたところを、パトロールしていた[[警視庁]]の自動車警ら隊に発見され、緊急逮捕。[[神奈川県警]]宮前警察署に留置、一夜を過ごす。 &lt;br /&gt;
* 2014年1月7日 - 午前、横浜地検川崎支部に送検&lt;br /&gt;
:13:44頃、弁護士と接見開始&lt;br /&gt;
:14:04頃、杉本裕太容疑者の要求で４階のトイレへ行く&lt;br /&gt;
:14:10頃、弁護士との接見を再開&lt;br /&gt;
:14:15頃、検察事務官が部屋を出る&lt;br /&gt;
:14:16頃、鍵の開いていたドアから杉本裕太が逃走&lt;br /&gt;
:14:19頃、立ち会っていた巡査部長が110番通報&lt;br /&gt;
:15:40頃、警察が杉本裕太の逃走を公表&lt;br /&gt;
:16:00頃、警察が緊急会見&lt;br /&gt;
:16:00過ぎ、杉本裕太の顔写真を公表&lt;br /&gt;
:18:00頃、警察が逃亡現場近くの民家の敷地内で白いトレーナーを回収&lt;br /&gt;
:19:00過ぎ、杉本裕太を全国に[[指名手配]]&lt;br /&gt;
* 1月9日 - 横浜市泉区にて確保&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 杉本の人物評 ==&lt;br /&gt;
杉本裕太の知人らによると、同容疑者は川崎市多摩区で育った。中学校の同級生の男子学生(20)らによると、「サッカーがうまく、足も速くて運動会の徒競走ではいつも上位。明るい性格で常に友人に囲まれていた」という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方で、杉本の自宅近くに住む主婦は、「中学生のころには髪の色を染めていた。家の窓ガラスを割られ、注意すると怒鳴られた。この辺りでは有名な不良だった」と振り返る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
川崎市立稲田中学校卒業後は、神奈川県立川崎北高等学校に進学したが、ほとんど学校に行かず退学。1年ほど前には娘が生まれ、その時期と前後して妻と結婚したが、その後は杉本の家庭内暴力が原因で別居していたとみられる。「妊娠が分かったころから手を上げるようになった」。妻は周囲に、こう漏らしていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
職を転々とし、1年半ほど前まで地元の[[パチンコ]]店に勤務。近くの別のパチンコ店には不定期で客として訪れていた。同店の関係者は「羽振りがよく、自分の金で後輩を遊ばせていた。最初の逮捕前も店の前で歩いていたのを見たが、まさかこんなことをする男だったとは…」と話した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 逃走劇 ==&lt;br /&gt;
=== 川崎の強姦犯者逃走。スクーターを用意した仲間の女を任意同行 ===&lt;br /&gt;
7日、神奈川・川崎市の横浜地検川崎支部から、20歳の容疑者の男が逃走した事件で、男が逃げ出てから、およそ27時間がたとうとしているが、いまだ足取りはわかっておらず、周辺住民にも不安が広がっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捜査関係者の話によると、無職・杉本裕太(20)は、横浜地検川崎支部から走って逃げたあと、神奈川・川崎市内で、仲間が用意したとみられる大型の白い[[スクーター]]に乗り、そのまま逃走した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまでに目撃情報は、30件以上あるということだが、スクーターについては、7日午後2時すぎごろから午後3時までの間で、川崎市川崎区の路上で、「色はよく覚えていないが、20歳くらいの男が2人、ビッグスクーターに乗ったのが通っていった」と、近くに住む男性から情報があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
警察は、周辺の防犯カメラの映像解析を進めるほか、スクーターを用意したとみられる仲間の女を、任意同行して事情を聴いているほか、杉本の友人ら、およそ20人から話を聴くなど、依然、警察官4,000人態勢で行方を追っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 「凶悪じゃないから大丈夫」逃走中の”強姦・強盗”杉本容疑者の友人ら、ツイート ===&lt;br /&gt;
[[Image:杉本祐太の友人.jpg|350px|thumb|杉本裕太の友人のツイッター]]&lt;br /&gt;
集団強姦や強盗容疑で送検され、横浜地検川崎支部から逃走した無職の杉本裕太(20)。神奈川県警はパトカーなどの警察車両約900台のほか、ヘリコプター2機や船舶4隻も投入し、約4000人態勢で行方を追っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
杉本は取調室で弁護士と接見中に自分で腰縄を外し、走って逃げ出した。川崎市内で仲間が用意した大型の白いスクーターに乗り、逃走を続けているとみられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逃亡犯を手助けする仲間の“友情”にはア然だが、やはり杉本の友人とみられるその他の面々もある意味“粒揃い”。ツイッターなどに杉本情報をわれ先とばかりに書き込んでプライバシーをさらす一方、＜いい奴だから大丈夫＞などと擁護一色。ネットで物議をかもしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜ぶっちゃけそんな凶悪じゃなくない?人殺したわけでもなく、ただ逃げられた川崎警察が恥ずかしいだけだろ＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜すげーように報道してるけど別に内容はよくあるようなことだし＞ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
といった具合だ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜Ｙａｈｏｏ！検索キーワード現時点1位「杉本裕太」とかやばいでしょ！＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜テレビはまるで特番！！笑＞ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜さすがあいつはやることが違う！笑＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜タメＮｏ．１で逆に誇りに思う＞&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なんてツイートや、刑務所破りを描いた米人気ドラマ「[[プリズンブレイク]]」になぞらえ、＜頑張れ杉本スコフィールド！検討（ママ）を祈る！！！！笑＞とエールを送るつぶやきまである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらの無法ツイートに対し、ネット上では＜強姦は凶悪じゃないらしい…＞＜犯人もその周りもほんとに頭おかしい＞といった書き込みが相次いでいる。まさに類は友を…、だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 川崎で逃走の男、横浜市内で身柄確保 ===&lt;br /&gt;
川崎市川崎区の横浜地検川崎支部で同市多摩区宿河原の無職、杉本裕太(20)＝強盗や集団強姦などの容疑で逮捕＝が逃走した事件で、[[神奈川県警]]は9日、杉本を横浜市泉区で発見して身柄を確保した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警は杉本の逃走に知人が協力した可能性が高いとみて、交友関係を調べるとともに、[[防犯カメラ]]の解析を進めるなどして、詳しい逃走経路の解明を目指す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警ではこれまで、友人20数人からの聴取を継続するなど交友関係を中心に捜査を進め、約4000人態勢で大規模な捜索を続けてきたが、確保までに2日近くを要した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
杉本は6日に逮捕され、7日午後に送検後、地検支部6階の取調室で[[弁護士]]と接見。途中でトイレに行き、腰縄を再び締めた後の午後2時15分ごろ、「腰縄が緩くなった」と訴え、50代の男性[[巡査部長]]が背後に回った瞬間、腰縄を下ろして未施錠のドアから階段を駆け降りて逃げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逃走直前に検察事務官が所用のため取調室を出たため、取調室には当時、杉本のほかには、男性巡査部長と弁護士の2人しかいなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
県警は8日、杉本を全国に指名手配。約4000人態勢で川崎市の自宅周辺や都県境を中心に足取りを捜査。[[漫画喫茶]]や[[インターネットカフェ]]、空き家をはじめ、杉本が立ち入る可能性がある場所を捜索するとともに、友人ら約20人からも事情聴取。警視庁も都県境の幹線道路に警察官を配置するなどして杉本の行方を追っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 杉本嫁のブログ ==&lt;br /&gt;
[[Image:杉本祐太の嫁ブログ1.jpg|300px]][[Image:杉本祐太の嫁ブログ2.jpg|300px]][[Image:杉本祐太の嫁ブログ3.png|300px]][[Image:杉本祐太の嫁ブログ4.png|300px]][[Image:杉本祐太の嫁ブログ5.jpg|300px]][[Image:杉本祐太の嫁ブログ6.png|300px]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:すきもと ゆうた}}&lt;br /&gt;
[[Category:2014年の日本の事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の性犯罪]]&lt;br /&gt;
[[Category:川崎市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:DQN]]&lt;br /&gt;
[[Category:底辺]]&lt;br /&gt;
[[Category:1993年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ozawamaria900</name></author>	</entry>

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